『さいたさいたセシウムがさいた』というキャッチコピーが問題となり削除されたそうだが、削除前のポスターがどういう内容かをまず知る必要があるだろうと想い、検索するとすぐに見つける事が出来た。内容は以下の通り。
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2012年国際女性デー埼玉集会
憲法をいかし、いのちとくらしを守る社会を!震災復興、原発ゼロへ
ジェンダー平等実現へ 人間らしい雇用と社会保障を 核兵器のない平和な世界を
とき 3月10日(土)13時半~16時半(13時開場)
ところ さいたま共済会館6F(参加費300円)
*文化行事
*アーサー・ビナードさんの講演
*質問・交流
*集会アピール採択
*パレード(浦和駅まで)
『さいたさいたセシウムがさいた』~3.11後の安心をどうつくり出すか~
アーサー・ビナードさん(詩人)
本来ならば喜ばしい春の訪れを台無しにしてしまった東京電力福島原子力発電の事故。放射能物質の拡散でくらしに危険が迫っています。日々の生活の安全・安心を私たちの力で作り出していきましょう。
《プロフィール》米・ミシガン州生まれ。大学で英米文学を学び1990年に来日、日本語で詩作を始める。詩集「釣り上げては」で中原中也賞受賞。ビキニの水爆実験を絵本「ここが家だ-ベン・シャーンの第五福竜丸-」に表す。文化放送のコメンテーターとしても活躍。近著にエッセー「亜米利加ニモ負ケズ」(日本経済新聞出版)。
国際女性デーとは・・・
男女平等・女性の地位向上・平和・より人間らしい暮らし実現のために、世界の女性が連帯して行動に立ち上がる日です。20世紀のはじめ、不況にあえぐアメリカで「パンをよこせ。参政権を与えよ」と女性たちの大規模な集会やデモが行われました。
1910年、この経験を国際的なものに広げようと、女性解放運動の先駆者クララ・ツェトキンが呼びかけたのが始まりです。今では国連事務総長がメッセージを発表する全世界のとりくみになっています。
【主催】2012年国際女性デー埼玉集会実行委員会
(事務局)埼玉県教職員組合 TEL 048-824-2511
【2012国際女性デー埼玉集会のポスター】
http://www.kyouiku-net.org/event/12.03.10kokusaijoseiday-saitama.pdf#search='2012国際女性デー埼玉集会'
【埼玉教職員組合(埼玉日教組)】
http://w1.alpha-web.ne.jp/~saitama-kyoushokuin/
・・・・・・
一部のニュースでは米国人詩人とだけ記載しているが、1990年に来日し、日本語で詩を書いている詩人である上、活動の場も日本であるという表記がすっぽり抜けている。この米国人の発案をなぜ埼玉日教組が取り上げ企画したか、その接点が不明瞭だったため、この広告で内容を知り、初めて起因と結果が結びつき納得出来た。
この前段があってこの一件は話すべきだろう。
この愚案に対してさまざまな意見が分かれると想像するが、個人的に表現者の端くれとして、一つフォローしておきたい。
詩人の産物は、詩である。そこにある作者の願いや想いを絡めた表現にしか過ぎない。それだけの感性しか持っていない人間の産物は、この程度しか表現が無理なのである。だから、このキャッチコピーそのものは、否定はしない。この詩が彼そのものだからだ。わたしは、そこは表現の自由という観点から、愚作であったとしても否定すべきではないと考える。
だが、問題点はこの愚作に乗っかった埼玉日教組の利用目的とその判断であろう。この詩が問題ではなく、この詩を用いた意図を最も問題視すべきなのだ。
この国際女性デー埼玉集会そのものは、女性の立場から見ても、非常に違和感を覚える内容ばかりである。そもそも、すでに日本においては、女性の地位向上は他国に比べ立派に成し遂げている。
イスラム圏の女性のような宗教的な拘束もなく、路上で若い女性が男性の腕にぶら下がり、キスやハグをしても別段他者から叱責されるわけでもなく、好きなようにやりたいように恥もなく、法の下で自由奔放に生きる事が出来るのが今の日本だ。
強いて言うならば、労働部分における賃金格差は中小企業の場合否めないが、それでも女性の持つ才能を認め、優遇している街の社長さんも数々存在している世の中だ。オノヨーコがフェミニズムのジェンダーと叫んでいた時代などは、もうとっくに昔話なのである。
こうした冷めた眼差しをもって、国際女性デーを捉えているが、今回の【さいたさいたセシウムがさいた】を堂々と広告に掲載した埼玉日教組の主たる目的は、脱原発であり、今もなお事故で苦しまれている被災地の方々に思いを馳せる事なく、己のみの防御や安全確保だけを、声高々と叫んだ集会である事は察しがつくだろう。それを拡大させ推進しようと動いているのが埼玉日教組なのである。
わたしは、まもなく向かえる震災の被災者の方々の一周忌を迎えるにあたり、他府県住民が騒ぎ立てた、被災地における数々のご無礼の記事を思い返していた。一部の私心で騒ぐ人々の自己中心的な考えをこの震災以降、嫌という程、思い知らされた。これも全て、戦後教育の賜物であろう。日教組が推進した教育に従順に応え成長された方々と感じている。
東日本大震災は、まさに国民が等しく背負うべき悲劇であり、共に痛みを共有すべき出来事であると思っているが、上記のような日教組教育によって、共有すら出来ない現状がある。震災から一周忌の前日に、被害者に対する哀悼を捧げぬまま、脱原発で浦和駅までパレードする群集。戦後日本国が歩んできた教育に対し、御英霊への敬意を忘れた故の呪縛のようにも感じている。
震災復興と共に、わたしは明治天皇がお示しになった教育勅語の根幹を、今こそ日本国民全員が知り、そして風化することのない共有すべき日本人としての生き方、民族性だと思っている。教育勅語は現代語訳や口語訳などさまざまな人によって訳されているが、最も分かりやすかったものをここで紹介しておこう。
<教育勅語 現代語訳> 「伊藤哲夫 教育勅語の真実より」
私が思うには、わが祖、神武天皇をはじめとする歴代の天皇がこの国を建てられ、お治めになってこられたご偉業は宏大で、遼遠であり、そこでお示しになられたひたすら国民の幸せを願い祈られる徳は実に深く、厚いものでありました。それを受けて、国民は天皇に身をもって真心を尽くし、祖先と親を大切にし、国民すべてが皆、心を一つにしてこの国の比類なき美風をつくり上げてきました。これはわが国柄のすぐれて美しいところであり、教育が基づくべきところも、実にここにあると思います。
国民の皆さん、このような教育の原点を踏まえて、両親には孝養を尽くし、兄弟姉妹は仲良くし、夫婦は心を合わせて仲睦まじくし、友人とは信じあえる関係となり、さらに自己に対しては慎ましやかな態度と謙虚な心構えを維持し、多くの人々に対しては広い愛の心を持とうではありませんか。
また、学校では知識を学び、職場では仕事に関わる技術・技法を習得し、人格的にすぐれた人間になり、さらにそれに留まらず一歩進んで、公共の利益を増進し、社会のためになすべき務めを果たし、いつも国家秩序の根本である憲法と法律を遵守し、その上で国家危急の際には勇気を奮って公のために行動し、いつまでも永遠に継承されて行くべき日本国を守り、支えて行こうではありませんか。
このように実践することは、皆さんのような今ここに生きる忠実で善良な国民だけのためになされることではなく、皆さんの祖先が昔から守り伝えてきた日本人の美風をはっきりと世に表すことでもあります。
ここに示してきた事柄は、わが皇室の祖先が守り伝えてきたお訓(さと)しでもあり、われわれ皇室も国民ともどもに従い、守るべきものであります。これは昔も今も変わるものでなく、また外国においても充分に通用可能なものであります。私は皆さんと一緒になってこの大切な人生の指針を常に心に抱いて守り、そこで実現された徳が全国民にあまねく行き渡り、それが一つになることを切に願います。
改めて、埼玉日教組が行った愚行に対し、震災より一周忌を前に、亡き被害者の方々に対し、ご無礼を深くお詫びし、ご遺族に対し、この一年間我慢をした一年であった事を労い、哀悼を捧げたい。
最後に、陛下が手術してまで参列を願った震災の慰霊祭を前に、陛下の術後のご回復をこころから願っている。
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2012年国際女性デー埼玉集会
憲法をいかし、いのちとくらしを守る社会を!震災復興、原発ゼロへ
ジェンダー平等実現へ 人間らしい雇用と社会保障を 核兵器のない平和な世界を
とき 3月10日(土)13時半~16時半(13時開場)
ところ さいたま共済会館6F(参加費300円)
*文化行事
*アーサー・ビナードさんの講演
*質問・交流
*集会アピール採択
*パレード(浦和駅まで)
『さいたさいたセシウムがさいた』~3.11後の安心をどうつくり出すか~
アーサー・ビナードさん(詩人)
本来ならば喜ばしい春の訪れを台無しにしてしまった東京電力福島原子力発電の事故。放射能物質の拡散でくらしに危険が迫っています。日々の生活の安全・安心を私たちの力で作り出していきましょう。
《プロフィール》米・ミシガン州生まれ。大学で英米文学を学び1990年に来日、日本語で詩作を始める。詩集「釣り上げては」で中原中也賞受賞。ビキニの水爆実験を絵本「ここが家だ-ベン・シャーンの第五福竜丸-」に表す。文化放送のコメンテーターとしても活躍。近著にエッセー「亜米利加ニモ負ケズ」(日本経済新聞出版)。
国際女性デーとは・・・
男女平等・女性の地位向上・平和・より人間らしい暮らし実現のために、世界の女性が連帯して行動に立ち上がる日です。20世紀のはじめ、不況にあえぐアメリカで「パンをよこせ。参政権を与えよ」と女性たちの大規模な集会やデモが行われました。
1910年、この経験を国際的なものに広げようと、女性解放運動の先駆者クララ・ツェトキンが呼びかけたのが始まりです。今では国連事務総長がメッセージを発表する全世界のとりくみになっています。
【主催】2012年国際女性デー埼玉集会実行委員会
(事務局)埼玉県教職員組合 TEL 048-824-2511
【2012国際女性デー埼玉集会のポスター】
http://www.kyouiku-net.org/event/12.03.10kokusaijoseiday-saitama.pdf#search='2012国際女性デー埼玉集会'
【埼玉教職員組合(埼玉日教組)】
http://w1.alpha-web.ne.jp/~saitama-kyoushokuin/
・・・・・・
一部のニュースでは米国人詩人とだけ記載しているが、1990年に来日し、日本語で詩を書いている詩人である上、活動の場も日本であるという表記がすっぽり抜けている。この米国人の発案をなぜ埼玉日教組が取り上げ企画したか、その接点が不明瞭だったため、この広告で内容を知り、初めて起因と結果が結びつき納得出来た。
この前段があってこの一件は話すべきだろう。
この愚案に対してさまざまな意見が分かれると想像するが、個人的に表現者の端くれとして、一つフォローしておきたい。
詩人の産物は、詩である。そこにある作者の願いや想いを絡めた表現にしか過ぎない。それだけの感性しか持っていない人間の産物は、この程度しか表現が無理なのである。だから、このキャッチコピーそのものは、否定はしない。この詩が彼そのものだからだ。わたしは、そこは表現の自由という観点から、愚作であったとしても否定すべきではないと考える。
だが、問題点はこの愚作に乗っかった埼玉日教組の利用目的とその判断であろう。この詩が問題ではなく、この詩を用いた意図を最も問題視すべきなのだ。
この国際女性デー埼玉集会そのものは、女性の立場から見ても、非常に違和感を覚える内容ばかりである。そもそも、すでに日本においては、女性の地位向上は他国に比べ立派に成し遂げている。
イスラム圏の女性のような宗教的な拘束もなく、路上で若い女性が男性の腕にぶら下がり、キスやハグをしても別段他者から叱責されるわけでもなく、好きなようにやりたいように恥もなく、法の下で自由奔放に生きる事が出来るのが今の日本だ。
強いて言うならば、労働部分における賃金格差は中小企業の場合否めないが、それでも女性の持つ才能を認め、優遇している街の社長さんも数々存在している世の中だ。オノヨーコがフェミニズムのジェンダーと叫んでいた時代などは、もうとっくに昔話なのである。
こうした冷めた眼差しをもって、国際女性デーを捉えているが、今回の【さいたさいたセシウムがさいた】を堂々と広告に掲載した埼玉日教組の主たる目的は、脱原発であり、今もなお事故で苦しまれている被災地の方々に思いを馳せる事なく、己のみの防御や安全確保だけを、声高々と叫んだ集会である事は察しがつくだろう。それを拡大させ推進しようと動いているのが埼玉日教組なのである。
わたしは、まもなく向かえる震災の被災者の方々の一周忌を迎えるにあたり、他府県住民が騒ぎ立てた、被災地における数々のご無礼の記事を思い返していた。一部の私心で騒ぐ人々の自己中心的な考えをこの震災以降、嫌という程、思い知らされた。これも全て、戦後教育の賜物であろう。日教組が推進した教育に従順に応え成長された方々と感じている。
東日本大震災は、まさに国民が等しく背負うべき悲劇であり、共に痛みを共有すべき出来事であると思っているが、上記のような日教組教育によって、共有すら出来ない現状がある。震災から一周忌の前日に、被害者に対する哀悼を捧げぬまま、脱原発で浦和駅までパレードする群集。戦後日本国が歩んできた教育に対し、御英霊への敬意を忘れた故の呪縛のようにも感じている。
震災復興と共に、わたしは明治天皇がお示しになった教育勅語の根幹を、今こそ日本国民全員が知り、そして風化することのない共有すべき日本人としての生き方、民族性だと思っている。教育勅語は現代語訳や口語訳などさまざまな人によって訳されているが、最も分かりやすかったものをここで紹介しておこう。
<教育勅語 現代語訳> 「伊藤哲夫 教育勅語の真実より」
私が思うには、わが祖、神武天皇をはじめとする歴代の天皇がこの国を建てられ、お治めになってこられたご偉業は宏大で、遼遠であり、そこでお示しになられたひたすら国民の幸せを願い祈られる徳は実に深く、厚いものでありました。それを受けて、国民は天皇に身をもって真心を尽くし、祖先と親を大切にし、国民すべてが皆、心を一つにしてこの国の比類なき美風をつくり上げてきました。これはわが国柄のすぐれて美しいところであり、教育が基づくべきところも、実にここにあると思います。
国民の皆さん、このような教育の原点を踏まえて、両親には孝養を尽くし、兄弟姉妹は仲良くし、夫婦は心を合わせて仲睦まじくし、友人とは信じあえる関係となり、さらに自己に対しては慎ましやかな態度と謙虚な心構えを維持し、多くの人々に対しては広い愛の心を持とうではありませんか。
また、学校では知識を学び、職場では仕事に関わる技術・技法を習得し、人格的にすぐれた人間になり、さらにそれに留まらず一歩進んで、公共の利益を増進し、社会のためになすべき務めを果たし、いつも国家秩序の根本である憲法と法律を遵守し、その上で国家危急の際には勇気を奮って公のために行動し、いつまでも永遠に継承されて行くべき日本国を守り、支えて行こうではありませんか。
このように実践することは、皆さんのような今ここに生きる忠実で善良な国民だけのためになされることではなく、皆さんの祖先が昔から守り伝えてきた日本人の美風をはっきりと世に表すことでもあります。
ここに示してきた事柄は、わが皇室の祖先が守り伝えてきたお訓(さと)しでもあり、われわれ皇室も国民ともどもに従い、守るべきものであります。これは昔も今も変わるものでなく、また外国においても充分に通用可能なものであります。私は皆さんと一緒になってこの大切な人生の指針を常に心に抱いて守り、そこで実現された徳が全国民にあまねく行き渡り、それが一つになることを切に願います。
改めて、埼玉日教組が行った愚行に対し、震災より一周忌を前に、亡き被害者の方々に対し、ご無礼を深くお詫びし、ご遺族に対し、この一年間我慢をした一年であった事を労い、哀悼を捧げたい。
最後に、陛下が手術してまで参列を願った震災の慰霊祭を前に、陛下の術後のご回復をこころから願っている。