休みの日家事をしながら漫然とテレビをつけています
テレビ番組制作をしている人たち年下なんだなあ・・と見ている途中で思う事も多く
テレビ番組と自分の感性の乖離を感じる昨今ですが
先日ばかりは
いやもう、驚いたと同時に
焦りを感じたのです
あまりにびっくりしたので、画面を写メに撮ってしまいました
この問いかけに、
私でない他の方々はどういう答えを出すのでしょうか
意見は二つに割れるのでしょうか
問題定義されているという事は、
私が想定する以外の行動が常識となりつつあるのでしょうか
二人でそれぞれ400円の飲み物を買って一緒に会計する際
先に友人が500円のクーポンを出し「席で待ってるね!」と行ってしまった
残金300円は私が払わなければならないのでしょうか?
・・・・・
・・・・・
そうじゃ
ないの? (;´・ω・)?
友人が400円の支払いに500円クーポン券を使ったことで、結果的に100円多く出してくれています
自分にクーポンの用意は無いのだし
100円に対するお礼を言いこそすれ
残金300円の割り勘なんて
一ミリも思い浮かびません
この気持ちは
コメンテーターの千秋さんが代弁してくれていました
司会の設楽氏は「友人が一円もお金を使っていないことにもやもやするかも」と言い
カンニング・竹山氏は「クーポンは使う前に使うと宣言しておくべきだった」とコメント
この辺りは番組上
意見が散らばるようにそれぞれの台本があるのでしょうけれども
そんなややこしい話なのでしょうか?
特に
「友人がクーポンを使う事でお金を払ってないことにもやもやする」なんて
言いがかりに聞こえます ( ̄一 ̄:)
代金を払わずに済ませるための友人のコマメな努力が実ったわけだから
それとして祝福し、うらやましければ次回見習えばいい
支払いにクーポンを使う事をわざわざ宣言する必要もないでしょう
他者に得をさせるケースこそあれ
損害を与えるわけではないのだから
と思うに至るわけなのですが
テレビ番組が紹介するように
クーポンを使うに際して本当にこのような多様な感性があるのだとしたら
ここはひとつもう少し丁寧に、クーポンと言うものを考え
それは丁寧に切り取られたオマケ的な紙片ではなく
れっきとした金券であるという事を認識し
時々ランチの席などで
「今日ね、ここのクーポン持って来たの使おうね」と
恩恵を分けてくれる友人には
「わあ、ありがとう」の言葉だけでなく
その恩恵をしっかりと心に刻み
某かの形で近い将来のお返しを誓うべきてあるのかもしれず
〇〇さんってホントマメだなあ・・
助かるなあ~( ̄▽ ̄)ゞ
とか
感心で終わらせている
場合ではないのだという事を学習したのでした
今日はそんな話です
~( ̄▽ ̄)ノシ
.
クーポンを二人で250円ずつ使って、一人150円。
っていう考えなんだよね?この質問してるヒト。
そんな風に考えないけどなー。
400円のものが300円。100円安く買えたよ、友達ありがとう!
じゃないんだね。
「普通」は「そう」だよね?
なんかテレビ見てると何が普通がわからなくなってくるねえ
私は100円安く買えた有難う
ていう人としか友達にはなれないわ
( ̄▽ ̄)ゞ