晴天なのに最低気温は11.3℃と、平年並みの戻った朝、昼過ぎに薄雲が広がり
はじめるも最高気温は28.2℃迄上がる。
天候は下り坂のようで、明日の昼頃から雨が降り出し、前線の通過により
明後日の朝にかけ本格的な雨になるとの予報です。
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50年前1974年のこの日、日本初の公害事件「足尾鉱毒(鉛)事件」が80年ぶりに
決着した日です。
明治時代初期から栃木県と群馬県の渡良瀬川周辺で起き、加害者として古河
鉱業と認定し、被害者971人に、補償金15億5000万円を支払う調停案に双方
が受諾した。
1980年代には操業を停止し、はげ山も緑化されているが、今でも影響は残り、
東日本大震災のおり、Pb検出値に異常が見られると。
メチル水銀化合物の「水俣病」、公式確認されて68年たった今も、全国で有機
水銀による患者認定を求めたり、裁判で被害を訴えたる人が後を絶たない。
最近もマスコミをにぎわしていますね。
NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花は「カキツバタ・杜若・燕子花」
アヤメ科でアヤメと似るも、水辺で青色の花を咲かせる初夏の植物です。
花言葉は「幸福が来る」
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根津美術館の国宝「燕子花図屏風」尾形光琳作が有名ですが ・・・
伊勢物語第9段東下りからです。
失恋の痛手から都を離れ、東国への旅路にある主人公(在原業平)と友人ら
一行は、三河国の名所・八橋にさしかかる。
この地では水ゆく河が蜘蛛手になり、橋が八つ差し渡されていたため八橋
と呼ばれ、この水景の名勝で カキツバタの群生を目にした彼らは感興を
催し、軽食を摂りながら歌を詠んだ
『から衣 きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる たびをしぞ思ふ 』
大和文華館でカキツバタを描いた作品は、岡田為恭『伊勢物語八橋図』です。
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現在、大和文華館では『没後100年 富岡鉄斎ー知の巨人の足跡ー』展が
5月19日迄鑑賞できます。
参考出陳1件を含む52件(清荒神清澄寺鉄斎美術館蔵7件以外は当館所蔵)
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富岡鉄斎(1836-1924)は明治・大正期の儒学者、教育者、文人画家で最後の
文人ともいわる。
東洋史学者の内藤湖南、書家の長尾雨山、清からの亡命知識人の羅振玉らとの
多才な交流からも、糧として作品に生かされている。
座右の銘は「万巻の書を読み、万里の道を往く」 で、中国の画家・董其昌が
文人画家の理想像を述べた言葉で、鉄斎は日本各地を巡り、家にあっては書物
を読み漁るほどと・・・
また口癖は「自分の絵を見るときは、まず賛文を読んでくれ」というほど。
「ただもう書物から抜き出して画を描くばかりだ」とも。
博学な知識に裏打ちされた文人画を基本に、やまと絵等の様々な絵画様式で、
主に中国古典を題材にし、極めて創造的かつ独自性を持つ作品の数々で、
生涯で一万点以上も描かれた。
この奔放な画風は80歳を過ぎ、リズミカルな画風にメリハリのある墨調の筆、
ときに色彩感覚の溢れる傑作を描かれており、「日本のセザンヌ」 ともいわれ
るほどです。
Ⅰ.人物画・歴史人物・道釈人物
4:蘇子笠覆図 1917年82歳、鉄斎美術館蔵
北宋の大文人「蘇東坡(そとうば)1037-1101」と同じ誕生日で生まれ変わりと
思っていたようで、海南島へ左遷された姿で、石刻拓本より描く。
印章は富岡百錬、東坡堂?生、鐵如意斎
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7:神武天皇像 制作年不詳、日本書記 巻三の歌が添えられる
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15:寿老図 1914年 79歳
桃と瓢をもち、5匹の蝙蝠が舞う、顔は御本人かも
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21:出山釈迦図 1911年、76歳
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Ⅱ.花鳥・花卉・樹石画
25:挿花鼎図・聯 1915年・80歳(鼎図)富岡鉄斎筆 (聯)羅振玉筆 鉄斎美術館
甲骨文字
Ⅲ.山水画
36:掃蕩俗塵図 1918年、83歳
家の中に二人(鉄斎と春子夫人か)、ゆっくりしたいと願う気持ちだが
よく見れば、外は嵐だが、耳が悪いので目をしっかり見ひらいて
本を読まれている。
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Ⅳ.書蹟
Ⅴ.近藤家(愛媛三津浜の海産物問屋)との50年以上にものぼる交流から
46:車海老図 1885年 50歳
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47:濃尾震災図 1891年 56歳
滞在していた名古屋で被災され、後世に残すため
学芸員「都甲さやか」さんにいっぱい説明して頂いたのですが・・・
年でしょう忘れてしまい、悪しからずに。