Yo-Yo Ma - Bach: Cello Suite No. 5 in C Minor, Allemande
いい日旅立ち
雪解け間近の北の空に向かい過ぎ去りし日々の夢を叫ぶ時 帰らぬ人達熱い胸をよぎる
せめて今日から一人きり旅に出るあゝ日本のどこかに 私を待ってる人がいる
いい日 旅立ち夕焼けをさがしに 母の背中で聞い ...
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現代はテレビ化された社会 想像力を奪うテレビ
フロイト(1856~1939) 夢は無意識の自己表現 夢分析の研究
言葉は人生を物語にする。 摘む直す カタルシス効果浄化法
ウラ(心)を考える。 心、こころ『裏、うら、温羅』をみる人へ 心 眼 こころの眼
イマジネーション 想像 クリエイション 創造
歌番組お笑い お笑い番組とは、裏をどさくさに紛れて表出させるシステム
今年3月に九州大学を定年退職した北山修教授の最終講義「テレビのための精神分析入門」が7月26日~29日までNHK教育で放映されています。
北山修さんと言えば、ザ・フォーク・クルセダーズで故・加藤和彦さんやはしだのりひこさんとともに一世を風靡したベーシストでした。
40年以上昔の話ですが、子供心になんだかとっても新しいものを感じました。
解散後も「戦争を知らない子供たち」「あの素晴らしい愛をもう一度」などの
素敵な詞をたくさんお書きになっていましたが、突然お医者さんになってテレビからはすっかり姿を消してしまいました。
その後は精神分析の世界に入り、イギリスで研究活動をされ、九大で教鞭をとっていらしたとのことです。
娘の本棚にあった「みんなの精神科」の著者に北山さんのお名前を見つけて嬉しくなったりしていました。
そんな北山先生の「精神分析」の最終講義。録画して一回目を見ましたが、
わかりやすく、うなずけることがたくさんありました。「本来精神科医はプライバシ―を外に出してはいけない。
患者が、精神科医と自分の秘密が外に出るかもしれないという不安を持つから。」
という思いの元に、メディアに顔を出すことを避けていたということでした。
「なぜ芸能活動をやめて精神分析の世界に入ったかというと、それはそちらの方が圧倒的に面白かったから。」
と、本当に楽しそうに話されていたことが印象的でした。
「心とは意味に満ち満ちているものです。私は、心はなにかを思い、そして意味しようとしている装置であると思っています。
(…)ここでは精神分析の観点を強調するために単純化して、「心とは裏の意味である」という定義に焦点づけたい。
それは、「何々とかけて何々と解く、してその心は」というときの心ですね。この心は表にははっきりとあらわれていない。
こういう、表に出にくい心の部分を私たちは取り扱っているのです。
だから、言ってみればこの授業の総合タイトルは「裏をめぐって」です」(、授業の冒頭で多義的な「心」という言葉について、空間的なイメージを提示し、
つづけて「裏の意味」から連想して、「うら悲しい」「うら寂しい」という時の日本語の「うら」は「心」という字であること、だから我れ知らずにじみ出る感情は、
心の中でも「裏側」から生まれてきているように日本人は感じてきたのだ、と語りかける。
著者は半ば冗談、半ば真面目な調子でこう言っていた「私のセオリーは駄洒落みたいなところから生まれる」。
たしかに。でも、「北山修セオリー」には駄洒落として聞き流せない切実さがあって、聴いた者は笑うよりもしんとなる。
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