カメラを片手に

防賀川マンボの跡を

今朝の最低気温は11.9℃と10月下旬の寒さで、床暖を点けたほど・・・
上着を着て、登美ヶ丘公民館講座「京田辺のマンボと一休さんの里」の館外
学習へ自宅を8時半出発、9時半近鉄興戸駅から歩き、一休寺を経て午後1時に
JR京田辺駅で解散し、3分ほどの近鉄新田辺駅から電車に乗り自宅へ戻れば
万歩計は18000歩ほどにもなっていた。
でも一休寺拝観中の昼過ぎ、ぽつりと降り出した冷たい雨は、明日昼過ぎ迄
降るらしい。
先頭を歩き案内して下さったのは、奈良大学文学部地理学科教授「土平博」
今日歩いた行程図になり、「マンボ」という言葉が気になりませんか。


マンボとは
事例として知られているのは、三重県の鈴鹿山ろくでみられる水源を含む農業
用水路。人工的な用水路を敷設する技術ならびにその象徴たる水路橋をさすこ
とが多い。
当て字は「間風、間歩、間保、間府、間夫、間符、万歩、万法、万堀、真風」
などがある。関西以西では短い地上のトンネルのことを、マンボ、マンポ、
マンボリ、マンプウ、マンプなどと呼ぶので、これとの関わりが考えられる。

田辺丘陵を水源とする河川の特徴は「天井川」で、半分は人工的というのも
農業用水として利用するため、堤防を積み上げた続けたことに起因する。
南山城の天井川は大谷川、虚空蔵谷川、手原川、天津神川、馬坂川、防賀川
普賢寺川、遠藤川があるも、河川改修で現存するのは天津神川、馬坂川だけ。


①防賀川の河川改修(川底の切り下げ工事)により消滅・・・防賀緑道
1.興戸駅ホーム京都側からはかつての防賀川マンボの跡が残る。

2.JR学研都市線の線路は防賀川の川底を通過し、トンネルだけが残る。
                   👇川跡


1969年以前は府道木津八幡線(府道22号)天井川の防賀川を迂回するように
取り廻されていた。
       
交通量が激しくなり、府道22号も直線化されたが、数年前には残された
旧河道も取り去って「防賀緑道」として整備されている。


今日はここまでに・・・

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