48.山部 赤人 万葉岬 2016.01.16
山部 赤人
田子の浦に うちいでて 見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ
奈良時代の歌人。制作年の知られる歌はすべて聖武天皇代の作である。
神亀元年(724)の紀伊国行幸、同二年の吉野行幸・難波行幸、
同三年の播磨国印南野行幸、天平六年(734)年の難波行幸、同八年の吉野行幸などに従駕し、土地讃めの歌を作る。
縄の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島榜ぎ廻(み)る舟は釣しすらしも(3-357)
鬘島(おわんしま)
【通釈】縄の浦から背後に見える沖の島――その島を漕ぎ巡る舟は、釣をしているところらしい。
【補記】巻三雑歌、旅の歌の歌群にある。「縄の浦」は、兵庫県相生市那波(なば)の海岸だろうと言う。
「沖つ島」は相生湾の葛島(かつらじま)かと言う。
敏馬の浦を過ぐる時に、山部宿禰赤人の作る歌一首 并せて短歌
御食(みけ)向(むか)ふ 淡路の島に 直(ただ)向ふ 敏馬の浦の 沖辺には 深海松(ふかみる)摘み
浦廻(うらみ)には 名告藻(なのりそ)刈る 深海松(ふかみる)の 見まく欲しけど 名告藻の おのが名惜しみ 間使(まつかひ)も 遣らずて我は 生けりともなし(6-946)
反歌
須磨の海人の塩焼き衣(きぬ)のなれなばか一日(ひとひ)も君を忘れて思はむ(6-947)
【通釈】[長歌] 淡路島に まっすぐ向かっている敏馬の浦――その沖の方では、海底深く生えている海松を摘み取り、
浦のあたりでは名告藻を刈り採る――その深みるの名のように、あの人を見ることを欲するけれど、
名告藻の名のように、浮名が立つのが惜しいので、使いの者をやることもできず、私は生きている心地もしない。
[反歌] 須磨の海女が塩焼の時に着る衣が穢(な)れているように、しょっちゅう逢って馴れるようになったら、一日だけでもあなたを忘れることもあるのだろうか。
【語釈】[長歌]◇御食向ふ 「淡路」の枕詞。御食は天皇のお食事のこと。粟から淡路に懸かるか。◇敏馬 神戸市灘区岩屋付近。
◇深海松 海底深く生えている海松(みる)。海松は海藻の一種で食用。動詞「見る」を掛けている。
◇名告藻 ホンダワラであろうと言う。「名告りそ」を掛ける。衣通姫の歌参照。
鬘島かずらしま(おわんしま)
鳴島なきしま(君島)
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