奈良の最低気温は14.4℃とさわやかな朝、春日奥山の木々の緑、
雲の白、五月晴れの上空の青との競演が目にも心地よい。
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昨日は事前予約した3回目の車検日、11時から90分かかると。
時間つぶしに近くの平城京跡へ無料のレンタサイクルを借りる
つもりだったが、歩数を稼ぐため佐保山周辺を歩くことに。
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佐保山丘陵の西の端、伊勢物語の「不退寺」(既述)からですが
COVID-19で拝観停止中、今日の業平忌も中止に。今回の
一番の目的は佐保姫伝説伝承の地の神社『狭岡神社』です。
でも勘違いをしておりました。
古来、秋の竜田姫に対し春の女神は「佐保姫」で染めものや
機織を司る女神とされ、佐保山の神霊で春霞を織ったと和歌に
詠まれており、この伝説と思っていたが・・・
この佐保姫の神社は奈良街道脇にある「佐保姫神社」で、
『狭岡(さおか)神社』は「狭穂姫」で「記紀」に記されている。
”若い垂仁天皇と鏡池の泉のほとりで恋のロマンスが生まれ
皇后になられた。しかし反逆の兄に殉じられ火の中に・・・”
不退寺から住宅街の中の歴史の道を東へと向かった。
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住宅街に挟まれた道を北に向けば三差路の真ん中に鎮守の森
石の鳥居その奥に朱塗りの鳥居が見られ、石段が上まで続く。
看板に延喜式内『狭岡神社』本殿八座、祭神名が記され
神格は従五位下、文徳天皇仁寿二年辛十一月五日
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朱の鳥居をくぐりと、右手に手水があり手と口を清め、石段へ
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直ぐ左手に階段が、「狭穂姫伝承の鏡池(姿見池・洗濯池)」で、
”狭穂姫が美しい姿をこの佐保の池に移したとの謂れによる。
水脈の変化により濁水し、平成17年5月に保水工事をした。と”
通りで緑に濁った水の中に金魚が・・・
その横に、平城遷都1200年記念で植樹された大宰府の梅の木も
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さらにその上に狭穂姫伝承地の碑がある。
事記によれば
”沙本昆売(サホヒメ)は開化天皇の孫で垂仁天皇の皇后でした
兄・沙本昆古はこの佐保一帯の王で不幸にも夫と兄の政争に
巻き込まれ亡くなりました。”とさらりと書かれていた。
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なお、反逆のためか狭穂姫の陵碑などはない。
しかし奈良高校東側の道を北に行くと、奈良時代に勧進された
『常陸神社』の境内に「佐保姫大神」を祀る祠や狭穂姫伝説の
碑が現存しています。
なお今回は常陸神社へ行かずに佐保川へと向かった。
次回の楽しみ?
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話を戻すと
鬱蒼とした森の石段を上ると、天神社の灯篭が・・・どうして
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右下に社務所が見えれば、突き当たると万葉歌碑がある。
大伴家持の住む佐保のあたりを思いつつ歌ったと
万葉集 巻四 593 笠女郎
『君に恋ひいたもすべなみ奈良山の小松が下に立ち吹くかも』
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一条通にあった天満宮の標石が、拡幅等で1435年に遷宮され
現在本殿東側末社に併祀されている。
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左に少し登れば、本殿のある台地に拝殿が見える。
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『狭岡神社』は霊亀2年(715年)に藤原不比等(淡海公)が国家鎮護
と藤原氏繁栄を願い、邸宅「佐保殿」の丘に天神八座を祭祀され、
菅原道真を祀るとも言われ「菅原天神の隠居」との表現もなされた
のちに佐保丘天神、狭穂岡天神、狭加岡天神、狭岡天神と改称され
国政の大事などには、まず狭岡神社に参籠して「日待ちの神事」を
執り行い、日の出とともに春日大社へ詣でたとされる。
現在の狭岡神社は佐保の里一円の氏神様で、昔から産業の天神
智恵の天神、災難よけの天神さんであると崇拝されている。
拝殿は銅版葺赤土塗の3間4寸5分
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本殿は銅版葺赤土塗春日造
末社は右の天満神社、左は金山神社
狛犬は弘化4年9月と
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ご祭神は、若山咋之神・若年之神・若沙那売神・弥豆麻岐之神・夏
高津日之神・秋比売之神・久久年之神・久久紀若室綱根之神と
狭岡神社祭神系統図参照
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昭和20年ごろの法蓮地区の様子などの写真も
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御神楽歌は
本歌「青丹よし 平城の左岡の神垣は 末広がりて永久と栄えん」
末歌「みまつりや 舞うみかんこの鈴の音に
神のとのとも 開かざらむや」
法蓮・佐保で大切の祀られておりますね。