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伊賀・北村氏城 残りの良い興味深い遺構が多い北村氏館の詰城

2022-04-15 | 歴史

北村氏城は北村氏山城とも呼ばれ三重県伊賀市中柘植にあります。北村氏は柘植地区の有力な土豪で、南約350mの中柘植の集落内に北村氏館と呼ばれる居館があり、北村氏城はその詰城とされます。城は倉部川に削られた平地に北から突き出した尾根の一つの先端に築かれていました。尾根の両側の谷あいは田地となっていました。今回の参考資料は「伊賀の中世城館」伊賀中世城館調査会1997 です。


北村支城 伊賀は集落ごとに支配する土豪の城が築かれた 周囲に多数の城跡が残る
 伊賀の河川は集まって木津川となり、最終的には淀川の流れに合流しています。


北村氏城 城域の一部は土採りによっての改変があるが、概ね原型を保っている
 図2の⑫は後世の土採りの地形と思われます。谷あいの田地の造成に利用したのかもしれませんね。⑪は現況では失われていますが、戦後の空中写真を見ると土塁が在った可能性があるように見え、⑦が凹んだ地形ですので、ヒョットすると井戸が有り、井戸の周囲を土塁で守っていたのではないかと想像が膨らみますがどうでしょう。


北村氏城 道が十字路①になっている地形① 西から
 北村氏城の入口はハッキリ分かりませんでしたが、大手道はこの十字路①を通っていたのではないかと思いました。写真は西側から写していますが南からの道が往時の道で、西側は後世の改変で土塁に開口部が設けられたのかもしれません。


北村氏城 Ⅰ郭の虎口②南側の土塁③と堀切④ 西から        左に虎口    興味深い遺構です!
 Ⅰ郭は四周を土塁で囲まれ虎口②はその南辺にありました。写真では明瞭ではありませんが、虎口を守るように土塁③があり、虎口を隠すいわゆる茀土塁のようで、堀切④との組み合わせによって武者隠しのようにも見えて興味深かったです。


北村氏城 虎口② 南から Ⅰ郭を囲む土塁の開口部はこの部分のみ
 Ⅰ郭は土塁に囲まれた方形の曲輪でした。Ⅰ郭を囲む土塁は全体に厚く頑丈な印象で、残りも良好でした。


北村氏城 虎口②の排水溝  南から  奥にⅠ郭の曲輪と土塁が見える
 Ⅰ郭の四周を囲む土塁の開口部は虎口部分だけですので、曲輪内の排水はこの排水溝で行っていたと思われます。同型式の排水口は時々見かけますが、土砂で埋まって不明瞭な場合が多いですが北村氏城の排水口は明瞭に残っていました。


北村氏城 Ⅰ郭内部  南から 奥に土塁が見える
 Ⅰ郭内部は丁寧に削平されていました。他では曲輪内が耕作地として利用された場合が多いですが、ここはその様には見えませんでした。土塁も完存状態で、見ごたえあり!でした。


北村氏城 Ⅰ郭 北辺土塁は幅が広い 東から
 Ⅰ郭の四周は土塁がよく残っていましたが、北辺の土塁は特に幅が広く、地表面からでは分かりませんでしたが、往時は建物があった可能性を感じました。


北村氏城 堀⑨ 右に土塁⑧  左にⅣ郭  東から
 北村氏城のⅠ郭の虎口は1箇所でしたが、周囲を取り巻く曲輪群東側には堀切⑨の堀底道が通路になっていたように見えました。①が大手口とすれば⑨は搦手口と言えるでしょうか。


北村氏城 Ⅰ郭東下の横堀⑩ 北から  右手にⅠ郭
 Ⅰ郭の東辺下には土塁⑤で守られた見事な横堀⑩が残っていました。横堀⑩の南端部は竪堀状に東に落ちていました。


北村氏城 土塁⑤ 南から
 土塁⑤は幅の変化が有りますが南北に長く伸びていました。北端部⑪は後世の改変があった様で失われていますが往時は土塁⑥まで一体だった可能性があったかもしれないと想像しました。

北村氏城は一部が土採りなどで改変を受けていましたが、興味深い残存状態の良い遺構が多く残されていました。見学の足場もよく、楽しく見学できて良かったです。









 




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