
今日の我が家の桜桃。
TVの住宅リフォーム番組で、東高円寺の鶏肉屋さんが取り上げられた。
老夫婦が切り盛りしてきた店をリフォームして、その息子さんが焼鳥屋に変身させて跡を継ぐという。
その息子さんの年齢が47歳。
どうやら家族はいないか、別にあるのか、ついぞその番組には登場しなかった。
余計なお世話だが、これまで何してきたの?という感覚に囚われる。
大正時代から続く家業を継いで、その火を消したくないという意気込みは判るのだけど、その歳で子供がいないんじゃあ渡す人間は他人しかいないのでは?などと、誠に失敬かつ余計な心配をしてしまう。
今は別に暮らしてても、ちゃんと跡継ぎがいるかも知れないし、そんなこと赤の他人の私が斟酌することではないのだが、どうもあの番組はただの建築リフォームだけでなく、人生までリフォームするような趣があるので、つい肩入れしてしまうのである。
東高円寺といえば、30年近く前に私が住んでいたところだ。
商店街の入り口にあるその店が映ったときに目を凝らして見た。
どうやら、私が住んでいた埴生荘近くの商店街ではないようだ。
多分、青梅街道(環七だったっけ?わかんなくなった)の反対側の商店街の方だと思う。

地下鉄の丸の内線で新宿から三つ目の東高円寺の駅から地上に出ると、青梅街道?が走ってて、年季の入った煉瓦塀に囲まれた蚕糸試験場がある。
(今は跡地としてその塀が撤去され、解放された公園になっている。)
私の住んでいた埴生荘はそこから奥に入った、杉並区和田というところにあった。
そこから環七?の方向に進むと妙法寺というお寺があって、その途中に商店街らしきものがあったので、日常の買い物はそこで済ませていたが、青梅街道を渡った側には本屋、喫茶店等があって、そちらにも商店街があったから恐らくそちらなのだろう。
一つ筋をずらすと、女子美があった。
埴生荘の大家さんちがその筋にあり、家賃を納めに行くときが、そこの登下校時間とかち合うと、アマゾネスの世界になる。
あれは強烈だった。
青梅街道沿いに吉野屋が出来て、オープン記念で並盛りが100円だったときに3杯食べたことも今では懐かしい思い出である。
新宿から歩いて40分ほどの場所だったから、私は終電の時刻を気にしたことがなかった。
ほろ酔いでそぞろ歩く愉しさはこのときに培ったものかも知れない。
当時は電車移動が基本だったので、実際の地形を理解してない向きがあった。
最寄り駅からの道順は判っても、その駅へのアクセス方法は電車でしかなかったからだ。
もし、あの頃、インターネット地図があったら私は自転車を買って、色々探索をしたかも知れない。
特別な思い出のあるその埴生荘を、後年になって、過去に2度訪ねた。
1度目は確か新居浜にUターンして5年目くらいだったかと思う。
友人の結婚披露宴に出席するために久しぶりに上京した折りに足を伸ばしてみた。
(この披露宴はお洒落だった。品川の高輪プリンスで、友人である新郎側が早稲田、その奥さん側が津田塾というカップルなので、どうにも気後れがする雰囲気。友人のお父上が私のスピーチを殊の外喜んでくれて、過分な足代を頂戴したが、ご健在だろうか。)
八神純子の歌に、「思い出は美しすぎて」というのがあるが、その通りだった。
当時から古かったそのアパートはよりみすぼらしく見え、夏にはよく頭から水を被った外の洗い場は古戦場を思わせた。
でも、強烈に懐かしかった。
2度目は一昨年、出張の折りに、高円寺駅前のビジネスホテルに宿泊して、夜そこから歩いてみた。
既に埴生荘は無く、その両隣にあったアパートも取り壊され、一般の住宅地になっていた。
道だけはそのまま残っていたから判ったが、あれで道まで変わっていたら皆目見当もつかなかったろう。
それでも、私は今後も多分機会があればまた行くだろう。
何故ならそれは、私にとってとても素敵な時空の旅になるからである。
そのときはくだんの焼鳥屋を訪ねてみよう・・・

なかなか、グッドな歌でしたね!
スナックお姉さんが、帽子届けてくれたので
預かっております。
私も、もう27年前になりますが、中野区鷺ノ宮という所にすんでいました。道路を隔てると杉並区中村でしたよ。その頃出会った娘が、女子美の学生でした。
一度、学園祭についていったのですが、かわいい娘
ばっかりできょろきょろしてたことを覚えています。
チュウさんのブログを読んでると、昔の自分のことを
ふと思い出すことがあります。またいろんな話を聞かせてください。
忘れたことに気づいてなかった。
お世話かけます。
うん
女子美は綺麗なおねいさんがウヨウヨ居た。
私の昔話なんぞでお役に立つならどんどんやりませう(笑)
青梅街道沿いの吉野家も何回か行ったはずです。
チュウさんより3歳年下のうちのかみさんは女子美に行っていたので一度くらいはすれ違っていたかもしれませんね。
人生、折り返し地点を過ぎると、いろいろな事が懐かしくて振り返ることが多くなりました。
現在が厳しい状況なので振り返ってばかりもしていられませんが・・・(^_^;)
たった今ラジオから
♪白雲なびく駿河台~
明治の校歌が流れてきました。
2004年にできた明大博物館のことが話題になっています。
そうです、その高南中学校のブロック塀を右手に真っ直ぐ行くと、クリーニング屋が角にあって、そこを左折、すぐまた右折、そんなルートを毎日歩いてました。
そうですね、振り返ってばかりもいられませんが、振り返ることの出来る思い出があるのはありがたいと感じる今日この頃です。
奥様にもよろしくお伝えください。