カメラを片手に

名古屋城本丸御殿に諌鼓鶏が

今朝の奈良は時折雨が落ちてくる不安定な天候、原因は台風10号ではなく、
四国沖に現れた熱帯低気圧の影響で、最低気温は25.4℃と熱帯夜になった。
明日も紀伊半島沖を台風10号が通過する影響で、雨がちな一日になりそう。
      9時半、27.4℃、82%

さてNHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花は『コウホネ・河骨
別名をセンコツ(川骨)というスイレン科の多年生草本で、
浅い池や沼に自生し、夏に黄色い花を咲かせます。
花言葉は「崇高」と。

       『河骨の花の総立ち沼明り』 小川玉泉
           2020.7.1伊勢神宮内宮にて

7月30日は期限が迫る近鉄沿線招待切符を使って名古屋へ日帰り旅行に連れて
いかれた。名古屋城に着いたのは10時20分頃、西之丸の正門を抜ければ、
ボランティアガイドさんに声かけられ、45分のガイドをして頂けた。
名古屋城は江戸時代を生き抜き、明治時代中頃からは皇室の離宮となったが、
終戦末期の空襲で天守や本丸御殿など焼失している。
徳川家康の創建時(1615年)の建物として残されたのは、西南隅楼、東南隅楼、
西北隅楼、表二之門、東二之門で重要文化財に指定されている。
「西南隅楼」は石落が西と南にあり、大正時代の修復で鬼瓦に菊花紋になる。
       西南隅楼

「東南隅楼」屋根二重内部三階の櫓、出窓に石落しもあり武具が納められた。
       東南隅楼
 
石垣を見れば、多種多様な記号を刻んだ石があり、諸大名の目印になる。
 

この南側に「清正公石曳き」の像
                  
本丸へ入る門は「表二之門」で用材は太く鉄板張りで堅固に造られ、袖塀は
土塀で鉄砲座間がある。この前の堀は空堀で距離は近く、鉄砲で打てる距離
で守りやすくなっている。


名古屋城本丸へ入れば、目の前に復元された本丸御殿が現れる。
2013年に玄関と表書院、2016年には対面所と下御膳所、2018年に全面公開に


中之口部屋が入り口となり、靴下をはいていないと、床に傷をつけないように
スリッパに履き替えて表書院にむかう。


   玄関一之間       
   

玄関二之間

大廊下を通り「表書院」にはいれば、「三之間」


二之間から納戸之間を見る


藩主の座の上段之間を望めば、着け署員や床の間があり、一段高い。


対面所は藩主の家臣や身内の対面や宴席などに用いられた。
上段之間と次之間からなる。
次之間は和歌山が描かれている。

上段之間は京都が描かれている


鷺の廊下です

上洛殿の廊下です。真ん中に仕切りの欄間?お見事と
1634年の家光上洛に合わせて建てられた。だが家光は無用な新築は止めよと
お触れを出しており、この後藩主義直と仲が悪くなったといわれる。
 

外からは


三之間、二之間、一之間からなり、三之間です

二之間

一之間

諌鼓に鳥が止まる像が欄間に描かれていたのが印象的で、
藩主に「善政により世の中がうまく治まり、天下泰平の世にしなさい」と
いうことを現しているのですね。
      

永田町1-6-1 にもこの様があればよいのになーーーーー。

上洛殿の外からの本丸御殿の全体像です。


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