こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

聖女マリー・ルイスの肖像-【5】-

2017年08月28日 | 聖女マリー・ルイスの肖像
【夕暮れ】ウィリアム・アドルフ・ブグロー


 ええと、今回は前回の続き……というか、ディキンスンが批評家のヒギンスンに詩を送り、彼から返事の来た、その次の彼女の手紙について引用したいと思いますm(_ _)m

 それで、ですね。わたしヒギンスンからの手紙を受け取ったディキンスンのその次の手紙には、彼女のショックが表れている……みたいに書いた気がするんですけど、その手紙はさらにこの次の手紙でした

 ヒギンスンの手紙が残っていないもので、エミリーの手紙の返答からその内容について推しはかるしかないのですが、ヒギンスンから手紙が来たこの次の手紙には詩を三篇同封しており、おそらく彼女はまだ多少なりともヒギンスンからの返答に期待を持っていたのではないかという気がします。


 >>ヒギンスン様。

 あなたのご親切に対しもっと早くお礼を申さねばなりませんでしたのに――でも病気でした――今日も病床からお便り致します。

 外科手術(※ヒギンスンの詩に対する批評や「修正」のこと)をありがとうございました――思っていたほど痛くありませんでした。お尋ね下さったので――他の作品をお送りします――たいして違わないと思いますが――

 私の考えが何も着ていないと――区別できるのですが、上着を着せてしまうと――みな同じように無表情に見えるのです。

 私の歳をお尋ねになりました?私は――この冬まで――詩は一、二篇しか創っておりません(※1)。

 私は九月以来――恐怖を感じていました――誰にも話せませんでした――だから少年が墓地のそばで歌うように私は歌うのです――恐いからです――あなたは私の読書についてお尋ねでしたね――詩人について言えば――キーツと――ブラウニング夫妻。散文は――ラスキン氏――サー・トマス・ブラウン――それに黙示録です。私は学校に行きました――でもあなたのおっしゃる意味では――教育を受けておりません。少女の時、友達がいて(※2)、その人が私に<不滅>について教えてくれました――でも彼自身(不滅に)あまりにも大胆に近づきすぎて――二度と戻りませんでした――私の先生が亡くなってしばらく――そしてその後数年間は、私の辞書が――唯一の友でした――それからもう一人見つけました(※3)――でも彼は私がその生徒であることに満足せず――土地を去ってしまいました。

 私の友達についてお尋ねでしたね――山々です――それに日没――そして犬――父が買ってくれたもので私と同じくらいの大きさです――これらの友達はわかっていても口に出さないから――人間よりもいいのです――それに正午の水たまりの音は――わたしのピアノよりいい音です。私には兄と妹がいます――私の母は考えることが好きではありません――そして父は事件の依頼で忙しすぎて――私たちのしていることに気がつきません――父は私にたくさん本を買ってくれますが読むなと言います――本が心を揺すぶるのではないかと心配しているからです。私以外は――皆敬虔で――毎朝彼らが「父」と呼んでいる<蝕>に話しかけます。でも私の話でお疲れではないでしょうか――私は学びたいのです――どうすれば成長できるかお教え下さいますか――でもそういうことは――メロディや――魔法のように――伝えられないものなのでしょうか?

 あなたはホイットマン氏のことを述べておられますが――私は彼の本は読んでいません――品がないものだと聞いております――

 私はプレスコット嬢の『周辺』を読みましたが、暗闇の中で私のあとをつけるので――彼女を避けました――

 二人の雑誌編集者(※4)が冬、父の家を訪れ――私の意向を尋ねました――私が彼らに「どうして」と尋ねますと、彼らは私が物惜しみすると言いました――彼らは世間に対してそういうことにしておくのでしょう――

 私は自分をはかりにかけることはできません――私自身を――

 私の大きさは――私には――あまりにも小さく思われました――私はあなたのアトランティック誌の記事を読み――あなたへの敬意を覚え――あなたを信頼しての質問はきっと拒絶したりなさらないだろうと思いました――

 これで――お尋ねになったことへのお返事となっていましょうか?


 あなたの友
 E―ディキンスン


 この手紙には――ファンの方にとっては言うまでもなく、というところとは思うんですけど(^^;)――エミリー・ディキンスンという天才詩人を知る手がかりとして、とても重要な要素がたくさん含まれています。

 その部分に※印をつけてみましたので、わたしなりに順に説明してみたいと思いますm(_ _)m

 ※1の、「詩は、一、二篇しか創っておりません」というところ、ここは実際には三百編以上創作していた、つまりヒギンスンが訊ねたことに対し、エミリーはあえて嘘をついたということなんですよね。もしヒギンスンがエミリーの詩人としての力量をよく理解し、彼女の望むような返事を書いていたとしたら、おそらくエミリーは詩神(ミューズ)が自分を頻繁に訪れ、すでにそのくらい詩を創作していると素直に告白していたことでしょう。

 それと、※印はつけませんでしたが、ディキンスンがどのような詩人や文学作品に影響を受けたか、このことを知ることが出来るのも重要な点と思います。

 そして、※2「少女の時、友達がいて……」の友達は、ベンジャミン・ニュートンのことを指します。彼はエミリーよりも九歳年上で、エミリーが17~19の頃、彼女の父親の事務所で法律の勉強をしていました。彼はどんな本を読むべきかとか、またエミリーに対し「きっと詩人になれる」と言って励まし、力づけたのでした。

 おそらく、彼がもし三十二歳という若さで亡くなっていなければ、ディキンスンの詩人としての運命はまた違うものになっていたかもしれません(このような文学上の師をエミリーは切実に必要としており、その役をヒギンスンに求めたところ、彼のほうでは彼女の才能を正統には評価できなかったというわけです^^;)

 デイキンスンはベンジャミン・ニュートンの手ほどきで詩人として目覚めますが、彼の死後は「辞書」だけが自分の文学上の友だったと告白し――その後、※3のもう一人見つけたというのは、彼女が恋したチャールズ・ワズワース牧師のことと思われます。

 それから※4、「二人の雑誌編集者がこの冬……」という箇所については、トーマス・H・ジョンスンさんの『ディキンスン評伝』から文章を引用したいと思いますm(_ _)m


 >>おそらくこの文章は、ヒギンスンが提供してくれてもよさそうな出版の手だてを、他のひとが競って与えようとしてくれていることを、彼にそれとなく伝えようとしたものではないだろうか?

 依頼をして来たのは、サミュエル・ボウルズとホランド博士であろう。

 この二人とは個人的なつながりが深いので、彼女はもっと公平な判断を求めようとしたのであろう。実際、その年すでに、彼女の詩が二つ『リパブリカン』紙に匿名で載せられていた。しかもそのうちの二つ目の詩は、彼女がヒギンスンに手紙を出すちょうど六週間前に載せられていた。

(『エミリ・ディキンスン評伝』トーマス・H・ジョンスン著、新倉俊一・鵜野ひろ子さん訳/国文社より)


 わたしも、これはジョンスンさんの指摘しているとおりなのではないかな、という気がします。

 サミュエル・ボウルズさんとホランド博士についても説明が必要かもしれませんが、ボウルズ氏は以前ご紹介したことのあるエミリーの「マスターレター」のマスター候補のひとりと言われており、また彼は父親の創刊した『スプリングスフィールド・デイリー・リパブリカン』紙の編集者で、ホランド博士は元はお医者さんであり、その後このボウルズの『リパブリカン』紙の編集助手をされていた方のようです。

 ディキンスン家とは家族ぐるみで親しくしていたようで、エミリーのサミュエル・ボウルズ宛ての手紙などを読みますと、エミリーは彼に心の内にあることをかなり率直に語ったり、またその手紙の中に自分の詩も多く同封していました。

 そして、このボウルズ氏とホランド氏というのは、曲がりなりにも新聞の編集者の方だったわけですし、またふたりとも文学的な事柄について鋭く見抜く目を当然持っていたのではないでしょうか。けれども、残念ながらと言うべきか、このふたりもまたエミリーの詩をプロの詩人として是非とも詩集を出すべきだ、我々も応援するから、是非その方向性で一緒にがんばろう……といった感じではなかったようなのです。


 >>ヒギンスンの意見は彼女が見つけられる限りの最上の文学批評だと信じたので、エミリは彼の意見に従うことができた。またヒギンスンの意見を聞いて、ボウルズ氏やホランド博士の賞賛を確認することともなった。

 二人は彼女の独創性に敬服したが、ヒギンスンと同じように、彼女が本物の詩を書いているとは信じていなかった。たとえそうであっても、自分の表現方法を変えるつもりは毛頭なかった。自分の五感が受けるとおりに印象を表わしているのだから。

(『エミリ・ディキンスン評伝』トーマス・H・ジョンスン著、新倉俊一・鵜野ひろ子さん訳/国文社より)


 また、エミリーは彼女がもし「どうしても絶対に」と望むなら、自身の詩集を出版するチャンスがまったくなかったというわけではなかったと思うんですよね。エミリーの詩はこの『リパブリカン』紙の他に、匿名で「詩人の仮面舞踏会」というアンソロジー集にも載ったことがあるのですが(当時作家として有名だったヘレン・ハント・ジャクスンの勧めにより)、けれども、新聞に掲載の際にもこちらの本に載せた時にも少し言葉を変えられたりしており、ディキンスンにとってはそれがとても不満だった……というのが、エミリーが生きている間に出版を諦めざるをえなかった理由でもあったと言います。

 ディキンスンが天才詩人としての栄誉を生きている間に受けられなかった理由はいくつかあるでしょうけれども、確かに「詩」って難しいなとは思うんですよね。ましてや女性ということになると、当時はさらに大変だったと思います。これがもし小説であったり、小説と詩の両方をエミリーが書いているとかだったら……先に小説を出版する機会があって、それがそこそこ売れて、次に詩集を出したらこれが大ベストセラーになったとか、あったかもしれません

 また、小説の場合は割とそうしたプロの批評家の方にけなされても、割合精神的に耐えられそうな気がしたり(笑)何故かというと、SF小説やファンタジー小説を一切読まない人にそうした作品を正統に評価するのは難しいことでしょうし、それが他のジャンルでも、「たまたまその人の趣味に合わなかった」ということはよくあることなんじゃないでしょうか(^^;)

 でもエミリーは本当に純粋な詩人として、言葉で真剣勝負した人だったと思います。そしてこうした人の書く詩が「力強くない」ことなどありえない気がするのですが、なんにしても、エミリーの詩人としての評価は、彼女の死後に委ねられることとなりました。

 そしてエミリーの死後に、勝利につぐ勝利のラッパが鳴らされるのを、彼女は天国で満足して聞いていたことでしょう。

 それではまた~!!
 


     聖女マリー・ルイスの肖像-【5】-

 翌朝、目が覚めてみると、イーサンの体には薄手のタオルケットがかかっていた。体を起こしてみると、大して飲んだ覚えもないのにこめかみのあたりが痛んだ。キッチンのほうからは、パンやオムレツの焼ける匂いが漂って来、イーサンは自然とそちらへ足を向ける。

 正直、マグダが朝いくら忙しそうに同じことをしていても、(大変だな)と思う以外、イーサンには特に思うことは何もない。何故なら彼女には普通の女中がもらう三倍以上もの給金を払っていたからだ。けれど今、やがて起きてくる子供たちのために、野菜を切ったりなんだりしている彼女のことを見ていると……何か深い悲しみをイーサンは覚えた。

 幼い頃の彼が知っているのは、朝起きて朝食を作る母の姿ではなく、夜通しジャズバーで歌っていて、疲れているという母の姿だった。唯一、男を部屋に連れこむということだけはなかったが、それでも男の影がいつでもつきまとっているといった雰囲気の女性だった。

(だが、あいつらには結局わからないだろうよ。あんたがいくら良くしてやったって、通いの女中よりはかなりのところマシな愛情を注いでくれたとか、そのくらいにしか思わないだろう)

 そしてここで、イーサンの中で何がずっと不可解で疑問だったのか、その謎が解けた。子供に愛情を注ぐ幸福を味わいたいというのであれば、あんな豚児どもを相手にしなくても、彼女が自分で子供を生めばいいのだ。マリーは男に興味がないと言っていたが、精子バンクには優秀な遺伝子を持つ男たちの精子が眠っているだろうし、その中から条件のあうのを見繕って、そうして生まれた子を可愛がればいいのではないだろうか?

(まあ、もちろん今はそんなこと、聞けやしないがな)

 そう思って、マリーが自分のほうに気づくまで、イーサンは彼女の背中を見つめていた。マリーが振り返って目と目があうと、ダイニングテーブルの椅子に座り、コーヒーを飲む仕種をする。すると、すでにわいて保温状態になっているコーヒーメーカーからマグカップにそれを注いでマリーが渡してくれる。

「あんたも馬鹿だよな」

 他に言う言葉が見つからなくて、イーサンはあえてそんなふうに言った。

「こんなの、自分で注げってそう言えばいいだけだろう。それと、あのガキめらにも、そんな対応くらいでちょうどいいだろうよ。今は夏休みだからまだしもいいが、新しい学年に上がって学校へ通うようになったら……流石のあんたもあの子らに愛想を尽かすかもな」

 マリーは返事をしなかった。怒っているようには見えなかったが、もし口を聞きたくないというのであれば、彼女は意外に陰湿な質なのだろうかと、そんなふうに思いもする。そしてこの時、イーサンはマリーの意外な一面に触れた気がして、あることに気づいていた。ようするに、この屋敷内で彼女が怒っているところを自分は今まで見たことがないのだ。そして、そんなやり方で一体いつまであの子供たちに通用するかと、マリーの教育が挫折を味わう瞬間をどうやら自分は見たいらしかった。
 
(だがまあ、今日のところは)と、何も悪いところのない女を泣かせたという負い目から、イーサンは今日は大人しくマリー・ルイス流に従うことにした。すなわち、朝食が大体のところ出来上がると、豚児どもを起こすために椅子から立ち上がることにしたのである。

「ランディやココちゃんのことを無理に起こす必要はありませんよ」

 朝食の仕度が整うと、マリー・ルイスはローラ・アシュレイのエプロンを外しながら言った。

「今日は日曜日ですから、ミミちゃんを連れて教会へ行ってきます。夏休みになってからはロンも一緒ですけど、あの子、教会学校のほうで友達ができたんですよ。ひとつ向こうの区の第二小学校に通ってる子なんですけど、教会学校が終わったら一緒に釣りに行く予定なんですって。だから、きっと起こさなくても時間になったら下へ下りてくるはずですわ」

 確かにマリーの言うとおり、ロンは十時からはじまる教会学校に合わせて、普段よりも少しいい服を着てエレベーターを下りてきた。マリーはミミのことを起こしにいき、かなり時間をかけて身支度させてから再びダイニングのほうへ戻ってくる。

「あ、イーサン兄たんがいる!にいたーん!!」

 喜んで駆け寄ってくるミミのことを、イーサンは抱きあげた。彼女もまた普段以上にいい服を着ており、その上に前掛けをすでにつけている。食事が終わったらそれを外して出かけるという、おそらくはそういうことなのだろう。

「あんた、まさかとは思うが、ランディやココのことは地獄に行ってもいいとかいう、そういう考えなのか?」

 イーサン自身は無神論者だったが、わざとマリーをからかうためにそう言った。

「もちろん、ふたりにも声をかけて誘ってはあります。でも、ランディは夜中に隠れてゲームをしているせいで起きてこないでしょうし、ココちゃんは教会に通うようなダサいことはしたくないんですって。ああいうところへ行くのは弱い負け犬だけだとか、そんなことまで言うんですもの。それなら無理に連れていくより、もう少し時を待ったほうがいいのかなって思ったものですから」

『教会なんて場所に行くのはな、哀れな弱い負け犬だけだって相場が決まってるんだ』――イーサンは以前、そんなことをマグダの前で何かの拍子に話したことがある。他に、宇宙の成り立ちや進化論のことを持ち出し、『ゆえに神はいない』といった結論も口にしたことがあり……そう考えていくとイーサンは、何か自分が極めて間違った選択に加担している気がしてきて、二階のココの部屋まで彼女を起こしにいった。

 この場合彼は、自分の無神論を翻したいというわけではなかった。ただ、無神論の自分の影響を受けた妹や弟の「神を信じる」という選択肢を最初から自分が奪うというのは、教育上決してよろしくないと、そういう気がしたのだ。

(そうだ。それであいつらがまた大きくなってから、神はいると信じ続けるかどうかの選択をし直せばいいのであって、俺の思想的影響で最初から神などいないと思われたんじゃ、流石に俺でもちょっとどうかと思うからな)

 いつも朝は九時頃まで寝ているココは、突然兄に叩き起こされて驚いたが、最初の驚きが去ると、すぐに喜びが沸き溢れてきた。ココはそのくらい自分の兄のことを尊敬し、愛していたのだ。

「えっ!?どうして今家にいるの?アメフトの合宿は?」

 眠い目をこすり、巻いた髪のカーラーを取りながら、ミミはそう聞いた。

「まあ、ちょっと色々事情があってな。それよりココ、今日は俺の顔を立てると思って教会へ行ってくれ。友達との予定があるなら、無理にとは言わんがな」

「……どうしたの、イーサン。頭おかしくなった?」

 イーサンはベッドサイドに腰掛けると、可愛い妹の頭を撫でて笑った。

「その、なんだ。ようするに、きのうの夜、俺はあることで文句があってここに帰ってきたんだ。それで、ちょっとあの女にひどいことを言っちまったもんでな。マリーは日曜は家族全員で教会へ行きたいんだろうから、毎週そうしろとは言わないが、今日のところはそういうことにしておいてくれないか?」

「イーサンも一緒に行くんでしょ?」

「ああ。おまえやランディに教会へ行けと言って、俺だけ合宿所へ帰るってわけにもいかないからな」

 あとでコーチには電話で連絡するつもりだが、話のほうはマーティンがうまく通してくれているはずだとイーサンにもわかっている。それに、日曜日は合宿の唯一の休みで、練習はないのだ。

 次にイーサンは、エレベーターで五階まで上がっていき、ランディのことも起こしにいった。イーサンが屋敷を去ってから、彼はひどい時には昼の十二時までは起きてこないといった生活を送っている。そしてきのうも、マリーの点呼があのままなかったため、ずっとゲームをして過ごし、結局寝たのは午前の三時近くだった。

 ゆえに、ココとは違い、ランディは目が覚めるなり心底恐れている長兄の姿が目に入って――ベッドから一気に跳ね起きていた。

「お、俺、きのうはゲームなんか夜遅くまでしてないよっ。あ、あと夏休みの課題も兄ちゃんが見てくれたお陰でほとんど終わってるし……だからやましいことはほんとに何も……」

 ランディの脅え切ってる様子があんまりおかしくて、イーサンは笑った。カーテンをシャッと勢いよく開き、「いいからいい加減そろそろ起きろ」と言う。「今日は教会へ行く日だぞ」

「ああ、今日日曜だっけ?俺、なんか夏休みに入ってから、曜日の感覚がなくなってるなあ」

 イーサンはランディのことを急かせると、弟が五階にある洗面所で用を足したり顔を洗ったり服を着たりするまで、辛抱強く待っていた。そして彼と一緒にエレベーターで一階まで下りてから、自分もパリッとアイロンのきいたシャツとズボンに着替えたというわけだった。

「イーサン、格好いい!!」

 どうということもない、水色のストライプのシャツに紺のズボンというところではあったが、確かにそのままモデルとして衣料品のカタログにでも載っていそうな容姿を彼はしていたといえる。

「まあ、こんなのは俺の趣味ではないがな。だが、教会へいく連中っていうのは、ダサい三流の格好をしてるものなんだろ?」

 ココはイーサンがいるために上機嫌で朝食を食べ、珍しく出されたもののうちの何かがまずいとも言わず、ランディもまた兄の存在を恐れてマリーの料理にケチをつけることはなかった。一応、誤解のないように言っておくと、これはマリーの料理がまずいとかそういうことではない。単にココはそうすることで自分の食べたくないものを口にしない口実にしており、ランディの場合は単にもったいぶったグルメを気取っているという、それだけの話である。

 なんにしてもこの日の朝は家族の全員が協力的であり、特に問題もなく――車で移動中にココとランディが喧嘩をはじめたという以外では――教会の一番後ろの席に座れて、マリーは心から嬉しかった。また、イーサンがゆうべのことをすまなく思い、自分の心の願いの通りにしてくれたことにも、心から感謝していたのである。

 十時になると礼拝がはじまり、子供たちは教会学校のクラスを受けるために、別室へ移動していった。けれど、賛美歌を歌ったのちに、子供祝福の時間があり、牧師がイエスさまに纏わる有難いお話をひとつしてから、子供たちを祝福した。十名ほどいた子供たちはみな最後に「アーメン」と言い、それからまた元の部屋へ戻っていく。

「ミミのことはあっちにやらなくていいのか?」

 こんなかったるいことが、あと一時間四十五分も続くのかと思い、イーサンは隣のマリーにそう聞いた。牧師が長い説教をする間、寝ないでいる自信が彼にはないくらいだった。

「ミミちゃんはここから離れたがらないんです。それに、他の子と違って大人しいし……」

 マリーがそう言い終わるか終わらないうちに、ミミくらいの小さな子が突然大声で泣きはじめ――困った母親は廊下のほうへ自分の子供を連れていった。礼拝のほうは構わず続けられていき、詩篇を交読する時や主の祈りの時にはイーサンも声に出してそれらを読んだりしたが、讃美歌は歌わなかった。だが、ミミが子供なりに舌ったらずな調子で歌うのは可愛いと思った。

 牧師が「イエスが十字架にかかったことで、わたしたちには本当の愛がわかったのです」という話をする間、イーサンはずっと欠伸を噛み殺していた。何しろ、六日もの間、鬼のようなコーチにしごかれ、きのう飲んだ酒の残る体を押してここまでやって来たせいもあり……睡魔の絶え間ない攻撃を受け、イーサンは若い牧師の話が終わると、心底ほっとしたものである。

 また、礼拝が終わってそろそろ帰ろうかという時、牧師が真っ直ぐ自分のほうまでやって来て話しかけられたのには――イーサンも参った。握手を求められ、「また是非ご家族でお越しください」と言われたのでは、尚更だった。

 ところで、マリーとイーサンが並んで座り、その横にミミがいる姿というのは、他の教会員たちに随分大きな誤解を与えたようである。何分、マリーはいつもはココやランディを残してくるため、礼拝が終わると早々に自宅へ戻ってくるのである。ゆえに、食事会や午後からある交わりの会などに彼女は参加したことがない。そこで、いつもは何かの事情で小さい子たちしか連れて来ないが、今日は御主人も仕事が休みか何かで教会へやって来た……何かそのような印象を人々に与えたようである。

 実際、教会学校が終わったランディとココに廊下で出会うと、イーサンはびっくりするようなことを言われた。

「まあ、随分お若いご夫婦ですのに、もう四人もお子さんがいらっしゃるんですね!」

 いつもは頭の回転が早いイーサンも、これにはなんとも切り返しようがなかったと言える。また、今のところ極一部の教会員の間でだけだったが、マリーがマクフィールド家の後妻であると知っている者は、今日愛人のような男を彼女が連れてきたものだから、ある疑いの目で彼女を見てもいたようである。

(おいおい、勘弁してくれ)と思ったイーサンは、ランディたちに声をかけ、こんな場所からはとっとと退散してしまうに限ると思った。今の彼の願いはとにかく、早く自宅へ戻って三時間ばかりも昼寝したいという、ただそれだけだった。ところがマリーは、礼拝途中に退席していた先ほどの女性と「うちの子はほんと、すぐぐずってばっかりで……」だの、「うちのミミだってそうですわ」だのいう話をしており、ロンはといえば教会学校で新しく出来たという友達と何か親しそうにしゃべっている。

 ココは普段学校で話したことのない顔見知りの女子がひとりいたため、その子と何かのことで盛り上がっているし、ランディはお昼に出るというぺペロンチーノの匂いを嗅ぎつけるなり、すぐそちらへ走っていった。

(やれやれ。一体なんの罰ゲームだ、これは……)

 とにかくイーサンはとっととこんな場所から逃げだしたかった。ところが、同じように母親は母親同士、子供は子供同士長話をしており、帰るに帰れない父親から、彼もまた声をかけられたというわけだった。

「いい体格をしておられますね。何かスポーツでもおやりになっておられるのでは?」

「ええ、まあ。アメフトをちょっと……」

 先ほど、ロンが今話している子と何かの合図を送りあっていたことから――この中年の柔和な紳士が彼の父親なのだろうとイーサンは見当をつける。

「そうですか。わたしは教会の野球チームに所属してるんですよ。もし良かったら時々でいいのでメンバーになっていただけませんか?アメフトっていうことは、運動センスが良さそうですし、うちはなんといっても弱小チームなもんで」

(でしょうね)とは言わず、イーサンは曖昧に頷くに留めておいた。

「うちの子、前の学校でいじめにあってましてねえ。教会学校にも仲のいい友達なんてなかったんですが、ロンくんとは自然と親しくなりましてね。どうぞ、これからもひとつ家族ぐるみでおつきあいしていただけると嬉しく思います」

 握手を求められ、イーサンも仕方なく彼の手を握り返した。そういえば、午後からは子供たちのリクリエーションで魚釣りに行くとかなんとか言ってたのを、イーサンは思い出していた。そして、マリーが例の母親と挨拶して別れるのを見て、イーサンは急いでそちらへ向かう。また別の誰かと長話なんぞされた日には堪ったものではないからだ。

「おい、そろそろ帰るぞ」

「ええ。でも子供たちが……」

「ガキどもが一体なんだ?ロンは午後から魚釣りに行くんだろ?ココは女の友達と話してるし、ランディは何か飯を食いはじめてる。そもそも自宅からここまでは地下鉄一個分しか離れてないんだから、放っておいても自分で帰ってくるさ。それより早く帰って俺は眠りたいんだ」

 マリーはミミのことをイーサンに預けると、ロンに声をかけ、次にココと何かを話して、それからぺペロンチーノを食べていたランディのことを連れてきた。「イーサン兄さんが早く帰りたがってるのよ」と彼女が一言いっただけで、子供たちはすぐに自分たちがどうしなければならないかを悟ったというわけである。

 だが、こうなればなったで、自分に何かの全責任が覆い被さってくる気がして――七人乗りのミニバンを発進させた時、イーサンはなんとも言えない居心地の悪さを感じた。そこで仕方なく、まずはロンに話しかける。

「友達と魚釣りに行かなくても良かったのか?」

「ううん、べつに。魚釣りなんか今日じゃなくても行けるしさ。今日はイーサン兄ちゃんがいて、家族がみんな揃ってる。こんなこと、滅多にないことだから、魚釣りなんかまた今度でいいんだよ」

「ランディ、おまえ、あんまり色んなものにがっついて、マリーねえさんに恥をかかかせるなよ。特におまえの場合、家で十分食わせてもらってないってわけでもないんだから、節度ってものをわきまえろ」

「うん。俺、教会学校なんかいっぺんも来たことないからさあ。なんか先生たちが神さまがどうのって話ばっかりしてて、初めて来た場所ですごく緊張しちゃったんだよ。そしたら腹がへっちゃってさあ」

「ココがしゃべってた子、学校の仲いい子かなんかか?」

「ぜーんぜん。同じ学年の子で、たまーに廊下ですれ違って顔見たことあるなっていう程度の子。でも他に知ってるような子もいなかったもんだから、話相手になってもらったの」

「そうか」

 それから車内がしーんとなると、一番後ろの座席にマリーと一緒にいたミミが、「兄たん、ミミにはなんにも聞かないの?」と不満そうに聞いた。ちなみに、ココが助手席、二列目の座席にランディとロンが並んで座り、三番目の後ろの座席にマリーとミミがいるといったような席順である。

「ああ、そうだったな。ミミも偉かったぞ。礼拝の間中、俺と違ってヌメア先生と一緒に真面目に牧師先生のお話を聞いてたもんな。えらい、えらい」

 この時、ヴィクトリアパーク沿いに、一軒の写真館があるのを見つけて、マリーが言った。

「ねえ、せっかく家族が全員揃ってるんだし、写真を撮ってもらったらどうかしら?」

 実際、ランディもロンもココもミミも、よそいき用の服を着ていたし、このまま写真館の駐車場に車を止めれば、そう時間をかけずしてなかなかに良い写真を撮ってもらえそうだった。だが、相も変わらず車内がしーんとしているため、イーサンがマリーに答えねばならなかった。みな、いつもは寝ている時間に無理に起きたため、今ごろになって疲れ、口が重くなっていたのであった。

「そうだな。面倒くさいといえば面倒くさいが、確かに家族が全員揃っている上、めかしこんだ格好をしてるってことも滅多にないからな。うちの暖炉の上にでも飾るのに、一枚写真を撮っておくか」

 リビングの棚のひとつには、シャーロット・マクフィールドが生きていた頃、イーサンと彼の父親ケネスを除いた全員で撮影した家族写真がある。だがそれはすでにもう四年も昔に撮影したものであり、ランディは横に、ロンは縦に成長し、ココとミミもまた写真に写っていた時以上に大きくなっていた。携帯ではイーサンも度々弟や妹の成長記録なるものを撮影してはいたが、あらためて家族全員が写った特別な写真があるというのも大切なことであるような気がした。

<ヴィクトリアパーク写真館>には、客はひとりもなく、アンティークなソファに子供たちが腰掛け、イーサンとマリーがその後ろに立つといった姿勢で撮影してしてもらい、三十分もかからずして撮影のほうは終わった。三日後の水曜くらいに取りに来てくれれば、写真のほうは出来上がっているとのことである。

 そして、この写真館の隣にあった洋食屋でマクフィールド一家は食事し、家まで戻ってきたのだが――この時に撮った家族写真は、意図せずして家族全員にとってのちの宝物となった。また、イーサンは白亜の暖炉の上のこの写真をマリーが幸せそうに眺めていたのをずっと覚えていたものである。そしてそのことは、他の弟妹たちもまた一緒で、大きくなってからもいつまでも忘れずに覚えていた、大切な記憶のひとつとなったのである。

 なんにせよこの時は、何気なく撮った家族写真が、のちのちそれほど重要になるとも思わず、イーサンは疲れきって客室のひとつで横になり、他の子供たちも兄の真似でもするみたいに昼寝した。その後、ミミとロンは変わらずマリーと一緒に日曜には教会へ行ったものの、ランディとココは寝過ごすことが多く、イーサンは極たまに弟妹への宗教教育という観点から出席することもあったという、何かそのような形だった。

 とはいえ、イーサンは教会の草野球のメンバーになっていたため、都合のついた時には試合に参加し、天の箱舟チームの勝利に貢献していたようではあったのだが……。



 >>続く。





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