仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 6月9日 (80年:創立記念音樂會、81年:「罪と罰」)

2011-06-09 02:42:07 | 昔の手帳から
【1980年】(1囘生)

創立記念音樂會 at 京都勤勞會館
弘中孝、久保陽子
本届く
コジマから手紙


月曜日。

大學の創立記念コンサート。
京都勤勞會館といふのは、いまもあるのかどうか知らないが、河原町今出川を下り、府立醫大の向ひあたりにあつたと思ふ。
違ふかな?
弘中孝がピアノ、久保陽子がヴァイオリン。
確か、ご夫婦だつた筈。
何を演奏したのか、まるで覺えてゐない。
そもそも、この頃はまだクラシック音樂に親しんでゐなかつた。

コジマは小學校3年から6年まで同じクラスで、中學に入つてからは私が主催してゐた天文同好會のメンバーだつた。
小學校の頃、彼女は優等生で、私などいつも叱られてゐた。
怖いお姉さんのやうな存在だつた。
彼女からの手紙は、大學受驗に失敗してデザインの專門學校に入つたといふ内容だつた。
受驗の時にひどい生理痛になり、試驗どころではなかつたのだとか。
男にはその邊のところはまるでわからないが、彼女の辛い氣持ちはよくわかつた。
ただ、わからないのは、そんな個人的な事情をなぜ私に打ち明けたのか。
翌年の正月に彼女と會つてゐるのだが、その時は彼女の妙な迫力に壓倒されてしまひ、ネコに睨まれたネズミ状態だつた。
10數年後、彼女に會ふ機會があつたが、いまさらそんなこと訊けるものでもなかつた。
なので、いまだに謎。




【1981年】(2囘生)

DD吉田 あたる豫定 豫習必要
K大音樂研究會 18:30~ 文化藝術會館
DD吉田 發表(悲慘)、DP小寺 出席
「罪と罰」下卷


火曜日。

3コマ目がドイツ語中級で、手帳にわざわざメモしてゐるところをみると、あたることが豫め判つてゐたらしい。
豫習必要などと殊勝なことが書かれてゐるが、はたして・・・

音樂研究會といふのはサークルなのだらうか?
そんなサークルには入つてゐないし、文化藝術會館といふのがどこにあるのかも知らない。(*)
といふことは、おそらく行つてゐないのだらう。
(*)調べてみたら、こちらが府立醫大の向ひにあるのだつた。

<追記>
文化藝術會館の場所とともに、唐突に思ひ出した。
これは教養部L1クラスの同級生2人が演奏したのだつた。
一人はアリマといふ男でヴァイオリン、もう一人は名前が思ひ出せないのだが大柄な女の子でピアノ。
確か、ベートーヴェンの「春」とブラームスの2番か3番のソナタだつた。
2人が話をしてゐて、アリマが「ブラームスの2番か3番がいい」と云つてゐるのを聞いて、私はてつきり交響曲のことだと勘違ひした。
「オレ、ブラームスだつたら4番が好き」
「ばあか、ブラームスのソナタは3番までしかねえよ」
あの時のアリマの人をバカにした嗤ひと云つたら・・・
思ひ出しても腹が立つ。
女の子が「あら、仙丈くんは交響曲のことを云つてるのよ。ねえ、仙丈くん」ととりなしてくれなかつたら、どうなつてゐたことか。

ドイツ語中級の發表は悲慘だつたやうだ。
どうせ私がまともに豫習などしてゐる筈がないのだ。
いや、そもそも豫習の仕方すらわからなかつたに違ひない。
初級の單位すら取つてゐないのに中級の豫習が出來るものかは。

「罪と罰」を讀了。
ラスコーリニコフは神を見たか。
神は赦す存在か、それとも裁きをくだす存在か。
人間が神とたたかふことは可能か。

罪と罰 (下巻) (新潮文庫)
ドストエフスキー
新潮社





【1983年】(4囘生)

ヌマタより手紙


木曜日。

ヌマタは高校山岳部の2つ下の後輩。
東北大學に入り、山岳部だつたか同好會だつたかで、山を續けてゐた。
この翌年の正月に、彼と甲斐駒ヶ岳・仙丈岳に登つてゐる。
高校の頃は、まだ1年生といふこともあつて、木原敏江「摩利と眞吾」の眞吾のやうに純粹な少年であつた。
駒・仙に登つた時もまだそのシッポは殘つてゐる感じだつた。
でも、ふと氣づけば、彼ももう50間近のオッサンだ。
あまり想像したくないな。
ヌマタからの手紙、何が書かれてゐたのだらう。
駒・仙への勸誘かな?
それにしては氣が早過ぎる氣もするが・・・






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