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平成23年3月11日(金)午後2時46分、東日本大震災が発生しました。あの時、わたしは小さなテレビ画面で、押し寄せる津波を目の当たりにしましたが、こころは、動じずに、来るべき時がついに来たかと感じ入っておりました。
平成22年の12月、地元神社で感じたこと、それが来年日本が大変な震災に見舞われるということでした。場所は分かりません。しかし大勢が亡くなる惨事だと感じ取っていたのです。だから、あの映像に触れ、想定していたこともあり、被害がどれほどまでに至っているのか?という事に意識が移行しました。
東北。
広範囲にわたり、飲み込まれてしまった、村の数々。
この地に、自然が厳しいこの地域一体に、自然の刃が向けられ、振り落とされました。
なぜ、東北だったのか。
なぜ、あの地域だったのか。
この選ばれてしまった理由。ここにわたしは当初から意識が奪われていました。
わたしは、震災前まで、東北のこと、ほとんど知りませんでした。
お住まいされている方がどんなお人柄か、どんな地域性なのか、
何も知らず、また興味も抱いていませんでした。
しかし、この震災によって、注視しはじめると、さまざまな事に気づきました。
日本での大震災は、東北の地方でなければ、ならない理由があったのでしょう。
それ以外の地域では、この国難に耐えうることが出来ず、無理だったことが理由に思えてなりませんでした。 それは、震災の苦しみを乗り越えることができる力がそこに住む人々にしっかり備わっていることが所以だったのだと、 震災後に気づきました。
東北の人々の生きる力、謙虚で慎ましく、他者に対する思いやりや労わり、それは、日本広しと言えども、他の地域を圧倒する人間力が震災直後から、光っていました。当地では、決して守られない調和と秩序の数々に、わたしは、日本の底力を、東北の人々の耐える姿を通じ、教えて頂き、被災者から希望を頂き、励まされた一人であります。
わたしは、震災以降、亡くなられた方々への哀悼はもちろん、行方不明者がどうか見つかるようにと祈願、引き取り手のないご遺族が見つからない遺骨の数々、それら全てを神様に早期解決を祈ってきました。どうか、導き、お力添えをと、御霊と思いを引き上げて頂くよう祈ってきました。次に生き残られた方々に対し、早期復興を願い、神様に祈りを奉げてきました。
素晴らしき日本人、すばらしい東北人たちを、わたしは絶対に忘れません。
そんな、日本人の鏡として輝く素晴らしい東北人こそ、誇らしい日本人です。そんな日本人の手本となる人々を、見捨てるわけには絶対に、いかないのです。
今まで、東北に何の関心も持っていなかった自分が恥ずかしい。そんな事まで感じました。
東日本大震災を忘れないとは、亡くなられた人、行方不明者の人、ご遺族のもとに戻れないご遺骨、そして、生き残り懸命に生きようとしている東北の人々、これら全てに、思いを巡らせ、思いを寄せる事が、【忘れない】という”こころの本質”でありましょう。
今日で、震災2年目が終わろうとしています。
また、明日から、節目の3年目に向け、日々が始まります。
まもなく、午後2時46分です。
お亡くなりになられた方々には哀悼をもって、黙祷を。
そして、生き残られた方々には、どうか負けないでと、祈りを。