超スローライフな日々

丑のように、ゆっくりとマイペースでいきたかった2009年も過ぎ寅年ーそれから15年の歳月が経ちました。

ちょっと若返るドラマの中へ

2006-08-20 | 
リリアン

作:山田太一  絵:黒井健
小学館 1,500円(税抜き)

男の子の前に、突然見知らぬ少女が現れた―。
あなたは、はじめて大人の世界につま先をつけた瞬間を、おぼえていますか?
 男の子が地面にマルを描いている。急に女の子が訊く。「このマルはなに?」。
男の子が顔をあげると、まばたきをしないお人形のような顔。知らない子だ。
男の子は、「このマルのなかへはいっちゃダメ」って言う。そして、ここからドラマが始まる。
 もうすぐ一年生にあがろうという男の子が主役で、大通りから少し脇に入ったとこの小さな食堂の前の道が舞台だ。女の子はマルのなかに入りたがるが、男の子はダメと言う。ここはユウちゃんしか入れない。すると女の子は、すーっと宙に浮く。抱きあげたのは大きな男で、ちょっとこわい。大男はそのまま大通りのほうへいってしまう。
 読者は、どきどきしながら男の子と一緒になりゆきを見つめ、ドラマの中に入っていくことになる。お話はファンタスティックに広がり盛り上がり、小さな謎解きがあって、再びあの大男が現れる―。四月。男の子は一年生になっている。そして、今度は劇場の楽屋口の石段に腰かけたあの大男を見かける。そんな二人の対話劇。
 夢と本当はちがうんだ―と男は言う。男の子は口惜しいような、つまらないような、やりきれないような気持ちになっている。男の子は、大人への階段を一つ昇るのがやるせないのか。
 女の子の名はリリアンだと聞かされたって……。
 ――まるで山田さんのテレビドラマでも見ているように引き込まれる。そこを描く黒井さんの、やわらかで夢のようにぼうとした、そしてあの時代を偲ばせるセットの前で、ゆうらりと繰り広げられていく二人のドラマ……。
 このところどっさりと出回っている、アイデアを絵でカバーしただけのような絵本とはちがって、これはしっかりとした物語絵本だ。たっぷりした読後感が広がる。この一冊をじっくり読み、黒井さんの絵の中に溶けこめた読者は、それこそ二人が作ったドラマの中に入っていったようなもの。出てくると、子供はちょっぴりトシをとり、大人はちょっぴり若返っている――ような感を抱かせる異色の一冊だ。二人の足許に大きなマルを描きたくなる。

 ☆今江祥智(いまえ よしとも)
  1932年大阪府生まれ。教員、編集者のかたわら1960年に『山のむこうは青い海だった』を出版。小説、絵本、翻訳など著書多数。1990年までの作品は『今江祥智の本』全37巻(理論社)に収められている。