カメラを片手に

興福寺「北円堂」も国宝特別公開中

霜降の朝は雨上がりで、遠くの春日奥山から水蒸気が立ち上る
曇り空、予報では夜にかけては前線が通過し強い雨が降ると。
明日には被災地にも大雨の恐れ、こうも悪い天候が続くと復興の
足止めになり、秋晴れが続いてほしい!。
8時

昨日は万歩計が今年最高の23000を示し、朝9時半から午後4時
まで昼食の20分を除き、日頃の運動不足解消とばかり歩き続け、
午前中はお地蔵様探しで近鉄奈良駅から高畑地区まで往復し、
お昼に6年ぶりの興福寺、南円堂と北円堂の国宝の同時拝観を。
午後からは近鉄奈良駅から佐保地区まで往復した結果、さすがに
夕方は足がだるかったが今朝はほぼなく、まだ歩ける??。

話は「興福寺」6年ぶりの国宝同時拝観中の昨日の南円堂に続き、
「北円堂」を紹介します。


南円堂の外廊下から北方向、西金堂跡越しにちらりと見える。
 



春期、秋期の期間限定開扉以外は、こんな柵越しでしか


受付を済ませ、中金堂も薬師寺旧金堂が移設された仮講堂、
背景に若草山もちらりと




『北円堂』八角円堂は、721年に藤原不比等の菩提を弔うために
平城京が眺められる西北端に位置する地に発願され、命じられた
長屋王が完成された。だが1049年に火災、後再興も1180年の
平重衡の南都焼き討ちで失われ、1210年に復興され今に続く。
興福寺では一番古い堂宇で、国宝に指定される。


拝礼して入堂する。配置図で、以後パンフレットから引用に。


正面にご本尊『弥勒如来坐像』運慶作、寄木造、1212年鎌倉時代
像内に願文と台座内枠に源慶、静慶、運賀、運覚、湛慶、慶弁、慶雲ら
慶派仏師の名があり、運慶晩年の名作である。
はげかかった金箔、特に左右の目の周りが、拝見する方向により
表情まで変化しているようにさえ見えました。


脇侍に室町時代桧材の法苑林菩薩坐像と大妙相菩薩坐像が


四方には国宝の『木心乾漆造四天王立像』791年平安時代作で
大安寺に伝来後興福寺に移る。
木肌の上に木屑と漆を混ぜた木屎漆を盛り上げ整形されている。
小ぶりな割に表情を含め全体的に誇張されユーモラスさに溢れる
持国天、増長天、広目天、多聞天です。


弥勒如来様の後ろ左右に日本肖像史上の最高傑作とされる
国宝「世親菩薩立像」と「無著菩薩立像
北インドの兄弟僧で、法相教学の祖師とされ、理想的な求道者と
して運慶が表現し、代表作とされる。
背を丸めた老人の兄・無著と弟・世親は壮年で後姿からも感銘を。


二廻りし、弥勒如来様は3回も拝顔し、堂宇を東側から出た。
運慶初め慶派の凄さが、じいーんと伝わった。
800年以上、風鐸と鬼瓦もじっと見守っている。

興福寺境内も秋色が忍びよっていますね。



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