吉備女
木原美知子・有森裕子・人見絹江 2022.1.7
木原 美知子(きはら みちこ、1948年4月5日 - 2007年10月18日)は元水泳選手
昭和39年の東京オリンピックの水泳選手・木原光知子。16歳という当時最年少の若さで出場し、ミミちゃんの愛称で親しまれ一躍アイドル選手となった。
引退後はタレントとして活躍、お茶の間の人気者であり続けた。
木原光知子は昭和23年生まれ。岡山で育った。水泳好きの少女はいつしかオリンピック出場の夢を持った。
中学2年生の時、国体で3位入賞して頭角を表し、高校1年生で東京オリンピック選手に選ばれた。
女子400メートルメドレーリレー決勝のアンカーに抜擢され、メダルは逃したものの見事4位入賞を果たした。
その後国内は元よりアジア大会などで優勝を重ね、次のメキシコ五輪の出場を夢見ていた。しかし選手選考に漏れ、20歳にして引退。人生の挫折を味わう。
その後タレントに転向。爽やかなイメージと持ち前の明るさで、バラエティ番組やドラマに引っ張りだことなる。
その一方で水泳の指導者としての活動も積極的に行う。スイミングスクールを開講し、日本水泳連盟の理事としても活躍した。
また競技者としても年齢別の世界マスターズ大会で世界記録を出すなど、水泳に情熱を傾け続けた。常に全力を尽くして泳ぎ切った、その人生が語られる。
Acker Bilk - Stranger On The Shore (Original Stereo).avi
1966年12月生まれ、岡山市出身。就実高から日体大を経てリクルート入り。
1990年の大阪国際で初マラソンの日本最高(当時)。92年バルセロナ五輪で銀、96年アトランタ五輪で銅と2大会連続でメダル獲得した。
有森 裕子は、元女子マラソン選手で日本におけるプロランナーの草分けでもある。
人見絹枝は本学の前身、二階堂体操塾の第3期生。日本女性初のオリンピック(1928年(昭和3年)第9回・アムステルダム大会)出場を果たし、
陸上競技女子800メートルで「死の激走」を演じた末、銀メダルを獲得。
日本女性初のオリンピックメダリストとなりました。
さらに1930年(昭和5年)第3回万国女子オリンピックにおいて、走幅跳で世界記録を樹立して優勝、個人総合得点で第2位となりました。
「太ももを露にして女が走る」と罵られた時代に、偏見と戦いながら、日本女性の存在を世界に示した最初の女性であり、我が国初の女性スポーツ記者でもありました。