飛騨市古川町の小島城は急峻な尾根筋に築かれています。
先に築かれた古城と後に築かれて新城が一体となって機能したと思われます。
佐伯哲也先生の案内で見学しました。先生の「飛騨中世城館図面集」の小島城の
解説文で予習をして出かけましたが、思ったよりも広い城域で図面集の縄張り図を
コピーしたものを手に、懸命に登り降りしました。
太江口の登り口の案内看板 少しデフォルメされている クリックで拡大
城道を登り林道まで一気に登ります。主郭には四阿がありハイキングコースに
なっているようでトイレも有りました。林道工事で遺構が一部失われているのは残念!
最高所の主郭が有る新城を見学して50mほど下って古城を見学し、杉崎口へ下りました。
古墳を利用したと思われる櫓台
近江の山城では古墳を利用した櫓台を多数見ることが出来ますが、この地方では
どうなんでしょう? 円墳のように見えました。
主郭の四阿を背景に佐伯哲也先生
佐伯先生は富山、石川、岐阜を中心に愛知、静岡にまで足を伸ばして、実に多数の
現地調査と縄張り図の作成をしておられます。精緻な縄張り図と、詳しい解説の
縄張り図の図面集を出版しておられます。
主郭の周辺は石垣が巡っていたようで、今でもあちこちに石垣が残っていました。
石垣の内枡形虎口
この城の見どころは、この内桝形虎口でした。先生の解説もここで一段と力が
こもりました。飛騨に進行した金森氏が築いたもののようです。
今は石垣の石は人為的な破壊にあっていますが、裏込石の残りなどから石垣が
有ったのは確実視されていました。石垣の転落石であろう石が斜面に散乱していました。
桝形虎口の裏側の石垣
桝形虎口の裏側得まわると、石垣が残っていました。ここも見どころの一つでした。
石垣の隅は初期的な算木積が見られました。正面は破壊したが裏側は手を付けなかった
ということでしょうか。
古城の尾根筋先端の大きな堀切
主郭の有る新城の城域から尾根を50mほど下ると古城がありました。
当初、姉小路氏が築城し、以降 姉小路小島氏の居城となり、飛騨侵攻の金森氏が
主郭部を石垣で築き(改修)大幅補強の仮説が考えられるとのことでした。
この日は小鷹利城と小島城の2城を佐伯哲也先生の案内でジックリ見学でき
嬉しい一日でした。
先に築かれた古城と後に築かれて新城が一体となって機能したと思われます。
佐伯哲也先生の案内で見学しました。先生の「飛騨中世城館図面集」の小島城の
解説文で予習をして出かけましたが、思ったよりも広い城域で図面集の縄張り図を
コピーしたものを手に、懸命に登り降りしました。
太江口の登り口の案内看板 少しデフォルメされている クリックで拡大
城道を登り林道まで一気に登ります。主郭には四阿がありハイキングコースに
なっているようでトイレも有りました。林道工事で遺構が一部失われているのは残念!
最高所の主郭が有る新城を見学して50mほど下って古城を見学し、杉崎口へ下りました。
古墳を利用したと思われる櫓台
近江の山城では古墳を利用した櫓台を多数見ることが出来ますが、この地方では
どうなんでしょう? 円墳のように見えました。
主郭の四阿を背景に佐伯哲也先生
佐伯先生は富山、石川、岐阜を中心に愛知、静岡にまで足を伸ばして、実に多数の
現地調査と縄張り図の作成をしておられます。精緻な縄張り図と、詳しい解説の
縄張り図の図面集を出版しておられます。
主郭の周辺は石垣が巡っていたようで、今でもあちこちに石垣が残っていました。
石垣の内枡形虎口
この城の見どころは、この内桝形虎口でした。先生の解説もここで一段と力が
こもりました。飛騨に進行した金森氏が築いたもののようです。
今は石垣の石は人為的な破壊にあっていますが、裏込石の残りなどから石垣が
有ったのは確実視されていました。石垣の転落石であろう石が斜面に散乱していました。
桝形虎口の裏側の石垣
桝形虎口の裏側得まわると、石垣が残っていました。ここも見どころの一つでした。
石垣の隅は初期的な算木積が見られました。正面は破壊したが裏側は手を付けなかった
ということでしょうか。
古城の尾根筋先端の大きな堀切
主郭の有る新城の城域から尾根を50mほど下ると古城がありました。
当初、姉小路氏が築城し、以降 姉小路小島氏の居城となり、飛騨侵攻の金森氏が
主郭部を石垣で築き(改修)大幅補強の仮説が考えられるとのことでした。
この日は小鷹利城と小島城の2城を佐伯哲也先生の案内でジックリ見学でき
嬉しい一日でした。