【天使と聖母】ウィリアム・アドルフ・ブグロー
お話のほうは、もう大分終わりに近いものの……あと、たぶん2回くらいで最終回かなって思います♪
聖書の引用箇所のことなどで「わかりにくいかな」っていう箇所について、少しくらい解説(?)しようかなって最初は思ってたんですけど……とりあえず今回もまた介護ネタ☆です(^^;)
今はもうないと思うんですけど、その昔、ホームヘルパーの3級という資格がありまして……わたし、2級の資格を取る前にこの3級の資格を先に取ったんですよね。
んで、その3級の資格を取る実習先のおじいさん……年いくつか忘れちゃったんですけど(昔のことですからww)、そんなに年いってるように見えない、「おじさん」と呼んでもいいかなっていうくらいの年齢の方のお宅へ行った時のことでした。
まあ、まずはトイレがおしっこでべっちゃり☆だったので、床を拭くなどの始末をし……で、トイレがそんな状態だっていうことは、当然廊下などにもおしっこがついており、服も着替えさせなくちゃいけない&オムツ交換したり……そしてこの時に出た汚れ物を洗濯し、その間に料理の準備
大体これを1時間30分くらいの間に行うわけですけど、初めて窺ったわたしの身としては、トイレがおしっこまみれだというのが結構謎で……なんでかっていうと、トイレまではちゃんと来れてるし、見たところ歩行のほうもどうにかそんなに問題ない――みたいに見えるんですよ。
でもちゃんと便器の中に出来ないで、便器の周囲がおしっこまみれって、「なんでなんだろう?」みたいに思いますよね(^^;)
この時、この利用者さんの担当だったヘルパーの方の話では、「わたしたちもそう思うんだけどねえ。なんにしてもとにかく、来たらこの状態なわけ。何度来ても、色々聞いたりしても変わらないから、とにかく片付けるしかないのよ」とのこと。
この利用者の方は、なんというか、半ボケみたいな感じで、軽い認知症でもあったのでしょうけれども、見たところそんなに重い見当識障害があるようにも見えない方で……でも、ホームヘルパーの方が色々聞いたりしてもあんまりちゃんと答えたりもされないような状態で。。。
んで、こっちはこっちでやっぱり時間制限があるもので、必要最低限コミュニケーションとって、あとはチャチャッ☆と料理して洗濯物干して……みたいになりますよね
もちろん、必要最低限なんて言っても、結構しゃべることにはなるんですけど、こっちばっかりしゃべっていても、向こうからはそんなに芳しい反応は得られない……みたいな。。。
といっても、べつに機嫌が悪いとか、そういうことでもないんですよ。で、ヘルパーさんの中に好きな人やあんまり好きじゃない人がいて、相手によって態度が違うということもなく……聞いたお話によると、この方にとってこれまでの間、一番嬉しかった時の感情表現が、サービスが終わってヘルパーさんが出ていく時に手をあげて振ったことと、さらにはベランダのほうまで出て最後まで手を振っていたっていうのが「嬉しかった」時の最大の感情表現だったみたい、とのことでした。
確か、市営住宅に入ってる方で、元は本州のほうの出身で、今は頼れる身よりもいない――といったように聞いた記憶があるのですが、わたし、その時今よりずっと若かったので(笑)、この時はあんまり「これが介護の現状かあ☆」みたいには思わなかったものの……その後、そんなに多くはないながらも、色々な介護のケースを見るにつけ、こうした方は実はとても多いんだなって思いました(^^;)
なんていうか、お話の中でコーネリアさん(笑)が、「子供がいても介護してくれるとは限らない」的なことをどっかで言ってた気がするんですけど……本当、介護施設などでお話を聞いたりすると、人それぞれ本当に色々な事情があるんだなって思います。。。
そして、という一方で、自分に看護や介護が必要という状態になった時……やっぱり家族がいてくれるということほど、心の支えになることはないと思うんですよね。今目の前にいるかどうか、実際少しでも面倒みてくれるかどうかは別として、心に思い浮かべられる家族がいるかどうかだけでも随分違うっていうんでしょうか(^^;)
なんにしても、マリーの手紙を読み返しているうちになんか色々思いだしたので、また次回も介護ネタ☆について何か書いてみようかなって思いますm(_ _)m
それではまた~!!
聖女マリー・ルイスの肖像-【47】-
――あれから、二十年の時が過ぎた。
イーサンは四十四歳となり、ランディは三十二歳、ロンは三十一歳、ココは二十九歳、ミミは二十五歳になった。
アグネス院長自身が編集を担当したマリーの手紙は、『ある修練女の肖像』として出版され、その後ベストセラーになった。というのも、例の植物園通りの火災によってマリーは聖女のように市民から崇められることとなり……彼女が生前どんな人物だったかということが、大きくクローズアップされていたのである。
そして、ユトレイシア・テレビジョン(UTV)でノンフィクション番組のディレクターをしていた女性がマリーの生涯に注目し、そのような二時間番組を特集したのである。カトリックの孤児院で過ごしたことから修道女になることを志していたこと、けれども外の世界へ出てそこで見たことを自分に知らせるようにとの神の声を聞き、修道院から出る決意をしたこと……取材先では、多くの人々がマリーのことを「天使のような子だった」と口にするのをテレビの取材班は繰り返し聞いていた。
マリーが最初にお世話になった産科医院のクロフォード夫妻は「本当に実の娘のようでした」と涙ながらに語り、「あの子がいることで、わたしたちは離婚せずにすんだようなものです」とも、夫妻は話していたものである。精神病院では、語り手によって言うことが別れた――看護師たちは彼女のことを高く評価していたが、介護員の同僚には一部、マリーのことを明らかによく思っていなかった者もいたようである。総合病院の脳神経外科病棟では、彼女の死を知らされた職員たちはみな、涙を流したという。そして、当時脳神経外科病棟の看護師長だった女性は、「当時から普通の子ではなかった」と証言していた。「介護意欲があるという意味においては、他の職員とは比べものにならなかったでしょう。けれども、人にはそういうふうには見せない子でした。誰も見ていないところで、植物状態の患者の手をとり、暇さえあったら話しかけているといったような、そんな子でしたね」
また、ロンシュタットリハビリセンターのほうでは、今もセンター長をしているコーネリアが、友人としてのマリーをどう思っていたかを涙を流しながら語った。そしてこの時テレビを見ていたマクフィールド家の子供たちは、この人が玄関の<妖精の鈴>を送ってくれた女性だということを初めて知ったのである。他に、イーサンが少しばかり気にしていた、手紙の中に言及のあったJとV――ジョン・オコナリーとヴィンセント・マシューズ――も、マリーの死にショックを受けたと言った。
「ほら、俺たちはいつもケネス・マクフィールドさんをお風呂に入れる係でしたからね。こう言っちゃなんですが、風呂から上がって頬がピンク色になったマクフィールドさんは、エロ親父そのものといった感じでした。それまでの生き方が全身から放出されてるとでもいうんですかね。ところがマリーときたら、そんな親父のエロ心にも気づかない風で、実に親切でしたよ。まあ、彼女の場合他の患者にも同様ではありましたが、それでもね……」
当時、三十四歳だったジョンは黒人で、実に立派な体格をしていた。もちろん、それであればこそ、重い老人の体を抱えて難なく風呂に入れたり出来るのだろうが。
「そうですよ。マリーはいい女だったけど、ちょっと患者たちに親切すぎました。まあ、ああいう行き過ぎた親切ってのはね、人に誤解を与えるもんです。ここのリハビリセンターってところは金持ち連中がごろごろしてるもんで、彼女が入所者に親切なのは遺産の配分に与りたいからなんじゃないかって、そんなことをいう職員はたくさんいたんですよ。だけどまあ、ある意味これで証明されたんじゃないですか?彼女の善意は本物だったっていうことが……なんにしても、本当に残念です。俺、ほら、ちょっと彼女に気があったもんだから……」
マシューズはそう言うと、少し涙ぐんだ。彼は二十七歳の白人男性だったが、仕事がつらくなった時など、マリーの介護員としての態度には見習うべきところがあったと思い、慰めを受けることがあったという。
ところが、ロンシュタットリハビリセンター内にあるホスピス棟では、ケネス・マクフィールドの評価というのはまったく異なるものだった。もちろん、それまでのカルテに書かれていることを読めば、一言で言って『偏屈で意地の悪い、どうしようもないエロじじい』であるのは明らかだったが、死を近くに迎えて突然改心したのかどうか――ホスピス棟では性の話など一度もしたことがなく、実に模範的、紳士的な態度で職員と接し、慈愛に包まれて死期を迎えていたという。
また、マリーがヴァチカンに聖人として列聖されるためには、最低でもひとつは奇跡を行っている必要があったのだが、この時末期の肝臓癌で死を待つばかりの患者がひとりいた。非常に信仰熱心な女性で、朝は礼拝から一日を初め、そのあとは聖書を読み、祈りながら終日過ごすといった六十五歳のネリー・ビットという名の入所者だった。マリーだけでなく、職員の中にはクリスチャンが多かったため、みなで心を合わせて毎日祈っていたということだったが、今も生きている彼女がマリーに肝臓に手をあてて祈ってもらったあとからずっと体の調子が良かったといい――いずれ死ぬと医者からは言われていたが、その後原発巣以外の場所に転移していた癌が消え、最終的に退院するということになった。そして通院治療をその後も続ける中で、不思議な形で肝臓癌が癒されることになったという。
ネリー・ビットはそれを、退院する時にマリーが祈ってくれたからだと言い張り、彼女が癒されたことは確かに医学では説明できないとホスピスの医者たちも証言したことから、これがマリーの行った奇跡のひとつ目として認定された。他に、総合病院にマリーが勤めていた時、脳腫瘍で入院していた男性が、マリーが祈ってくれたあとにひどい頭痛や体の痛みが消え、その後CT検査で腫瘍が消えていたということがマリーの行った奇跡のふたつ目として認定されている。
これ以外にも、マリーに祈ってもらってから体が軽くなった、体の調子がよくなった、頭痛がやんだといった軽度のものから、医学的に立証は難しいが、同種の癒しの話であれば数えきれないほどたくさんあったという。だが、医学的に説明不能とされるケースはこのふたつであったことから、また、カルテなどを見ても証拠がはっきり残っていることから、このふたつの症例がマリーが行った奇跡ということになったのである。
宗教の力というものが欧米世界で弱まっている今……マリー・ルイスを聖女として祭り上げることは、ヴァチカンにとっても大きな魅力となることだったのだろうかと、イーサンはそんなふうに実は思っている。何より、マリー・ルイスこそは聖女だというのは、仮にヴァチカンがそうと認定しなかったとしても、ユトランド共和国中の人間が今ではそのように認めているのであった。
まったく、テレビの影響力というのは恐ろしいもので、マリーの人生が紹介された二時間番組は深夜の一時から三時にかけて放映されたものであるにも関わらず、反響がとても大きく、また放送して欲しいとの要望が殺到したこともあり、今度はゴールデンタイムに流されることになったのである。そして、そこからが大変だった。実際、それ以来マクフィールド家の庭には、一体どこの誰なのかわからない人物がよく行き来するようになっていたものである。「聖女さまにお祈りしたい」、「聖女さまにお花を捧げたい」……そんな人間がひっきりなしにやってきては、マリーのお墓を剥げるのではないかというくらいぴかぴかにしていくのだった。
こうした事情もあって、イーサンはその後、マリーの墓をもっと大きくて立派なものに変えた。大学時代、友人だった彫刻家に頼み、マリーに似せた大理石の塑像を作ってもらい、そのまわりに花を献花できるよう献花台のほうも設置した。その、両手を合わせて神に祈っているマリーの像は、顔や全体としての雰囲気がマリーの特徴を実によく捉えていたため――イーサンとしては少しつらかったほどである。彼はあの像に息が吹き込まれてマリーが生き返ってくれたらどんなにいいかと、そんな幻想を抱くことをやめられなかったからだ。
そして、マリーが聖人として列聖されることが正式に決定されると、再びマリー・ルイスの特集番組がユトレイシア・テレビジョンで組まれることとなり、マクフィールド家ではまたしてもその取材を受けなければならなかった。かつての「おねえさん」が聖人として列聖されたことに対してどう思っているかということや、またマリー・ルイスの育てた子たちが今どのように成長したかというのも、視聴者の知りたいところだろうというわけだった。
ランディはセブンゲート・クリスチャン・スクールを卒業後、本人の強い希望でユトレイシア製菓調理専門学校というところへ進学した。そしてコックとして五年ほど修行を積んだのち、自分で店を持ち、今ではそのチェーン店がユトランド共和国中に二十店舗ほどもあった。また、イーサンはケネス・マクフィールドが経営していた飲食店の株をその後買い戻し、こちらのほうの経営もランディに任せることにしたのである。
今では、料理界の鉄人としても知られるランディだったが、彼は自分の店を持った年に堅実な結婚をした。イーサンがその祖母をアルコールの治療施設に入れ、大学を卒業するまで後見人になっていたメアリ・コーネルとランディは結婚したのである。製菓調理専門学校に通っていた頃より、単にランディが『あいつ、金持ちらしい』ということでつきあおうとする女性というのはいた。だが、ランディはそうした女性の瞳の中に「この程度のデブなら手玉に取れる」といった思惑を見てとるなり、途端に気持ちが萎えるのであった。
その点、メアリはずっと彼に対する態度が同一だったといえる。ランディは彼女のように自分のことを<崇拝>の対象として見た女の子というのは他にひとりも知らなかったし、またメアリはランディにだけでなく、『マクフィード家』の全員に実に忠実という娘でもあった。それでも長くお互いを恋愛の対象として見たことはなかったのであるが、コックの見習いとして厳しい修行を積む間、メアリが変わらず自分を支えてくれたため、そのことが結婚の決め手となったようである。
ちなみに、ランディはその後痩せた。コックとしての修行時代から自分の店を持つに至るまで――肉体的にも心理的にも厳しくつらい期間が長かったため、その過程でだんだんに痩せていき、その後は健康面にメアリーが気を配っているため、平均体重をキープしているようである。
ロンもまた、セブンゲート・クリスチャン・スクールへ進学し、そこを卒業したあとは二浪してユトレイシア大学の文学部のほうへ進学した。けれども、大学在学中に漫画家としてデビューすることになり……その後すぐ売れっ子となってしまったため、留年に留年を繰り返すも、結局卒業することは出来なかったようである。
ロンの漫画家としての代表作のひとつに、盲目の探偵が盲導犬の力を借りて事件を解決していくシリーズものがあるが、こちらはのちにドラマ化もされて、非常に人気を博した。ちなみに、この盲導犬の名前はサンダーというのだが、編集者には「犬の名前を変えてくれ」と再三要請されたらしい。だが、ロンはその点だけは頑として譲らなかったという。シリーズの十作目で、サンダーはヤクの密売人に殺されてしまうが、盲目の主人のほうはその頃、網膜の移植手術を受けて目が見えるようになり……その後、愛犬の死を知り、見えるようになった目で涙にかき暮れるところでこの物語のほうは終わっている。
また、ロンはマリーの生涯についても綿密に調査して漫画化した。実をいうとこちらのほうは今もガルブレイス出版から出ている漫画雑誌で連載中であり――今回、マリーの列聖が正式に決まったことで、ラストシーンのほうがロンの中でもはっきり決まったようである。
漫画家としての執筆作業が忙しく、ロンはまだ結婚してはいないものの、交際中の女性がいた。大学時代にコミックマーケットで知り合った女性で、今は獣医をしている。お互いに仕事が忙しいため、なかなかデートもままならないが、それでもいつかは結婚しようと約束しあっているという仲だった。
ココはユトレイシア市の中でも偏差値が三番目に高い公立校に進学し、その後ユトレイシア看護大学のほうへ進んだ。このココの決断はイーサンにとっても意外なもので、イーサンはココはてっきり服飾系の専門学校にでも進学してデザイナーになるつもりなのだろうとばかり思っていたのである。実際、マリーとふたりで参加した小学校の時の父兄参観でも、そうした作文を読んでいたような記憶がイーサンにはある。
ココは十代を通して、苦しい時代を過ごした。いじめというほどひどいことはなかったにしても、学校へ通うのがつまらなかったりつらかったりした。友達はそれなりにいたものの、それも真の親友とは呼べない少し表面的なもので、ココはマリーが亡くなって以降、自分の運命には苦難がつきまとうようになったと漠然と感じていたものである。
ココはネイサンと十六歳頃からつきあいはじめるようになったのだが、彼が無事医大のほうへ合格するのを見て、ある時心に迷いが生じた。相変わらずファッションやメイクといったことに関して強い情熱を持ってはいるものの、この頃にはそうした方面に関してデザイナーになれるほどの才能は自分にないとわかっていた。
成績のほうは中ほどより僅かばかり上といったところだったが、大学のほうはそれがどこでも、とりあえず「大学を卒業した」という肩書きを手に入れるためだけに四年通うといった形になるだろう……それだったら、自分にとってより大きいチャレンジになる看護師になるのはどうだろうと思ったのだ。
また、ココのこの決断にはマリーのことも大きく関係していたに違いない。マリーがどんどん自分たちの手から離れて聖女として人々から崇められていくにつれ、ココは自分たちマクフィールド家はこれからも『殉教者の家族』として見られ続けるのだろうとわかっていた。実際、マリーの育てた子供のひとり、ということが誰かにわかるなり、立派な人間としての行いを無言のうちにも期待されているようにココは感じたものだ。
こうした決断の仕方をしたというのは、なんともココらしいといえばココらしかったが、そうした意味でココは看護師というのは一番安全だと思ったというのがある。マリーの育てた子供のひとりとして、その後看護師になったというのであれば誰もが納得してくれるだろうし、逆に、福祉系以外の職業に就いた場合には、普通以上に成功していなくてはいけないような気がした。
ココはこのように彼女らしく「総合的に判断して」、恋人のネイサンも医者という夢を目指していると思い、看護師になることを決意した。とはいえ、看護師になるというのはココが最初に想像していた以上に大変なことだった。看護学生時代には何度もやめたいと思ったし、マリーと違ってココには「芯から人に親切にしたい」という資質のようなものが欠けてもいたからである。
だが、五人兄妹の中で自分だけが落伍者になるわけにはいかないと思い、ココは歯を食いしばってどうにか頑張り続け、とうとう看護師の免状を取得したわけである。また、こちらの看護大学では本当の親友と呼べるような友達も出来、卒業式の日にはみんなと抱きあって泣いたものだった。
看護大学卒業後は、ネイサンも研修医をしているユトレイシア大学付属病院のほうへ勤務することになり、最初に内科、次に外科の病棟で勤務したのち、今はオペ室専属看護師になってココは四年になる。だが、オペ室でネイサンに会うたび、ココの心中は複雑だ。彼が他の看護師と浮気したことをきっかけに、彼とは別れるということになっていたから……。
ミミはその後、公立の小学校を卒業後、中学からはユトレイシア音楽学院の中等部のほうへ進学していた。というのも、ミミはマリーが亡くなって二十日くらいした頃にこんな夢を見ていた。マリーは生前、一度だけ「ミミちゃんとわたしだけの秘密よ」と言って、賛美歌を歌ってくれたことがある。その声の神々しいまでの美しい響きにミミは心を打たれて感動した。そして、その時とまったく同じような神々しさに包まれながら、マリーは夢の中で言った。「そろそろピアノを習いはじめるといいわよ、ミミちゃん。そしたらきっと、おねえさんと同じように歌えるようになるから……」と。
この話をミミがイーサンにすると、「じゃあ、ピアノを買ってやろう」とミミに甘いイーサンはスタインウェイのピアノをすぐに買ってくれた。それでも、七歳からピアノを習いはじめるというのは、どちらかといえば遅いほうではあったろう。また、ミミ自身に何かピアノに関して優れた技量があったというわけでもなかった。ただその後、ミミはユトレイシア音楽大学の声楽科のほうへ進んだため、その時にずっとピアノを習い続けてきたことが生かされたとは間違いなく言えたに違いない。
ユトレイシア音楽院での中等部でも高等部でも、また大学のほうでも――ミミの歌を歌う才能には類い稀なものがあった。そして大学卒業後、ユトレイシア・オペラハウスの専属ソリストとなり、今やミミは全世界的に愛される歌姫と言われるまでに成長していたのである。
「わたしに、歌を歌う喜びをくれたのは、マリーおねえさんです」と、インタビューを受けるたびにミミはそう答えていたものだ。「おねえさんがわたしに賛美歌を歌ってくれたのは、ただ一度だけのことでしたけど、そのたった一度の経験は永遠の記憶としてわたしの中に刻まれています。あんまり美しい、天国で天使が歌っているような声でしたから、『また歌ってほしい』とねだることさえ、何故か憚られました。でも、ユトレイシア・イエズス会で歌を歌わせていただいた時……修道院のマリーおねえさんのことを知っている修道女のみなさん方が涙を流されていて……わたしの声や歌い方がおねえさんにそっくりだって言うんです。あんなに嬉しかったことはありませんでした」
ソプラノ歌手として世界的に活躍する一方、ミミはずっと以前より兄イーサンの親友、ラリー・カーライルとつきあっている。先に好きになったのはミミのほうだったが、彼女は内気な性格をしていたため、なかなか告白するということが出来なかった。けれど、そうと察した兄がうまく話をまとめてくれ――その後、三十五歳という若さでユトレイシア市の知事となっていたラリーと、ミミは今婚約している。
そして最後にイーサンだが、イーサンはユトレイシア大学でその後、哲学の教授の職に就くことになった。また、マリーの手紙を編纂したものがベストセラーとなり、マクフィールド家には色々な問い合わせが殺到した。そこで、イーサンは「マリー=ルイス財団」という慈善団体を創設し、彼女の名前を冠した病院を建てたり、孤児院を建設することに乗りだしていた。
その他、アグネス院長が編纂したマリーの手紙だけではなく、小さな聖人、マリー・ルイスの生涯に関する本や、彼女の言行録を記録したものや、名言集など、マリーに関する本については今では60カ国語に翻訳され、年々版を重ねるほど、どの本も非常に売れゆきがよかったといえる。また、そうした本を読み、彼女の人柄に触れて感動した人々が、「マリー・ルイス」の名前を冠した病院や孤児院などで働いたり、あるいはボランティアをしたいと言っては、「マリー=ルイス財団」のほうへ問いあわせてくるのだった。
そのようなわけで、ユトレイシアの中央通り――市庁社の斜め向かいにして、知事官邸の近く――に、イーサンはマリー・ルイス財団のための五階建ての大きなビルまで建てた。スタッフのほとんどがボランティアだが、今のところ大きなトラブルが起きるでもなく、財団の運営のほうは実にうまくいっていたといってよい。また、イーサンは大学で授業を受け持つ傍ら、こうした事業の責任者でもあったため、病院や孤児院の視察へ行ったり、あるいは講演を行ったりすることに忙しく、彼の人生はマリーの死後も「マリーなんとか」ということのためにそのほとんどが占められていたと言っていい。
つまり、マリーが実際にヴァチカンにそうと認められて列福されなくても、マリー・ルイスはすでに地球上の多くの人々にとって「聖人」、「聖女」として認められているも同然だったのである。むしろ、調査の結果マリー・ルイスは聖人として相応しくないとヴァチカンが判断していたとすれば……おそらく膨大な署名による抗議文が教皇庁のほうへは殺到することになったに違いない。
なんにせよ、イーサンはこうした方向に「世」が動くのを、諸手を上げて歓迎していたというわけではない。むしろ、イーサンだけでなくランディもロンもココも戸惑っていた部分のほうが大きい。ミミも含めてマクフィールド家の人間は五人とも、「天使を迎えた家庭」としてあまりにも有名になってしまった。最初、五人がテレビの撮影に応じたのは、マリーの死後、三か月ほどが過ぎた頃のことである。マリーがマクフィールド家にやって来るまでに辿った道のりをテレビ班は実に綿密に調べ上げており、ここまでされたのでは断りようがなかったというのが、イーサンだけでなく家族全員の総意だったといってよい。
そこで、マリーがどんな人物だったのかを、イーサンもランディもロンもココもミミもそれぞれ語るということになり……彼女がいかに自分たちによくしてくれたか、また、特に思い出深いエピソードなどを順に撮影されるということになった。
何分、二時間という制限のあるドキュメンタリー番組であったため、結構長くコメントを取った割には、テレビで使用されたのはそこからかなり短縮して編集がされたものだったが、以下がその大体の内容である。
――初めて会った時の印象はどんなでしたか?
ランディ(13歳):「すっごくいい人だなって思ったよ」
ロン(12歳):「うん。ぼくもそう思った。っていうか、会った瞬間すぐに思ったんだ。なんて優しそうな人なんだろうって」
ココ(10歳):「わたし、会った時にどう思ったかって、よく覚えてないのよね……でも、おねえさんが家に来ることについてはそんなに抵抗なかったな。まあ、うちにいたいんならいれば?みたいな感じ」
ミミ(七歳):「おねえさんはすごーくすごーくいい人でした!そんでね、とっても優しくってね、ミミのためになんでもしてくれたの!!」
イーサン(24歳):「あ~、こいつらはその頃、今より三歳ほどもそれぞれ若かったんですよ。だからわかんなかったんでしょうが、俺はとにかく『うさんくさい』と思って警戒していました」
――つまり、年老いて死を間近に迎え、心の弱った父君のケネス・マクフィールドがマリー・ルイスに騙されていたに違いないと?
イーサン:「いえ、親父は七十たって、ボケてたってわけじゃないですからね。頭のほうはしっかりしてたんじゃないかと思いますよ。ただ、どう考えても理解できないでしょう?子供たちの成長が心配だから、財産をやるかわりに自分の子たちの面倒を見てくれだなんて……俺は、本当は全財産を親父がそっくりマリーに与えてもいいと思っていたなんて、その時は知りませんでしたからね。それを彼女がそんなのは困る、財産などもらわなくても子供たちの面倒は見るって言ってたことも……だからこの女は一体なんの魂胆があってこの家にやって来たんだろうとしか思いませんでした」
――ですが、ケネス氏はマリーさんと協議の結果、この屋敷だけを相続することに同意されたんですよね?(※この撮影はユトレイシアのマクフィールド邸で行われた)
イーサン:「ええ。マリーが屋敷を相続するということは、子供たちのことを投げだせないことを意味するでしょう?親父は口約束だけでは安心できないといって、マリーに屋敷を相続することだけ同意させたんですよ。まあ、親父的にはたぶん、仮にマリーが子育てが嫌になってその屋敷を売ったとしても良かったんじゃないですか。とにかく、親父としてはマリーに自分の何かを残してやりたかったという、そういうことらしいですから」
――それにしても、いくら法律上のことだけとはいえ、結婚する必要まであったんでしょうか?
イーサンは:「それは……ようするに親父にはわかってたんですよ。おそらく俺がいい顔をしないってことがね。だけど、紙の上だけのこととはいえ、結婚してたとなったら、法律上マリーはこの子たちの……まあ、笑ってしまいますが、一応法律上は俺だってマリーの息子ってことになってるんですから」
――では、次にマリーおねえさんとの間にあった、特に思い出深いエピソードなど教えていただけますか?
ランディ:「んー、なんだろ。なんかいっぱいありすぎて、すぐにはパッと浮かんでこないなあ。毎年一緒にディズニーランドいったりキャンプしたりしたことかなあ。あとは毎日美味しいおやつとごはんを作ってくれたこととか……」
ロン:「ぼくは、おねえさんがなんでもよくしてくれたことかな。毎日おやつとごはん作るだけでも大変だったと思うけど、毎日ぼくたちの身だしなみをチェックしてくれたりとか……その、何か感動的なエピソードを期待されてる気がするんだけど、実際は結構細かいことのほうが多かったり。それ以外だとおねえさんは意外に結構イベント好きだったかな。クリスマスとかイースターとか感謝祭とか……ぼくらのバースデーパーティも、すごく大切にして祝ってくれたりしたんだ」
(このあと、ココがマグダがいなくなってから初めて迎えた年の感謝祭で、珍しくマリーおねえさんがポカをやらかし、七面鳥がうまく焼けなかったという話をしたが、カットされている)
ココ:「わたしは、オーディションについてきてくれたこととか、父兄参観日の日のことかな。おねえさん、まるで自分のことみたいに一生懸命色々してくれたし、父兄参観日の時はおねえさんくらい若い人って他にいなかったから、イーサンと一緒に並んでるとね、本当の両親じゃなかったとしても、全然惨めって感じじゃなかった。むしろ、羨ましがられたくらい」
ミミ:「ミミはね、ミミはね、おねえさんとの思い出ならいっぱいあるのっ。おねえさん、夜になったらね、ミミに色んな絵本を読んでくれたりとかー、本物そっくりの波がプリントされたタオルケットをね、ざぶーんざぶーんってして、海にいるっていう遊びを一緒にしてくれたりしたの。他にもね、幼稚園から帰ってきたら、廊下にひまわりの種がてんてんてんって置いてあって、なんだろうって思って拾っていったら、ひまわりさんがそこで踊ったりしてたのよ」
(ここでロンが、子供部屋からひまわりのおもちゃを持ってきて、横のスイッチを押すと確かに造花のひまわりが音楽にのって踊りだしていた)
ミミ:「そいでね、また別の日には幼稚園から帰ってきたら、どんぐりが廊下にてんてんてんって落ちてたの。だからミミ、またそれを辿っていったらね、そこにはリスのぬいぐるみが置いてあったの。そしたらリスさん、頬いっぱいにどんぐりを頬張ってたから、ミミ、「なんていやしんぼうさんでしょう!」って言ったの。そしたらおねえさんも一緒に笑ってたの。そいからね、またその次の日も幼稚園から帰ってきたら、どんぐりが廊下にてんてんてんってずっと続いてるから、今日は何かなと思ってミミ、ずっとついてったの。そしたらね、クローゼットのところでどんぐりが途切れてたから、ミミ、クローゼットを開けてみたの。そしたらそこからおっきなおっきなリスさんが出てきて、のっそり動いた途端に、どんぐりが床に散らばっちゃったの。リスさんがね、ミミちゃん踊りましょうって言うから、そのあとずっとね、お手々を繋いで踊ったの!」
(テレビのスタッフたちが「よくわからない」というように首を傾げたので、イーサンはマリーの部屋からリスの着ぐるみを持ってきていた)
イーサン:「これですよ。これを着てマリーはずっとミミが幼稚園から帰ってくるのを待ってたんだと思います。まったく何してるんだかって話ですが、あいつは子供のことを喜ばせるのが本当に好きだったんです」
このあとさらにミミが自分の誕生日のイチゴパーティのことを熱心に話しだしたため、結局のところその日の再現としてイーサンたちもまたブタやライオンやネコやリスなどの着ぐるみを着て、食卓に座るということになった。そして、ランディはブタの頭の部分を脱ぐと、おねえさんがセブンゲート・クリスチャン・スクールの面接に一緒についてきてくれた時の話をし、ロンはマリーおねえさんが「お誕生日会をしましょう」と言ってくれたから友達ができたという話をし……ココはポーチやカバンや服を手縫いで作ってくれたことを話して、実際にマリーが作ってくれた手芸の品を自分の部屋から持ってきて披露した。
最後は、家族の全員がマリーおねえさんのことをどんなに愛していたかという話になり、ランディとロンとココは涙ぐみ、ミミがテーブルの上に突っ伏して泣きじゃくる場面で、撮影のほうは終了ということになっていた。
そして、あれから二十年が過ぎた今……イーサンは実際驚きを禁じえない。マリー・ルイス財団のビルの一階には、マリーが子供たちに作った服やカバンや小物類などが展示されていたし、それは「マリー・ルイスと家庭の仕事」という本にまとめられて、料理のレシピ類などと一緒に掲載されている。他に、「マリー・ルイスの愛した庭」というタイトルで、修道院のマリーが手入れしていたという庭や、またマクフィールド家のマリーが大切にしていた庭の写真、他に押し花やドライフラワーなどの写真が多数掲載された本も出版され、実に売れに売れていた。
しかもこの上、「マリー・ルイスの子育て法」という本の他に、「マリー・ルイスの読書」という彼女がその人生の中で読んだ本が解説された本まであるのだから、イーサンにはもはや言葉もないといったところだった(ちなみに、マリーは何か本を読んだ時にはその感想をよくアグネス院長に手紙で送っていたのである)。
「マリー・ルイスの~~」というものを何故こんなに大衆が好むのか、イーサンにも最初は理解が不能だった。また、これは一種のマリー・ルイスブームのようなものであって、この流行のようなものはそう長続きしないのではあるまいかとも彼は思った。だが、「マリー・ルイスは日記はつけていなかったのですか?」ということにはじまって、「好きな映画とか俳優などはいたんでしょうか」など、人々がマリーに抱く関心については暇がないようで、イーサンもそうした電子メールを読んでは返事に苦慮したものである。
このようなわけで、マリーはいまやその類い稀な生涯によって、世界中のあらゆる人々に愛されるに至っていた。もちろん、インターネットで「マリー・ルイス」と検索すると、トップに「マリー・ルイス財団」のホームページや出るが、その五つか六つ下には「検証!マリー・ルイスは本当に聖女に相応しかったのか?」というブログの名称が出てくる。そこに並ぶアンチの意見としては「マリー・ルイスの行った奇跡はマユツバもの」と書かれていたり、「単に介護員として何年か働いたというだけ。それじゃあこの世の看護師や介護員はみんな聖人になれる」といった意見の他、「ケネス・マクフィールドにおっぱいくらいは揉ませたに違いない。金目的で」といった下品な書き込みなどもちらほら見受けられたものだった。
正直、イーサンは悲しいことに、これらの人々の気持ちがわからないわけでもなかった。というのも、イーサンはマリー・ルイスというひとりの女性のことを間近で見、一緒に暮らしていたからこそ彼女が純金の信仰を持っていたとわかるのであって――もしそうでなかったら彼にしても眉にツバをつけて容易に信じたりはしなかったことだろう。祈ったら脳腫瘍が消えただの、肝臓癌が癒されただのいう非科学的な話などは特に……。また、看護助手や介護員の仕事に就いている人間は世界中にたくさんいるにも関わらず、マリー・ルイスのどこがそれらの人々と違うというのだろうか?この問いについても、イーサンはマリーを間近で見てきたからこそわかることだった。ようするに、彼女は二神に仕えなかったのだ。神に仕える一方で、また自分の欲望にも仕える……それが多くの人間が辿る道であると言っていいだろう。だが、マリーは「世に出ていき、そこで起きたことをわたしに知らせなさい」という神の召命を受け、毎日、眠っている時以外はその召命に忠実に仕えたといっていいだろう。
唯一の休日であった日曜日には教会へ行き、他の働いている平日にも、彼女の心の中心にあるのは常に神のことだけだった。マリーの手紙を読むとよくわかるが、彼女は贅沢ということをしていなかったし、職場の同僚と食事へ行ったりするのも、それがこの世の慣わしとして避けて通れないことだからという理由によってそうするのだった。服は質素で安いものを好み(>>でも今は本当に、安くてデザインの良いものがたくさんあるので助かります、と手紙にも書かれている)、食事にもあまりお金をかけていなかった。
もちろん、ここまででも、同じようにしている人間は全世界にいることだろうし、自分が真面目に働いた分の給料のほとんどを郷里の家族に送っているという人だってたくさんいるに違いない……ということになるだろう。だが、マリーは神のことだけを心の楽しみ、喜びとしており、自分の欲望を中心にして満足するということはなかったのだ。
普通なら、職場で重くのしかかったストレスを解消するためにでも、美味しいものをより欲したり、クレジットでブランド物の服やカバンや靴、アクセサリー類を買ったり、あるいは自分が趣味としているものに大金を注ぐものだろう。もちろん、それが悪しき生き方であるとかそうしたことではない。だが、マリーはより清らかなほうへ目を留めて、そこから離れなかった。自分のことよりも常に他人の益をはかり、何かボランティアをする機会でもあれば、必ずそうした。あるいは、ホームレスに食事をあげたり、駅で白杖をついている人がいれば、後ろからこっそりつけていって無事目的地まで辿りつくのを見守ったりと……そんなことしか頭にはなかったようである。
正直なところを言って――おそらくイーサンでも、マリー本人をよく知らなければ思ったことだろう。「そんな人間、いるわけがない」と。実際、マリーが植物園通りのあのマンションで死ぬことになった理由については、「心が綺麗すぎたから、彼女は早死にすることになったのだろう」と言う人は数多くいた。何分、イーサンはその頃より哲学などというものを齧っていたため、今ではこんなふうにも思っている……「善を行うという習慣をやめられなかったことが彼女の死因である」と。
そしてそれは結局のところ、マリーがイーサンに抱かれてもよいと判断した動機と同一のものだった。自分を引き下げて相手に良いものを与えるというのが、マリーの普段からの習慣だった。にも関わらず、その時だけ火事の中を人を探して歩かないというのは、マリーには到底できないことであっただろう。
なんにしても、マリー・ルイスが聖人として列聖されることが決まると同時に、彼女の生涯を映画化したいというオファーがマリー・ルイス財団のほうへ寄せられていた。イーサンは、その中に自分の役を演じる俳優がいると思っただけでも「おえっ」というのが本音ではあったが、ランディやロンやココ、ミミの承諾を得ると、そのことに同意することにしたのである。
毒を食らわば皿まで、とでもいうのだろうか。映画を見て感動した人が(監督の話では誰もが涙を流さずにはいられないものになるということだったから)、マリーの生涯に興味を持ち、彼女の手紙をまとめた本などをまた手に取ってもらえたら……イーサンにとってはこれ以上の喜びはない。ゆえに、当然映画のプレミアのほうへも足を運ぶことになるに違いない。そして、内心では『えっ、これが俺かよ!?』と思いながらも、「本当に素晴らしいお演技で……」などとマスコミに向けて作り笑いすることになるに違いなかった。
>>続く。
お話のほうは、もう大分終わりに近いものの……あと、たぶん2回くらいで最終回かなって思います♪
聖書の引用箇所のことなどで「わかりにくいかな」っていう箇所について、少しくらい解説(?)しようかなって最初は思ってたんですけど……とりあえず今回もまた介護ネタ☆です(^^;)
今はもうないと思うんですけど、その昔、ホームヘルパーの3級という資格がありまして……わたし、2級の資格を取る前にこの3級の資格を先に取ったんですよね。
んで、その3級の資格を取る実習先のおじいさん……年いくつか忘れちゃったんですけど(昔のことですからww)、そんなに年いってるように見えない、「おじさん」と呼んでもいいかなっていうくらいの年齢の方のお宅へ行った時のことでした。
まあ、まずはトイレがおしっこでべっちゃり☆だったので、床を拭くなどの始末をし……で、トイレがそんな状態だっていうことは、当然廊下などにもおしっこがついており、服も着替えさせなくちゃいけない&オムツ交換したり……そしてこの時に出た汚れ物を洗濯し、その間に料理の準備
大体これを1時間30分くらいの間に行うわけですけど、初めて窺ったわたしの身としては、トイレがおしっこまみれだというのが結構謎で……なんでかっていうと、トイレまではちゃんと来れてるし、見たところ歩行のほうもどうにかそんなに問題ない――みたいに見えるんですよ。
でもちゃんと便器の中に出来ないで、便器の周囲がおしっこまみれって、「なんでなんだろう?」みたいに思いますよね(^^;)
この時、この利用者さんの担当だったヘルパーの方の話では、「わたしたちもそう思うんだけどねえ。なんにしてもとにかく、来たらこの状態なわけ。何度来ても、色々聞いたりしても変わらないから、とにかく片付けるしかないのよ」とのこと。
この利用者の方は、なんというか、半ボケみたいな感じで、軽い認知症でもあったのでしょうけれども、見たところそんなに重い見当識障害があるようにも見えない方で……でも、ホームヘルパーの方が色々聞いたりしてもあんまりちゃんと答えたりもされないような状態で。。。
んで、こっちはこっちでやっぱり時間制限があるもので、必要最低限コミュニケーションとって、あとはチャチャッ☆と料理して洗濯物干して……みたいになりますよね
もちろん、必要最低限なんて言っても、結構しゃべることにはなるんですけど、こっちばっかりしゃべっていても、向こうからはそんなに芳しい反応は得られない……みたいな。。。
といっても、べつに機嫌が悪いとか、そういうことでもないんですよ。で、ヘルパーさんの中に好きな人やあんまり好きじゃない人がいて、相手によって態度が違うということもなく……聞いたお話によると、この方にとってこれまでの間、一番嬉しかった時の感情表現が、サービスが終わってヘルパーさんが出ていく時に手をあげて振ったことと、さらにはベランダのほうまで出て最後まで手を振っていたっていうのが「嬉しかった」時の最大の感情表現だったみたい、とのことでした。
確か、市営住宅に入ってる方で、元は本州のほうの出身で、今は頼れる身よりもいない――といったように聞いた記憶があるのですが、わたし、その時今よりずっと若かったので(笑)、この時はあんまり「これが介護の現状かあ☆」みたいには思わなかったものの……その後、そんなに多くはないながらも、色々な介護のケースを見るにつけ、こうした方は実はとても多いんだなって思いました(^^;)
なんていうか、お話の中でコーネリアさん(笑)が、「子供がいても介護してくれるとは限らない」的なことをどっかで言ってた気がするんですけど……本当、介護施設などでお話を聞いたりすると、人それぞれ本当に色々な事情があるんだなって思います。。。
そして、という一方で、自分に看護や介護が必要という状態になった時……やっぱり家族がいてくれるということほど、心の支えになることはないと思うんですよね。今目の前にいるかどうか、実際少しでも面倒みてくれるかどうかは別として、心に思い浮かべられる家族がいるかどうかだけでも随分違うっていうんでしょうか(^^;)
なんにしても、マリーの手紙を読み返しているうちになんか色々思いだしたので、また次回も介護ネタ☆について何か書いてみようかなって思いますm(_ _)m
それではまた~!!
聖女マリー・ルイスの肖像-【47】-
――あれから、二十年の時が過ぎた。
イーサンは四十四歳となり、ランディは三十二歳、ロンは三十一歳、ココは二十九歳、ミミは二十五歳になった。
アグネス院長自身が編集を担当したマリーの手紙は、『ある修練女の肖像』として出版され、その後ベストセラーになった。というのも、例の植物園通りの火災によってマリーは聖女のように市民から崇められることとなり……彼女が生前どんな人物だったかということが、大きくクローズアップされていたのである。
そして、ユトレイシア・テレビジョン(UTV)でノンフィクション番組のディレクターをしていた女性がマリーの生涯に注目し、そのような二時間番組を特集したのである。カトリックの孤児院で過ごしたことから修道女になることを志していたこと、けれども外の世界へ出てそこで見たことを自分に知らせるようにとの神の声を聞き、修道院から出る決意をしたこと……取材先では、多くの人々がマリーのことを「天使のような子だった」と口にするのをテレビの取材班は繰り返し聞いていた。
マリーが最初にお世話になった産科医院のクロフォード夫妻は「本当に実の娘のようでした」と涙ながらに語り、「あの子がいることで、わたしたちは離婚せずにすんだようなものです」とも、夫妻は話していたものである。精神病院では、語り手によって言うことが別れた――看護師たちは彼女のことを高く評価していたが、介護員の同僚には一部、マリーのことを明らかによく思っていなかった者もいたようである。総合病院の脳神経外科病棟では、彼女の死を知らされた職員たちはみな、涙を流したという。そして、当時脳神経外科病棟の看護師長だった女性は、「当時から普通の子ではなかった」と証言していた。「介護意欲があるという意味においては、他の職員とは比べものにならなかったでしょう。けれども、人にはそういうふうには見せない子でした。誰も見ていないところで、植物状態の患者の手をとり、暇さえあったら話しかけているといったような、そんな子でしたね」
また、ロンシュタットリハビリセンターのほうでは、今もセンター長をしているコーネリアが、友人としてのマリーをどう思っていたかを涙を流しながら語った。そしてこの時テレビを見ていたマクフィールド家の子供たちは、この人が玄関の<妖精の鈴>を送ってくれた女性だということを初めて知ったのである。他に、イーサンが少しばかり気にしていた、手紙の中に言及のあったJとV――ジョン・オコナリーとヴィンセント・マシューズ――も、マリーの死にショックを受けたと言った。
「ほら、俺たちはいつもケネス・マクフィールドさんをお風呂に入れる係でしたからね。こう言っちゃなんですが、風呂から上がって頬がピンク色になったマクフィールドさんは、エロ親父そのものといった感じでした。それまでの生き方が全身から放出されてるとでもいうんですかね。ところがマリーときたら、そんな親父のエロ心にも気づかない風で、実に親切でしたよ。まあ、彼女の場合他の患者にも同様ではありましたが、それでもね……」
当時、三十四歳だったジョンは黒人で、実に立派な体格をしていた。もちろん、それであればこそ、重い老人の体を抱えて難なく風呂に入れたり出来るのだろうが。
「そうですよ。マリーはいい女だったけど、ちょっと患者たちに親切すぎました。まあ、ああいう行き過ぎた親切ってのはね、人に誤解を与えるもんです。ここのリハビリセンターってところは金持ち連中がごろごろしてるもんで、彼女が入所者に親切なのは遺産の配分に与りたいからなんじゃないかって、そんなことをいう職員はたくさんいたんですよ。だけどまあ、ある意味これで証明されたんじゃないですか?彼女の善意は本物だったっていうことが……なんにしても、本当に残念です。俺、ほら、ちょっと彼女に気があったもんだから……」
マシューズはそう言うと、少し涙ぐんだ。彼は二十七歳の白人男性だったが、仕事がつらくなった時など、マリーの介護員としての態度には見習うべきところがあったと思い、慰めを受けることがあったという。
ところが、ロンシュタットリハビリセンター内にあるホスピス棟では、ケネス・マクフィールドの評価というのはまったく異なるものだった。もちろん、それまでのカルテに書かれていることを読めば、一言で言って『偏屈で意地の悪い、どうしようもないエロじじい』であるのは明らかだったが、死を近くに迎えて突然改心したのかどうか――ホスピス棟では性の話など一度もしたことがなく、実に模範的、紳士的な態度で職員と接し、慈愛に包まれて死期を迎えていたという。
また、マリーがヴァチカンに聖人として列聖されるためには、最低でもひとつは奇跡を行っている必要があったのだが、この時末期の肝臓癌で死を待つばかりの患者がひとりいた。非常に信仰熱心な女性で、朝は礼拝から一日を初め、そのあとは聖書を読み、祈りながら終日過ごすといった六十五歳のネリー・ビットという名の入所者だった。マリーだけでなく、職員の中にはクリスチャンが多かったため、みなで心を合わせて毎日祈っていたということだったが、今も生きている彼女がマリーに肝臓に手をあてて祈ってもらったあとからずっと体の調子が良かったといい――いずれ死ぬと医者からは言われていたが、その後原発巣以外の場所に転移していた癌が消え、最終的に退院するということになった。そして通院治療をその後も続ける中で、不思議な形で肝臓癌が癒されることになったという。
ネリー・ビットはそれを、退院する時にマリーが祈ってくれたからだと言い張り、彼女が癒されたことは確かに医学では説明できないとホスピスの医者たちも証言したことから、これがマリーの行った奇跡のひとつ目として認定された。他に、総合病院にマリーが勤めていた時、脳腫瘍で入院していた男性が、マリーが祈ってくれたあとにひどい頭痛や体の痛みが消え、その後CT検査で腫瘍が消えていたということがマリーの行った奇跡のふたつ目として認定されている。
これ以外にも、マリーに祈ってもらってから体が軽くなった、体の調子がよくなった、頭痛がやんだといった軽度のものから、医学的に立証は難しいが、同種の癒しの話であれば数えきれないほどたくさんあったという。だが、医学的に説明不能とされるケースはこのふたつであったことから、また、カルテなどを見ても証拠がはっきり残っていることから、このふたつの症例がマリーが行った奇跡ということになったのである。
宗教の力というものが欧米世界で弱まっている今……マリー・ルイスを聖女として祭り上げることは、ヴァチカンにとっても大きな魅力となることだったのだろうかと、イーサンはそんなふうに実は思っている。何より、マリー・ルイスこそは聖女だというのは、仮にヴァチカンがそうと認定しなかったとしても、ユトランド共和国中の人間が今ではそのように認めているのであった。
まったく、テレビの影響力というのは恐ろしいもので、マリーの人生が紹介された二時間番組は深夜の一時から三時にかけて放映されたものであるにも関わらず、反響がとても大きく、また放送して欲しいとの要望が殺到したこともあり、今度はゴールデンタイムに流されることになったのである。そして、そこからが大変だった。実際、それ以来マクフィールド家の庭には、一体どこの誰なのかわからない人物がよく行き来するようになっていたものである。「聖女さまにお祈りしたい」、「聖女さまにお花を捧げたい」……そんな人間がひっきりなしにやってきては、マリーのお墓を剥げるのではないかというくらいぴかぴかにしていくのだった。
こうした事情もあって、イーサンはその後、マリーの墓をもっと大きくて立派なものに変えた。大学時代、友人だった彫刻家に頼み、マリーに似せた大理石の塑像を作ってもらい、そのまわりに花を献花できるよう献花台のほうも設置した。その、両手を合わせて神に祈っているマリーの像は、顔や全体としての雰囲気がマリーの特徴を実によく捉えていたため――イーサンとしては少しつらかったほどである。彼はあの像に息が吹き込まれてマリーが生き返ってくれたらどんなにいいかと、そんな幻想を抱くことをやめられなかったからだ。
そして、マリーが聖人として列聖されることが正式に決定されると、再びマリー・ルイスの特集番組がユトレイシア・テレビジョンで組まれることとなり、マクフィールド家ではまたしてもその取材を受けなければならなかった。かつての「おねえさん」が聖人として列聖されたことに対してどう思っているかということや、またマリー・ルイスの育てた子たちが今どのように成長したかというのも、視聴者の知りたいところだろうというわけだった。
ランディはセブンゲート・クリスチャン・スクールを卒業後、本人の強い希望でユトレイシア製菓調理専門学校というところへ進学した。そしてコックとして五年ほど修行を積んだのち、自分で店を持ち、今ではそのチェーン店がユトランド共和国中に二十店舗ほどもあった。また、イーサンはケネス・マクフィールドが経営していた飲食店の株をその後買い戻し、こちらのほうの経営もランディに任せることにしたのである。
今では、料理界の鉄人としても知られるランディだったが、彼は自分の店を持った年に堅実な結婚をした。イーサンがその祖母をアルコールの治療施設に入れ、大学を卒業するまで後見人になっていたメアリ・コーネルとランディは結婚したのである。製菓調理専門学校に通っていた頃より、単にランディが『あいつ、金持ちらしい』ということでつきあおうとする女性というのはいた。だが、ランディはそうした女性の瞳の中に「この程度のデブなら手玉に取れる」といった思惑を見てとるなり、途端に気持ちが萎えるのであった。
その点、メアリはずっと彼に対する態度が同一だったといえる。ランディは彼女のように自分のことを<崇拝>の対象として見た女の子というのは他にひとりも知らなかったし、またメアリはランディにだけでなく、『マクフィード家』の全員に実に忠実という娘でもあった。それでも長くお互いを恋愛の対象として見たことはなかったのであるが、コックの見習いとして厳しい修行を積む間、メアリが変わらず自分を支えてくれたため、そのことが結婚の決め手となったようである。
ちなみに、ランディはその後痩せた。コックとしての修行時代から自分の店を持つに至るまで――肉体的にも心理的にも厳しくつらい期間が長かったため、その過程でだんだんに痩せていき、その後は健康面にメアリーが気を配っているため、平均体重をキープしているようである。
ロンもまた、セブンゲート・クリスチャン・スクールへ進学し、そこを卒業したあとは二浪してユトレイシア大学の文学部のほうへ進学した。けれども、大学在学中に漫画家としてデビューすることになり……その後すぐ売れっ子となってしまったため、留年に留年を繰り返すも、結局卒業することは出来なかったようである。
ロンの漫画家としての代表作のひとつに、盲目の探偵が盲導犬の力を借りて事件を解決していくシリーズものがあるが、こちらはのちにドラマ化もされて、非常に人気を博した。ちなみに、この盲導犬の名前はサンダーというのだが、編集者には「犬の名前を変えてくれ」と再三要請されたらしい。だが、ロンはその点だけは頑として譲らなかったという。シリーズの十作目で、サンダーはヤクの密売人に殺されてしまうが、盲目の主人のほうはその頃、網膜の移植手術を受けて目が見えるようになり……その後、愛犬の死を知り、見えるようになった目で涙にかき暮れるところでこの物語のほうは終わっている。
また、ロンはマリーの生涯についても綿密に調査して漫画化した。実をいうとこちらのほうは今もガルブレイス出版から出ている漫画雑誌で連載中であり――今回、マリーの列聖が正式に決まったことで、ラストシーンのほうがロンの中でもはっきり決まったようである。
漫画家としての執筆作業が忙しく、ロンはまだ結婚してはいないものの、交際中の女性がいた。大学時代にコミックマーケットで知り合った女性で、今は獣医をしている。お互いに仕事が忙しいため、なかなかデートもままならないが、それでもいつかは結婚しようと約束しあっているという仲だった。
ココはユトレイシア市の中でも偏差値が三番目に高い公立校に進学し、その後ユトレイシア看護大学のほうへ進んだ。このココの決断はイーサンにとっても意外なもので、イーサンはココはてっきり服飾系の専門学校にでも進学してデザイナーになるつもりなのだろうとばかり思っていたのである。実際、マリーとふたりで参加した小学校の時の父兄参観でも、そうした作文を読んでいたような記憶がイーサンにはある。
ココは十代を通して、苦しい時代を過ごした。いじめというほどひどいことはなかったにしても、学校へ通うのがつまらなかったりつらかったりした。友達はそれなりにいたものの、それも真の親友とは呼べない少し表面的なもので、ココはマリーが亡くなって以降、自分の運命には苦難がつきまとうようになったと漠然と感じていたものである。
ココはネイサンと十六歳頃からつきあいはじめるようになったのだが、彼が無事医大のほうへ合格するのを見て、ある時心に迷いが生じた。相変わらずファッションやメイクといったことに関して強い情熱を持ってはいるものの、この頃にはそうした方面に関してデザイナーになれるほどの才能は自分にないとわかっていた。
成績のほうは中ほどより僅かばかり上といったところだったが、大学のほうはそれがどこでも、とりあえず「大学を卒業した」という肩書きを手に入れるためだけに四年通うといった形になるだろう……それだったら、自分にとってより大きいチャレンジになる看護師になるのはどうだろうと思ったのだ。
また、ココのこの決断にはマリーのことも大きく関係していたに違いない。マリーがどんどん自分たちの手から離れて聖女として人々から崇められていくにつれ、ココは自分たちマクフィールド家はこれからも『殉教者の家族』として見られ続けるのだろうとわかっていた。実際、マリーの育てた子供のひとり、ということが誰かにわかるなり、立派な人間としての行いを無言のうちにも期待されているようにココは感じたものだ。
こうした決断の仕方をしたというのは、なんともココらしいといえばココらしかったが、そうした意味でココは看護師というのは一番安全だと思ったというのがある。マリーの育てた子供のひとりとして、その後看護師になったというのであれば誰もが納得してくれるだろうし、逆に、福祉系以外の職業に就いた場合には、普通以上に成功していなくてはいけないような気がした。
ココはこのように彼女らしく「総合的に判断して」、恋人のネイサンも医者という夢を目指していると思い、看護師になることを決意した。とはいえ、看護師になるというのはココが最初に想像していた以上に大変なことだった。看護学生時代には何度もやめたいと思ったし、マリーと違ってココには「芯から人に親切にしたい」という資質のようなものが欠けてもいたからである。
だが、五人兄妹の中で自分だけが落伍者になるわけにはいかないと思い、ココは歯を食いしばってどうにか頑張り続け、とうとう看護師の免状を取得したわけである。また、こちらの看護大学では本当の親友と呼べるような友達も出来、卒業式の日にはみんなと抱きあって泣いたものだった。
看護大学卒業後は、ネイサンも研修医をしているユトレイシア大学付属病院のほうへ勤務することになり、最初に内科、次に外科の病棟で勤務したのち、今はオペ室専属看護師になってココは四年になる。だが、オペ室でネイサンに会うたび、ココの心中は複雑だ。彼が他の看護師と浮気したことをきっかけに、彼とは別れるということになっていたから……。
ミミはその後、公立の小学校を卒業後、中学からはユトレイシア音楽学院の中等部のほうへ進学していた。というのも、ミミはマリーが亡くなって二十日くらいした頃にこんな夢を見ていた。マリーは生前、一度だけ「ミミちゃんとわたしだけの秘密よ」と言って、賛美歌を歌ってくれたことがある。その声の神々しいまでの美しい響きにミミは心を打たれて感動した。そして、その時とまったく同じような神々しさに包まれながら、マリーは夢の中で言った。「そろそろピアノを習いはじめるといいわよ、ミミちゃん。そしたらきっと、おねえさんと同じように歌えるようになるから……」と。
この話をミミがイーサンにすると、「じゃあ、ピアノを買ってやろう」とミミに甘いイーサンはスタインウェイのピアノをすぐに買ってくれた。それでも、七歳からピアノを習いはじめるというのは、どちらかといえば遅いほうではあったろう。また、ミミ自身に何かピアノに関して優れた技量があったというわけでもなかった。ただその後、ミミはユトレイシア音楽大学の声楽科のほうへ進んだため、その時にずっとピアノを習い続けてきたことが生かされたとは間違いなく言えたに違いない。
ユトレイシア音楽院での中等部でも高等部でも、また大学のほうでも――ミミの歌を歌う才能には類い稀なものがあった。そして大学卒業後、ユトレイシア・オペラハウスの専属ソリストとなり、今やミミは全世界的に愛される歌姫と言われるまでに成長していたのである。
「わたしに、歌を歌う喜びをくれたのは、マリーおねえさんです」と、インタビューを受けるたびにミミはそう答えていたものだ。「おねえさんがわたしに賛美歌を歌ってくれたのは、ただ一度だけのことでしたけど、そのたった一度の経験は永遠の記憶としてわたしの中に刻まれています。あんまり美しい、天国で天使が歌っているような声でしたから、『また歌ってほしい』とねだることさえ、何故か憚られました。でも、ユトレイシア・イエズス会で歌を歌わせていただいた時……修道院のマリーおねえさんのことを知っている修道女のみなさん方が涙を流されていて……わたしの声や歌い方がおねえさんにそっくりだって言うんです。あんなに嬉しかったことはありませんでした」
ソプラノ歌手として世界的に活躍する一方、ミミはずっと以前より兄イーサンの親友、ラリー・カーライルとつきあっている。先に好きになったのはミミのほうだったが、彼女は内気な性格をしていたため、なかなか告白するということが出来なかった。けれど、そうと察した兄がうまく話をまとめてくれ――その後、三十五歳という若さでユトレイシア市の知事となっていたラリーと、ミミは今婚約している。
そして最後にイーサンだが、イーサンはユトレイシア大学でその後、哲学の教授の職に就くことになった。また、マリーの手紙を編纂したものがベストセラーとなり、マクフィールド家には色々な問い合わせが殺到した。そこで、イーサンは「マリー=ルイス財団」という慈善団体を創設し、彼女の名前を冠した病院を建てたり、孤児院を建設することに乗りだしていた。
その他、アグネス院長が編纂したマリーの手紙だけではなく、小さな聖人、マリー・ルイスの生涯に関する本や、彼女の言行録を記録したものや、名言集など、マリーに関する本については今では60カ国語に翻訳され、年々版を重ねるほど、どの本も非常に売れゆきがよかったといえる。また、そうした本を読み、彼女の人柄に触れて感動した人々が、「マリー・ルイス」の名前を冠した病院や孤児院などで働いたり、あるいはボランティアをしたいと言っては、「マリー=ルイス財団」のほうへ問いあわせてくるのだった。
そのようなわけで、ユトレイシアの中央通り――市庁社の斜め向かいにして、知事官邸の近く――に、イーサンはマリー・ルイス財団のための五階建ての大きなビルまで建てた。スタッフのほとんどがボランティアだが、今のところ大きなトラブルが起きるでもなく、財団の運営のほうは実にうまくいっていたといってよい。また、イーサンは大学で授業を受け持つ傍ら、こうした事業の責任者でもあったため、病院や孤児院の視察へ行ったり、あるいは講演を行ったりすることに忙しく、彼の人生はマリーの死後も「マリーなんとか」ということのためにそのほとんどが占められていたと言っていい。
つまり、マリーが実際にヴァチカンにそうと認められて列福されなくても、マリー・ルイスはすでに地球上の多くの人々にとって「聖人」、「聖女」として認められているも同然だったのである。むしろ、調査の結果マリー・ルイスは聖人として相応しくないとヴァチカンが判断していたとすれば……おそらく膨大な署名による抗議文が教皇庁のほうへは殺到することになったに違いない。
なんにせよ、イーサンはこうした方向に「世」が動くのを、諸手を上げて歓迎していたというわけではない。むしろ、イーサンだけでなくランディもロンもココも戸惑っていた部分のほうが大きい。ミミも含めてマクフィールド家の人間は五人とも、「天使を迎えた家庭」としてあまりにも有名になってしまった。最初、五人がテレビの撮影に応じたのは、マリーの死後、三か月ほどが過ぎた頃のことである。マリーがマクフィールド家にやって来るまでに辿った道のりをテレビ班は実に綿密に調べ上げており、ここまでされたのでは断りようがなかったというのが、イーサンだけでなく家族全員の総意だったといってよい。
そこで、マリーがどんな人物だったのかを、イーサンもランディもロンもココもミミもそれぞれ語るということになり……彼女がいかに自分たちによくしてくれたか、また、特に思い出深いエピソードなどを順に撮影されるということになった。
何分、二時間という制限のあるドキュメンタリー番組であったため、結構長くコメントを取った割には、テレビで使用されたのはそこからかなり短縮して編集がされたものだったが、以下がその大体の内容である。
――初めて会った時の印象はどんなでしたか?
ランディ(13歳):「すっごくいい人だなって思ったよ」
ロン(12歳):「うん。ぼくもそう思った。っていうか、会った瞬間すぐに思ったんだ。なんて優しそうな人なんだろうって」
ココ(10歳):「わたし、会った時にどう思ったかって、よく覚えてないのよね……でも、おねえさんが家に来ることについてはそんなに抵抗なかったな。まあ、うちにいたいんならいれば?みたいな感じ」
ミミ(七歳):「おねえさんはすごーくすごーくいい人でした!そんでね、とっても優しくってね、ミミのためになんでもしてくれたの!!」
イーサン(24歳):「あ~、こいつらはその頃、今より三歳ほどもそれぞれ若かったんですよ。だからわかんなかったんでしょうが、俺はとにかく『うさんくさい』と思って警戒していました」
――つまり、年老いて死を間近に迎え、心の弱った父君のケネス・マクフィールドがマリー・ルイスに騙されていたに違いないと?
イーサン:「いえ、親父は七十たって、ボケてたってわけじゃないですからね。頭のほうはしっかりしてたんじゃないかと思いますよ。ただ、どう考えても理解できないでしょう?子供たちの成長が心配だから、財産をやるかわりに自分の子たちの面倒を見てくれだなんて……俺は、本当は全財産を親父がそっくりマリーに与えてもいいと思っていたなんて、その時は知りませんでしたからね。それを彼女がそんなのは困る、財産などもらわなくても子供たちの面倒は見るって言ってたことも……だからこの女は一体なんの魂胆があってこの家にやって来たんだろうとしか思いませんでした」
――ですが、ケネス氏はマリーさんと協議の結果、この屋敷だけを相続することに同意されたんですよね?(※この撮影はユトレイシアのマクフィールド邸で行われた)
イーサン:「ええ。マリーが屋敷を相続するということは、子供たちのことを投げだせないことを意味するでしょう?親父は口約束だけでは安心できないといって、マリーに屋敷を相続することだけ同意させたんですよ。まあ、親父的にはたぶん、仮にマリーが子育てが嫌になってその屋敷を売ったとしても良かったんじゃないですか。とにかく、親父としてはマリーに自分の何かを残してやりたかったという、そういうことらしいですから」
――それにしても、いくら法律上のことだけとはいえ、結婚する必要まであったんでしょうか?
イーサンは:「それは……ようするに親父にはわかってたんですよ。おそらく俺がいい顔をしないってことがね。だけど、紙の上だけのこととはいえ、結婚してたとなったら、法律上マリーはこの子たちの……まあ、笑ってしまいますが、一応法律上は俺だってマリーの息子ってことになってるんですから」
――では、次にマリーおねえさんとの間にあった、特に思い出深いエピソードなど教えていただけますか?
ランディ:「んー、なんだろ。なんかいっぱいありすぎて、すぐにはパッと浮かんでこないなあ。毎年一緒にディズニーランドいったりキャンプしたりしたことかなあ。あとは毎日美味しいおやつとごはんを作ってくれたこととか……」
ロン:「ぼくは、おねえさんがなんでもよくしてくれたことかな。毎日おやつとごはん作るだけでも大変だったと思うけど、毎日ぼくたちの身だしなみをチェックしてくれたりとか……その、何か感動的なエピソードを期待されてる気がするんだけど、実際は結構細かいことのほうが多かったり。それ以外だとおねえさんは意外に結構イベント好きだったかな。クリスマスとかイースターとか感謝祭とか……ぼくらのバースデーパーティも、すごく大切にして祝ってくれたりしたんだ」
(このあと、ココがマグダがいなくなってから初めて迎えた年の感謝祭で、珍しくマリーおねえさんがポカをやらかし、七面鳥がうまく焼けなかったという話をしたが、カットされている)
ココ:「わたしは、オーディションについてきてくれたこととか、父兄参観日の日のことかな。おねえさん、まるで自分のことみたいに一生懸命色々してくれたし、父兄参観日の時はおねえさんくらい若い人って他にいなかったから、イーサンと一緒に並んでるとね、本当の両親じゃなかったとしても、全然惨めって感じじゃなかった。むしろ、羨ましがられたくらい」
ミミ:「ミミはね、ミミはね、おねえさんとの思い出ならいっぱいあるのっ。おねえさん、夜になったらね、ミミに色んな絵本を読んでくれたりとかー、本物そっくりの波がプリントされたタオルケットをね、ざぶーんざぶーんってして、海にいるっていう遊びを一緒にしてくれたりしたの。他にもね、幼稚園から帰ってきたら、廊下にひまわりの種がてんてんてんって置いてあって、なんだろうって思って拾っていったら、ひまわりさんがそこで踊ったりしてたのよ」
(ここでロンが、子供部屋からひまわりのおもちゃを持ってきて、横のスイッチを押すと確かに造花のひまわりが音楽にのって踊りだしていた)
ミミ:「そいでね、また別の日には幼稚園から帰ってきたら、どんぐりが廊下にてんてんてんって落ちてたの。だからミミ、またそれを辿っていったらね、そこにはリスのぬいぐるみが置いてあったの。そしたらリスさん、頬いっぱいにどんぐりを頬張ってたから、ミミ、「なんていやしんぼうさんでしょう!」って言ったの。そしたらおねえさんも一緒に笑ってたの。そいからね、またその次の日も幼稚園から帰ってきたら、どんぐりが廊下にてんてんてんってずっと続いてるから、今日は何かなと思ってミミ、ずっとついてったの。そしたらね、クローゼットのところでどんぐりが途切れてたから、ミミ、クローゼットを開けてみたの。そしたらそこからおっきなおっきなリスさんが出てきて、のっそり動いた途端に、どんぐりが床に散らばっちゃったの。リスさんがね、ミミちゃん踊りましょうって言うから、そのあとずっとね、お手々を繋いで踊ったの!」
(テレビのスタッフたちが「よくわからない」というように首を傾げたので、イーサンはマリーの部屋からリスの着ぐるみを持ってきていた)
イーサン:「これですよ。これを着てマリーはずっとミミが幼稚園から帰ってくるのを待ってたんだと思います。まったく何してるんだかって話ですが、あいつは子供のことを喜ばせるのが本当に好きだったんです」
このあとさらにミミが自分の誕生日のイチゴパーティのことを熱心に話しだしたため、結局のところその日の再現としてイーサンたちもまたブタやライオンやネコやリスなどの着ぐるみを着て、食卓に座るということになった。そして、ランディはブタの頭の部分を脱ぐと、おねえさんがセブンゲート・クリスチャン・スクールの面接に一緒についてきてくれた時の話をし、ロンはマリーおねえさんが「お誕生日会をしましょう」と言ってくれたから友達ができたという話をし……ココはポーチやカバンや服を手縫いで作ってくれたことを話して、実際にマリーが作ってくれた手芸の品を自分の部屋から持ってきて披露した。
最後は、家族の全員がマリーおねえさんのことをどんなに愛していたかという話になり、ランディとロンとココは涙ぐみ、ミミがテーブルの上に突っ伏して泣きじゃくる場面で、撮影のほうは終了ということになっていた。
そして、あれから二十年が過ぎた今……イーサンは実際驚きを禁じえない。マリー・ルイス財団のビルの一階には、マリーが子供たちに作った服やカバンや小物類などが展示されていたし、それは「マリー・ルイスと家庭の仕事」という本にまとめられて、料理のレシピ類などと一緒に掲載されている。他に、「マリー・ルイスの愛した庭」というタイトルで、修道院のマリーが手入れしていたという庭や、またマクフィールド家のマリーが大切にしていた庭の写真、他に押し花やドライフラワーなどの写真が多数掲載された本も出版され、実に売れに売れていた。
しかもこの上、「マリー・ルイスの子育て法」という本の他に、「マリー・ルイスの読書」という彼女がその人生の中で読んだ本が解説された本まであるのだから、イーサンにはもはや言葉もないといったところだった(ちなみに、マリーは何か本を読んだ時にはその感想をよくアグネス院長に手紙で送っていたのである)。
「マリー・ルイスの~~」というものを何故こんなに大衆が好むのか、イーサンにも最初は理解が不能だった。また、これは一種のマリー・ルイスブームのようなものであって、この流行のようなものはそう長続きしないのではあるまいかとも彼は思った。だが、「マリー・ルイスは日記はつけていなかったのですか?」ということにはじまって、「好きな映画とか俳優などはいたんでしょうか」など、人々がマリーに抱く関心については暇がないようで、イーサンもそうした電子メールを読んでは返事に苦慮したものである。
このようなわけで、マリーはいまやその類い稀な生涯によって、世界中のあらゆる人々に愛されるに至っていた。もちろん、インターネットで「マリー・ルイス」と検索すると、トップに「マリー・ルイス財団」のホームページや出るが、その五つか六つ下には「検証!マリー・ルイスは本当に聖女に相応しかったのか?」というブログの名称が出てくる。そこに並ぶアンチの意見としては「マリー・ルイスの行った奇跡はマユツバもの」と書かれていたり、「単に介護員として何年か働いたというだけ。それじゃあこの世の看護師や介護員はみんな聖人になれる」といった意見の他、「ケネス・マクフィールドにおっぱいくらいは揉ませたに違いない。金目的で」といった下品な書き込みなどもちらほら見受けられたものだった。
正直、イーサンは悲しいことに、これらの人々の気持ちがわからないわけでもなかった。というのも、イーサンはマリー・ルイスというひとりの女性のことを間近で見、一緒に暮らしていたからこそ彼女が純金の信仰を持っていたとわかるのであって――もしそうでなかったら彼にしても眉にツバをつけて容易に信じたりはしなかったことだろう。祈ったら脳腫瘍が消えただの、肝臓癌が癒されただのいう非科学的な話などは特に……。また、看護助手や介護員の仕事に就いている人間は世界中にたくさんいるにも関わらず、マリー・ルイスのどこがそれらの人々と違うというのだろうか?この問いについても、イーサンはマリーを間近で見てきたからこそわかることだった。ようするに、彼女は二神に仕えなかったのだ。神に仕える一方で、また自分の欲望にも仕える……それが多くの人間が辿る道であると言っていいだろう。だが、マリーは「世に出ていき、そこで起きたことをわたしに知らせなさい」という神の召命を受け、毎日、眠っている時以外はその召命に忠実に仕えたといっていいだろう。
唯一の休日であった日曜日には教会へ行き、他の働いている平日にも、彼女の心の中心にあるのは常に神のことだけだった。マリーの手紙を読むとよくわかるが、彼女は贅沢ということをしていなかったし、職場の同僚と食事へ行ったりするのも、それがこの世の慣わしとして避けて通れないことだからという理由によってそうするのだった。服は質素で安いものを好み(>>でも今は本当に、安くてデザインの良いものがたくさんあるので助かります、と手紙にも書かれている)、食事にもあまりお金をかけていなかった。
もちろん、ここまででも、同じようにしている人間は全世界にいることだろうし、自分が真面目に働いた分の給料のほとんどを郷里の家族に送っているという人だってたくさんいるに違いない……ということになるだろう。だが、マリーは神のことだけを心の楽しみ、喜びとしており、自分の欲望を中心にして満足するということはなかったのだ。
普通なら、職場で重くのしかかったストレスを解消するためにでも、美味しいものをより欲したり、クレジットでブランド物の服やカバンや靴、アクセサリー類を買ったり、あるいは自分が趣味としているものに大金を注ぐものだろう。もちろん、それが悪しき生き方であるとかそうしたことではない。だが、マリーはより清らかなほうへ目を留めて、そこから離れなかった。自分のことよりも常に他人の益をはかり、何かボランティアをする機会でもあれば、必ずそうした。あるいは、ホームレスに食事をあげたり、駅で白杖をついている人がいれば、後ろからこっそりつけていって無事目的地まで辿りつくのを見守ったりと……そんなことしか頭にはなかったようである。
正直なところを言って――おそらくイーサンでも、マリー本人をよく知らなければ思ったことだろう。「そんな人間、いるわけがない」と。実際、マリーが植物園通りのあのマンションで死ぬことになった理由については、「心が綺麗すぎたから、彼女は早死にすることになったのだろう」と言う人は数多くいた。何分、イーサンはその頃より哲学などというものを齧っていたため、今ではこんなふうにも思っている……「善を行うという習慣をやめられなかったことが彼女の死因である」と。
そしてそれは結局のところ、マリーがイーサンに抱かれてもよいと判断した動機と同一のものだった。自分を引き下げて相手に良いものを与えるというのが、マリーの普段からの習慣だった。にも関わらず、その時だけ火事の中を人を探して歩かないというのは、マリーには到底できないことであっただろう。
なんにしても、マリー・ルイスが聖人として列聖されることが決まると同時に、彼女の生涯を映画化したいというオファーがマリー・ルイス財団のほうへ寄せられていた。イーサンは、その中に自分の役を演じる俳優がいると思っただけでも「おえっ」というのが本音ではあったが、ランディやロンやココ、ミミの承諾を得ると、そのことに同意することにしたのである。
毒を食らわば皿まで、とでもいうのだろうか。映画を見て感動した人が(監督の話では誰もが涙を流さずにはいられないものになるということだったから)、マリーの生涯に興味を持ち、彼女の手紙をまとめた本などをまた手に取ってもらえたら……イーサンにとってはこれ以上の喜びはない。ゆえに、当然映画のプレミアのほうへも足を運ぶことになるに違いない。そして、内心では『えっ、これが俺かよ!?』と思いながらも、「本当に素晴らしいお演技で……」などとマスコミに向けて作り笑いすることになるに違いなかった。
>>続く。