卒業55周年同窓会で長崎へ行った。会は長崎市五島町のサンプリエールで100名近い同級生の参加で開かれた。皆が今日のように元気で、またの日の再開を誓ってお開きとした。
卒業55回同窓会開会の挨拶 長崎市五島町サンプリエール
初恋、川の流れのように、故郷などの歌曲で祝いを受ける
同窓会風景 窓の向こうは対岸の稲佐山の中腹の街灯りが見える この眺めも数年後には長崎県庁が新築移転されて見ることが出来なくなるとのことだ
今日は長崎で夕方から開かれる同窓会に出席するため長崎へ向かった。先ず長崎市の茂木へ立ち寄り魚料理の昼食をとった。
長崎市茂木町の「二見」から橘湾(天草洋 あまくさのなだ)越しに雲仙岳を望む
長崎市茂木町の「二見」から橘湾(天草洋 あまくさのなだ)越しに天草諸島を望む
泊天草洋 頼 山陽
雲耶山耶呉耶越 (くもかやまかごかえつか)
万里泊船天草洋 (ばんりふねをはくすあまくさのなだ)
瞥見大魚波間跳 (べっけんすたいぎょのはかんにおどるを)
水天髣髴青一髪 (すいてんほうふつせいいっぱつ)
煙横蓬窓日漸没 (けむりはほうそうによこたわってひようやくぼっす)
大白当船明似月 (たいはくふねにあたってめいつきににたり)
「二見」から茂木港を見る
浜焼き
二見にて
今日は萩の宿を出て萩市の道の駅・萩往還にある松陰記念館に立ち寄り、山口市の常栄寺を訪ねた。この常栄寺はおよそ500年前、大内政弘が別邸として建てたもので、庭は雪舟に依頼して築庭させたものという。
萩市の道の駅・萩往還にある松陰記念館にて 再現された松下村塾で臨場感にあふれた松陰や塾生たちの活気ある議論の様子が自動音声で流れていた
常栄寺山門
常栄寺
常栄寺本堂南面にある重森三玲師作の昭和の新石庭・南溟庭
常栄寺・雪舟庭 15世紀末、大内政弘が京都金閣寺をまねて別邸をつくり、画僧・雪舟を招いて造園させたと伝えるので「雪舟寺」の名で知られている
常栄寺・雪舟庭
常栄寺・雪舟庭 三山五嶽を配し富士山を以て日本を表しているといわれ、その富士山は画面中央に雪をかぶって見える
常栄寺・雪舟庭にて
国宝 瑠璃光寺五重塔 山口市 55年前に訪ねた時には、この池は干上がっており、その周辺も地肌や雑草が目立っていた。だが五重塔と並び立つ木々の美しさは今も昔も変わらない。
毎週日曜日に放映されているNHK大河ドラマ・「花燃ゆ」のゆかりの地、山口県萩市を訪ねた。「花燃ゆ」は吉田松陰の妹・文(ふみ)を主人公に、文の生きた幕末から明治の時代を切り開いた青春群像を描いている。
城下町がそのまま残るような萩の重要伝統的建造物群保存地区を行く
史跡 松下村塾の案内板
史跡 松下村塾
史跡 松下村塾 吉田松陰の叔父・玉木文之進が天保13年(1842)に自宅で私塾を開いたのが始まりで、次いで久保五郎左衛門、そして28歳の松陰が継いだ。
史跡 松下村塾講義室
松下村塾内の松陰画像
松下村塾の講義室を見る
吉田松陰幽囚の旧宅の案内板
史跡 吉田松陰幽囚の旧宅
吉田松陰幽囚の旧宅の案内板
史跡 吉田松陰幽囚の旧宅 正面が東側で三畳半の幽囚室がある 吉田松陰は、吉田家の仮養子となるも当主が病死したため、実家杉家で育つ。杉家は松陰24歳の時に清水口から現在の松陰神社の地に転居。海外密航に失敗した際にここで幽閉生活を送り、松下村塾を主宰した。文と久坂玄瑞が新婚生活を送った家でもある。
松陰が幽閉生活を送った三畳半の幽囚室
吉田松陰の両親宛て辞世の歌の案内板
吉田松陰の両親宛て辞世の歌の歌碑
松陰神社御由緒書案内板
松陰神社境内
松陰神社
東光寺にて
毛利藩主の菩提寺 東光寺
女台場(菊が浜台場)付近を見る
そば屋で遅い昼食をとる
新そばを食す 盛られた器はどれも明治大正期の今では名品といわれる萩焼だとか
宿から左の方、菊が浜に萩城址が残る指月山を見る
左に指月山を見乍ら、菊が浜に日本海を見る
宿から右の方、菊が浜から日本最小の活火山といわれる笠山までを俯瞰する 笠山は標高112メートルで画面中央やや左に、女性が市女笠をかぶったように見えている
菊が浜に面した宿での夕食
2014.8.1(金)~8.2(土) ホテルの窓から横浜ベイブリッジを見る今日はJR横浜駅前のホテルに泊まった。横浜ベイシェラトンホテル&タワーの27Fである。JR横浜駅横浜駅とホテルを結ぶ空中通路から北の方を見る 右が駅、左がホテル...
2014.7.31(水) 鎌倉に行く用事があって鎌倉に行った。博多から新幹線で名古屋乗り換え小田原まで行き、そこから東海道線の特急に乗り大船で降りて、横須賀線で鎌倉までで、所用時間は6時間半であった。JR鎌倉...
いとこ会に出席のため、九州新幹線で熊本へ行った。このチャンスを捉えて熊本観光をしてみた。九州新幹線に乗るのは初めてで、つばめ号の各駅停車を利用し、博多から熊本まで約50分であった。
JR博多駅新幹線改札口を通る
JR博多駅に九州新幹線の熊本行きの「つばめ号」入線
JR博多駅九州新幹線11番線の車輪止め
このつばめ号で熊本へ向かう
つばめ号の車内
jR熊本駅に九州新幹線つばめ号到着
JR熊本駅から北西に7km位行った処の雲巌禅寺(うんがんぜんじ)の案内板
九州西国十四番札所 曹洞宗雲巌禅寺
雲巌禅寺の五百羅漢の傍を通って、霊巌洞(れいがんどう)を目指す
宮本武蔵が籠って「五輪の書」を書いたという、霊巌洞(れいがんどう)前にて
霊巌洞(れいがんどう)を見上げる
霊巌洞(れいがんどう)内部
本妙寺公園の加藤清正公像
加藤清正の廟所がある本妙寺
本妙寺山門から参道を見る 多数の燈籠に守られた急坂の階段の参道だ
水前寺公園の出水神社参道
水前寺成趣園(水前寺公園)古今伝授の間入口
古今伝授の間
古今伝授の間付近から出水神社と水前寺成趣園を見る
しめ縄や春の水湧く水前寺 夏目漱石
古今伝授の間付近から水前寺成趣園を見る
東海道五十三次を模したといわれる趣ある風情を阿蘇の伏流である清冽な湧水が彩る、桃山様式の優美な回遊式庭園といわれている。60年位前に見た時よりは狭くなったように感じたが水の綺麗さは前のままのようだった。狭くなる筈はないだろうが、年月がそう錯覚させるのだろう。
古今伝授の間付近から水前寺成趣園を見る
徳富蘇峰・蘆花兄弟の旧邸
徳富蘆花の小説「恐ろしき一夜」に出てくる中二階
夏目漱石の内坪井の旧居玄関前
熊本城 右が重文の宇土櫓、奥が昭和35年再建された大天守と小天守を持つ天守閣
宇土櫓の構造や機能は正に天守閣そのものだ。熊本城にはそのような天守閣に準ずる櫓が多数配されており、天下の堅城、名城であったろう。
今日はJR横浜駅前のホテルに泊まった。横浜ベイシェラトンホテル&タワーの27Fである。
JR横浜駅
横浜駅とホテルを結ぶ空中通路から北の方を見る 右が駅、左がホテル
横浜駅とホテルを結ぶ空中通路から南西方向を見る 左は高島屋
ホテルの窓から・・・JR横浜駅と首都高と横浜ベイブリッジ
ホテルの窓から・・・JR横浜駅と首都高と横浜ベイブリッジ
ホテルの窓から・・・JR横浜駅と横浜みなとみらい
ホテルの窓から・・・横浜ベイブリッジ
ホテルの窓から・・・横浜港の日の出とベイブリッジ
用事があって鎌倉に行った。博多から新幹線で名古屋乗り換え小田原まで行き、そこから東海道線の特急に乗り大船で降りて、横須賀線で鎌倉までで、所用時間は6時間半であった。
JR鎌倉駅
名物「義経・静女夫(めおと)饅頭」で知られるJR鎌倉駅前の若宮大路に面した「松風堂」
鎌倉の都大路「若宮大路」 ここから前方400メートル位に鶴岡八幡宮がある この左横に「鳩サブレ」の店がある
鳩サブレで知られる豊嶋屋
小町通り沿いにある鮨店「大繁(だいしげ)」 里見、久米正雄、大佛次郎、小林秀雄、今日出海、永井龍男などの「鎌倉老童倶楽部」の連中が野球やゴルフの帰りに立ち寄った鮨店だそうだ。
タイ・チェンマイから友の手紙が届いた。その手紙の一部を紹介
する。
チェンマイからの友の手紙
久し振りに手紙を書きます。今チェンマイに居ます。洪水騒動の後、
3ヶ月振りのタイランド。1月10日先着していた友人を追いかけて
1月15日からのチェンマイでの生活(GOLFが中心)です。
来て、見て、知って、聞いてびっくりしています。観光客と半定住して
いる外国人の多いこと。ランナーゴルフ場のキャディ(総数400人位
とか)に尋ねると、お客は①韓国、②日本、③西洋、④タイとのこと。
乾季(寒季)です。観光シーズンです。
日本人(特に年配の夫婦と男)も多いのには改めてびっくりです。
全然暑くありませんと云いたい程・・・日中の日差しには暑さを感じ
ますが汗が出るのはほんのわずか。早朝、夕方以降は寒い程。重ね
着、厚着でないと窓の無い車に乗っていると寒い寒い。一日中クーラー
不要です。
HONG THONG (ホーン.トォーン)
私の愛飲酒メーコーンは完全に販売中止。同じ会社から製造販売
するHONG THONG ホーン.トォーンに変わらざるを得ません。
750mlから700mlに、160Bが200Bになりました。洪水前は180B
だった。値上げです。まあドル安、円高 10,000¥が4,070Bです。
ウイスキーは2日に一本。一日GOLFをして1,600B~1,800Bです。
大変なのは道路の横断。押しボタン青信号は11秒間。十字路信号
は、後ろからは左折車、前にも左折車、車最優先ですよ。2~3時間
歩くと足の裏は黒く汚れる。排気と埃が凄いこと!
日本料理店の注文は全て日本語(料理名だけの日本語メニュー)、
寿司屋、ラーメン屋もあります。安価です。歩いて10分~から・・・道路
横断だけは大変ですが。
私のホテルの近く、歩いて5分位にはデパート、専門店、スーパーが
同居した建物があり、地下街にはタイ料理レストランもあります。韓国
料理、西洋料理、水炊き料理も。果物も安く食べ放題。現地旅行会社
(日本語OK)もすぐ近くにあり、オプショナルツアー申し込みも簡単
です。(英語は安い、日本語は高い)
冬期の避寒最高です。 "チェンマイ"です。 元気になりますよ。
タイのビールと北部地方の料理カタログ
長崎時代の会社OB会が長崎市銅座町の「はくしか銅座店」で
開かれ、一年ぶりに旧交を温めた。
長崎市銅座町の「はくしか銅座店」 宴会はこの三階の座敷で行われた。この店は昔から上品な おでんの味と銘酒「白鹿」で知られており、今回も宴の終わり ごろに土鍋で、おでんが出て、そのおでんの汁でおじやが供 された。 思案橋横町の入口付近にある、ぶたまんの店「桃太呂」 この店は昔からこの位置にあり、酔客の帰りのおみやげに よく買われたものだ。小ぶりの天津包子で、帰宅して食っても まだ温かく、うまかった。最近博多阪急にも出店した。 長崎市浜の町観光通り 老舗岡政百貨店が閉店した 長崎市銅座町の「はくしか銅座店」にて 「はくしか銅座店」を出て街へ散って行く この後、僕は四次会まで行き、帰り着いたのは午前二時を 過ぎていた。ここ10年来このようなことはほとんどなかったが 小雨降る長崎銅座の夜は楽しくも懐かしく更けていった。