今朝の最低気温は午前1時頃の2.7℃、下り坂の天候は9時過ぎには雨がぽつり
6.3℃が最高気温となり、足元から冷え込み、寒々しい一日になりました。
11時、5.3℃、86%
昨日のお昼過ぎ、用事で三条通から猿沢池を通れば観光客はそこそこで、多分
15日から始まった重要無形民俗文化財、887回奈良・春日若宮「おん祭」かも
今日17日は、12時から「御渡り式」で、奈良県庁→近鉄奈良駅前→JR奈良駅
前→三条通り→御旅所と、馬50頭、総勢1000余名が回るはずが、
寒雨のため大幅に縮小され、約20人の行列が、一の鳥居から300mのお旅所に向かわれた。奈良テレビより
三条通の高速餅つきの「中谷堂」にも、餅つきが始まれば人波ができるのだが
そして猿沢池は静かに
興福寺の五重塔も新春明けには修復工事で素屋根に覆われるはずが・・・
資材高騰や追加調査などの影響もあり、未定になっている。
まだまだこの姿が猿沢池に映えることでしょう。
さて十津川温泉の旅の二日目の行程
ホテル昴9時出発・・9:35熊野本宮大社(10:00大斎原・産田社)10:20・・
11:10熊野速玉大社11:30・・(神倉神社遠望)・・12:15那智の滝駐車場・・
飛瀧神社12:25・・(裏参道)・・14:40青岸渡寺・・12:55熊野那智大社13:05
・・表参道・・那智の滝駐車場13:20・・13:50木下鮮魚店昼食14:15・・同じ
経路を戻る(休憩なし、御所ICから橿原高田JCTで渋滞に)、帰宅18:30
経路を戻る(休憩なし、御所ICから橿原高田JCTで渋滞に)、帰宅18:30
路線バス組とは分かれ、連れ合いに付き合い野猿を楽しんだ後、熊野三山へ
向け国道168号を南下します。
最後の狭くうねる山道を過ぎ、急にカーブして川沿いを新道に。そして大きな
橋を渡れば和歌山県、今までの山道とは違い道はきれいに整備されている
国会議員さんの差?、本当に道路整備は遅れていると感じます。
熊野川が広くなれば、「熊野本宮大社」の鳥居を見えれば駐車場に。
三本足の「八咫烏」、マスコットとするサムライブルー、大活躍でしたね。
三本足は熊野三党(宇井、鈴木、榎本)や、主祭神の家津美御子大神
(素戔嗚尊)のご神徳「智仁勇」もしくは「天地人」を表している。
平安時代に極楽浄土の地である熊野へ参拝することは、蘇り・再生を意味し、熊野三山がそれぞれお祀りしている本地仏、速玉大社は薬師如来のお力で前世
の救済を、那智大社は千手観音のお力で現世の利益を。
この本宮大社は阿弥陀如来のお力により来世の加護を頂く事ができると伝えら
れ、この神と仏の一体感こそが熊野信仰の神髄とされている。
参道で石段があり、拝殿までは158段を上ります。
途中に「祓戸大神」で祓い、八咫烏が飾られる「手水舎」で浄めます。
御朱印等頂ける授与所(右側)と神門(中央)です。
神門
神門の右横に「後鳥羽上皇御製歌碑」、後鳥羽院は『新古今和歌集』を編纂
させ、承久の乱では隠岐に流されます。
さて三谷版NHK大河も最終週、後鳥羽院はどのように描かれるのでしょうか。
「はるばるとさかしき峯を分け過ぎて 音無川を今日見つるかな 」
熊野本宮大社、もとは熊野川・音無川・岩田川の三つの川の合流点にある
中洲に社殿が建てられたのは、崇神天皇65年(紀元前33年)のこと。
奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としておまつりするようになります。
だが1889年の大水害で1891年に高台に遷座され、
旧社地は「大斎原(おおゆのはら)」と現在は呼ばれている。
神門をくぐり、真ん中から左に、最後に右へお参りを。二礼に拍手一礼
③ ② ① ④ ⑤
祭神 本地仏
①証誠殿(本宮・第三殿)家津美御子大神(素戔嗚尊) 阿弥陀如来 来世
②中御前(結宮・第二殿)速玉大神 薬師如来 前世
③西御前(結宮・第一殿)夫須美大神
④東御前(若宮・第四殿)天照大神
⑤満山社 結ひの神(八百萬の神)
②中御前(結宮・第二殿)速玉大神 薬師如来 前世
③西御前(結宮・第一殿)夫須美大神
④東御前(若宮・第四殿)天照大神
⑤満山社 結ひの神(八百萬の神)
右端に「白河上皇歌碑」がひっそりと。白川上皇は1090年から1128年までの
38年間に、9回も熊野御幸を行ったとされている。
新古今和歌集 巻第十九 神祇歌 1906
『さきにほふ花のけしきを見るからに神の心ぞそらにしらるる』白河院御歌
高台を下りて、国道を渡り、旧社地・大斎原(おおゆのはら)へ