明知城は岐阜県恵那市明智町城山にあります。以前の町名は明知町でしたが今は明智町です。
明智町の大河ドラマにちなんだドラマ館で、さる1月16日に歴史考証イラストレーターの香川元太郎さんが描いた明知城の歴史考証イラストの発表会に参加しました。当日は香川さんの制作秘話を含めた講演がありました。
イラストは2点あり、中井 均さんと三宅唯美さんの監修による素晴らしく完成度の高い作品でした。
香川さんのイラスト作品は、テレビの歴史番組中にもしばしば登場するのでご覧になった方も多いのではないでしょうか。
講演の中で、明知城の畝状竪堀の遺構が絶賛され、大手道も紹介されましたので発表会終了後に早速見学しました。明知城は3度目でしたが、イラストのイメージが頭の中で渦巻き、今までにない観点からの見学になりました。
※発表会の様子は恵那市のホームページ中の「戦国時代の明知城を再現したイラストが完成」で詳しいです。「KAGAWA GALLERY-歴史館」のホームページでは香川さんが描いた全国各地の歴史考証イラストを見ることが出来ます。
明知城 歴史考証イラスト発表会 除幕式 左は明智三城(明知城、仲深山砦、落合砦)のイラスト
地元の方も参加して、にぎやかに除幕式が行われました。
明知城 城郭の専門家の考証・監修で地図と縄張り図、現地調査からイラストを完成させる
明知城の畝状竪堀の遺構は稀に見る規模と残存状態だと絶賛されました。イラストは縄張り図と地形図に高低差を折り込みながら、専門家の監修で修正を加えながら完成させるそうです。堀の深さなども、往時の原況を考慮して再現しているとのことでした。
明知城 大手道、畝状竪堀などが見事に再現され、現地を見たくなる
①崩落で失われた大手道が再現されている
②、③畝状竪堀
④団子杉の水源から城内井戸への木樋(想定図)
※イラストは「戦国時代の明知城を再現したイラストが完成」に掲載されていますのでぜひご覧ください。
明知城 見学路Aと大手道 見どころの畝状竪堀、井戸、想定木樋
大手道は明知陣屋側からは個人宅があり入れませんでした。龍護寺南側の駐車場に車を止めてAのルートから大手道をたどって見学しました。①の部分は崩落で道は失われていました。②、③は見どころの畝状竪堀でブッシュも無く、往時のままではないかと思える遺構がクッキリでした。
④はイラストでは想定図として描かれている木樋ですが、井戸の遺構は残っていました。
明知城 大手道の出発点 東から 奥に明知陣屋があるが個人宅で立入りできない
大手道の出発点は、明知陣屋が出来たので、曖昧になっていましたが陣屋ができる前から明知城の屋敷地だった可能性がありそうです。大手道の殆どは整備されていましたがこの付近は道が整備されていませんでした。
明知城 失われた帯曲輪① 西から 右上に主郭
大手道の①の部分は崩落のため現状では写真のように失われて確認ができない状態ですが、イラストでは描かれていました。主郭の虎口は①を通って東側から入る様になっていたように思われますので納得です。
明知城 畝状竪堀② 往時の形を保っていると思わせる畝状竪堀 見どころです
イラストで描かれている姿そのままの畝状竪堀②で、思わず遺構に見入ってしまいました。香川さんがイラストを描くにあたり現地調査をしたと述べておられましたのでよりリアルなイラストになっていました。
明知城 畝状竪堀③ こちらも見どころの畝状竪堀 手前の堀切にも注目
畝状竪堀②よりも竪堀数が多く、見応えアリの遺構です。ブッシュもなくクッキリ見える竪堀は、香川さん絶賛の遺構です。以前見学した時以上に強く印象に残りました。手前の堀切も重要な遺構でセットで防御力を高めていたと思われます。
明知城 井戸 奥から木樋で水を引いていたとされる。 ここも見どころ
井戸は、貯水槽に中仕切りのある遺構が見られました。中仕切りは往時には地表面近くまであり奥の木樋側の貯水槽は沈殿池の役割があったのではないかと思いましたがどうでしょう。手前側の貯水槽にはオーバーフローした水を流すためと思われる溝もありました。
※この井戸には直線距離で900m先の団子杉と呼ばれる巨木のある水源池から木樋で水を引いていたと伝わりますので、改めて検討して当ブログにアップしたいと思います。
多くの城郭イラストを描いている著名なイラストレーターの講演という認識で参加した発表会でしたが、縄張り図だけでは掴みきれない城郭遺構の見方が広がるのを感じた有意義な発表会でした。