2.登山は賢者のスポーツ ⑭ 1日1時間1万歩
健康の維持管理の基本は1日1時間1万歩距離数は0・6×10000=6km
これで6㎞あるいてるこれが1日の歩行基準だ。
これだけで健康がたもてる。
不健康になると年金生活者はすぐ貧乏になる。
私は朝一番、岡大か運動公園で7000歩~8000歩歩いく その時動植物を観察する。
特に春は植物の変化が著しい。
その時に記録として、デジカメで撮っておく。
無かったものが現われ、有ったものがなくなってる。
なにかに追われるように自然は変化する。
そのあと朝食だ
朝飯旨い。残り2000~3000歩で1万歩越える。
残りの歩数は買い物で歩いて達成できる。
エレベーター、エスカレーターには乗らない
人類は歩いて健康を保った。
車社会になって肥満がふえた。
自分のエネルギーで移動しないからだ。
体に貯めたエネルギーを燃やしてないからだ。
一般人は食べることからカロリー計算をしてダイエットしたがる。
先日、健康管理の講習会に出席してそのカロリー計算しての健康管理を聴いて、うんざりした。
運動したエネルーギーの量を身体が求める。
運動した後はお腹空いているので食事が美味しい。
ダイエットは運動から始めるべきだ。
身体が求めている食べ物はどんどん食べるべきだ。
時間を時に変え、時に生きろ
時と会話して
追伸 最近は坂道を中心に、脚に負荷をかけて有酸素運動をして肺機能を高めている。
脚は登りよりも下りで脚を鍛える方が良さそうだ。
登山で第2の心臓を鍛えるべし。
3.登山は賢者のスポーツ ⑬ 登山中いろいろのことに遭遇する
登山中いろいろのことに遭遇する。そのときいろいろ決断しなければならない。
生死に関わる決断もある。単独行動の場合は自己責任で決断できる。
しかしパーティーを組んでいるときは少々事情は異なる。一番安全な方法を考える。
一番多いのがルートの迷いだ。正規ルートから獣の道に入って迷う時だ。
その時は早めにひっかえし、正規ルートに戻ることだ。
これは人生の対処法につかえる。私、かってそのことを何度も経験した。
しかし一回失敗したことがある。三平山である。
まだ20代に単独行動で初登山したときのことである。
まだまだこの山は登山の整備されてなく、国土地理院の地図を元にルートハンテングをした。
それは鳥大演習林の上部にある牧場を突き抜けて登山道に入ることだと思った。
その通り牧場を抜けて、登山道入ってと思って登って行った、
しかし登っても登っても登山道が見つからない、体力は消耗してくる。
精神的に焦りだす。その時に雨混じりのみぞれが降りだした。
ブシュのなかである。あとにも先に進めなくなる。時間だけが過ぎてゆく。
一瞬遭難したと思った。気を取り戻し、高度をあげて行こうと、がむしゃら登っていく。
体力が消耗する前にビバークも考える。
一瞬一瞬心が思考が変化していく。
悪戦苦闘苦闘いるときに長い溝に入りこむ。その溝から這い上がる。
なんとそれが尾根ずたいの登山道であった。
土塁である。その道で頂上までたどり着くことができた。
苦い登山の思い出であるが有難い経験となった。
そのときいっでも非常食を携帯する必要を感じた。
私が登山を初めのころは名のある山は整備され、登山ガイドがあった。
しかし、ローカルの山にはいいガイドブックが無かった。
地図をみて地形を頭にたたみこむ必要があった。
いまはインターネットですごい情報をもらえる。
デジカメでリアルに情報を得ることができる。
2年前ワンダ-ホウゲルの同窓会があり、20年ぶりに大山に登ってからまた山行きに憧れ、心に火をつけてしまった。
自分に体力があるあいだに憧れた山には登っておこうとおもう。
あすなろでなく、今この時、今を大切に感謝して、二度とない、時を大切して悔いのない登山をしていきたい。
2021年4月 変異株コロナで4波でまた春のレジャーも自粛ムードでしかも自然災害が頻発する可能性が増している。
こういう世の中だから学生時代に培ったワンゲルの自然の生活体験が生きてくる。
いざという時には野外で生き残れる方法を知っている。賢者になろう。


5.登山は賢者のスポーツ ⑫ 遥かに山並みがみえる
遥かに山並みがみえる。
本日、やっと仕事の区切りができ、自分の歩んだ、道のりが遥かにみえる。
多くの人に支えられ、歩んできた道だ。
あの時にあんなに大きな山並みが今は小さくみえる。
あの切り断った岩肌が美しく見える。
よくもこの山並みを歩いて来たものだ。
いろいろな分かれ道、枝路で私はこの道を選んだ。
眺めて見ていると懐かしい。
先を見渡せば、遥かに遠い峰が見えてくる。
これら私が辿りたい道だ
いろいろな縁に恵まれ、いい峰になり、いい円になつた。
遥かに山並みがみえる。
本日、やっと仕事の区切りができ、自分の歩んだ、道なりが遥かにみえる。
あの時にあんなに大きな山並みが小さくみえる。
切り断った岩肌が美しく見える。
よくもこの山並みを歩いて来たものだ。
いろいろな分かれ道、枝路私はこの道を選んだ。
先を見渡せば、遥かに遠い峰が見えてくる。
これら私が辿る道だ
人は地位、名誉、金、財産をほしがる。
当たり前のことだ。全て自分を満足にしてくれる。
満足できる人生を送ることができる。
それを得ることも幸せかもしれない。
しかし今は考えは変わってきている。
わたしの歳では健康年齢は10~15年間と思う。
歳をとってくると、だんだん時間が一番大切になってくる。
2014.5.31の時はもうない。
大切な時間を後悔することがないよう....まだいつたことのない未知なる世界へ.....
まだまだしたいことが脳裏に走馬灯のよに浮かんでくる。
その時間はあるだろうか?
【人の年齢は、木の年齢のようなもの。どんな老人の中にもに
赤ん坊も、3歳児も5歳児も15歳の青年もいるのです。】谷川俊太郎
世阿弥 老いてこそ花 常に新しい「花」を用意しておけ
世阿弥のブランド「幽玄」 (花鏡)
奥深くて、はかり知れないこと。趣が深く味わいが尽きないこと。
明日死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのように学べ。 ガンジー -
僕は1人で山歩きすることがすきだ。
初登山の山は単独行が中心で歩いている。
その時、私の全ての身体の器官が緊張する。
その緊張がいろいろな感覚を磨いてくれる。
その時「ハット[?]」とする考えが浮かぶからだ。
自由に行動できる。自由に登山できる。
自分の気にいった場所で休憩し、
その時間を楽しむ。
その時「ハット[?]」が起こる。
感性から理性の思考を過程から思い付く
ある人が言った「時空間は絶対ではないと」
「重力は波、涙であると」
もし宇宙旅行ができたら月から地球みると、
重力波を直感的に感ずるかもしれない。
いろいろ思い出が走馬灯のように脳裏に流れてくる。
あの時にこの決断をしたのだろうか?
無 無 無 空 空 空 ・・・・・・
喰うかい くうかい 空海
人間万事塞翁が馬
にんげんばんじさいおうがうま
環 たまき
スピノザ哲学
『実に、光が光自身と闇とを顕わすように
真理は真理自身と虚偽との規範である。』
7.登山は賢者のスポーツ ⑪ 時はうつろに流れていく
時はうつろに流れていく。
今まで無かったもの現れ、
今まで有ったものが去って消えていく。
出会いと別れの繰り返し・・・・
必要なものは存在し
必要でないものは存在しない。
時の流れはうつろにゆくり
はやく流れていく。
時の流れを感じる。
あの子はどこからきたのだろうか
あの人はどこに行ったのだろうか
時は川の流れのように流れる
趣味を生かそうとすると、
青春時代にしたことが生きてくる。
山行きだ、
今自分が一番したいことだ。
つぎからつぎから行きたい山が浮かんでくる。
同行する友もできた。
どこまで登れるか楽しみだ。
一人で三ヶ上(さんがじょう)の頂上に立った。
その時の感動は言葉にいいあらわせない。
いまこの時間と空間に生きている。
やっとあの人に逢えたと思った・・・・
人生はみじかい。
結婚して子供ができ,
生活している貴重な時間のなかで
そのことがかけがい時間を過ごしていたという事。
本当の幸せが有った
その時は家族の生活のため一生懸命
仕事に逐われ時間の経つのが速い。
気が付いたら孫の面倒を観ている。
その貴重な時間であることが解るのは
孫を面倒をみる時間をもらってからだ。
気が付いたときは人生が終盤にかかってからだ。
人間は遺伝子人生は120年、
そこまで生きている人いない。
脳細胞は寿命120年は納得、
自分が自分でなくなるのだ。
時の流れはうつろに流れていく。
今まで無かったもの現れ、
今まで有ったものが去っていく。
時の流れを感じる。
趣味を生かそうとするとする、
学生時代にしたことが生きてくる。
山行きだ、今、自分が一番したいことだ。
つぎからつぎから行きたい山が浮かぶ。
山登りは賢者のスポーツだ。
同行する友もできた。
どこまで登れるか楽しみだ。
月一山を目指して
この歳になったら他人を
束縛したくもなく、されたくもない。
成長を求めるな、幸せをもとめよ
貧しいがゆえ幸せをみつけよう。
真の幸せを求めて




こんな中国山地 山奥深くに、りりしく聳え立つ山はいまだしらない。
会いたくても逢えなかつた人にやつと逢ったような気がする岳
三ヶ上
この感動は自分で山を登った者しか解らないと思う。
いろいろ山行きは私なり重ねてきました。
そのとき考えたこと、思ったことを書き残そうと思います。
わたしは登山と言わず,山行きとして書こうとおもう。
その方が私の山の思いが合ってると思います。
山行きの内容はいろいろ多岐にわたります。
トレキング、尾根歩き、岩登り, 沢登り,雪山、
歴史探報(山城)最近、感動した山行きは三ヶ上(さんがじょう)、
こんな中国山地山奥にりりしく聳え立つ山はいまだしらない。
会いたくても逢えなかつた人にやつと逢ったような気がする岳 三ヶ上
タニウッギや 心にひめたる さんがじょう
ともか







- 三ヶ上 チャンネル 人生二度あれば
(2014-03-26 19:36:54
- | climb会)「人生が二度あれば」 井上陽水作詞・作曲...
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登山は賢者のスポーツ まとめ ⑯~⑳
4.登山は賢者のスポーツ ⑮
山男の歌 (坊がつる讃歌の元歌、歌詞追加版)
広島高師の山男の歌
キャンプファイアで仲間たちとよく歌った。
その歌詞で『無我(むが)を悟(さとる)は このときぞ』とある。
自分の心が自然と一体になる。
その心が知りたくて登ったものである。
懐かしい思い出である。
これはわたしの青春歌です。
キャンプファイアーで仲間たちと酔って歌て
山へのあこがれを確認しあった広島高師の山男の歌
同じ山への 憧れ(あこがれ)を 胸にいだ抱いて(いだいて) 行く(ゆく)道は
教えの道ぞ 山男 広島高師の 山男
2.
人皆花に 酔う(よう)ときも 残雪恋(こ)いて 山に入(い)り
涙を流す 山男 雪解(ゆきげ)の水に 春を知る
3.
広島の山は 低くとも 夏は故郷の 山が待つ
岩をよずれば 山男 無我(むが)を悟(さとる)は このときぞ
4.
深山(みやま)紅葉(もみじ)に 肩時雨(かたしぐれ) テント濡(ぬ)らして 暮れてゆく
心なき身ぞ 山男 ものの哀れ(あわれ)を 知るころぞ
5.
街(まち)の乙女(おとめ)ら 想い(おもい)つつ 尾根の処女雪 蹴(け)立てては
シュテムボーゲン 山男 浩然(こうぜん)の気は 止み(やみ)難し(がたし)
6.
同じ教えの 道を行く(ゆく) まぶたに浮かぶ 山の道
道は一つぞ 山男 広島高師の 山男
春山 夏山 秋山 冬山
春山 青春 3,4,5月 青春は 花々のファションシーンの山がいい
夏山 朱夏 6,7,8月 朱夏は 県北の山で1000m以上の山がいい。
秋山 白秋 9,10,11月 白秋は 錦の紅葉パロラマの山がいい
冬山 玄冬 12,1,2月 玄冬 は 県南の里山がいい。

2.登山は賢者のスポーツ
⑲ 登山ってそんなにおもしろいの?
お花畑
登山ってそんなにおもしろいの?そう、なぜ人はそんなに山に登るのか?
登山者のもう一つの特徴。それはリピーター率の高さにあります。一般のレジャーに比べかなりの高水準で、それはまさに「百聞は一見にしかず」。
その答えは登った者のみぞ知る、そんな魅力が登山という体験には隠されているのです。
奥の深い賢者のスポーツだからです。 伯耆大山の山開き前夜祭。毎年6月の第一土曜日は、伯耆大山の山開き前夜祭の日です。
たいまつ行列
山・・・、900万・・・、1年間・・・さて、このヒントから連想するものは?
実はこれ、1年間で訪れた全国の登山者の数(総務省調べ)。
な、なんとその半数は高齢者が占め、また最近では女性の愛好者数も増加の傾向。
登山自体の年齢層の幅が年々広くなる傾向にあるのです。
登山は賢者のスポーツ まとめ ⑯~⑳
県外登山 索引
⑤ 登山は賢者のスポーツ 生活習慣病
賢者のスポーツ 登山をとうして生活習慣病をなくすることだ。
我々人類は歩くことをとうして自然に触れ健康維持し繁栄した。
しかし身体機能に反して新しい乗り物が生まれてくる。
現代人類は新しい乗りものを作り出してきた。
歩く→自転車→自動車→新幹線→飛行機・・・・地球は狭くなる。
とかく現代人類は忙し。時間を金で買っている。
歩いて自分の身の回りで素晴らしい景色があることを忘れている。
人類は歩くことをとうして健康を維持してきた。
一日の歩数は1万歩1時間が基準と思う。
直立二足歩行はヒトの進化と密接に関連しているといわれる。
歩行の健康促進効果
歩行は重病人や一部の障害者を除き問題なく実践できる行為であり、
しかも現代人の罹患が増えている病気や不健康状態を予防あるいは改善する効果がある。
本邦での研究では、40-79歳の27738人をプロスペクティブに13年間調査したところ、
(年齢や病気などで調整しても)1日に1時間以上歩く群は、1日1時間未満しか歩かない群と比べて長生きであった。
いま一番不健康にしているのが車とテレビだ。
しかしこの二つは現代生活をしていくうえで必要悪だ。
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