今日は、太宰府の九州国立博物館にやって来た待望の興福寺の阿修羅像を
観た。興福寺は藤原氏の氏寺として、和銅3年(710)の平城京遷都とともに
建立されたという。
太宰府天満宮の表参道を行く
太宰府天満宮の表参道の突き当りの鳥居を入った右手にある菅原道真の歌碑
東風(こち)ふかばにほひおこせよ梅の花
あるじなしとて春なわすれそ
この歌は昌泰四年(901)二月一日に道真が自邸を去るときの心境として
御前の梅花をご覧じて詠まれたと「大鏡」は伝えているという。これに続けて
無実の罪で大宰府に配流されていくことも「大鏡」は間接的に述べているという。
太宰府天満宮の反橋(そりはし)の右を行く
太宰府の九州国立博物館には入場を待つ人の長い列が幾重にも続いている
この日の待ち時間は2時間半と出ていた
後どれ位で入れるのだろうか
館内のエスカレーターで会場に向う。中央の飾りは博多祇園山笠の飾り山
阿修羅展会場入り口
阿修羅展会場入り口のパネルの前で
阿修羅展会場入り口のパネルの前で
天平彫刻の華 国宝 阿修羅像
興福寺創建1300年記念特別展として太宰府の九州国立博物館に
「阿修羅」を筆頭とする国宝の八部衆像8体のうち5体、十大弟子像
(現存6体)のうち4体がやって来た。
興福寺を発願した藤原不比等の娘、聖武天皇の后・光明皇后は天平六年
(734)、母の供養のため、興福寺に西金堂を建てた。(焼失して現在は
跡地が残るのみ)お堂の本尊(焼失して鎌倉時代に復興)を取り囲んだのが、
阿修羅など八部衆像と十大弟子像だったという。
九州国立博物館阿修羅展会場からトラベーターで帰路につく
トラベーター横の通路には阿修羅展会場に向う人々の行列ができている
太宰府天満宮側の九州国立博物館入口エスカレーター付近
ここにも入場を待つ人の列ができている
太宰府天満宮の菖蒲池脇の梅林に建つ万葉歌碑
萬代(よろづよ)に年は來経(きふ)とも梅の花
絶ゆることなく咲き渡るべし 筑前介佐氏子首(こびと)
万葉集巻五-830
天平二年正月十三日に、大宰府の帥・大伴旅人(当時66歳)宅にて
開かれた宴会で詠まれた、梅花の歌三十二首のうちの一首である。
当時筑前介は筑前守・山上憶良のすぐ下の役であったという。
太宰府天満宮参道の「やす武」で具雑煮の昼食をとる
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