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三河・夏山城 夏山奥平氏の詰城? 山下の山田畑跡の石垣も見どころ

2020-06-29 | 歴史

夏山城は愛知県岡崎市夏山町にあります。
 関東から作手(新城市)に来住し勢力を拡大した奥平氏は、在地の土豪黒屋氏が領していた夏山の地にも進出しました。進出した奥平氏がどのように黒屋氏を配下に収めたかは明確ではないようですが、奥平氏が去った後にも黒屋氏はこの地にとどまり、現在も黒屋姓の方が多数お住まいです。 ※1 夏山に関連する記事は「夏山・大久手の七人塚」をご覧ください。

今回は「奥平氏と額田」、愛城研報告 第6号2002 、新編岡崎市史 額田資料などを資料としてでかけました。


夏山城 山田畑跡付近が城址とされてきたが、近年山頂部に城址遺構が発見された
 愛城研報告 第6号に掲載の「三河夏山城について」の論文中に石川浩治さんの夏山城の縄張図(1996)作図が発表されて、山田畑跡が城址という見方は否定されました。
 見学に訪れた際に付近にお住まいの方にお聞きしたところによると、山田畑のある場所には山田と山畑があり、耕作している人は「じょうやま」と呼んでいたそうです。地名としてもこの付近が「じょうやま」となっていたので、この地を城址の所在地と思われてきたようでした。


夏山城 平針川を橋で渡り「じょうやま」へ向かう
 道路の余白に駐車し、平針川を渡って夏山上へ向かいました。山頂の夏山城には秋葉社が祀られていますので、参道(城道)が残っているかと期待しました。


夏山城 「じょうやま」への旧道が残る
 山田畑の農道だったと思われる道が残されていました。新たな作業道が出来ていましたので、今は殆ど使われない道になっていましたが、夏山城への城道だったかもしれないと思い進みました。


夏山城 「じょうやま」の耕作地は見事な石垣群となって残り見どころ
 耕作地のときは田と畑があったようですが、今は何段もの見事な石垣の平坦地となって残っていました。
往時は、このあたりに屋敷があってもおかしくないと思える場所でした。


夏山城 踏跡のない尾根道を登る。間伐作業で最近も人が入っている
 「じょうやま」の耕作地跡からは踏跡がありませんでしたので、ひたすら尾根筋を歩いて登りました。途中の山では間伐作業が行われ、明るい森もありました。


夏山城 概略図 「参道」と記したところ以前には踏跡はない
 図2は山上の夏山城の概略図ですが、石祠と社殿がありました。石祠の花壺には新しい香花が手向けられていましたので、今もお参りがされているようでした。


夏山城 尾根の浅い堀切城地形① 堀切状地形の両サイドの法面が削り込まれているように見える
 尾根筋を登り城域の急斜面の根元付近の尾根に浅い堀切城地形がありました。縄張図には描かれていませんので、単なる自然地形かもしれませんが、両側が削り込まれているようにも見えましたので、堀切の可能性あり!としておきます。


夏山城 西端部の虎口状地形③。後世の参道かも
 西端部には虎口状地形があり、道が折れて曲輪内に入るようになっていました。社への参道として長らく使われていたように見えますので虎口かどうかは明確ではありませんでした。
 図2の現在の参道は、ロープが張ってありましたがどちらも道は少し先で失われていました。ここへ登る道は他にもあるようなのですがどうつながっているかは確認できていません。


夏山城 秋葉社が祀られている曲輪 造営に伴う改変は不明
 「奥平氏と額田」には夏山資料保存会の描いた夏山城の見取り図が掲載されています。それによると、この社殿は秋葉社となっていました。石祠は秋葉社の一段高い背後に祀られています。


夏山城 秋葉社背後の石祠 片麻岩で小祠の覆屋が作られている。右手の土橋?堀切?に注目
 石祠は最高所の曲輪④の西端部に造営されています。石材はこの地域で産する片麻岩で「じょうやま」の農耕地跡で見た石垣もほとんどが片麻岩の平積みでした。


夏山城 石祠南側の土橋?と堀切?  東上から見る
 石祠の南側の斜面に堀切状の地形がありました。よく見ると土橋状の踏跡が残っていました。土橋状地形の写真右側にも堀切状地形の痕跡が僅かに残っているようにも見えました。想像をたくましくすれば、往時は最高所の曲輪の西辺の切岸下には堀切があり西側からは土橋で最高所の曲輪④へ入っていたと考えられますが、どうでしょう。現在は石祠の北側に道がついています。


夏山城 最高所の平坦地 東から見る。 奥に石祠が見えている
 夏山城は最高所の東側に3段ほどの段差が少ない削平地があり、その先に大きな堀切が築かれています。この削平地遺構は往時のままで、風化が進んでなだらかになっているようです。西側にも③段ほどあったようですが石祠や秋葉社の造営でかなり改変されているようでした。


夏山城 東側の堀切② 岩盤を削って掘り込んである  右手が④  見どころです!
 尾根筋の東側には、見どころの堀切②がありました。「奥平氏と額田」では岩盤を削り込んであるとされますが、今は落ち葉や土砂が堆積し埋まってしまったようで、所々に岩盤が顔を出しているだけでした。


夏山城 夏山小学校裏の丸木橋を渡っても城址に登れる
 夏山城の山上の秋葉社・石祠への道は夏山小学校の裏にある夏山川に架かる丸木橋を渡る道からも行けるようですが確認していません。

今回は往時の城道になるべく近いルートをと思って「じょうやま」から登り見学しました。奥平氏の詰城の可能性は大きいいと思いますが、奥平氏の山下の城館跡が明確ではないため関連性を明確にするのは難しそうでした。







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