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櫟野大原城 近江 その2 興味深い多数の遺構が完存する甲賀大原氏の城郭 見どころてんこ盛りでワクワクの見学

2024-01-03 | 歴史

櫟野(いちの)大原城は滋賀県甲賀市甲賀町櫟野(いちの)にあります。見どころの多い櫟野大原城はその1で城域東側部分を見学しましたが、その2では西側部分を見学したいと思います。今回の参考資料も(1)「甲賀市史 第七巻 甲賀の城」甲賀市史編さん委員会編2010  (2)現地案内板・大原自治振興会 などです。※大原氏の大原城は→こちら

櫟野大原城 周辺地図は その1をご覧ください  ※その1は→こちら

櫟野大原城 U字型の珍しい堀切E その役割は? 東上から
 櫟野大原城で目を引く遺構の一つがⅣ郭のU字型の珍しい堀切でした。尾根を断ち切るように掘られてはいますが、その役割は何だったのか、資料(1)でもⅣ郭への雨水の流れ込み防止か?ヒョットすると城郭遺構ではないのかもしれないとも記されていました。U字型の雨水対策の堀切は初めて見ましたが、山城では下部の平場への雨水流入対策として堀切状の溝を設けているのを時々見かけますので堀切Eも雨水対策ではないかと想像しましたがどうでしょう。

櫟野大原城 堀切E 南から
 U字型堀切Eを横から見てみました。城郭遺構だとしても戦闘や防御に役立つ地形だとは思われませんネ。

櫟野大原城 Ⅳ郭 南西から 右上にU字型堀切
 Ⅳ郭の西辺部には土塁等は無く、垂直に近い切岸となっていました。後世の土採りなどでⅣ郭の西側が削られた可能性もありそうですが、現況からは判断が難しかったです。

櫟野大原城 Ⅳ郭 西辺の切岸18  北から
 切岸18と下段の高低差は4mを越えそうな急な崖地形でした。後世の田地の造成等による土採りも考えられますが、あくまで想像です。

櫟野大原城 堀切D 北から
 西側の尾根を断ち切るやや浅めの堀切Dが土塁12の西下に設けられていました。図2の17の部分には不明瞭ながら低い土橋状の地形がありました。

櫟野大原城 堀切C 北から
 Ⅲ郭の北辺土塁12とⅡ郭の土塁5とを断ち切る形の堀切Cが設けられていました。北側からⅢ郭への侵入を防ぐ土塁12ですが、堀切Cでわざわざ断ち切ったのは西尾根から土塁12上を通っての侵入を重視したためとも考えられますがどうでしょう。

櫟野大原城 Ⅲ郭西側の平場13 西から
 案内板の図では13とⅢ郭は一体ですが、現況は段差があり平場13の方が一段高くなっていましたので分けて考えました。土塁12から平場13に下る法面16には通路状の地形がありました。

櫟野大原城 Ⅲ郭南辺の枡形地形14  西から
 案内板の図には明確には描かれていませんでしたが、Ⅲ郭の南辺には写真のような枡形状の地形14があり、南側に降りる道15もありました。

櫟野大原城 枡形状地形から南側に下る道15 南西下から
 地形14が枡形だとすれば道15は櫟野大原城の搦手ということになりそうに思いました。道15を下りきると城域の南下部を巻くように道がありました。

櫟野大原城 Ⅲ郭 東から 右手上に土塁12
 Ⅲ郭は土塁12とⅡ郭の高い切岸に囲まれていますが、城内で最も面積の広い平場で、丁寧に削平され広々としていました。

櫟野大原城 Ⅲ郭から土塁12を見上げる
 Ⅱ郭の土塁に負けず劣らずの高さのある土塁12を見上げて思わずワクワクでした。
櫟野大原城 土塁12 北辺 東から
 土塁12もⅡ郭の土塁と同様、形状がきれいに残っていましたが、竹が茂っていました。矢竹でしょうか。

櫟野大原城 Ⅲ郭からⅡ郭への堀切9  右に土塁10 西から 見どころです
 堀切9はⅢ郭とⅡ郭を結ぶ通路も兼ねた堀切でした。土塁10、堀切9、土塁5がセットでⅡ郭南側の厳重な備えとなってている様に見えました。

櫟野大原城 堀切9と土塁10 奥にⅢ郭 右にⅡ郭切岸 東から
 堀切9、土塁10で構成される通路地形は見ごたえありで櫟野大原城の見どころでしたので逆からも見入ってしまいました。

櫟野大原城は規模が大きく遺構の残りも良くて大いに楽しみながら見学出来て良かったです。U字型の堀切や案内板の図に描かれていない地形など、勝手な想像を交えての興味深い見学となりました。


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