仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

「繋がれた明日」 真保裕一

2006-07-30 14:51:51 | 讀書録(ミステリ)
「繋がれた明日」 真保裕一

お薦め度:☆☆☆☆  
2006年7月24日読了 


付合つてゐる彼女に付きまとふ男に、付きまとふのをやめるやうに云ひにいつた中道隆太。
しかし、男は逆に隆太に毆りかかつて來た。
隆太は自分の身を守らうとして、持つてゐたナイフで男を刺してしまふ。
男はそのまま死んでしまひ、隆太は殺人者となつた。

殺す意志を持つてゐなかつた隆太が殺人者として判決を受けたのは、現場にゐた被害者の友人が、先に手を出したのは隆太だと僞證をした所爲だ。
隆太は服役中も自分の罪が殺人罪であることに納得してはいない。
しかし、反省の色を見せることで假釋放になる時期が早まる。
そして隆太は6年で假釋放になつた。

假釋放となつた隆太であつたが、隆太の犯した罪により、隆太の母と妹は辛い日々を過ごしてゐた。
特に妹は、殺人者の妹といふことでずいぶんひどい目にも會ひ、隆太のことを怨んでゐる。
しかも、付合つてゐた戀人すら、兄が殺人者だと知ると彼女から離れていつてしまふ。

あるとき、隆太が殺人犯であるといふビラがまかれる。
誰がこのビラをまいたのか。

殺人を犯した者に對する世間の目が如何なるものか、それが描かれた作品だ。
殺人を犯したとはいへ、服役したことで、法的には罪を償つたことになつてゐる。
しかし、それだけで犯した罪を償つたと云へるのだらうか。
また、逆に、かつて人を殺した者がいくら罪を悔いたとしても、世間はそれを認めてくれないものなのだらうか。

人を殺したことは大きな罪であることに間違ひはない。
しかし、殺された側にも殺されただけの理由がある場合もある。
ひとことで殺人と云つても、それには樣々な事情があるのではないだらうか。

私としては、いろいろと考へさせられたが、自分なりの結論は出せなかつた。
人の命を奪つたといふ、結果としての事實は、その行爲を正當化するいかなる理由よりも重い。
とはいへ、正當防衞に準じた行爲として他者の命を奪ふことに至つた場合はその限りではないのではないか。

考へれば考へるほど、結論が出せなくなつてしまふ。


2006年7月24日讀了


繋がれた明日

朝日新聞社

このアイテムの詳細を見る



コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 7月29日の寫眞 | トップ | 「ビッグブラザーを撃て!」 ... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
さうですね (仙丈)
2006-07-31 23:26:39
Todayさん



コメントありがたうございます。

確かにさうですね。

視點をかへると見えてくるものが變はります。

どちらがどうといふことではなく、どちらもその視點から見ると説得力があります。

といつて、人を殺したといふ事實の重さは否定できません。

自分がその立場に立たされたとしたら・・・

怖いですね。



返信する
繋がれた明日 (Today)
2006-07-31 22:57:34
本当にいろいろなことを考えさせられる一冊でした。

それぞれの立場に自分も立ちうると思うと・・・。

簡単には結論が出ませんね。
返信する

コメントを投稿