城山砦は岐阜県恵那市上矢作町漆原にあります。その1 では周辺の道を訪ねて城山砦がここに築かれたワケを考えました。今回はⅠ郭(主郭)を中心に残存状態の良い城郭遺構を見学したいと思います。
今回も参考資料は (1)岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第3集 岐阜県教育委員会2004 (2)「信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編」宮坂武男編2015 などです。
※その1は→こちら
城山砦 Ⅰ郭(主郭)は大堀切で尾根の両側を遮断したシンプルな構造 土塁は見当たらない
Ⅰ郭へはⅡ郭から土橋④を渡り虎口⑥で入る構造でした。Ⅱ郭へは虎口⑤から入る入口が一ケ所のみのようでした。Ⅱ郭の周囲の構造に比べてⅠ郭の遺構はシンプルに感じました。
城山砦 大堀切イ を土橋④で渡り虎口⑥でⅠ郭に入る 左下に腰曲輪Ⅲ 見どころです!
Ⅰ郭には、いざという時の避難口(搦手虎口)がどこかに在ったと思いますが、現況では虎口⑥以外に明確な虎口が見当たりませんでした。
城山砦 Ⅰ郭虎口⑥付近から大掘切イと土橋④を見る 奥にⅡ郭
大堀切イと土橋周辺は見応えアリの城郭遺構でした。虎口⑥はⅡ郭の虎口⑤と同様にかなり不明瞭でした。稲荷神社の参道になっているため、多少の後世の改変があるのかもしれません。
城山砦 大堀切イ 北側部分 右手上にⅠ郭 北下から 見どころです!
大堀切イは北側斜面に竪堀となって切れ落ちていて、東側から斜面を伝わってⅠ郭へ侵入するのを阻止する機能があったと思われます。
城山砦 大堀切イ 南下から 奥に土橋④
大堀切イの南側部分は、かなり埋まったように見え土橋④で北側の掘切と分断されていました。
城山砦 Ⅰ郭 西から 奥に稲荷社の祀られる土壇⑦
Ⅰ郭は丁寧に削平された曲輪面になっていましたが、土塁は見当たりませんでした。稲荷社の祀られている土壇⑦は、稲荷社に関連した後世の築造か往時のものかは確認できませんでした。
城山砦 Ⅰ郭から二重掘切を見る 手前に大堀切ウ 奥に掘り残しの土塁状地形⑪⑫ ここも見どころ!
Ⅰ郭西側には大堀切ウと外側の掘切で二重に掘切が設けられていました。北西尾根からの侵入に備えたものと思われ、厳重な備えは城山砦の山下を巻くように通る道があった可能性を示しているように思いました。
城山砦 大掘切ウ 南から 右にⅠ郭 左に土塁状の掘り残し⑪
Ⅰ郭の北西側の尾根には二重の堀切が設けられて厳重な守りとなっていました。堀の左右の土塁状の地形は掘り残しのように見えました。
城山砦 腰曲輪Ⅲ 北西から 左にⅠ郭の切岸
腰曲輪Ⅲは掘切イから掘切ウの間の長大な腰曲輪でした。削平が丁寧に行われていますのでⅠ郭の防御の要である切岸を造りだすためだけでなく、兵の駐屯や南西尾根に向けての防御の役割もあったと見ることもできそうでした。
城山砦 南西尾根キ 左にⅢ郭とⅢ郭切岸 北西から
南西尾根 キ には、尾根を断ち切る掘切は設けられていませんでした。防御装置としてはⅢ郭の低い切岸だけですので、この方面の危険度は低かったのではないかと思いました。
城山砦 Ⅰ郭北側の犬走り⑧ 東から 左手上にⅠ郭
Ⅰ郭の北辺斜面は、犬走り⑧があるのみで、それ以外の遺構は見当たりませんでした。この犬走りも後世の山道かもしれませんので、往時は北側斜面は自然地形のままだった可能性も考えられそうでしたがどうでしょう。
城山砦 竪堀 カ 上から 腰曲輪⑨を横断している
城山砦の東側の峠道からⅠ郭方面への回り込みを防ぐ竪堀カ はⅡ郭の南側の帯曲輪⑨を横断して設けられていました。武田軍がこの砦を奪った後に砦を改修したと伝わりますが、すでに在った帯曲輪⑨を横断するように竪堀を掘り切って改修し、この竪堀を設けたのかもしれないと思いました。
城山砦は興味深い遺構がよく残り、往時の道との関連や砦が防御する方向などを考える事ができ、想像力を膨らませながらとても楽しく見学できてよかったです。