カメラを片手に

若草山へ、②春日大社から若草山展望台まで

今朝も7.4℃と暖かな朝で、春日奥山も雲海の中、徐々に里山から蒸気が上って行きます。
9時
今朝7時頃の若草山からの写真(朝日新聞デジタル)では、雲海が頂上まで覆っており、
雲海を歩くシカと題が入っていました。
朝日新聞デジタルより

今日は天皇誕生日、85歳になられ、平成最後とされる会見でのお言葉を聞くにつれ、
共に歩まれた皇后さまと、我々国民に対しても感謝を述べられておられたことに、
深い感動さえ覚えました。

一昨日の続き、若草山へ、②春日大社から若草山頂上へえを。
三条通りを上がる一の鳥居からの表参道ではなく、大仏殿寺前交差点から「春日大社
境内に入ったのは、秋の七草を詠んだ「山上憶良が詠んだ連番の万葉集歌碑が二つ、
行きかう人もなく、忘れ去られたかのように、苔むし林の中にぽつんと。
時期的に遅すぎますが・・・
秋野尓 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花』巻八(1537)
「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」

芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝皃之花』巻八(1538)
「萩の花 尾花葛花 なでしこの 花をみなへし また藤袴 朝顔の花」  
 
表参道の途中に合流すると、所々に紅葉し、人の足音が林に響いておりました。

 
御本殿で頭を下げます。もう本殿前の銀杏も散り、近衛家の寄進の砂ずりの藤、
樹齢600年以上にもなりますが、今は・・・


春日奥山周遊道へ向かうため、祈祷所を通ると、
安倍仲麻呂の望郷の歌の歌碑が、古今和歌集巻九より
『天の原 ふりさけ見れば 春日なる 御蓋の山に いでし月かも』


右折すると、「総宮(そうぐう)神社」で、平安時代初期に興福寺境内に創建されたが、
明治の廃仏毀釈でお遷しされ、御祭神は八幡様・春日様・伊勢様をはじめ多くの神々様、
とくに衣・食・住の「住」をつかさどる御社として崇敬されています。


すぐ脇に「一言主神社」総宮神社と同様に興福寺からこの地にお遷しされました。
御祭神は一言主大神様で、“一つだけ願いを叶えてくださる”という御神徳から
多くの絵馬が納められ、願いが叶った方より「御礼参鳥居」の奉納も寄せられいる。


そして水谷神社に向かう紅葉の小道が近鉄のポスターになった場所でしたが、
来るのが遅すぎ、もう散っており、一週間早ければ・・・

突き当たれば春日境内の北の端にあたり、聖流水谷川に沿う「水谷(みずや)神社」で、
上水谷・中水谷・下水谷の下社に相当し、御祭神は素盞鳴命・大巳貴命・奇稲田姫の三神。
平安時代から幕末までの神仏習合時代は祇園精舎の守護神「牛頭天王(ごずてんのう)」
とされ医薬の神様で、現在も霊験あらたかな神様として名高く、特に前にある「磐座」は
子授けを祈る方々の信仰の対象でもあります。
そして瑞垣の隅に伸びるイブキ(ビャクシン)の巨樹があり、幹は空洞でその中からスギが立ち、
イブキの幹が大きなスギを抱え込む形で『水谷神社の寄生木』と名付けられています。
 

そして前の水谷川にかかる赤い橋の先に『水谷茶屋』が落葉に埋もれておりました。
 

ここから春日山北部遊歩道になり、春日原生林の中を上へ上へと登ること一時間
 

若草山展望台へ到着で、山頂が342mですので、330m付近です。
前方には生駒山から奈良市内が一望でき、新日本三大夜景の一つ。


南方方向にに目を遣れば、御蓋山283mを見下ろせます。


そしてシカさんも迎えてくれました。(雲海でなくてすみません)

          (次回に続く)

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