【赤ん坊を愛撫する女性】ウィリアム・アドルフ・ブグロー
ええと、今回もここの前文に何書こうかな……って思ったんですけど、今回も介護のことについて書いてみようかな~なんて♪
前回、患者(利用者)さんのプライドっていうことに少し触れてみたんですけど、やっぱりもし自分が介護してもらう立場になったとしたら――わたしもこの点は物凄く気にすると思うんですよね。。。
こっちがお金払ってるにも関わらず、他の何か物を買ったりした時と違って、サービスを受けてもこっちが<上>じゃなくて、<下>のような感じがするっていうんでしょうか。
しかも、何か「もっとこうして欲しいんだけど……」とか言うのも言いにくく、介護される側がしてくれる人の顔色を見なくてはいけないような側面もあり――こうした中でかなりきっぱりはっきり自分の言いたいことを言って、望んだとおりの介護をしてもらうって、なかなか難しいことのような気がするんですよ
わたしの地元や今住んでるところとかだと、介護サービスの受けられる施設に入ったりすると、安くて月8万円はかかるんじゃないかな……って思ったりします。この他にオムツのお金とかは別にかかったり、本人のお小遣い的なものも含めると――軽く十万円は越すっていうのが普通のような気がします(^^;)
でも、それだけの支出に見合うだけの「満足のいく介護」を受けているって答える方って、どのくらいいるのかな……って思うんですよね。
なので、なんというか――若い人が若いうちから介護の実習を受けたりして、そうした道に進むのは良いことだ……みたいに一般に言われるわけですけど、あんまり若いうちからこうした「老後の実情」みたいなものがわかってしまうっていうのも、自分的にはどうなのかな~って思ったりもしたり
それで、わたしがとある方のお宅に窺った時のことなんですけど……確か大体八十歳くらいで、足の悪いおばあさんだったのですが、自分で一度転倒してしまうと起き上がれないという方で、にも関わらず一人暮らししているという利用者さんでした。
旦那さんのほうはすでに介護施設のほうに入っていて、前情報としてわたしが聞かされていたのが、息子さんの話は一切したがらないから、息子さん二人の話はNGワードとして絶対聞いたりしてはいけない……ということだったんですよね。
すごく矍鑠としたおばあさんで、自分の言いたいことは溜めずにその場ではっきり言うといった感じの、気持ちの良い、つきあいやすい感じの方でした。でもまあ、この場合ある意味「そうした方だからこそ」……というべきか、「人から哀れまれたくない」という気持ちの強い方だなっていうのは、最初からすごく感じていて。。。
つまり、そのおばあさんが転倒したりした場合、ブザーを鳴らせば必ず人がすっとんで来るという環境ではあったものの――「そこまでになったら介護施設入りなよ」とか、「こんな状態になってまでまだ一人暮らししてる可哀想な老人」とか、さらに「息子ふたりにも何かあって老後の面倒も見てもらえないんだろう」……とかなんとか、人から思われたくないっていうんでしょうか。
いえ、わたし、このおばあさんのことは少しも可哀想だなんて思ったことはありませんでした。というのも、うちのおばあちゃんがちょうどそんな感じだったんですよね。一人暮らしできるギリギリまで一人で暮らすことがおばあちゃんの希望でしたし、そういう「誰に気を遣わなくてもいい、一人暮らしの気楽さ」が何よりも一番大事っていうのは、すごくよくわかることだったので。。。
でも、なかなかその……「そんなことちっとも思ってない」とか、そういうことをあえて口にするのもなんですし、実際このおばあさんは、隣近所の方や友達がよく訪ねてくる社交的な方で、そういう意味でも少しも可哀想とかなんとか、そんなことは全然ない方だったと思います。
それでもやっぱり、御本人からしてみたら、そうした種類のことで「可哀想な老人と思われたくない」、「哀れまれたくない」といった気持ちっていうのは、やっぱり拭い去れないもののような気がしたんですよね。
そんでまあ、わたしも逆の立場だったとしたら絶対そうだな、そうなるな……というのも、実によくわかることだったりもして
あと、このおばあさんに関しては、ずっと通ってたヘルパーさんがやめるかわりがわたしだったんですけど(汗)、このヘルパーさんに全幅の信頼を置いていたみたいなところがあったにも関わらず、このヘルパーさんが「このAさんってなんとかなのよ~」とかってわたしに聞かせるんですよね。。。
その~、介護ってストレスの溜まる職場なので、休憩室とかで患者さんとか利用者さんの悪口を言ったりするのってほんと、介護あるあるなんですけど……あんなに「この人にはなんでも任せられるのよ」みたいに笑顔で言ってるのに、その信頼を裏切るみたいにその帰り道で悪口色々聞かされるって――わたしにとってはなんとも言えないことでした(^^;)
まあ、なんと言いますか……看護とか介護といったことに夢を見て介護業界に入られる方って多い気がするんですけど、一度「これが現実か~」みたいなことを経験して、そこをさらに「越えていく」って、自分的にはすごく難しいことだなっていうのが、介護の世界というものを少しばかり経験した、わたし個人の実感だったと思います。。。
それではまた~!!
聖女マリー・ルイスの肖像-【46】-
>>敬愛する院長さまへ。
以前、ヴィクトリア・パークで知り合いになった四肢麻痺の姉妹のこと、覚えておいででしょうか。
わたしが血の繋がりのない子供を四人、育てていると聞いて……彼女はそのことに強い興味を覚えたようなのです。是非うちにも遊びにきて欲しいと言われ、その熱心な勧め方から、M夫人がわたしに対し、決して社交辞令でそう言っているわけではないことがわかっていました。
ですから、遠慮なくお邪魔させていいだくことにしたのですが、ご一家はとても立派なお住まいに住んでおいでで、一見、ふたりの娘さんに障害がおありになるということ以外では、何不自由なくお暮らしになっておられるように見えます。
四肢麻痺といっても、上のお姉さんのほうは右腕が少し動かせますし、妹さんのほうは左手が少しばかり動かせます。ですから、食事のほうは自分でなんとか出来るのですが、それでも朝起きた時から夜眠る時まで、お母さんの力が欠かせません……その上、M夫人には小さな赤ん坊のお世話といったことまであるのです!!
ほとんど毎日のようにヘルパーさんに来ていただいて、娘さんたちふたりが通所施設のほうに通う準備や、帰ってきてからの話相手になってもらうことや、あとはお風呂に入れてもらうことなども、今はすべてやってもらっているそうです。ふたりとも、いわゆる一般にいう知恵遅れというのでしょうか、そうした障害があるのですが、テレビのドラマの続きを楽しみにしていたり、贔屓のアイドルがそれぞれいたりと、わたしの目からはそんなに重度といったようにも見えません。
姉妹ふたりとも、わたしにとても懐いてくれて、色々なことを話してくれます。また、M夫人もずっと家にいなければならないストレスといったことがあるから、これからもたまにでいいからわたしに来てもらえると嬉しいと、帰り際に涙ながらに言われました。
そんな形で交流がはじまって、三度目か四度目かくらいの訪問の時、突然「聞いて欲しいことがあるの」と言われ、話を聞いてみると、途中からM夫人はとめどもなく泣きはじめられたのでした……。
長い不妊治療の果てに、ようやく長女のSちゃんを授かった時、どんなに嬉しかったかということや、四肢麻痺というのはショックだったけれど、この子と一緒に生きていこうと夫と決めたということ、けれど、どうしてももうひとり、健康な赤ちゃんが欲しくて不妊治療を続け、ようやくまた子供を授かった時……またも四肢麻痺という障害のある子の生まれたことで、どんなに絶望に打ちのめされたかということ……。
「それからの生活は、まさに地獄だったわ。ひとり障害があるだけでも大変なのに、ふたりもだなんて……それにね、夫は何も言わないけれど、あの人は最初から不妊治療といったことには反対だったの。どうしても子供が欲しいなら、養子でももらえばいいじゃないかって。でもわたしはどうしてもあの人とわたしの子が欲しかったの。ようするにね、あの人が何も言わなくても、この件について責任のあるのはわたしってことでしょう?だから、そのことでもつらかった。ある程度大きくなってからも正直いってふたりともちっとも可愛いだなんて思えなかったし、あんなに苦労して授かったにも関わらず、わたしにとってあの子たちは今も、ただの重荷でしかないのよ」
この時、姉妹はふたりとも施設のほうに出かけていて留守でした。また、赤ちゃんのほうもベビーベッドでぐっすり眠っていたのです(まるで、忙しい母親のことを気遣ってでもいるように大人しい子で、ぐずったりしているところを見たことがありません)。
「信じられないでしょ?でもそれが現実なの。ある朝起きたら死んでいてくれないかしらとも何度も思ったわ。ネットなんかではね、同じ悩みを持つ母親とか、そうした機関にも相談に乗ってもらったりしてるけど、毎日ずっと苦しかった。この子が生まれてくるまではね」
そう言ってM夫人は心から愛おしそうに赤ん坊のほうを眺めました。この赤ちゃんはとても豪華な内装の子供部屋に寝かされていて、本当に一国の女王さまか何かのようでした。
「この子にもし何かあったら、わたしも死ぬわ。今はもう、この子だけがわたしの生きる喜びであり、生き甲斐なの。上の子ふたりに本当の意味で愛情を抱いたりすることは今も出来ないけど、親として出来るだけのことはしてあげなきゃいけないっていう、ただそれだけよ。それでもね、この可愛い赤ちゃんさえいたら、わたしはそんなすべてに耐えられるの……」
わたしはM夫人が告白する間、ただ何も言わず、黙って聞いていました。一応、相槌を打ったりはしていましたが、彼女もまた他の多くの人と同じく、わたしに何か意見を求めているわけではなく、ただ「聞いてほしいだけ」なのだとわかっていましたから。
「ごめんなさいね、急にこんなこと……でも、あの子たちがいる時にはこんな話、できないですもの。ずっとわたし、夫にも言えないこんなことを誰かに聞いて欲しかったの。わたし、プライドが高くて見栄っぱりなのよ。だから、人に話す時には「障害があってもとても可愛い子」だとか、そんなことしか話したことないの。でも、そのあとはいつも惨めな気持ちでいっぱいになって泣いてばかりいたわ。夫は仕事が忙しくて子供の面倒なんてほとんど見ないけど、三人とも可愛がってくれるのは確かよ。特に三番目の子のことは、わたしと同じく目に入れても痛くないくらい可愛がってるの。あの人がいいお給料を毎月もらってきてくれるから、こんなにいい暮らしが出来るってこともとても感謝してる。でも、でもね……」
そのあとのことは言葉になりませんでした。わたしに出来たのはただ、M夫人の心の内を少しばかり「察する」ということだけでしたが、帰り際、彼女は「聞いてくれてありがとう」と、涙を拭いながら言いました。そして、六度目か七度目かの訪問の時だったでしょうか……わたしが盲学校の子供たちの話をしたことがあったのです。
特段、何かお説教じみたことを言いたかったわけでもなく、姉妹が学校に通っていた頃の話がでた時に、何かそんなことを話すことになったのです。盲学校に通う子の中には、目も見えず、耳も聞こえず、さらには重度の精神障害のある子もいるということを……わたしはそこへボランティアで行ったのですが、その子は一種特別な、神聖な子だったということをお話したのでした。
「そう。世の中には本当に色々な苦しみがあるわね……」
M夫人はそう言っただけでしたが、何か今の話で心に触れるものがあったのかもしれません。おそらく、M夫人の心には、その子のことだけでなく、その親御さんのことも頭にあったでしょう。四肢麻痺の子よりも、目も見えず耳も聞こえない子のほうが不幸だとか、わたしはそんなふうには思いませんし、それはM夫人もそうだったでしょう。ただ、心に通じる何かがそこにはあるという、そのことが大切だったのではないでしょうか。
この日、M夫人のお宅をあとにしようとすると、いつもどおり姉妹がふたりとも、玄関口まで送ってきてくれました。おそらくわたしは時々やってくるだけだからそう思うのかもしれませんが、本当に愛らしい姉妹です!そして、あの子たちの屈託のない笑顔を見ていると、お母さんがそれだけ愛情を注いで育てたからこそ、そんな見る者も喜ばせるような笑顔をしてくれるのだろうと思うのです。
ところでこの日、マンションにある庭のほうで、徘徊老人という言い方はどうかと思いますが、明らかに痴呆の症状があると思しき高齢女性と遭遇しました。見ると、足に何もはいていませんし、本人もどこか途方に暮れたような様子をしています。
このマンションの住人なのかどうかもわかりませんでしたが、以前何かの話の折に、ここのマンションの住人は引退後の老人が多いとM夫人が話していたのを覚えていましたので、おそらくそうなのではないかと思いました。そこで、一階に住んでいるマンションの管理人を訪ねていくと、彼女のことを探していた夫が急いで駆けつけてきたのでした。
何度かここのマンションを訪ねていて気づいたことですが――ここの人たちはみんなとても感じがいいです。廊下やエレベーターなどで会うと、感じよく挨拶してくれる人ばかりですし、今みたいに誰かが困っていると、管理人だけでなく、マンションの住人たちは実に協力的に対応してくれるのです。
M夫人も、四肢麻痺の姉妹がいるとまわりの住人たちがみな知っているため、何かの折には非常に気を遣ってくれたりすると話していたことがあります……でもそれでいて、プライヴェートな領域に踏み込んでくるという感じでもなく、気持ちのいい距離感で近所づきあいしているとのことでした。
ただ……このマンションの何号室の子かはわからないのですが、いつもマンションの目の前でひとりで遊んでいる女の子がいます。いつもその子を見かけるわけではないのですが、地面にチョークでよく落書きがしてあるのです。「ママ、どうしていつも早く帰ってきてくれないの?」とか、「パパなんか大っ嫌い!!」と書いてあったりするのを見て……小さな子の心の叫びを見る思いがしました。
わたしはマクフィールド家に派遣されたのですし、そういう意味では異邦人の子よりも、ユダヤ人の子たち(もちろん、マクフィールド家の子は五人とも、ユダヤ人ではありませんが)のことを優先させなくてはなりません。けれど、植物園通りにあるこのマンションを訪ねるたび、女の子がチョークでひとり何かを描いているのを見るたびに、なんだか胸が痛むのでした……。
院長さま、そろそろ復活祭の季節ですね。マリーはいつでもこの季節がやってくるたびに、孤児院であなたさまと一緒に卵にたくさんの絵つけをしたことを思いだします……それからもちろん、イースターバニーのことも。今年もマクフィールド家では、子供たちと一緒に卵の色付けをしたりすることでしょう。
院長さまとのことは、このマリーにとって、いつまでも色褪せない思い出として残っております。それでは、院長さまも季節の変わり目、ご自愛くださいませね。
マリーより。
――この手紙を読んだ時、イーサンは頭の中が混乱の極地へと追いやられるものを感じた。四肢麻痺の姉妹のことや、あのキムという名前の赤ん坊がマッキンタイア夫人にとっていかに特別な赤ん坊であったかについてもよくわかる。だが、そのあとマリーが再び火の手のあがるマンションのほうへ戻っていったのは……おそらくは、まだ取り残されている老人がいるはずだと思ったためであり、あるいはこの孤独な小さい女の子がどこかにいると思ったためなのかもしれない。そう思うと、イーサンはそれまで以上に心に何かの重い負担、つらさが倍加するものを感じた。
火事の原因については、子供の火遊びが原因だったということが、すでに公表されていた。火の元となった部屋と思われる五階の住人に話を聞いてみたところ、最初は父親の煙草の不始末が疑われ、妻が「また禁煙できなかったのね」と責め、ふたりの喧嘩に耐え切れなくなったその家の子供が……火遊びしていたら、いつの間にかそんなことになってしまったということを、泣きながら警察に話したというのだ。
もちろん、マリーがマンションの前で出会った子というのが、その火遊びをしていた子と同一人物かというのは、イーサンにも確かめようがない。だが、もしそうだと仮定した場合、ある程度の推理が成り立とうというものだった。植物園通りのあのあたりというのは、地価も高く、新聞に毎週入りこんでくる不動産情報によれば、マンションを一室買うにしてもなかなかに驚くべく価格だった。
つまり、そのマンションの住人たちというのは、高所得者層の引退者が多いということであり、その子の両親もふたりがともに忙しく働いていればこそ、そこのマンションのローンを支払っていけるということなのだろうということである。けれど、両親があまり構ってくれないことでいつも一人遊びばかりをし、それが火遊びという形でその孤独が表れたということなのだとしたら……。
唯一の救いは、そこのマンションの火災保険によれば、かなりのところ補償がされるということだったかもしれないが、イーサンはこれからそのことでも、色々と考えることがあった。火災保険によってかなりのところカバーがされるのだとしても、それだっておそらく100%ではないだろうし、何分家財一式なくしてしまった人も多くいるのだ。そのことを思うと、マリーがおそらくは望んでいるだろうことをイーサンは行わなくてならないということになるだろう。
(だが、その前に俺はアグネス院長に会いにいかなけりゃならない……)
イーサンが電話してみると、アグネス院長は例の鉄の武装を何故か解除していたが、その声音の奥に(これであなたも、自分が何をしたかがわかったのでしょうね)という物思いが隠れているように思うのは――流石にイーサンの勘繰りすぎだったろうか?
なんにせよ、その二日日、イーサンはマリーの手紙を携えて、ユトレイシア郊外にあるユトレイシア・イエズス修道院までアグネス院長のことを訪ねていった。手紙のほうは念のためと思い、コピーを取っておいたのだが、それは量が多いだけになかなかに骨の折れる作業だったといえる。
質素であると同時に、品が良く豪華といった雰囲気の応接室で、イーサンはまずアグネス院長にマリーの手紙をすべて返却した。そして、特に深い意味はなかったが、一応「コピーを取らせていただきました」とは先に申告しておいた。
「でしょうね。あなたのようなタイプの男性は、おそらくそうするだろうとは思ってましたよ」
「……どういう意味ですか?」
電話で話した時には比較的感じが良かったのに、再び棘のある眼差しで見つめ返され、イーサンにしても態度のほうが若干挑戦的になった。
応接室のほうは、一体何十年前からここで時を刻んでいるのかと思われる、アンティークな柱時計が隅にあり、今はもう使われていないだろう黒い暖炉と、その上のマントルピースに飾られた十字架や聖像、また聖パウロの回心の場面の描かれた絵画などがあった。赤い絨毯のほうもかなり年季の入った代物だったし、それはソファやサイドボードといった家具のほうでも同様だったといえる。だが、ひとつひとつの内装品自体は元は相当にいい物だったらしいと見てとれる点で、イーサンは豪華だと思ったのである。
「特に深い意味はありませんよ。功利的で用心深く、さらには疑い深いというのが、わたしのあなたに対する第一印象だったという、それだけの話です」
「いや、実際結構当たってますよ。やはり、あなたのような役職にあると、自然、人を見る目が養われるのでしょうね」
イーサンが意外にも相好を崩してみせたため、アグネスは驚いた。実際のところ、マリーを喪ってどれほど悲しくつらかったか、彼だけでなくマクフィールド家の子供たちひとりひとりのことをアグネスは案じてもいた。だが、彼女にできるのはただ、日々の祈りの中で彼らがその悲しみから救われ立ち直り、マリーがその成長を喜ぶような人間に育っていってほしいという、そのことだけだったかもしれない。
「俺は確かに、自分のことだけでした。日本のキンタロー飴みたいにね、どこを切っても自分・自分・自分でしたから……マリーに会って、あいつが俺を含めたマクフィールド家の人間の全員を愛してくれるまでは」
「何か飲みますか?わたしはこれから、あなたと喧嘩することになるかもしれないと思っていたのでね、特に何も持ってこなくていいと命じておいたのですけど、修道院のような場所でも来客者にお茶くらいは出しますからね」
「いえ、結構ですよ」と、イーサンは笑って言った。「それに実際、最後には喧嘩になるかもわかりませんからね。ただ、俺が……今日ここへ来たのは、あなたに懺悔するためだったと聞けば、院長さまも満足ですか?」
アグネスが電話の内線で連絡すると、十分もしないうちに紅茶とカステラをお盆に乗せた修道女が入ってきて、ただ黙ってそれを置き、去っていった。アグネスのほうではただ「ありがとう」と言い、その四十代くらいの女性のほうでは目礼したというそれだけである。
「それで、わたしに懺悔したいことというのは?」
紅茶に砂糖を入れると、その香りを楽しんでからアグネスは一口飲んだ。ちなみにアグネスは甘いものに目がなく、普段は節制しているとはいえ、カステラは彼女の一番の好物だったといって良い。
「おそらく、俺が何も話さなかったとしても、院長さまにはおわかりのことと思いますが……あなたの俺に対する反応が何故ああも冷ややかだったのか、今では俺にもよくよく理解されます。でも、本当にわからないんですよ。だったら俺はどうすべきだったのかということが、何遍考えてもね。正直、俺があいつに手出しさえしてなかったら、神は今もマリーを生かしていて、この世における修行期間というのを伸ばしていたのかどうかといったことが……本当に、わからないんです」
「そうまで考えたのですか。どうやら、わたしのほうこそあなたを誤解していたのかもしれませんね。そのことについてはあやまります。ただ、イーサン、あなたは今二十四くらいでしたね?わたしが思うに、そのくらいの年の男性というのは、同じ屋敷にマリーのような女がいたら、それは何かせずにはいられないだろうという、そういうことだったのです。ただその場合、清純なマリーとは違い、わたしのほうには謎と疑問か残るのですよ。何故マリーの相手があなたでなくてはならなかったのか、他に山ほどいるであろう立派な男ではなく、あなたでなくてはならない理由は何か。何分、あなたのライバルはイエス・キリストにして神なのですしね」
「僭越ながら」と、イーサンは目を伏せたままで言った。「それは、おそらく考え方が逆なのではありませんか?マリーの俺に対する態度にも、それは通じるところがあって……あいつは、自分が特に何もしなくても、俺がひとりで十分やってけそうな人間だから、自分が何か愛の施しをする必要はないと、ずっとそう思ってるような態度でした。だけど、相応しい人間よりも相応しくない人間のほうをこそ神は選んで愛した……大した信仰心もない俺がこんなことを言うのは図々しいにもほどがあるかもしれませんが、俺としては今そんなふうにも思っています」
信仰心は大してなかったにしても、ロイヤルウッド校の六年間に、神学ということについては、イーサンはかなりのところしっかりと叩きこまれている。授業に神学の授業や聖書解釈の授業などが組み込まれており、及第点に達しないと進級できないというシステムだったため、イーサンにしてもキリスト教神学ということについては、それなりに通じているつもりであった。
「そうですね。結局のところ、この世のどんな素晴らしい男でも、マリーには相応しくなかったでしょうから……むしろ、あなたがそのくらいのことを悟れる人間であったことを、わたしは喜ぶべきなのかもしれません。それで、その後暮らしのほうはどうですか?マリーの愛した子供たちはどうしていますか?」
「ランディは、夏休みで寮のほうから帰ってきましたし、ロンもココもミミも、夏休みになってみんな家にいます。ただ、マリーだけがいないってだけで……あいつはもともと、マクフィールド家に属してる人間ってわけでもなかったのに、最初からいなかったはずの人間がいなくなったというのは、変な感じですよ。悲しいという感情の頂点は過ぎたかもしれませんし、でも今年の夏休みは去年のようでもおととしのようでもない。子供たちは悲しいとか寂しいとかいうより、とにかく静かなんです。むしろ、そのうち四人の中の誰かが問題でも起こして、俺が「この馬鹿っ!」と言って叱りつけたとしたら、大分時が過ぎたということになるかもしれませんが……」
「死に方が死に方でしたからね。交通事故でも災害でも、『何故あんなに善良で美しい人間が』と思うことに変わりなかったとしても、マリーは人助けという崇高なことのために死んだのですから、子供たちの心に与える影響も、時が経って悲しみがただ悲しいというだけ以上のものになった時……変わってくると思いますよ。それも、おそらくはいい方向にね」
「はい……変な話なんですがね、あの家にいると、マリーの「不在の存在感」みたいのを感じるんですよ。たぶん、あれは俺だけが持ってる感覚じゃなくて、家のそこここにあいつがいる感じがするんです。姿が目に見えなくなったというだけで、いつでも見守ってくれてるみたいな……子供たちのことは俺は今は、実はあんまり心配してません。マリーが守ってくれると確信してるっていうか……あいつがうちに来る前までは、このままあいつらが育っていった場合、二十一くらいで親父の財産を継いで、ろくなことにならないんじゃないかとか、そんなことが心配だったんですが」
「そうですか」
アグネスにカステラを勧められ、イーサンは特に食べたくもなかったが、それでも食べることにした。そして、少しぬるくなった紅茶のほうも砂糖を入れずに飲む。
「実は、わたしのほうではあなたに今日、お願いがあったのですよ」
イーサンはただ黙ったまま頷いた。金を何かのことに寄付してほしいとか、そういうことなら引き受けようと一瞬にして思っていたほどである。
「マリーのこの手紙を、わたしは出版しようと思っているのです。それと、ヴァチカンに聖人として申請しようと思っています」
「…………………」
ごくり、と思わず大きな音をさせてイーサンはカステラを飲みこんだ。(そういえば、前にもそんなこと言ってたっけな院長)と、すっかり忘れていたことを思いだす。
「その、失礼ながら……俺はマリーのことを心から愛していますし、彼女の残した手紙にも感動しました。確かに、この手紙を読んだ人はマリーの生き方に感動するかもしれませんが、それでも聖人というのは流石にいきすぎではありませんか?」
(そう言うと思っていた)というように、アグネスは溜息を着いた。それから、マリーの手紙のうちの何通かを取りだす。実はすでにもう封筒のほうには通し番号がついており、その中の二通ほどの手紙をアグネスはテーブルの上に置いた。
「あなたにお願いしたいことというのは、マリーと関係があったということを隠していただきたいということです。つまり、そうしたことの書かれたこの手紙は本のほうには掲載しません。そういうことでよろしかったですか?」
(よろしかったですかって……)
院長がまた、例の硬質の、鉄の態度に戻っているのをイーサンは感じた。聖書に、「蛇のようにさとく、鳩のように素直に」という言葉があるが、実際イーサンはアグネス院長が蛇になったり鳩になったりというのを交互に繰り返しているように感じたものである。
「まあ、聖人云々ということがなかったとしても、俺とのことについてはプライヴェートなことですからね。この手紙は抜いたほうがいいとは思いますが……」
イーサンはアグネス院長が差しだした手紙の中を読み、それが予想通りのものだったことを確認した。「今では最初の動機は関係なく、心から彼のことを愛しています」……この言葉はイーサンだけが知っていればいいのであって、何もわざわざ世間に公表しなければならない事柄ではない。
「いえ、わたしがあなたに言っているのは、一生涯に渡って、あなたにはそのことを誰にも他言して欲しくないとお願いしているということです。それが出来るかどうかと、そう訊いているのですよ」
「その……電話でも申し上げた気がしますが、俺、あいつとロンシュタットで結婚式のデモンストレーションとかしてましたし、それを観光客が携帯でパシャってたとか、そういうことがあるんです。それに、結局のところそういうことがなかったとしても、マリーは紙の上とはいえ俺の親父と結婚してるわけですし、今度はその息子とだなんて、世間体が悪いですよ。仮に俺とあいつの間に何もなかったとしても、いい年をした男女が一緒に暮らしていて、一度も本当に何もなかったのかとか、下卑たことを想像する連中はいくらでもいるでしょうから……」
「そんなことはわかっています。いいですか、わたしはマリーのことが可愛いあまり、何かとち狂っているわけでもなく……あの子の手紙を読むことで、信仰心を鼓舞される人間がたくさんいるということが重要だと言っているんです。今は何分こういうご時勢ですからね、普段の生活の中で『どの程度を神に捧げるべきか』と思い悩んでいる人間などたくさんいます。そうした人たちがマリーの生き方に触れ、こういう生き方もあると……もちろん、あの娘ほど清らかには普通の人には生きられないでしょう。けれど、<そちらの側>に出来るだけ舵を切るという生き方をする、そうした新しい方向性が多くの人間に生まれることでしょう。あなた、リジューのテレサのことはご存じですか?」
「いえ、知りません」とイーサンは答えた。ロイヤルウッド校はカトリック系ではないため、聖書の解釈などもすべてプロテスタントのそれだった。ゆえに、イーサンはカトリックの聖人の生涯についてはあまり詳しくないのだ。
「リジューのテレサは、カルメル会の修道女としてずっと過ごし、彼女の残した手紙が死後に出版され、のちに聖人に列せられたという聖女です。修道院でずっと過ごしているというと、閉塞的で頑なに偏った人間性を醸成されるといったように誤解する人間もいますがね、その深い思想性によってリジューのテレサは聖人になったのですよ。わたしは、マリーが本当はあのまま修道女として修道院にいたかったにも関わらず、外へ出されたというのは、神の召命あってのことと今も信じています。もちろん、だからといってマリーが聖人になれる思っているわけではありません。これから、彼女が聖人となることが出来るかどうかは、ヴァチカンのほうから調査の入ることですからね、その調査の過程でマリーが聖人として相応しくないとなれば、それが神の御心だったのだろうとわたしにしても思うまでです。それに、わたしは一生の間、マリーのことを黙っていろとか、秘密は墓場まで持っていけと言っているわけではありません。たとえば、わたしが死んだあとにでも、実はわたしから口止めされていたと話すとか、それならいいのです。わたしの言っている言葉の意味がわかりますか?」
アグネス院長は、蛇からまた鳩に戻っていた。彼女はひどく感情が昂ぶっているようで、ポケットからハンカチを取り出すと、目頭を拭っていた。
「わたしには、あの子のために、こんなことくらいしかしてやれない……あの子は、本当に神さまに忠実に生きようとしていたのです。手紙に書いてある以上に、時にはとてもつらいことがあったでしょう。でも、いつか修道院に戻ってこれるという望みがあったから、信仰を支えにずっと頑張ってきたのです。ただ、マリーの残した手紙が出版されるというだけでも十分ではあるかもしれません。ですが、あなたには理解できなかったとしても、これはあの子のみならず、他の迷いやすい信仰者のためにも、必要なことなのです……」
「俺は、黙っている、ということは出来ますが……」
イーサンは、アグネス院長の本当の姿を初めて見た気がして、何かほっとした。彼女もまた心からマリーのことを愛しており、それはイーサンにしても同じだった。その共通点があるなら、イーサンにとって自分とマリーの間のことを世間に黙っておくというのは、それほど大きな代償ではない。ただ、アグネス院長も自分で言っていたとおり「こういうご時勢」であればこそ、隠し続けることは出来ないと、そう思っているというだけのことなのだ。
「それと、家族として心から愛してはいたが、恋愛関係はなかったと嘘をつくことも可能ではあるかもしれません。けれど、もし何か都合の悪い事実があとから出た場合、アグネス院長、あなたのお立場が悪くなったりすることはないのですか?」
「世間というのは、年のいった修道女には寛容なものですよ」
アグネス院長は涙をぬぐい、眼鏡をかけ直すと初めてにっこりと笑った。
「マリーがもし聖人になることが出来たとしても、それは早くてもう何十年もあとの話です……ただ、聖人になれなかったとしても、それはそれでいいのです。わたしはただ、マリーのことを聖人として申請しないというのは、神の御旨に背くことのような気がするという、それだけなのですから。あとのことはもう本当に、神さまの御旨にお委ねしておいたら、それでいいのです」
イーサンは、この時ただ静かに頷いた。マリーの名前とともに、自分の手紙や名も後世に残るといいとか、そんな考えがアグネス院長にあるわけではなく、彼女の願いはとても清らかなものであるらしいことを、イーサンは見てとっていた。イーサンの父ケネスとの結婚というのは、結局のところ法律上のことであって肉体関係はなかったことは証明されるはずである(何故ならようするに……病気によってその能力がなかったのであるから)。また、例のロンシュタットでの結婚式についても……どうにか誤魔化しが利くといえば利くだろう。あの時イーサンは「恋人同士なのか」と聞かれて、「そうです」と答えていた。だが、本当はそうではないが、あの場限りのこととしてそう答えたということにすることも出来る。その上でデモンストレーションに少しばかり協力してやったのだと……。
だが、この計画に一体どこから綻びが生じるかは、イーサン自身にも予測がつきかねた。それこそ、アグネス院長の言うとおり、<神の御旨>にでも任せるしかないことだろう。というより、イーサンがこの時思ったのは、まず「ヴァチカンはそんなに馬鹿ではない」ということだったかもしれない。肉体関係はなかったにせよ、法律的にマリーはイーサンの父親と結婚して間もなく寡婦となった。そうしたことを順に調べていくうちに、マリーが果たして聖人に列せられるに相応しいかどうかという判断については、向こうがつければいいことであって、そこにはイーサンもアグネス院長も関知することは当然できない。
「今日は……お会いできて本当に良かったです」
部屋の壁時計を気にしたアグネス院長のことを見て、イーサンは自分からそう言った。もちろん社交辞令ではない。これからもイーサンは何か相談したいことがあったら彼女に会いにくるつもりだったし、マリーが小さい頃から孤児院でどんなふうに育ったのか、そうしたことについても、いずれ機会のあった時に聞いてみたいと思っていた。
「それはこちらこそ、ですよ。あなたもこれから大変でしょうね。子供たちもまだ小さいし……もし何か困ったことがあったら、これからなんでも相談にいらっしゃい。わたしでよければ、微力ながら力になりたいとそう思ってますからね」
「ありがとうございます。是非、遠慮なくそうさせていただきます……マリーにとって、あなたは家族も同然の存在だった。ということは、俺たちにとってもあなたは家族だということですから。それに、一番大変なところはマリーが全部引き受けてくれましたからね。ここからは、マリーが大体のところ道筋をつけてくれた部分を強化すればいいといった教育法を取ればいいわけですし……その部分はあいつのお陰で意外に楽かもしれません」
イーサンのほうからアグネス院長に握手を求めると、彼女は快く応じてくれた。そして、この時イーサンは応接室から出ていこうとして――最後にもう一度だけ振り返り、彼女にこう聞いていた。
「その、院長はどう思われますか?あいつ、実は俺の親友の男に好かれていて、俺もその頃からマリーのことが好きだったんです。だけど、あんまりいい奴なんで、俺のほうでデートをお膳立てしたりして……だって、修道女になる予定だなんてこと、その時は知りませんでしたからね。そしたらあいつ、あんなに学歴もあって性格もいい奴を……あっさり振っちゃったんですよ。俺の親友って奴はたぶん、マリーが貧者を救済すべきだといったらホームレスと一緒に乞食にもなったろうし、アフリカあたりで孤児院をやるように神に啓示されたとマリーが言えば、一緒にアフリカに渡っていってマラリアになったっていいっていうくらいの奴なんです。それなのに、結局こういうことになったのは俺で、それなのに俺ときたら、ホームレスの連中となんか特に口も聞きたくないし、あいつがアフリカへ行くなんて言おうもんなら大喧嘩をするって手合いの男なんですからね……院長先生、俺はね、もしあの時マリーが俺の親友のほうを選んでいたら、今こういうことになってなかったんじゃないかと……」
話しているうちに、涙が溢れてきて、イーサンはスーツの袖で目頭を拭った。修道院を訪ねてくるのにどんな格好をしてくるのが適当なのかがわからず、この日もイーサンは地味目のスーツを着ていたのだった。
「そんなことはありませんよ。わたしがこういうのはね、イーサン。マリーがあのマンションで亡くなることが神の御心だったとか、そういう運命だったのだなんて言いたいわけじゃありません。ただ、あなたとマリーはこうなる運命だったのだと思います。わたしには最初そう思えませんでしたが、マリーはあなたのお宅であるマクフィールド家へ行くことに、「絶対そうしなくてはいけない」という強い力を感じていたようですから……まあ、もしそれを神の御計画の一部と仮定してみましょう。当然、マクフィールド家にはあなたがいる。マリーのような女性が家庭を収めていたら、当然イーサン、あなたとそうした関係になるというのも、神にわからなかったはずがありません。わたしが言いたいのはね、あの子が今生きていて、あのままあなたと結婚して、子供を生んで幸せに暮らしているということ……もしそうなれていたらどんなによかったかっていうことですよ。あの子はわたしのような修道女になれなかったということで落ち込んでいましたけれどね、わたしはマリーがわたしのようになれることなど、望んでいませんでした。ただ、自分が心から愛する人たちに囲まれて幸せでさえあってくれたら、それが一番良かったのです。仮にそれが神の御旨に逆らい、神の御心でないことだったとしても……」
アグネス院長の目にもまた、涙が溢れていた。ふたりは暫くそのまま、立ったまま同じ感情を共有しあい――修道院の前庭で別れた時、イーサンはアグネス院長という人がどんな人物なのかがよくわかった気がしていた。彼女もまた、マリーと同じく清純な少女の心のまま成長し、魂の本質としては<少女>であるのに、そのことを普段は隠しているのだ。そして修道院長として外部と接する時にはそれに相応しく対応し、修道院内で他のシスターと過ごす時には鳩のように素直な女性として対応するのだろう。
そしてイーサンはこの時、これから自分が何をどうすべきなのか、行動の指針のようなものをはっきりと決めた。まず、あのマンションの火事の原因を作った少女に会いに行かなくてはならないだろう。そして、マリーの家族として、彼女のことを赦しているということを伝えなくてはならない。他に、あのマンションを出てどこへ行くべきか、困っている家族がいればある程度支援することも出来る。
「さて、これから忙しくなるな、マリー」
イーサンは助手席には誰もいないのに、そんなふうに彼女に対して話しかけた。それから、メアリー・コーネルの家も訪ねていって、彼女のおばあさんがどの程度のアルコール中毒なのかを確かめにいかなくてはならない。それが軽度のものなのか、治療の必要なほど深刻なものなのか、また、彼女が孫のことを可愛いと思いながらも邪魔にしているということならば……うちに引き取るということも、視野に入れなくてはいけないかもしれない。
「もし俺が、最初からおまえがそう言った時から……そのことに賛同できるほど善良な人間だったら良かったのにな」
もちろん助手席からはなんの返事もなかったが、それでもイーサンはこの時――体の全体がふわりと温かいものに包まれたような気がしていた。そしてこのあとイーサンは生涯に渡って、マリーに心の中で話しかけたり相談したりすることを習慣にし、まるで彼女が今も生きて存在するかのような錯覚を時に覚えながら生きていくということになった。
>>続く。
ええと、今回もここの前文に何書こうかな……って思ったんですけど、今回も介護のことについて書いてみようかな~なんて♪
前回、患者(利用者)さんのプライドっていうことに少し触れてみたんですけど、やっぱりもし自分が介護してもらう立場になったとしたら――わたしもこの点は物凄く気にすると思うんですよね。。。
こっちがお金払ってるにも関わらず、他の何か物を買ったりした時と違って、サービスを受けてもこっちが<上>じゃなくて、<下>のような感じがするっていうんでしょうか。
しかも、何か「もっとこうして欲しいんだけど……」とか言うのも言いにくく、介護される側がしてくれる人の顔色を見なくてはいけないような側面もあり――こうした中でかなりきっぱりはっきり自分の言いたいことを言って、望んだとおりの介護をしてもらうって、なかなか難しいことのような気がするんですよ
わたしの地元や今住んでるところとかだと、介護サービスの受けられる施設に入ったりすると、安くて月8万円はかかるんじゃないかな……って思ったりします。この他にオムツのお金とかは別にかかったり、本人のお小遣い的なものも含めると――軽く十万円は越すっていうのが普通のような気がします(^^;)
でも、それだけの支出に見合うだけの「満足のいく介護」を受けているって答える方って、どのくらいいるのかな……って思うんですよね。
なので、なんというか――若い人が若いうちから介護の実習を受けたりして、そうした道に進むのは良いことだ……みたいに一般に言われるわけですけど、あんまり若いうちからこうした「老後の実情」みたいなものがわかってしまうっていうのも、自分的にはどうなのかな~って思ったりもしたり
それで、わたしがとある方のお宅に窺った時のことなんですけど……確か大体八十歳くらいで、足の悪いおばあさんだったのですが、自分で一度転倒してしまうと起き上がれないという方で、にも関わらず一人暮らししているという利用者さんでした。
旦那さんのほうはすでに介護施設のほうに入っていて、前情報としてわたしが聞かされていたのが、息子さんの話は一切したがらないから、息子さん二人の話はNGワードとして絶対聞いたりしてはいけない……ということだったんですよね。
すごく矍鑠としたおばあさんで、自分の言いたいことは溜めずにその場ではっきり言うといった感じの、気持ちの良い、つきあいやすい感じの方でした。でもまあ、この場合ある意味「そうした方だからこそ」……というべきか、「人から哀れまれたくない」という気持ちの強い方だなっていうのは、最初からすごく感じていて。。。
つまり、そのおばあさんが転倒したりした場合、ブザーを鳴らせば必ず人がすっとんで来るという環境ではあったものの――「そこまでになったら介護施設入りなよ」とか、「こんな状態になってまでまだ一人暮らししてる可哀想な老人」とか、さらに「息子ふたりにも何かあって老後の面倒も見てもらえないんだろう」……とかなんとか、人から思われたくないっていうんでしょうか。
いえ、わたし、このおばあさんのことは少しも可哀想だなんて思ったことはありませんでした。というのも、うちのおばあちゃんがちょうどそんな感じだったんですよね。一人暮らしできるギリギリまで一人で暮らすことがおばあちゃんの希望でしたし、そういう「誰に気を遣わなくてもいい、一人暮らしの気楽さ」が何よりも一番大事っていうのは、すごくよくわかることだったので。。。
でも、なかなかその……「そんなことちっとも思ってない」とか、そういうことをあえて口にするのもなんですし、実際このおばあさんは、隣近所の方や友達がよく訪ねてくる社交的な方で、そういう意味でも少しも可哀想とかなんとか、そんなことは全然ない方だったと思います。
それでもやっぱり、御本人からしてみたら、そうした種類のことで「可哀想な老人と思われたくない」、「哀れまれたくない」といった気持ちっていうのは、やっぱり拭い去れないもののような気がしたんですよね。
そんでまあ、わたしも逆の立場だったとしたら絶対そうだな、そうなるな……というのも、実によくわかることだったりもして
あと、このおばあさんに関しては、ずっと通ってたヘルパーさんがやめるかわりがわたしだったんですけど(汗)、このヘルパーさんに全幅の信頼を置いていたみたいなところがあったにも関わらず、このヘルパーさんが「このAさんってなんとかなのよ~」とかってわたしに聞かせるんですよね。。。
その~、介護ってストレスの溜まる職場なので、休憩室とかで患者さんとか利用者さんの悪口を言ったりするのってほんと、介護あるあるなんですけど……あんなに「この人にはなんでも任せられるのよ」みたいに笑顔で言ってるのに、その信頼を裏切るみたいにその帰り道で悪口色々聞かされるって――わたしにとってはなんとも言えないことでした(^^;)
まあ、なんと言いますか……看護とか介護といったことに夢を見て介護業界に入られる方って多い気がするんですけど、一度「これが現実か~」みたいなことを経験して、そこをさらに「越えていく」って、自分的にはすごく難しいことだなっていうのが、介護の世界というものを少しばかり経験した、わたし個人の実感だったと思います。。。
それではまた~!!
聖女マリー・ルイスの肖像-【46】-
>>敬愛する院長さまへ。
以前、ヴィクトリア・パークで知り合いになった四肢麻痺の姉妹のこと、覚えておいででしょうか。
わたしが血の繋がりのない子供を四人、育てていると聞いて……彼女はそのことに強い興味を覚えたようなのです。是非うちにも遊びにきて欲しいと言われ、その熱心な勧め方から、M夫人がわたしに対し、決して社交辞令でそう言っているわけではないことがわかっていました。
ですから、遠慮なくお邪魔させていいだくことにしたのですが、ご一家はとても立派なお住まいに住んでおいでで、一見、ふたりの娘さんに障害がおありになるということ以外では、何不自由なくお暮らしになっておられるように見えます。
四肢麻痺といっても、上のお姉さんのほうは右腕が少し動かせますし、妹さんのほうは左手が少しばかり動かせます。ですから、食事のほうは自分でなんとか出来るのですが、それでも朝起きた時から夜眠る時まで、お母さんの力が欠かせません……その上、M夫人には小さな赤ん坊のお世話といったことまであるのです!!
ほとんど毎日のようにヘルパーさんに来ていただいて、娘さんたちふたりが通所施設のほうに通う準備や、帰ってきてからの話相手になってもらうことや、あとはお風呂に入れてもらうことなども、今はすべてやってもらっているそうです。ふたりとも、いわゆる一般にいう知恵遅れというのでしょうか、そうした障害があるのですが、テレビのドラマの続きを楽しみにしていたり、贔屓のアイドルがそれぞれいたりと、わたしの目からはそんなに重度といったようにも見えません。
姉妹ふたりとも、わたしにとても懐いてくれて、色々なことを話してくれます。また、M夫人もずっと家にいなければならないストレスといったことがあるから、これからもたまにでいいからわたしに来てもらえると嬉しいと、帰り際に涙ながらに言われました。
そんな形で交流がはじまって、三度目か四度目かくらいの訪問の時、突然「聞いて欲しいことがあるの」と言われ、話を聞いてみると、途中からM夫人はとめどもなく泣きはじめられたのでした……。
長い不妊治療の果てに、ようやく長女のSちゃんを授かった時、どんなに嬉しかったかということや、四肢麻痺というのはショックだったけれど、この子と一緒に生きていこうと夫と決めたということ、けれど、どうしてももうひとり、健康な赤ちゃんが欲しくて不妊治療を続け、ようやくまた子供を授かった時……またも四肢麻痺という障害のある子の生まれたことで、どんなに絶望に打ちのめされたかということ……。
「それからの生活は、まさに地獄だったわ。ひとり障害があるだけでも大変なのに、ふたりもだなんて……それにね、夫は何も言わないけれど、あの人は最初から不妊治療といったことには反対だったの。どうしても子供が欲しいなら、養子でももらえばいいじゃないかって。でもわたしはどうしてもあの人とわたしの子が欲しかったの。ようするにね、あの人が何も言わなくても、この件について責任のあるのはわたしってことでしょう?だから、そのことでもつらかった。ある程度大きくなってからも正直いってふたりともちっとも可愛いだなんて思えなかったし、あんなに苦労して授かったにも関わらず、わたしにとってあの子たちは今も、ただの重荷でしかないのよ」
この時、姉妹はふたりとも施設のほうに出かけていて留守でした。また、赤ちゃんのほうもベビーベッドでぐっすり眠っていたのです(まるで、忙しい母親のことを気遣ってでもいるように大人しい子で、ぐずったりしているところを見たことがありません)。
「信じられないでしょ?でもそれが現実なの。ある朝起きたら死んでいてくれないかしらとも何度も思ったわ。ネットなんかではね、同じ悩みを持つ母親とか、そうした機関にも相談に乗ってもらったりしてるけど、毎日ずっと苦しかった。この子が生まれてくるまではね」
そう言ってM夫人は心から愛おしそうに赤ん坊のほうを眺めました。この赤ちゃんはとても豪華な内装の子供部屋に寝かされていて、本当に一国の女王さまか何かのようでした。
「この子にもし何かあったら、わたしも死ぬわ。今はもう、この子だけがわたしの生きる喜びであり、生き甲斐なの。上の子ふたりに本当の意味で愛情を抱いたりすることは今も出来ないけど、親として出来るだけのことはしてあげなきゃいけないっていう、ただそれだけよ。それでもね、この可愛い赤ちゃんさえいたら、わたしはそんなすべてに耐えられるの……」
わたしはM夫人が告白する間、ただ何も言わず、黙って聞いていました。一応、相槌を打ったりはしていましたが、彼女もまた他の多くの人と同じく、わたしに何か意見を求めているわけではなく、ただ「聞いてほしいだけ」なのだとわかっていましたから。
「ごめんなさいね、急にこんなこと……でも、あの子たちがいる時にはこんな話、できないですもの。ずっとわたし、夫にも言えないこんなことを誰かに聞いて欲しかったの。わたし、プライドが高くて見栄っぱりなのよ。だから、人に話す時には「障害があってもとても可愛い子」だとか、そんなことしか話したことないの。でも、そのあとはいつも惨めな気持ちでいっぱいになって泣いてばかりいたわ。夫は仕事が忙しくて子供の面倒なんてほとんど見ないけど、三人とも可愛がってくれるのは確かよ。特に三番目の子のことは、わたしと同じく目に入れても痛くないくらい可愛がってるの。あの人がいいお給料を毎月もらってきてくれるから、こんなにいい暮らしが出来るってこともとても感謝してる。でも、でもね……」
そのあとのことは言葉になりませんでした。わたしに出来たのはただ、M夫人の心の内を少しばかり「察する」ということだけでしたが、帰り際、彼女は「聞いてくれてありがとう」と、涙を拭いながら言いました。そして、六度目か七度目かの訪問の時だったでしょうか……わたしが盲学校の子供たちの話をしたことがあったのです。
特段、何かお説教じみたことを言いたかったわけでもなく、姉妹が学校に通っていた頃の話がでた時に、何かそんなことを話すことになったのです。盲学校に通う子の中には、目も見えず、耳も聞こえず、さらには重度の精神障害のある子もいるということを……わたしはそこへボランティアで行ったのですが、その子は一種特別な、神聖な子だったということをお話したのでした。
「そう。世の中には本当に色々な苦しみがあるわね……」
M夫人はそう言っただけでしたが、何か今の話で心に触れるものがあったのかもしれません。おそらく、M夫人の心には、その子のことだけでなく、その親御さんのことも頭にあったでしょう。四肢麻痺の子よりも、目も見えず耳も聞こえない子のほうが不幸だとか、わたしはそんなふうには思いませんし、それはM夫人もそうだったでしょう。ただ、心に通じる何かがそこにはあるという、そのことが大切だったのではないでしょうか。
この日、M夫人のお宅をあとにしようとすると、いつもどおり姉妹がふたりとも、玄関口まで送ってきてくれました。おそらくわたしは時々やってくるだけだからそう思うのかもしれませんが、本当に愛らしい姉妹です!そして、あの子たちの屈託のない笑顔を見ていると、お母さんがそれだけ愛情を注いで育てたからこそ、そんな見る者も喜ばせるような笑顔をしてくれるのだろうと思うのです。
ところでこの日、マンションにある庭のほうで、徘徊老人という言い方はどうかと思いますが、明らかに痴呆の症状があると思しき高齢女性と遭遇しました。見ると、足に何もはいていませんし、本人もどこか途方に暮れたような様子をしています。
このマンションの住人なのかどうかもわかりませんでしたが、以前何かの話の折に、ここのマンションの住人は引退後の老人が多いとM夫人が話していたのを覚えていましたので、おそらくそうなのではないかと思いました。そこで、一階に住んでいるマンションの管理人を訪ねていくと、彼女のことを探していた夫が急いで駆けつけてきたのでした。
何度かここのマンションを訪ねていて気づいたことですが――ここの人たちはみんなとても感じがいいです。廊下やエレベーターなどで会うと、感じよく挨拶してくれる人ばかりですし、今みたいに誰かが困っていると、管理人だけでなく、マンションの住人たちは実に協力的に対応してくれるのです。
M夫人も、四肢麻痺の姉妹がいるとまわりの住人たちがみな知っているため、何かの折には非常に気を遣ってくれたりすると話していたことがあります……でもそれでいて、プライヴェートな領域に踏み込んでくるという感じでもなく、気持ちのいい距離感で近所づきあいしているとのことでした。
ただ……このマンションの何号室の子かはわからないのですが、いつもマンションの目の前でひとりで遊んでいる女の子がいます。いつもその子を見かけるわけではないのですが、地面にチョークでよく落書きがしてあるのです。「ママ、どうしていつも早く帰ってきてくれないの?」とか、「パパなんか大っ嫌い!!」と書いてあったりするのを見て……小さな子の心の叫びを見る思いがしました。
わたしはマクフィールド家に派遣されたのですし、そういう意味では異邦人の子よりも、ユダヤ人の子たち(もちろん、マクフィールド家の子は五人とも、ユダヤ人ではありませんが)のことを優先させなくてはなりません。けれど、植物園通りにあるこのマンションを訪ねるたび、女の子がチョークでひとり何かを描いているのを見るたびに、なんだか胸が痛むのでした……。
院長さま、そろそろ復活祭の季節ですね。マリーはいつでもこの季節がやってくるたびに、孤児院であなたさまと一緒に卵にたくさんの絵つけをしたことを思いだします……それからもちろん、イースターバニーのことも。今年もマクフィールド家では、子供たちと一緒に卵の色付けをしたりすることでしょう。
院長さまとのことは、このマリーにとって、いつまでも色褪せない思い出として残っております。それでは、院長さまも季節の変わり目、ご自愛くださいませね。
マリーより。
――この手紙を読んだ時、イーサンは頭の中が混乱の極地へと追いやられるものを感じた。四肢麻痺の姉妹のことや、あのキムという名前の赤ん坊がマッキンタイア夫人にとっていかに特別な赤ん坊であったかについてもよくわかる。だが、そのあとマリーが再び火の手のあがるマンションのほうへ戻っていったのは……おそらくは、まだ取り残されている老人がいるはずだと思ったためであり、あるいはこの孤独な小さい女の子がどこかにいると思ったためなのかもしれない。そう思うと、イーサンはそれまで以上に心に何かの重い負担、つらさが倍加するものを感じた。
火事の原因については、子供の火遊びが原因だったということが、すでに公表されていた。火の元となった部屋と思われる五階の住人に話を聞いてみたところ、最初は父親の煙草の不始末が疑われ、妻が「また禁煙できなかったのね」と責め、ふたりの喧嘩に耐え切れなくなったその家の子供が……火遊びしていたら、いつの間にかそんなことになってしまったということを、泣きながら警察に話したというのだ。
もちろん、マリーがマンションの前で出会った子というのが、その火遊びをしていた子と同一人物かというのは、イーサンにも確かめようがない。だが、もしそうだと仮定した場合、ある程度の推理が成り立とうというものだった。植物園通りのあのあたりというのは、地価も高く、新聞に毎週入りこんでくる不動産情報によれば、マンションを一室買うにしてもなかなかに驚くべく価格だった。
つまり、そのマンションの住人たちというのは、高所得者層の引退者が多いということであり、その子の両親もふたりがともに忙しく働いていればこそ、そこのマンションのローンを支払っていけるということなのだろうということである。けれど、両親があまり構ってくれないことでいつも一人遊びばかりをし、それが火遊びという形でその孤独が表れたということなのだとしたら……。
唯一の救いは、そこのマンションの火災保険によれば、かなりのところ補償がされるということだったかもしれないが、イーサンはこれからそのことでも、色々と考えることがあった。火災保険によってかなりのところカバーがされるのだとしても、それだっておそらく100%ではないだろうし、何分家財一式なくしてしまった人も多くいるのだ。そのことを思うと、マリーがおそらくは望んでいるだろうことをイーサンは行わなくてならないということになるだろう。
(だが、その前に俺はアグネス院長に会いにいかなけりゃならない……)
イーサンが電話してみると、アグネス院長は例の鉄の武装を何故か解除していたが、その声音の奥に(これであなたも、自分が何をしたかがわかったのでしょうね)という物思いが隠れているように思うのは――流石にイーサンの勘繰りすぎだったろうか?
なんにせよ、その二日日、イーサンはマリーの手紙を携えて、ユトレイシア郊外にあるユトレイシア・イエズス修道院までアグネス院長のことを訪ねていった。手紙のほうは念のためと思い、コピーを取っておいたのだが、それは量が多いだけになかなかに骨の折れる作業だったといえる。
質素であると同時に、品が良く豪華といった雰囲気の応接室で、イーサンはまずアグネス院長にマリーの手紙をすべて返却した。そして、特に深い意味はなかったが、一応「コピーを取らせていただきました」とは先に申告しておいた。
「でしょうね。あなたのようなタイプの男性は、おそらくそうするだろうとは思ってましたよ」
「……どういう意味ですか?」
電話で話した時には比較的感じが良かったのに、再び棘のある眼差しで見つめ返され、イーサンにしても態度のほうが若干挑戦的になった。
応接室のほうは、一体何十年前からここで時を刻んでいるのかと思われる、アンティークな柱時計が隅にあり、今はもう使われていないだろう黒い暖炉と、その上のマントルピースに飾られた十字架や聖像、また聖パウロの回心の場面の描かれた絵画などがあった。赤い絨毯のほうもかなり年季の入った代物だったし、それはソファやサイドボードといった家具のほうでも同様だったといえる。だが、ひとつひとつの内装品自体は元は相当にいい物だったらしいと見てとれる点で、イーサンは豪華だと思ったのである。
「特に深い意味はありませんよ。功利的で用心深く、さらには疑い深いというのが、わたしのあなたに対する第一印象だったという、それだけの話です」
「いや、実際結構当たってますよ。やはり、あなたのような役職にあると、自然、人を見る目が養われるのでしょうね」
イーサンが意外にも相好を崩してみせたため、アグネスは驚いた。実際のところ、マリーを喪ってどれほど悲しくつらかったか、彼だけでなくマクフィールド家の子供たちひとりひとりのことをアグネスは案じてもいた。だが、彼女にできるのはただ、日々の祈りの中で彼らがその悲しみから救われ立ち直り、マリーがその成長を喜ぶような人間に育っていってほしいという、そのことだけだったかもしれない。
「俺は確かに、自分のことだけでした。日本のキンタロー飴みたいにね、どこを切っても自分・自分・自分でしたから……マリーに会って、あいつが俺を含めたマクフィールド家の人間の全員を愛してくれるまでは」
「何か飲みますか?わたしはこれから、あなたと喧嘩することになるかもしれないと思っていたのでね、特に何も持ってこなくていいと命じておいたのですけど、修道院のような場所でも来客者にお茶くらいは出しますからね」
「いえ、結構ですよ」と、イーサンは笑って言った。「それに実際、最後には喧嘩になるかもわかりませんからね。ただ、俺が……今日ここへ来たのは、あなたに懺悔するためだったと聞けば、院長さまも満足ですか?」
アグネスが電話の内線で連絡すると、十分もしないうちに紅茶とカステラをお盆に乗せた修道女が入ってきて、ただ黙ってそれを置き、去っていった。アグネスのほうではただ「ありがとう」と言い、その四十代くらいの女性のほうでは目礼したというそれだけである。
「それで、わたしに懺悔したいことというのは?」
紅茶に砂糖を入れると、その香りを楽しんでからアグネスは一口飲んだ。ちなみにアグネスは甘いものに目がなく、普段は節制しているとはいえ、カステラは彼女の一番の好物だったといって良い。
「おそらく、俺が何も話さなかったとしても、院長さまにはおわかりのことと思いますが……あなたの俺に対する反応が何故ああも冷ややかだったのか、今では俺にもよくよく理解されます。でも、本当にわからないんですよ。だったら俺はどうすべきだったのかということが、何遍考えてもね。正直、俺があいつに手出しさえしてなかったら、神は今もマリーを生かしていて、この世における修行期間というのを伸ばしていたのかどうかといったことが……本当に、わからないんです」
「そうまで考えたのですか。どうやら、わたしのほうこそあなたを誤解していたのかもしれませんね。そのことについてはあやまります。ただ、イーサン、あなたは今二十四くらいでしたね?わたしが思うに、そのくらいの年の男性というのは、同じ屋敷にマリーのような女がいたら、それは何かせずにはいられないだろうという、そういうことだったのです。ただその場合、清純なマリーとは違い、わたしのほうには謎と疑問か残るのですよ。何故マリーの相手があなたでなくてはならなかったのか、他に山ほどいるであろう立派な男ではなく、あなたでなくてはならない理由は何か。何分、あなたのライバルはイエス・キリストにして神なのですしね」
「僭越ながら」と、イーサンは目を伏せたままで言った。「それは、おそらく考え方が逆なのではありませんか?マリーの俺に対する態度にも、それは通じるところがあって……あいつは、自分が特に何もしなくても、俺がひとりで十分やってけそうな人間だから、自分が何か愛の施しをする必要はないと、ずっとそう思ってるような態度でした。だけど、相応しい人間よりも相応しくない人間のほうをこそ神は選んで愛した……大した信仰心もない俺がこんなことを言うのは図々しいにもほどがあるかもしれませんが、俺としては今そんなふうにも思っています」
信仰心は大してなかったにしても、ロイヤルウッド校の六年間に、神学ということについては、イーサンはかなりのところしっかりと叩きこまれている。授業に神学の授業や聖書解釈の授業などが組み込まれており、及第点に達しないと進級できないというシステムだったため、イーサンにしてもキリスト教神学ということについては、それなりに通じているつもりであった。
「そうですね。結局のところ、この世のどんな素晴らしい男でも、マリーには相応しくなかったでしょうから……むしろ、あなたがそのくらいのことを悟れる人間であったことを、わたしは喜ぶべきなのかもしれません。それで、その後暮らしのほうはどうですか?マリーの愛した子供たちはどうしていますか?」
「ランディは、夏休みで寮のほうから帰ってきましたし、ロンもココもミミも、夏休みになってみんな家にいます。ただ、マリーだけがいないってだけで……あいつはもともと、マクフィールド家に属してる人間ってわけでもなかったのに、最初からいなかったはずの人間がいなくなったというのは、変な感じですよ。悲しいという感情の頂点は過ぎたかもしれませんし、でも今年の夏休みは去年のようでもおととしのようでもない。子供たちは悲しいとか寂しいとかいうより、とにかく静かなんです。むしろ、そのうち四人の中の誰かが問題でも起こして、俺が「この馬鹿っ!」と言って叱りつけたとしたら、大分時が過ぎたということになるかもしれませんが……」
「死に方が死に方でしたからね。交通事故でも災害でも、『何故あんなに善良で美しい人間が』と思うことに変わりなかったとしても、マリーは人助けという崇高なことのために死んだのですから、子供たちの心に与える影響も、時が経って悲しみがただ悲しいというだけ以上のものになった時……変わってくると思いますよ。それも、おそらくはいい方向にね」
「はい……変な話なんですがね、あの家にいると、マリーの「不在の存在感」みたいのを感じるんですよ。たぶん、あれは俺だけが持ってる感覚じゃなくて、家のそこここにあいつがいる感じがするんです。姿が目に見えなくなったというだけで、いつでも見守ってくれてるみたいな……子供たちのことは俺は今は、実はあんまり心配してません。マリーが守ってくれると確信してるっていうか……あいつがうちに来る前までは、このままあいつらが育っていった場合、二十一くらいで親父の財産を継いで、ろくなことにならないんじゃないかとか、そんなことが心配だったんですが」
「そうですか」
アグネスにカステラを勧められ、イーサンは特に食べたくもなかったが、それでも食べることにした。そして、少しぬるくなった紅茶のほうも砂糖を入れずに飲む。
「実は、わたしのほうではあなたに今日、お願いがあったのですよ」
イーサンはただ黙ったまま頷いた。金を何かのことに寄付してほしいとか、そういうことなら引き受けようと一瞬にして思っていたほどである。
「マリーのこの手紙を、わたしは出版しようと思っているのです。それと、ヴァチカンに聖人として申請しようと思っています」
「…………………」
ごくり、と思わず大きな音をさせてイーサンはカステラを飲みこんだ。(そういえば、前にもそんなこと言ってたっけな院長)と、すっかり忘れていたことを思いだす。
「その、失礼ながら……俺はマリーのことを心から愛していますし、彼女の残した手紙にも感動しました。確かに、この手紙を読んだ人はマリーの生き方に感動するかもしれませんが、それでも聖人というのは流石にいきすぎではありませんか?」
(そう言うと思っていた)というように、アグネスは溜息を着いた。それから、マリーの手紙のうちの何通かを取りだす。実はすでにもう封筒のほうには通し番号がついており、その中の二通ほどの手紙をアグネスはテーブルの上に置いた。
「あなたにお願いしたいことというのは、マリーと関係があったということを隠していただきたいということです。つまり、そうしたことの書かれたこの手紙は本のほうには掲載しません。そういうことでよろしかったですか?」
(よろしかったですかって……)
院長がまた、例の硬質の、鉄の態度に戻っているのをイーサンは感じた。聖書に、「蛇のようにさとく、鳩のように素直に」という言葉があるが、実際イーサンはアグネス院長が蛇になったり鳩になったりというのを交互に繰り返しているように感じたものである。
「まあ、聖人云々ということがなかったとしても、俺とのことについてはプライヴェートなことですからね。この手紙は抜いたほうがいいとは思いますが……」
イーサンはアグネス院長が差しだした手紙の中を読み、それが予想通りのものだったことを確認した。「今では最初の動機は関係なく、心から彼のことを愛しています」……この言葉はイーサンだけが知っていればいいのであって、何もわざわざ世間に公表しなければならない事柄ではない。
「いえ、わたしがあなたに言っているのは、一生涯に渡って、あなたにはそのことを誰にも他言して欲しくないとお願いしているということです。それが出来るかどうかと、そう訊いているのですよ」
「その……電話でも申し上げた気がしますが、俺、あいつとロンシュタットで結婚式のデモンストレーションとかしてましたし、それを観光客が携帯でパシャってたとか、そういうことがあるんです。それに、結局のところそういうことがなかったとしても、マリーは紙の上とはいえ俺の親父と結婚してるわけですし、今度はその息子とだなんて、世間体が悪いですよ。仮に俺とあいつの間に何もなかったとしても、いい年をした男女が一緒に暮らしていて、一度も本当に何もなかったのかとか、下卑たことを想像する連中はいくらでもいるでしょうから……」
「そんなことはわかっています。いいですか、わたしはマリーのことが可愛いあまり、何かとち狂っているわけでもなく……あの子の手紙を読むことで、信仰心を鼓舞される人間がたくさんいるということが重要だと言っているんです。今は何分こういうご時勢ですからね、普段の生活の中で『どの程度を神に捧げるべきか』と思い悩んでいる人間などたくさんいます。そうした人たちがマリーの生き方に触れ、こういう生き方もあると……もちろん、あの娘ほど清らかには普通の人には生きられないでしょう。けれど、<そちらの側>に出来るだけ舵を切るという生き方をする、そうした新しい方向性が多くの人間に生まれることでしょう。あなた、リジューのテレサのことはご存じですか?」
「いえ、知りません」とイーサンは答えた。ロイヤルウッド校はカトリック系ではないため、聖書の解釈などもすべてプロテスタントのそれだった。ゆえに、イーサンはカトリックの聖人の生涯についてはあまり詳しくないのだ。
「リジューのテレサは、カルメル会の修道女としてずっと過ごし、彼女の残した手紙が死後に出版され、のちに聖人に列せられたという聖女です。修道院でずっと過ごしているというと、閉塞的で頑なに偏った人間性を醸成されるといったように誤解する人間もいますがね、その深い思想性によってリジューのテレサは聖人になったのですよ。わたしは、マリーが本当はあのまま修道女として修道院にいたかったにも関わらず、外へ出されたというのは、神の召命あってのことと今も信じています。もちろん、だからといってマリーが聖人になれる思っているわけではありません。これから、彼女が聖人となることが出来るかどうかは、ヴァチカンのほうから調査の入ることですからね、その調査の過程でマリーが聖人として相応しくないとなれば、それが神の御心だったのだろうとわたしにしても思うまでです。それに、わたしは一生の間、マリーのことを黙っていろとか、秘密は墓場まで持っていけと言っているわけではありません。たとえば、わたしが死んだあとにでも、実はわたしから口止めされていたと話すとか、それならいいのです。わたしの言っている言葉の意味がわかりますか?」
アグネス院長は、蛇からまた鳩に戻っていた。彼女はひどく感情が昂ぶっているようで、ポケットからハンカチを取り出すと、目頭を拭っていた。
「わたしには、あの子のために、こんなことくらいしかしてやれない……あの子は、本当に神さまに忠実に生きようとしていたのです。手紙に書いてある以上に、時にはとてもつらいことがあったでしょう。でも、いつか修道院に戻ってこれるという望みがあったから、信仰を支えにずっと頑張ってきたのです。ただ、マリーの残した手紙が出版されるというだけでも十分ではあるかもしれません。ですが、あなたには理解できなかったとしても、これはあの子のみならず、他の迷いやすい信仰者のためにも、必要なことなのです……」
「俺は、黙っている、ということは出来ますが……」
イーサンは、アグネス院長の本当の姿を初めて見た気がして、何かほっとした。彼女もまた心からマリーのことを愛しており、それはイーサンにしても同じだった。その共通点があるなら、イーサンにとって自分とマリーの間のことを世間に黙っておくというのは、それほど大きな代償ではない。ただ、アグネス院長も自分で言っていたとおり「こういうご時勢」であればこそ、隠し続けることは出来ないと、そう思っているというだけのことなのだ。
「それと、家族として心から愛してはいたが、恋愛関係はなかったと嘘をつくことも可能ではあるかもしれません。けれど、もし何か都合の悪い事実があとから出た場合、アグネス院長、あなたのお立場が悪くなったりすることはないのですか?」
「世間というのは、年のいった修道女には寛容なものですよ」
アグネス院長は涙をぬぐい、眼鏡をかけ直すと初めてにっこりと笑った。
「マリーがもし聖人になることが出来たとしても、それは早くてもう何十年もあとの話です……ただ、聖人になれなかったとしても、それはそれでいいのです。わたしはただ、マリーのことを聖人として申請しないというのは、神の御旨に背くことのような気がするという、それだけなのですから。あとのことはもう本当に、神さまの御旨にお委ねしておいたら、それでいいのです」
イーサンは、この時ただ静かに頷いた。マリーの名前とともに、自分の手紙や名も後世に残るといいとか、そんな考えがアグネス院長にあるわけではなく、彼女の願いはとても清らかなものであるらしいことを、イーサンは見てとっていた。イーサンの父ケネスとの結婚というのは、結局のところ法律上のことであって肉体関係はなかったことは証明されるはずである(何故ならようするに……病気によってその能力がなかったのであるから)。また、例のロンシュタットでの結婚式についても……どうにか誤魔化しが利くといえば利くだろう。あの時イーサンは「恋人同士なのか」と聞かれて、「そうです」と答えていた。だが、本当はそうではないが、あの場限りのこととしてそう答えたということにすることも出来る。その上でデモンストレーションに少しばかり協力してやったのだと……。
だが、この計画に一体どこから綻びが生じるかは、イーサン自身にも予測がつきかねた。それこそ、アグネス院長の言うとおり、<神の御旨>にでも任せるしかないことだろう。というより、イーサンがこの時思ったのは、まず「ヴァチカンはそんなに馬鹿ではない」ということだったかもしれない。肉体関係はなかったにせよ、法律的にマリーはイーサンの父親と結婚して間もなく寡婦となった。そうしたことを順に調べていくうちに、マリーが果たして聖人に列せられるに相応しいかどうかという判断については、向こうがつければいいことであって、そこにはイーサンもアグネス院長も関知することは当然できない。
「今日は……お会いできて本当に良かったです」
部屋の壁時計を気にしたアグネス院長のことを見て、イーサンは自分からそう言った。もちろん社交辞令ではない。これからもイーサンは何か相談したいことがあったら彼女に会いにくるつもりだったし、マリーが小さい頃から孤児院でどんなふうに育ったのか、そうしたことについても、いずれ機会のあった時に聞いてみたいと思っていた。
「それはこちらこそ、ですよ。あなたもこれから大変でしょうね。子供たちもまだ小さいし……もし何か困ったことがあったら、これからなんでも相談にいらっしゃい。わたしでよければ、微力ながら力になりたいとそう思ってますからね」
「ありがとうございます。是非、遠慮なくそうさせていただきます……マリーにとって、あなたは家族も同然の存在だった。ということは、俺たちにとってもあなたは家族だということですから。それに、一番大変なところはマリーが全部引き受けてくれましたからね。ここからは、マリーが大体のところ道筋をつけてくれた部分を強化すればいいといった教育法を取ればいいわけですし……その部分はあいつのお陰で意外に楽かもしれません」
イーサンのほうからアグネス院長に握手を求めると、彼女は快く応じてくれた。そして、この時イーサンは応接室から出ていこうとして――最後にもう一度だけ振り返り、彼女にこう聞いていた。
「その、院長はどう思われますか?あいつ、実は俺の親友の男に好かれていて、俺もその頃からマリーのことが好きだったんです。だけど、あんまりいい奴なんで、俺のほうでデートをお膳立てしたりして……だって、修道女になる予定だなんてこと、その時は知りませんでしたからね。そしたらあいつ、あんなに学歴もあって性格もいい奴を……あっさり振っちゃったんですよ。俺の親友って奴はたぶん、マリーが貧者を救済すべきだといったらホームレスと一緒に乞食にもなったろうし、アフリカあたりで孤児院をやるように神に啓示されたとマリーが言えば、一緒にアフリカに渡っていってマラリアになったっていいっていうくらいの奴なんです。それなのに、結局こういうことになったのは俺で、それなのに俺ときたら、ホームレスの連中となんか特に口も聞きたくないし、あいつがアフリカへ行くなんて言おうもんなら大喧嘩をするって手合いの男なんですからね……院長先生、俺はね、もしあの時マリーが俺の親友のほうを選んでいたら、今こういうことになってなかったんじゃないかと……」
話しているうちに、涙が溢れてきて、イーサンはスーツの袖で目頭を拭った。修道院を訪ねてくるのにどんな格好をしてくるのが適当なのかがわからず、この日もイーサンは地味目のスーツを着ていたのだった。
「そんなことはありませんよ。わたしがこういうのはね、イーサン。マリーがあのマンションで亡くなることが神の御心だったとか、そういう運命だったのだなんて言いたいわけじゃありません。ただ、あなたとマリーはこうなる運命だったのだと思います。わたしには最初そう思えませんでしたが、マリーはあなたのお宅であるマクフィールド家へ行くことに、「絶対そうしなくてはいけない」という強い力を感じていたようですから……まあ、もしそれを神の御計画の一部と仮定してみましょう。当然、マクフィールド家にはあなたがいる。マリーのような女性が家庭を収めていたら、当然イーサン、あなたとそうした関係になるというのも、神にわからなかったはずがありません。わたしが言いたいのはね、あの子が今生きていて、あのままあなたと結婚して、子供を生んで幸せに暮らしているということ……もしそうなれていたらどんなによかったかっていうことですよ。あの子はわたしのような修道女になれなかったということで落ち込んでいましたけれどね、わたしはマリーがわたしのようになれることなど、望んでいませんでした。ただ、自分が心から愛する人たちに囲まれて幸せでさえあってくれたら、それが一番良かったのです。仮にそれが神の御旨に逆らい、神の御心でないことだったとしても……」
アグネス院長の目にもまた、涙が溢れていた。ふたりは暫くそのまま、立ったまま同じ感情を共有しあい――修道院の前庭で別れた時、イーサンはアグネス院長という人がどんな人物なのかがよくわかった気がしていた。彼女もまた、マリーと同じく清純な少女の心のまま成長し、魂の本質としては<少女>であるのに、そのことを普段は隠しているのだ。そして修道院長として外部と接する時にはそれに相応しく対応し、修道院内で他のシスターと過ごす時には鳩のように素直な女性として対応するのだろう。
そしてイーサンはこの時、これから自分が何をどうすべきなのか、行動の指針のようなものをはっきりと決めた。まず、あのマンションの火事の原因を作った少女に会いに行かなくてはならないだろう。そして、マリーの家族として、彼女のことを赦しているということを伝えなくてはならない。他に、あのマンションを出てどこへ行くべきか、困っている家族がいればある程度支援することも出来る。
「さて、これから忙しくなるな、マリー」
イーサンは助手席には誰もいないのに、そんなふうに彼女に対して話しかけた。それから、メアリー・コーネルの家も訪ねていって、彼女のおばあさんがどの程度のアルコール中毒なのかを確かめにいかなくてはならない。それが軽度のものなのか、治療の必要なほど深刻なものなのか、また、彼女が孫のことを可愛いと思いながらも邪魔にしているということならば……うちに引き取るということも、視野に入れなくてはいけないかもしれない。
「もし俺が、最初からおまえがそう言った時から……そのことに賛同できるほど善良な人間だったら良かったのにな」
もちろん助手席からはなんの返事もなかったが、それでもイーサンはこの時――体の全体がふわりと温かいものに包まれたような気がしていた。そしてこのあとイーサンは生涯に渡って、マリーに心の中で話しかけたり相談したりすることを習慣にし、まるで彼女が今も生きて存在するかのような錯覚を時に覚えながら生きていくということになった。
>>続く。