葉山公園から長者ヶ崎を望む
暑い日が続きますねえ。。。皆さま、体調にはくれぐれも気を付けてお過ごしください。
さて、先日SNSを観ていたら、こんな記事に出会いました。
楽器を弾くとき、脳で何が起こっているのか? 「演奏する」ことの驚くべきメリット
https://nazology.net/archives/16723
「楽器の演奏」が脳に特別な影響を与えている、なんて、楽器を趣味にしてるヤツからしたら、ちょっと嬉しいじゃないですか?
私の場合、ギターいつまでたっても上達しませんが、でも何か、やってて良かった!みたいな。(笑)
実態は「私の脳はなんか特別」なんて、と~ぜん何も感じる事はないのですが。。。
いや、、ちょって待て。確かに記憶力はいいほうかな?(ホンマかいな!?)
そういえば、その昔、~もう30年近く前の話ですが~、仲間とバンドをやっていた頃、ギターを担いで街を歩くと、「俺たち、他の人とは違う」なんて思って、肩で風切ってたこともあったっけな。
今となっては笑えるが、まあ完全に自己満足の世界。そう趣味なんて自己満足でいいのだ。。
いや、、でも、~音楽は観客がいて初めて成立する~なんて話もあるらしいので、自己満足ではだめだろう。
だから、「技巧」や「楽曲の理解」に一所懸命取り組む訳で、その結果、脳で複雑な相互作用が生まれて、特別な影響に繋がる訳だ。
あ~、やっぱりギターやってて良かった!
でも実態は「私の脳はなんか特別」だなんて、何も感じる事はない訳で。。。。。。。。。
なんのこっちゃ。
Toshi
楽器演奏は脳にどのような効果をもたらすか -アニタ・コリンズ
【追伸】 2018/8/12 追記
この記事を書いていて、ちょっと思い出したのが、養老孟司さんの著作「遺言。」です。
この本の「ヒトはなぜアートを求めるのか」の一節に、こんなくだりがあります。
「現在の技術からすれば、生演奏なんか、いらないはずである。」
「より完全な音楽を求めるなら、音を合成したほうがいいに決まっているではないか。」
「音楽を意識という世界に閉じ込めると、完全にコンピュータ化できてしまうはずである。」
「生演奏を頑なに守っているのは、そこに芸術の前提があるからであろう。」。。。。。
この本、現代社会が作り出した意識と感覚の乖離を養老さんの独特の視点で思索した本で、読み進めるほどに、「ほ~ほ~、へ~、なるほどぉ、、、」となること請け合いの、とても面白い本です。
この本において、都市型社会は意識中心であって感覚よりも上位、これを進歩と呼んできた、と説明。つまり、どちらかと言えば意識優位がヒト、感覚が動物。
前述の生演奏がコンピュータ化されないで生き残っているのは、まだ感覚優位な面も残っている証だと。。。(私が解釈した)
この文脈に触れた時も、「あ~、やっぱりギターやっててよかった」、と素朴に思ったものです。
生身の身体で楽器演奏をすることで、脳が隅隅まで働くんですから、あたしたちゃあ、動物な訳ですね。(笑)
不思議な本ですが、私的にはとても楽しめました。
遺言。 (新潮新書) | |
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