「小さい頃は神様がいて不思議に夢を叶えてくれた」
松任谷由実さんはそんな素敵な幼少期を送られたようで、羨ましいばかりですが
私には大人になってから
なんとなくついててくれて、示唆してくれる存在がいるような気がします
それは実家の母が事あるごとに「天国のおばあちゃんが助けてくれた」と感謝してた
そう言う存在にも似ているけれど
そんな具体性のある存在でもないので、そう言う感じでもないのですが
なんかあるわけです
例えば、ブログを書く時も
私は心の中に思うモヤモヤを取り出して文章に消化排泄するのが楽しくてやってるので
このネタは書くと <色々アレで何> かもしれないけど、書いちゃうか・・
などと、後先をよく考えずに思うさま書こうとすることがよくあります
書くこと自体は構わないのだろうけれど
インターネットという往来に掲げることはどうなのか
私と考えが違う人をざわつかせるような、今一度考えたほうがいい話題でも
書いちゃう時がある
そんな風にして時間をかけて書いた文章が、真っ白に消えたりすることが今だにあって
何回書き直してもあげられなかったりする時がある
(やっぱり公開はダメなんだ・・)
と諦める時に感じるのが
「それ」だったり ←いやその前に何を書いた?( ̄▽ ̄)
一番わかりやすい例として思い出すのは
七年前、義父の危篤が続いていた時のこと
いつ「その時」が来るかわからない状況で夫の連絡を待ち続けた私は
すっかり集中力を失っていて
眠くて仕方がなかった
<このまま、今夜は持ちそう 一旦引き上げますご飯食べてきます>
夫のメールを読んで、すっかり気が緩み
一時間だけ何も考えずに寝よう!と決めた私
しばらく夫からは連絡がこないのだし
他のどんな連絡が来ても聞こえないように、一時間だけ携帯をカバンにしまおうと
突っ込んだら
一度手放したはずの携帯がカバンの中で手のひらに飛び込んで来た
(手離さないで、ちゃんと見てなさい!)
そんな声すら聞こえたような気がした
握らされた携帯を持った手を、そのままそろそろとカバンから抜いて
カバンの中で何が起こったのかと半ば呆然
当時使ってた水色のガラケーを眺めていたら
着信のライトが点滅
<急変して、今亡くなった。安らかやったよ。>
と夫から連絡が入って来たのでした
ワタシは寝る前に一時間くらい
スマホでYouTubeやブログを読みます
真っ暗の部屋で灯る画面のブルーライトは
私の瞳から侵入し、脳の芯まで焼いて覚醒させる強烈な光を差し込む
これが日々の睡眠を妨げていることは、実感として理解できます
睡眠負債で自己破産でも
やめられない( ̄▽ ̄)
昨夜はどうした流れか覚えてないのですが
気がついたら
朝起きる時の足の痛みに悩む女性のブログを読んでいました
寝る前のスマホは、一瞬寝落ちしては覚醒したりを繰り返すことがあって
睡眠負債で自己破産も一歩手前
そんなわけで
なんでそのブログを読むことになったのかは
覚えてない
足と腰が痛くて起き上がれないその女性は
更年期だとおっしゃる
足底筋膜炎を患って、ベットから降りるのがためらわれるワタシの同士?
かと思いきや
よくよく読めば、それは乳がんからの骨転移の痛みらしい
驚いて、一番最初の記事を探したら
アプリからじゃなかったので気がつかなかったけれど
gooブログに綴られた乳がん闘病記で
初回の記事は2008年
見つけた胸のしこりが癌ではないと診断された喜びの記述から
更年期の影響・・とは治療の強制閉経がもたらすもので
三人目のお子さんの授乳を断念しなければならなくなったと泣いておられた
そんなに痛いのに
彼女が立ち上がる時に考えることは
2人のお姉ちゃんたちと旦那さんのためのお弁当作りと
フルタイムの出勤
やらなくちゃ
行かなくちゃ
休むことで迷惑をかける同僚を想い
レスキュー薬を服薬してその日も出勤する
職場と家との距離で選んだ主治医は、前回の診療内容も検査したことも
「患者さんから言ってもらわないと、思い出せないんだよね」と笑って言うような
彼女の職種も知ろうとしないとんでも医者で
あちこち増える痛みを訴えても、「そんなもんです」「痛みは一生痛いです」「気のせいだよ」
で取り合わない
鬱傾向になり薬の影響かもしれないと
我慢の挙句相談したら
「ああ、そうなるよね、この薬は対して効かない奴だから、やめても大丈夫だよ」
手術の翌日からどんどん動け、気にしなくても大丈夫、明日から出勤できると指導され
癌に負けたくなかった彼女が目一杯頑張ったら、どんどん腫れて痛む患部
気のせいだと逃げる医師に懇願の果てに見てもらったら
結構な量の血を抜くことになり、診療の終わりに「あ、右側は使わないでね」とさらり
がんが見つかった時に懇願した骨シンチもPET検査も必要ないと
取り合わなかったその本人が
「腰と肋骨に転移してるんだよ」
と告げたのは一体どんな口だったのか
家族と仕事の兼ね合いで変えるわけにはいかない病院
主治医とのコミュニケーションに苦しんだ彼女が
意を決して聞いた余命
「内臓に転移したら2.3年だけど骨だったら10年行く人もいるよ?」
高校生と小学六年生と、再婚相手との一歳の子供がいるというその人は
患者という弱い立場で
病ではない何かと戦っておられた
・・・今この人は
どうしているんだろう?
一年分の記事を読み進めたところで2013年末でしたが
最終記事は2020年6月20日
「ご挨拶」
旦那さんの手による記事となってました
これまで長年ネットで駄文を書いてきて
こう言うブログを何度目にしたことでしょう
今日初めてそのブログの存在を知り、最初の一部しか読んでいない私は
そのさきは読みませんでした
「もしかしたら、10年後も生きてるかもしれない」
私が読んだ記事の中で、彼女はそう書いていたけれど
3歳の子を抱きながら願うその心中を
私が察せられる日は
いつになるのか
【案外さー
老い先って
長くないのかもなー】
老い先って
長くないのかもなー】
私は思うのです
昨日ブログに書いた記事のこの一文を
守護霊さまは気に入らなかったのでしょう
「今夜はこれを読みなさい」
私の意思と関係なく、このブログにたどり着かせた
そして、今
真夜中に読み続けたスマホが見つからない
朝ちょっと見かけた覚えがあるんですが・・今探しても見つからない
なので、私は今もどこの誰の記事を読んだのか
改めて確認ができていません
これも
思し召しのような気がします
思し召しのような気がします
いやもうね
足なんて痛くないです
公休の今日は
朝から洗濯に励みました
遠い過去記事の中の彼女は
私に
「今ある力」を教えてくれました
今日はそんな話です
〜( ̄一 ̄)ノシ
🕊💐
宗教とか特に信じてないけども、そういうのはアリだと思うの。
「生い先」「生きてる意味」そんな記事をこのところあちこちで目にする気がするのは自分の年齢のせいかな?
今日は千葉も久々に晴れたから私も大物洗濯したよ。
なんかしょっちゅう背中押されてる気がする
私のようなのを電波ちゃんって言うらしいよ
( ̄▽ ̄)
人は欲しいものを勝手に見つけるって言うから、考えたいんじゃないのかな
でも、ちるるが「生きてる意味」って
すごく意外
私も考えないといけないのかなあ・・
( ̄一 ̄💧)