今日の街角風景は、対馬空港から浅茅(あそう)湾を見て福岡に向う風景である。
魏志倭人伝に記された対馬の地名が21世紀の今でも毎日使用されている。平成16年3月に
対馬は島全体が一つになって対馬市が誕生した。そして厳原、美津島、豊玉、峰、上県、
上対馬などの島の地名も安易に改変されることはなかった。
民族学者の谷川健一氏は次のように言っておられる。
地名は単なる記号ではない。日本人の情緒を触発する媒体である。歌枕の多くは地名
である。この歌枕をたどって芭蕉の「おくのほそ道」の旅はつづけられた。地名はまた、
「大地に刻まれた百科事典の索引」である。地名は更に「時間の化石」である。・・・と。
万関橋を渡って対馬空港に近づく
万関橋(まんぜきばし)は、明治33年、日本海軍が艦船の航路として人工的に開削した
瀬戸に架かる橋で、現在三代目となる。
対馬空港前から白嶽(しらたけ 519m)を遠望す
対馬空港 ヤブツバキの花が咲いている 対馬は「つばきの島」である
対馬空港売店 さざえと真珠のブローチをお土産に求める
福岡行きのB-737が入ってきた 懐かしいドルフィン号だ
空港を飛び立ち浅茅湾(あそうわん)上空へと上昇する
浅茅湾(あそうわん)
浅茅湾(あそうわん)
魏志倭人伝のレポーターは、この浅茅湾(あそうわん)に入港し、対馬国を紹介したのでは
ないかと思えてくる。波静かな浅茅湾(あそうわん)に入れば、安泰であったに相違ない。
浅茅湾(あそうわん)を見て、眼下の対馬空港をあとにする
機は福岡市の大濠公園を見て、福岡空港に着陸する。
これで対馬紀行を終える
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