深夜に小雨が降ったよう、最低気温は深夜の15.6℃となり暖かな朝を迎え、
ほぼなかなか雲が取れず、柔らかな日差しでも、最高気温は22.2℃迄上がり、
ひと月ほど前の気候となっている。
この先も20度を超え、今週中は平年より暖かな日が続くとの予報です。
11時、19.8℃、72%
さて奈良の恒例行事「第76回正倉院展」も今日が最終日、呈茶のボランティア
をしている連れ合い、”始まったかと思えばもう3回目の今日が最終”と言いおき
早朝から奈良国立博物館へ出かけていきました。
NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花は「ミズヒキ・水引」、タデ科の多年草
8〜11月頃に咲く花は総状花序で、茎頂や葉腋から長さ20〜40cmになる花穂を
出し、それに小花がまばらに咲き、鈎状が雌花で、5本の雄蕊があり、花弁様
は萼で色は上半分は赤色、下半分は白色です。
雄花
そのことから、祝儀袋などに使う水引に見立て和名の由来となり、
花言葉は「慶事」
なお花は盛りを過ぎると雌花だけが残る。
11/11鉤状の雌花
シロバナミズヒキもあるが同様だ。
小花は成熟し小さい種子を付け、周囲へ溢れた種子から翌年発芽するので
気をつけないと、我が家の小庭みたいにあちこちから発芽してしまいますよ。
昨日の続き、近鉄奈良駅西周辺の社寺めぐり②
こんな真ん中に天皇陵があり「念仏寺山古墳(開化天皇 春日率川坂上陵)」と
呼ばれ、五社寺が周りを取り囲んでいます。
徳川家康と関連性のある寺社が「漢國神社」、「山の寺念仏寺」と「西照寺」
*西照寺は今回訪れておらず、「桶屋と徳川家康」の当ブログ参照
この寺の境内を含む場所から東半分を巡りました。
というのも廃業した「ホテルフジタ奈良」、コロナ禍で感染者等の宿泊場所と
して機能していましたが、やっと取り壊され、更地になりました。
おかげで宮内庁が治定された「開化天皇 春日率川坂上陵」が少し見やすい。
開化天皇は第9代天皇で、孝元天皇(父)と皇后欝色謎命のお子様とされる
が、歴史上存在が疑問視されている欠史八代の最後の天皇です。
前方後円墳で前方部を南南東方に向け、墳丘長約100m(推定復原115-120m?)
高さ約8m(後円部) とされる。
国土地理院より
江戸時代に念仏寺の寺域となり、墓地として利用され折に墳丘が削られたが、
幕末になり墓地の移転と陵の修補により、墳丘は大規模な改変を受け、”前方後
円墳”としての体裁が整えられたらしい。
現在段築は見られず、後円部・前方部境も不明瞭で、さらに後円部・前方部に
かけての墳頂も平坦で、埋葬施設も明らかでない。
西側外堤において出土した円筒埴輪片等から、5世紀前半(古墳時代中期)の築造
と推定されている。
1975年や2008年度の鳥居建替の際、江戸時代の墓地化に関連した蔵骨器・
木棺が出土しているが、宮内庁管理で墳丘内の調査は行われていない。
陵として前方後円墳が出現するのは、父の8代・孝元天皇が初めてだが、9代
はさらに大きな前方後円墳となり、最大は16代の仁徳天皇陵(大仙古墳)に。
また8代までの陵は橿原周辺に築造されてたのに、当代は離れた現在の奈良市
内にあり、710年の平城京造営の際、多くの古墳は移設されたが、残された古
墳は開化天皇陵と垂仁天皇陵で、どんな理由で残されたのか疑問が残ります。
(宮内庁の治定による)
前方部がどうなっているか見るために、浄土宗「永亀山霊巌院」へ
境内に入れないので道からです。
漢國神社から右側の駐車場奥から山の寺念仏寺越しに樹林だけ見えた。
3日前に「山の寺念仏寺」を訪れた際の写真です。
👇東南側を見れば、左端に霊巌院本堂が見え、濠から前方部が・・・
さらに近づけば・・・拝所の柵が確認できますね。
東側中央部
後円部へのカーブが確認できますね。
後円部を見れば、濠に水がありますね。