さびしさや華のあたりのあすならふ 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「さびしさや華のあたりのあすならふ」。芭蕉45歳の時の句。この句について芭蕉の弟子各務支考(かがみしこう)著した『笈日記』(「笈の小文」の遺志をつぐ)には「あすは檜の木とかや、谷の老木のいへる事あり。きのふは夢と過て、あすはいまだ来らず。ただ生前一樽の楽しみの外に、あすはあすはといひくらして、終に賢者のそしりをうけぬ」と前詞を書き、この句が載せてある。『笈の小文』には「日は花に暮てさびしやあすならふ」とある。
華女 翌檜(あすなろ)は、明日は檜になろう、明日は檜になろうと願ったがとうとう檜になれなかったという木だという言い伝えがもう元禄時代にはあったのね。
句郎 いやいや、清少納言の『枕草子』40段に「あすはひの木、近隣で見たり聞いたりすることはない。金峰山に参詣した人が持ち帰ったりする。枝ぶりは手で触るのを憚るくらいの荒々しいのに、何の考えがあって「明日はヒノキ(あすはひのき)」と命名したのかしら。道理に合わない予言だこと。誰に向かってそんな予言をしたのだか、命名者に理由を尋ねてみたくなる名前だわ」というようなことが書いてあるから、もう平安時代からアスハヒノキ、翌檜はとうとう檜にはなれなかった木だという伝説があったようだ。
華女 青春、高校生の頃かしら、夢が膨らみ、大学に進学、または就職したりして夢がしぼんでいく頃、胸に染みて来る言葉なのよね。
句郎 中学生の頃だったかな、井上靖の『あすなろ物語』を読んだ思い出がある。誰もが夢を描き、夢が破れて、現実を受け入れ、生きていくんだということを知ったような気がするな。
華女 「さびしさや華のあたりのあすならふ」。この句は人生というものを寓意するようなところのある句ね。
句郎 もう一つの句、「日は花に暮てさびしやあすならふ」と比べて、どちらの句が華女さんは好きなのかな。
華女 「さびしさや」の句と「日は花に」の句では詠まれている世界が違っているように私は感じるわ。「さびしさや」の句は、あすかろふは寂しいと詠んでいるのよね。「日は花に」の句は一日中桜狩りした後に残る何か寂しさのようなものを芭蕉は詠んでいるのよね。
句郎 桜の花が今を盛りに咲き誇っているのに比べてひっそりとしている翌檜と、いうことだよね。「さびしさや」の句は。「日は花に暮れて寂しい」のは芭蕉の気持ちだよね。
華女 そうよ。芭蕉の気持ちなのよ。桜の花は日暮れと共に花びらを閉じるのよ。桜の花は眠りにつくのよね。だから寂しいということなんじゃないのかしら。
句郎 翌檜は日の光に浮かれることもなく、日が暮れて萎れることもなく正々堂々としている。「日は花に」の句は人間社会を寓意するようなところがあるようにも感じるな。
華女 若い頃は喜びと悲しみの落差のようなものが大きいのよね。年齢と共にその落差のようなものが小さくなっていくのよね。翌檜になっていくのよ。大人になるのよね。
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