カメラを片手に

ならきたまち巡りは五劫院と空海寺に

今朝は1.6℃と冷え込みは弱かったが、日中はそこそこ陽射しはあるも、西風が
強く、午後2時現在の最高気温は5.2℃しか上がらず、本当に寒い一日に。
この寒さは明日夜がピーク?でも週明けまで寒波が居座るとの予報です。
      12時、2.9℃、50%

さて今日は「ワールドキャンサーデーWorld Cancer Day・世界対がんデー
世界中のひとりひとりが、がんに関する意識を高め、知識を増やし、がんに
対して行動を起こすことを目的として、世界が一体となって各地でさまざまな
取り組みを行う日です。

これは2000年2月4日World Summit Against Cancer for the New Millenium
にてパリ憲章を採択したことから、パリ憲章の第10条により制定されている。
世界150カ国以上が加盟している「国際対がん連合(UICC)」が2005年から
世界がんキャンペーンを開始した。
日本でも、今年もUICC日本委員会がライブセッションとライトアップの
オンラインイベントが開催されます。
17時30分から18時15分までUICCのテーマカラーであるブルーとオレンジに
ライトアップされ、その様子はオンラインで配信予定です。

東の端の日本からスタートして順に西に向かって光が繋がっていき、それに
従い全国各地の協力施設もをライトアップされると。
      

癌ですが、抗体医薬をはじめとする数多くの新薬の開発されてきたが、今後
さらに免疫細胞治療など新たなコンセプト治療法の開発がなされることで、
10年後は何処まで進んでいるのでしょうか。
ただ薬代がバカ高くなることは間違いない。
我は若い世代に迷惑はかけたくないですが・・・。

奈良では「癌封じ」のお寺といえば南都七大寺の一つ「大安寺」では
      2023.2.7

   *官立寺院としての奈良時代の伽藍です。
  

1月と6月の二回、癌封じの笹酒祭りが行われている。
今年も1月23日「光仁会 癌封じ笹酒祭り」が開催され6000人が参拝された。
本堂ではがん封じの祈祷が行われ、参拝者は秘法の加持を受けたあと、
      2023.2.7

風雅な青竹づくしの祭儀として「笹酒」の接待が行われた。
奈良時代、光仁天皇の一周忌の齋会を大安寺で営まれたという『続日本紀』の故事と、光仁天皇が竹筒で温かい酒を飲み健康を保ったとされたことによる。
      奈良新聞より    

3月には厄除け「馬頭観音立像」が、特別開扉され、800円で拝観できます。
重要文化財 、奈良時代 一木造 像高173.5cm、馬頭がなく、胸飾りの瓔珞と
足首に蛇が巻きつき、腰には獣皮をまとわれる極めて珍しい姿、原初の姿と
も考えられている。
馬が牧草を食むように、もろもろの悪を食い尽くし、たくさんの水を一気に
呑み干すように私達の災厄を除くといい、厄除けの仏として信仰されている。 

さて昨日の続き、なら・きたまち寺社巡りは、五劫院と空海寺そして転害門へ

般若寺からの下り坂から佐保川を渡り今在家交差点から東へ歩けば、道筋右側
に珍しい藁屋根の民家、看板には「旧細田家住宅」と。
17世紀末~18世紀初頭の市内で最も古い大和棟の外観を持つ小農家住宅の一
つ、主屋は東側の二間半を土間に、西側の二間半を居室にとる。
桁行10.5m、梁間10.2m、切妻造段違、茅葺及び本瓦・桟瓦葺、正面及び背面庇付き、1971年に奈良県指定有形文化財に指定、奈良市に寄贈されている。
保存修理により19世紀に増築された落棟座敷を撤去、間取りや壁・建具類も
当初の姿に復原された。      

そして東大寺末寺 華厳宗「五劫院」です。
東大寺旧北門の外に南面し、アフロの阿弥陀さん「五劫思惟阿弥陀仏坐像
重文 鎌倉時代の作で、法蔵菩薩が五劫という長い年月思惟を続け、阿弥陀
如来に生まれかわられた姿を表し、鎌倉期重源上人が宋から伝え安置された。

この時は拝観が叶いませんでしたが、2月の土日には、500円でボランティアの
説明付きで公開されています。是非

そして「令和9年五重相伝」が行われ、一週間で修行できるということで、
もう既に予約が入っているとのこと。今年は令和7年ですが・・・

さて本堂は1624年、表門も1645年と記載物があることで江戸時代のも。


蛙股が良いですね。

そして山上憶良の万葉歌碑がある。
『水沫(みなわ)なすもろき命も栲縄(たくなわ)の千尋にもがと(願ひ)暮らしつ」 
         

当寺の創建は、治承の兵火で大仏殿を再建された「重源上人」で、浄土教
高祖・善導大師作「五劫思惟阿弥陀佛」を請来され、東大寺北門に一堂を
建立し御本尊としてお祀りされたのが創始とされている。
本堂横には重源上人の伴墓がある。
重源上人墓(東大寺五輪塔)は三笠霊園の最上部近くにあります。

そして奥の墓地、入り口は見返り地蔵

永禄の兵火で大仏殿を再建された「公慶上人」のお墓も
墓地の奥の僧墓の中心に祀られている。
      

2月の土日に訪れなくてはいけませんね。

さて門を出て、左折するのですが、右折すれば三笠霊園にたどり着けます。
先程述べた重源上人墓(東大寺五輪塔)や島左近尉のお墓もありますが、
近年では「安倍晋三 留魂碑」でしょうか。

左折して50m程?で左側に五劫院の駐車場、右側に空海寺の駐車場もある。
空海寺」は東大寺の旧境内にこの地に「空海」の草庵がもとで開山され
地蔵堂といい、古くは「安倍地蔵」と呼ばれ、『奈良名所八重桜』に、空海の
穴地蔵や空海との伝称を記す。
そして八宗兼学の伝統により、華厳宗と真言宗の二宗を受け継ぐ。

本尊は石に刻まれた地蔵菩薩で左右に不動明王と聖徳太子が半肉に陽刻され、
四方には四天王が線刻されている。全体は仏龕・ぶつがんになり秘仏となる。
  *2月の土日、ボランティアによる説明付きで本堂も公開されます。
      

門の手前に、平城宮跡保存活動の先駆者、棚田嘉十郎翁墓の石塔がある。
      

そして右側を登れば、寺の背後の斜面に広がる墓地(宗派問わず墓も空き有)
そして頂上まで上がれば、生駒山が正面に見えます。

正倉院の脇を抜ければ、さんまさんも卒業された鼓坂(つざか)小学校、南下し
幾たびかの兵火の潜り抜けた創建時唯一の天平の建物「東大寺転害門」です。
堂々とした三間一戸八脚門、平城京の佐保路に面したことから佐保門や、
源頼朝を刺し殺そうとして平景清が潜んだとの伝説から景清門とも。
その前の道路は、その後の奈良街道にあたります。



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