薄雲が漂う今朝、最低気温は23.8℃で、10時過ぎには30度を越え真夏日に。
むっとした空気感が漂う日中の最高気温は、今シーズンの最高の34.3℃にも
梅雨最中の貴重な晴れ間ですが、余計に蒸しますね。
12時、30.8℃、68%
NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花はユリ科の「アガパンサス」。
南アフリカ近辺に20種ほど自生し、交配等で300以上の園芸品種をもつ。
地下茎の短い塊茎から地際からロゼット状に6枚以上の葉をだす。そして
花茎からさわやかな青紫や白の花を多数咲かせ、花弁が反り返り、優雅さも
併せ持つことから公園等で近年よく見かけることが多くなりました。
個々の花は直径約5cmの漏斗形で、花弁が6個と雄蕊が6個と雌蕊1個もつ。
日本には明治時代に渡来し、和名を「ムラサキクンシラン・紫君子蘭」と
呼ばれ、学名Agapanthusは、ギリシア語のagape(愛)とanthos(花)=
愛の花が語源のように、花言葉は「恋の訪れ」「愛の便り」と。
秋田の旅⑦、増田の内蔵のある蔵町通り(国の重要伝統的建造物群保存地区)
雪から守るために蔵全体が母屋で覆われた「内蔵」と呼ばれる豪華な蔵を構えた
商家が400mほどの通りに40軒以上も軒を連ねる。
こんな内陸に立派な商人屋敷がある理由は、増田が秋田県の南東部に位置し、
雄物川の支流・成瀬川と皆瀬川が合流する地点に立地し、江戸期には北前船
の物資が遠く平泉の北上川流域へ通じる旧街道もあり、商人町として発展。
明治以降は養蚕、葉タバコや酒造などの産業が栄えたが、明治の中頃までは
「ホタル町」と呼ばれ、内蔵や裏庭など家の奥にある施設に比べれば、質素な
表構えの町並みであった。
さらなる発展を遂げた明治中頃からは、細部まで特徴的な正面意匠をもった
大型の町屋が立ち並ぶようになり、大正期に最盛期となった。
家屋の内部は、正面に店舗を配し、座敷、居間、水屋、内蔵と連なる配置で、
南側に「通り」を配して、奥まで往来できるようにした間取りになっている。
多くの敷地は、間口が4間(約7.2m)と狭く、奥行き50間(約90m~100m)と
非常に長い短冊状の敷地となる。特に内蔵、冬の豪雪から守るため、「鞘」と
呼ばれる上屋で覆った建物内部にある蔵で、元来は物資の保管庫であった。
明治以降は座敷蔵が主流となり、贅を尽くした内蔵は増田商人の心意気を
今に伝えるものです。
ほたる前に車を停めて散策を始めた。
まず現れたのは、国登録有形文化財13件あり、そのうちの「佐藤三十郎家」
江戸時代後期まで「増の井」の醸造元・石田久左衛門がここで酒造していたが
秋田市に転居後、初代佐藤三十郎が居住し今に至る。
内蔵は増田で最大級の梁間を誇る大型座敷蔵とのこと。
手前の部屋では奈良の鹿が迎えてくれました。
太い梁が支えています。
座敷蔵で、炉が切られており、
栗の木が整然と並んでおり、その間には磨かれた漆喰壁、仕上げは手で。
すれ違い格子戸になり、換気と明り取りなのでしょうか。
国の重要文化財は2件、用水路に面した家です。
「佐藤又六家」、町内中心防火壁の役割を担った店(見世)は現役で使用され、
主屋の中にその店蔵が組み込まれており、中二階で見える。外から見ただけ
もう一件は「旧松浦家住宅」で見学は不可でした。
用水路越しに一件の家がある。
市指定文化財9件、その一つ「山吉肥料店」にお邪魔しました。
増田で最後の内蔵だそうで、当時の技術の粋を集めて造られ、現在では
職人さんが揃わないとおっしゃっていました。
山吉肥料店は間口10.4m、奥行きは41.40mで、間口から庭をこえて裏口までは
なんと100m!これを「通り」と呼んでいる。
右側から明り取り用にガラス戸になっている。冬は一階は雪囲いされるが、
天窓から明かりが取れるようになっている。
一番最初の部屋は座敷があり、客間、水屋跡と続き、座敷は主人の部屋
横の仏壇と神棚があり、天井は高い
関係ないですが、佐々木晴夫作「子安こけし」、材が全て違うと。
次の間は客間です。
大正時代は生糸なども商売をされていたとかで展示されていた。
水屋と続き、改装され食堂になり、右側は改装されてお風呂屋トイレも
家族は二階にお住いされていたとか
内蔵で、ピカピカに鈍く黒く光り、飾り戸(ストッパー)も細かい仕事。
立ち入り禁止です。横を通れば・・・
水害になっても大丈夫なように高くされ、換気口も閉めることができる。
味噌蔵もあり、防水の目的で塗る???
反対側にも入り口があり、飾り漆喰も立派ですね。
外に出れば、庭で内蔵を見れば・・・
おかみさんは花類を育てられ、御主人はバラの栽培で、わざわざバラを見に来られた方もおられたが、見頃は過ぎたとのこと。
そして腰を痛められ、今年は世話をできなかったので・・・
外蔵もあるが、昨年に肥料店を辞められたため、
倉内には肥料は置かれず。残るは漬物樽だけと
梁が立派ですね。雪の重さは尋常ではない証拠です。
門の直ぐ傍に離れがあり、親が住まわれていたが、亡くなられてそのままに。
この辺りで吉永小百合さんのロケがあったと・・・
入口まで戻れば、恥ずかしそうにこの写真をみつけられた奥様、御主人が
私が案内している間に、そっとここに置いていたのですと。
実は横手出身で、かまくらの前のモデルは子供の頃の私、カメラマンは有名な黒澤明さんと言ったかな???思い出せない
当時の衣装が置かれていた。
最後に増田のマンホールは「釣りキチ三平」、漫画家「矢口高雄」の出身地
マンガミュージアムがあり、日本有数だが時間がなくPASS残念!。