(あ、今回は「半神」の感想とかではなかったりします。単に、池田いくみさん原作の「温室」が収録されているということで^^;)
あ、本当は前回、山岸涼子先生の巻末エッセイについて軽く触れて終わりにしようと思ってたのに、その部分を入れられなかったということで(^^;)
そのですね……わたし的に思うに、この『ルルとミミ』の巻末エッセイを頼むとしたら、たぶん本来であれば竹宮先生だったのではないだろうか――と、少しだけ思わなくもなかったり
いえ、わたし、山岸涼子先生大好きですし、山岸先生の書いておられるエピソードも超ステキと思いました(笑)。萩尾先生が大泉のキャベツ畑で痴漢()にあったにも関わらず……ネームをボツ☆にされて落ち込んでいた萩尾先生は、「今それどころじゃないから」と言って、痴漢を軽くかわした(?)のだとか
さっすがは、天然星系の不思議ちゃんと言うべきか、萩尾先生らしい面白エピソードと思います♪
それで、ですね……わたし、山岸涼子先生ってきっと『一度きりの大泉の話』などを読んで、すごくびっくりされたのではないかと思ったりするわけです。なんでかっていうと、例のヨーロッパ旅行にも萩尾先生、竹宮先生、増山法恵さんとご一緒されていて……「ええ!?実はそんなことがあったの?」と、驚かれたのではないかと想像されるからです(^^;)
わたし、『日出処の天子』とかいまだに読んでない人ではあるんですけど(殴☆)、『少年の名はジルベール』、『一度きりの大泉の話』のどちらを読んでも、「男同士の愛」というか、そういうのを描きたいと山岸先生がおっしゃっていた……ということについての言及があるわけですよね。つまり、『白い部屋のふたり』という女の子同士のお話を山岸先生が描いた時、本当はそれ男同士だったんだけど、編集部から許可がでなくて女同士ということにした――といったように書いてあって、<日本BL事始>と言いますか、そのあたりのフラッグを取ったのが山岸先生であった可能性もあったと思うわけです
まあ、これはあくまでわたしの想像ですので、実際のところ、山岸先生がもしBLマウンテンを初登頂してフラッグを立ててたらどうなってたかとか、わかりません。ただその場合、竹宮先生は山岸先生に対してはそんなに「わたしがやろうと思ってたのに~!先越されたぜえ、山岸にいぃィっ!!ギリギリ☆」みたいにはならなかったのではないかと思ったりします。
なんでかっていうと、山岸先生は竹宮先生と一緒に暮らしておられたわけではありませんし、「自分の『風と木の詩』を盗作された」といったような誤解も存在しない相手であるため……その場合はショックはショックでも、ある意味フェアプレー(?)で負けたというのか、先を越されたということなので、そのあたりは潔く諦め、それよりも「自分もこうしちゃいらんないっ!!」と、「あんたたちが掲載許可してくんないから、山岸先生に先越されちゃったじゃないのよおおっ。どーしてくれんのよぉぉっ!!」とでもへんしう部に直談判し、それでとうとう『風と木の詩』連載開始とか……まあ、こんなタラレバ話したってしょうがなくはあるんですけど(^^;)
ええとですね、わたし、前にもどっかに書いたとおり、竹宮先生の立場に立ってみれば、「盗作された」と思ったのも無理なかったのかもしれない……と、その部分については理解してるつもりなのです。もちろん、今『11月のギムナジウム』と『風と木の詩』を比較して「一体これのどこが盗作?」と思われる方のほうが絶対圧倒的に多いのは間違いないのですが、竹宮先生がクロッキーブックに描いた『風と木の詩』を見せたあと、萩尾先生は同じようにパブリックスクールの寄宿舎を舞台にして、作画的な部分においても完成度の高いものを先に描き、発表にまでこぎつけた……まあ、簡単にいえば、当時はまだ<海外のパブリックスクールが舞台>というのも真新しかったでしょうし、そうした場所の廊下を登場人物たちが歩いたり走ったり、ドタバタしながら教室へ駆け込んだり――他に、美少年たちが学校の同じ制服を着ているなど、雰囲気的に被るところがあることから、竹宮先生にしてみたら「一番大切にしている話をそうと知っていてパクッたひどい人間=萩尾望都」とか、そんなふうに思っても無理はなかったのかもしれない……と、そう思ったわけです。
それで、前回【1】のほうで書いたことは、あくまでわたしの憶測によるものなんですけど……今回『ルルとミミ』を読む前までは、べつの推測をしておったわけです。萩尾先生が竹宮先生からいただいたという例の手紙にあったという、>>「『11月のギムナジウム』ぐらい完璧に描かれたら何も言えませんが」……という言葉。でも、竹宮先生は理性の人で、人の気持ちについてもよくわかる人格者であるため、『11月のギムナジウム』を読んだその瞬間からもう、萩尾望都とは死んでも口なんか聞いてたまるか……といったようになったわけでもなく、その後暫くの間は冷静に今まで通りの態度でいるよう努力されたのではないだろうか、みたいに。
でも、『ルルとミミ』収録の『毛糸玉にじゃれないで』と『ごめんあそばせ!』を読み、その後もう一度『一度きりの大泉の話』の北海道訪問エピソードというか、池田いくみさんとささやななえさんを訪ねたというあたりの文章を読むと……そもそも、『一度きりの大泉の話』の真ん中あたりに何故池田いくみさんの漫画を萩尾先生が描いたものが収録されているのか、あらためてわかるような気がしました
いえ、正直わたし、最初に『一度きりの大泉の話』を読んだ時には――萩尾先生が竹宮先生から盗作疑惑をかけられたショックで、イギリス訪問中にひとりですべて描いた漫画ということで……「それでなのかな~?」くらいにしか思ってませんでした。でも、おそらくは『11月のギムナジウム』を発表後、大泉サロンでは「何か」あって、竹宮先生はもう萩尾先生とは口も聞きたくないという態度をはっきり出すか、そこまででなくても「あれ?口聞いてくれないけど、ケーコたん、もしかして怒ってる??」ということに関連して、「よく理解できないけどおかしいな」的空気があったか、あるいはもっと明確な冷たい感情を向けられたとか……いえ、>>「KONOKONOKONOKONOMINNASINE!!」(このこのこのこのみんな死ね)って、かなり強い言葉だと思うんですよね(^^;)
わたし的に、「原稿描いてる時に虫でも部屋に出てきてみな殺しにした」とか、想像しなくもありませんけども、そもそも萩尾先生のように繊細で優しい方が漫画のコマの片隅にそう書かずにはいられないって……どういうことだろうなと思ったわけです。ええと、このアルファベット文字がページのどこかにある場合、他の作品では結構どーでもいいことが書いてあったりもします(笑)。でも、萩尾先生が大泉のキャベツ畑でにゃんこちゃんを拾ってきて、この時そんなに経ってなかったのではないかと思いますし、その猫の面倒を他の人に預け、さらには仕上げなきゃならない原稿まで持って北海道旅行……自分的にはやっぱり、少しどころでなく、かなり不可思議な行動であるように思われるわけです(^^;)
もちろん、その時たまたま池田いくみさんが実家の野幌に戻っていたから、「行くなら今しかない」と思ったという可能性もありますけれども、でも、そもそも普通、東京に住んでる人との世間話で北海道の人が「北海道へ来たら、いつでも寄ってよ」的に言った場合――大抵は一種の社交辞令にも近いものとして受けとめ、本当に訪問するとか、ちょっとあまりない気がするんですよね。というか、夏休みに北海道旅行する計画を立てて、「近くまで行ったらちこっと寄ってもいーい?」とか、そういうことならいくらもあるにしても。。。
それで、わたし的に思うに、池田いくみさんがお住まいの野幌までなら、まだ十分理解可能なんですよ。野幌なら、札幌のすぐそばですし、電車でもバスでも、初めて北海道へ来た人がそんなに迷うでもなく辿り着けるかもしれない。ええと、なんでわたしがこんな書き方するかというと、わたし自身が地方出身者で、初めて札幌まで行った時なんて、ほんと右も左もまったくわからなかったからです(笑)
もちろん、見知らぬ土地を旅するのは楽しいこととは思います。でも、野幌からそこよりさらに田舎である芦別までって言うと、「池田いくみさんに行き方教えてもらえばいいや」という強みがあったにしても――その間、仕上げなきゃなんない原稿まで抱えてるとなったら、わたし的にはある意味狂気の沙汰としか思えない
『ごめんあそばせ!』の原稿のほうは、最後に雪が降ってる窓の背景を背にして、萩尾先生が原稿描いてる描写があることから(そして片隅の足だけの人がささやななえ先生なのではないかと^^;)、十日ほどささやさんのおうちに滞在してる間に仕上げたということなのではないでしょうか
その~、わたしの妄想的憶測によりますと、こういうことでなかったのではないだろうか……なんて思うわけです。この時、もし突然竹宮先生の態度がはっきり冷たくなるか何かしていた場合、萩尾先生的にはすでに「ええと、わたしもしかして何かやらかした?」といった空気感が大泉サロンにはあり、萩尾先生は北海道の池田いくみさんを訪ねることにした。普通なら、もし大泉になんとなく居づらいなら、実家へ帰ればいいのかもしれませんけど……萩尾先生にはそういうわけにもいかない事情がある。そこで、北海道の池田いくみさんを萩尾先生は訪ねられた。そこでは温かくもてなしていただいて有難かったし、そのあとさらにささやななえさんと意気投合し――心に力を得て萩尾先生は再び大泉へ戻ったのかもしれない。なんにしても、萩尾先生にとっては理由がさっぱりわからないとか、この場合そうしたことだったのでしょうし……その後、ささやななえさんが大泉に来られるようになって、サロンの空気も変わったということなのではないでしょうか。
それで、ですね。池田いくみさんはそうした意味で、萩尾先生にとっては恩人だったのではないか……何かそんなふうに思ったりするわけです。池田いくみさんが>>「いつか私が野幌に帰る時に遊びにおいでよ」と誘ってくれていた、またその言葉がなければ北海道へ行くことはなく、当然ささやななえさんとも親しくなることはない――というより、のちに親しくなったにしても、知り合い方が違っていたかもしれません。
その後、萩尾先生は竹宮先生から盗作疑惑をかけられた時、病気で倒れられた池田いくみさんの病院を北海道の洞爺湖まで訪ねている。洞爺湖もいいところですけど、東京の方がある日突然、「洞爺湖まで行って木刀でも買ってくっか☆」と突然思いついたにせよ、地図などで確かめて「楽勝!」なんて思ってたら、存外痛い目にあうと言いますか、今は携帯やネットがあるのでいいにしても――1970年代初頭ということは、そこまで行くのも大変だったろうと思うわけです。
これは前にも同じこと書きましたが、脳血栓などで倒れた場合、リハビリって本当に大変だと思います。ましてや、後遺症によって、もう二度と漫画は描けないだろう……そうした方を訪ねるのって、どう励まして良いかもわからないし、本当に勇気のいることです。それをわざわざ東京からお見舞いに来てくれた、それだけで池田いくみさんにとってはどれほど嬉しいことだったろうと思うんですよね
また一方、萩尾先生は萩尾先生で、例の盗作疑惑の件でとても傷ついていた……わたし、この間たまたま本屋へ行く用事があったので『半身』買ってきたんですけど、まず『温室』を真っ先に読みました。自分が文章によって書いた原作を萩尾先生があんなに完璧で綺麗で美しい物語に仕上げてくださって、いくみさんはどれほど嬉しかったことだろう……心からそう思ったというか
で、ですね。この『温室』もまた、読んでみるとわたし的には色々と勘繰りたくなるような作品なのです(^^;)いえ、最初に『温室』というタイトル読んだ時から「もしや……」という気持ちはあったものの、本当にそうした作品とは思ってなかったと言いますか。これもただのわたしの妄想的推測ですが、おそらく萩尾先生は池田いくみさんにそのあたりの事情について相談されたことがあったのではないでしょうか。「同じように温室が出てくるとか、そういうことで盗作じゃないか……みたいに言われて」といったようなことを。それで、そのことを聞いていたいくみさんは、文章による原作を練っていた時、その要素を入れることにしたのではないかと。池田いくみさんが原作ということであれば、温室が出てきても決して盗作ということはなく、むしろ「作品に温室が出てくるだなんて、あまりにありふれている」、「そこにBL要素も入ってるけど、そうした作品を好む人は他にもたくさんいる」というのでしょうか(そもそもいくみさん自身、そうした男同士の作品が好きな方だったわけですから^^;)
この場合、もし萩尾先生が例の盗作問題のことをいくみさんに話しておられたとすれば……『一度きりの大泉の話』の真ん中あたりに『ハワードさんの新聞広告』という作品が掲載されている理由がよりわかる気がするのです。そして一方、竹宮先生が「大泉が解散したのは、佐藤史生さんと城章子さんのせいだ」と言ったというあの話――わたし自身はあのあたり、こういうことだったのではないだろうかと勝手ながら想像してました。
つまり、「盗作ではないか」という疑いをかけられたことや、例の手紙のことについてなど、竹宮先生にしてみれば「萩尾さんが誰にも話さないはずがない」みたいに疑心暗鬼と言いますか、そんなふうになっても無理のないことであり、また「モーサマと何かあったの?」的なことは、竹宮先生だって聞かれたに違いありません。その場合、自分の嫉妬のことなど、入り組んだ説明の出来ない苦しい竹宮先生としては……たぶん、「佐藤史生さんと城章子さんには萩尾さんはあのことを話したのではないだろうか」との疑いを持ち、それが「大泉が解散したのは佐藤史生さんと城章子さんのせい」みたいなことになったのではないだろうかと、勝手ながらそんなふうに推測したわけです。
だから、なんというか……傷ついた萩尾先生とこの場合の竹宮先生とどちらがより苦しいかといえば(こうしたことに加えて、スランプといったこともあったと思うと)――わたし自身は竹宮先生の苦しみのほうに同情してしまうところがあって、そうした理由からあんまり竹宮先生のことを悪く書きたくないという気持ちがあったりするんですよね(^^;)
>>なぜなら原因は双方にあって、双方とも傷ついたからです。……と、『一度きりの大泉の話』にはあるわけですけど、当時「自分に嫉妬している」などとは露とも知らぬ萩尾先生にしてみれば――竹宮先生と増山法恵さんという友人を失い、自分だけが傷ついた……随分長い間そう思われてきたのでしょうし、そうしたことについて思う時、絶対的に萩尾先生に味方したいとしか思えなかったり。。。
あ、この記事、新年最初の記事になっちゃいました普通に考えたら、せめても年末年始は明るい記事を……なんて思うとこですけど、ここまでの文章についてはもう一週間前とかそのくらいに書いてたものなので(^^;)
なんにしても、最近あんまし萩尾先生の漫画の感想とか書けてませんけれども(汗)、この件に関するわたしの妄想旅はまだもう暫く続きそうです
それではまた~!!