(※「最後の決闘裁判」に関して、映画含めネタばれ☆があります。これから見たり読んだりする予定のある方はご注意くださいませm(_ _)m)
前に【5】のところで、映画の「最後の決闘裁判」の感想を書いたりしたんですけど……その後、原作のほうを読み、これがすごーくすごーくすごおおおくっ、ためになる&面白い!!ということで、ちょっと映画に関連して気になった点を書いてみようかなって思いました
脚本を書いたのは、騎士のジャン・ド・カルージュを演じたマット・デイモンとピエール伯役のベン・アフレックということなんですけど、すごくうまくまとまってることにあらためて驚きます
んで、お話のほうは簡単に約めていえば、騎士のカルージュと元は親友であった従騎士ジャック・ル・グリが、何故決闘裁判をすることになり、片一方が命を落とすことになったか……という史実を元にした顛末です
とりあえず、映画見た感じだと、カルージュとル・グリが元は親友と語られていても、「えっと、一体どのあたりが」という印象ではあるんですよね。確か最初のほうでル・グリがカルージュに戦争で命を助けられた――みたいに言ってたと思うのですが、「親友エピソード」として語られるのはそのくらいでなかったかといったように記憶してます
でも、原作のほうを読んでみると、カルージュはマルグリットと結婚する前に一度結婚していることがわかりますそれがジャンヌという貴族の女性で、カルージュは彼女との間に息子のジャンをもうけてもいるのですが、ふたりとものちに病気で死んでしまう。これではお家断絶だと考えたカルージュは、マルグリットと再婚するわけですが、若く美しい彼女との間には、結婚後五~六年しても残念ながら子供が誕生しませんでした。
また、映画ではカルージュにマルグリットを紹介したのがル・グリということになってるわけですけど、原作では違っています。けれど、ル・グリはカルージュがジャンヌと結婚して子供が生まれた時、名親となっており、名親となることはすなわち、家族の一員に迎えられるにも等しいことから――元はそのくらい「親しい間柄だった」ということは疑いようのない事実だ……といったことのようです。
ところが、そのくらい元は親しい関係であったらしいふたりが、最後には決闘することになり、残虐な殺し合いを演じることになる……その経緯についても結構細かく書いてあって、ここは大筋で映画と原作も理由それ自体は大体そのままといっていいのではないでしょうか(たぶん)。
何分カルージュを演じてるのがマット・デイモンなもので、「このジャン・ド・カルージュって騎士さんも、きっといい奴に違いない」的なイメージでつい映画を見てしまうのですが、史実のほうのカルージュは冷酷な締まり屋と言いますか、そうした側面の強い人物だったらしい。映画を見ていても、マルグリットのような美人がこんな「欲得ずくだ」といった雰囲気のカルージュと結婚って……みたいにちょっと思いましたが、原作読んでこのあたりの理由もわかりました(^^;)。
まず、マルグリットの父親は、フランス国王を二度裏切った過去のあるノルマンディの騎士、ロベール・ド・ティボヴィルで、彼女は『裏切り者の娘』として育てられた。そのせいで、若く美人で、彼女以外跡取りがいないゆえに土地や持参金たっぷりであるにも関わらず、父親が「これ」と望むような縁談がまとまりにくい状況にあったらしい。一方のカルージュはこの時、映画にもあるとおり貧乏になっており、こうした<傷>については以前であればともかく、今は看過すべき……といったように事情が変わっていたものと思われます。
ただ、マルグリットは本当に美人で貞淑で性格もいい的な女性だったようで(「絶世の美女」と史料としていくつも残っているくらい、本当に美しい人だったのではないでしょうか)、そうしたところからも夫以外の男性と姦通するであるとか、そうしたことは考えられない……ということが、残された史料などからも窺えるということなのだろうと本を読んでいて思いました
それで、カルージュとル・グリの友情に何故ヒビが入り、最終的に修復不能となったのかなのですが、映画でも描かれているとおり、まず第一がカルージュが父親から引き継ぐはずだったベレム長官の地位を、ピエール伯がお気に入りの家臣であるル・グリに与えたこと……つまり、わたし自身が映画を見たあとに原作読んであらためて思うのは、一番悪かったのはこのピエール伯爵の「えこひいき」だったのではないかと思うわけです(^^;)
ジャン・ド・カルージュは、ピエール伯の前に領主だったペルシュ伯ロベールに父親の代から仕えており、このロベールがカルージュの父親にベレム長官の地位や土地・城などを与えたわけです。当然、戦争による武勲などがあってのことで、父親が苦労して得たものを息子が継承するのは当然のこと――だと、息子のジャンのみならず、彼の母親も周囲の人々も当たり前のようにそう思っていた。ところが、次に領主となったピエール伯がカルージュに与えるべきはずのものを、彼の親友であるジャック・ル・グリに与えたことから……ふたりの関係はその後悪化の一途を辿ることになったのではないかと思われます。
このベレム長官の件については、ル・グリのほうでも「ピエール伯爵~。実はオレ、あの地位欲しいんスよね~。ちょっとどうにかしてもらえませんか~」的にねだったわけでもなんでもないわけで(むしろ困惑したのではないかと思われる)。けれどその後、映画の中にも出てきたオヌー・ル・フォコンの土地問題であるとか、他にも色々カルージュは土地問題のことでピエール伯とは揉めていた――ということらしい。
もともと、カルージュの家は貴族であるものの、その点ル・グリ家は庶民の出であるらしい。ゆえに、庶民から出発して抜け目なく社交界の梯子を上り、土地や財産を増やして貴族階級にまで成り上がったという野心家の家系。ジャック・ル・グリはそうした意味でも、親を見習うなどして、色々な点ですごく努力してきたのではないか思われるわけです。言わば直接の上司ともいえるピエール伯に気に入られることがお家繁栄のためには一番大切なこととも言えるわけで、ル・グリはカルージュが失敗したのとは違い、そうした点で大成功した。学があって洗練されたル・グリと、無骨で不器用なカルージュ……映画の中に、ピエール伯とル・グリが乱痴気パーチー☆を開いているような場面があり、わたし最初これ、「映画のオリジナル演出ってことかしら?」と思ったりしたのですが(いえ、史実として考えた場合「こんなことまでわかるはずないやろ」的な意味で)、あれでも実はまだ表現として控え目だったのかもしれない……という可能性すらあると思いました。
というのも、このピエール伯爵、正妻である奥さんとの間に結婚後十四年の間に八人も子供がおり、さらに多くの愛人も持っていて、奥さんが妊娠している間にも愛人とよろしくやり、非摘出子を産ませていたといった男性だったようで……ル・グリもどうやら伯爵のこうした「御趣味」に喜んでおつきあいしていたらしい(>>『ついにル・グリは結婚し、数人の息子の父親となった。そのうえ、女好きだったらしく――聖職者としても従騎士としてもめずらしいことではなかったが――愛人たちを連れ、ピエール伯の享楽にもよく加わっていた』とあります)。
映画のほうでは、イメージ的になんとなく、カルージュもル・グリも三十代くらいなのかな~と思って見ていたわたしですが、実際にはカルージュがマルグリットと結婚したのは四十代の時であり、ル・グリにしても同年代なわけで……原作読むと、実際のところル・グリがマルグリットをレイプしたという事件が起きたのって、五十代の頃だっていうんですよね
それで、ここからはわたしのある程度の想像なんですけど……映画の設定でいうなら、「あの若いべっぴんを紹介したのはオレじゃねえかよ、コンチクショウ」というのがレイプの動機のひとつであった可能性があると思うわけですが――原作では違うことから、わたし自身はこう想像しました。「あいつ、あんな若くて美人の女と結婚したのか。なんか腹立つ!!」という。もちろん、この時ル・グリもまたいい年したおっさんであり、すでに結婚していて子供もいる身でした(そして、マルグリットをレイプした頃は奥さんに先立たれ男やもめとなっていた)。ところがですね、ル・グリはおそらく、長く確執のあるカルージュから美人の奥さんを見せつけられて、そのことが頭から離れなかったんじゃないかと思うわけです。しかも、ピエール伯とともに何人もの愛人とベッドをともにし、けしからん性生活を送ってきた男でもあり……さらには、マルグリットをレイプする以前にも、大体似たような手口によってご婦人方をたぶらかしたり、レイプした疑惑というのがル・グリにはあったらしい。
まあ、ジャック・ル・グリについて言えば、アダム・ドライバーが演じているだけに、「実はそういう残念な人だったんだね」と思うわけですが、レイプに関しての裁判所における抗弁については、ピエール伯が味方についてくれていることもあって、物凄く説得力があります。でも、総合的に見て、やっぱりジャック・ル・グリは有罪、黒だったのではないかと個人的には思いました。というのも、ル・グリの弁護に当たっていたジャン・ル・コック氏は、そのようにはっきり書かれた文書が残っているわけではないにせよ、どうもル・グリが有罪とわかっていて弁護していたのではないかと思われるからなのです。。。
映画でも描かているとおり、ル・グリは決闘の場面で最後までどんなに追い詰められても、自分は潔白であるとして、己に罪があるとは決して認めませんでした。たぶんこれ、誰もがそう思うと思うのですが、もし仮に罪を認めれば命だけは助かるということでも――ここまできて有罪を認めてもなんの意味もないことから、わたしがもしル・グリでも「自分は無罪潔白だーッ!!」と絶叫していたろうことはまず間違いありません。
壮絶な決闘の決着が着いてのち、カルージュ夫妻は名誉を回復したのだろうと思いますが、裁判の審理中、マルグリットはお腹が大きくなってるんですよね。果たして、結婚後五~六年しても子供が出来なかったマルグリットが妊娠しているとすれば、それはどちらの子なのか……と、映画を見ていて誰もが思ったことと思います。このあたり、はっきりしたことはわかりませんが、子供は男の子でロベールと名付けられたらしい。そして、どちらの子であったにしても、このカルージュ家の跡取り息子が、その後成長するにつれ、色々思い悩むことになった可能性があったのではないかと。というのも、この決闘裁判は有名なものであり、この話が成長した息子ロベールの耳に入らなかった……ということはまずないだろうと思われるからだったり。。。
カルージュは、王さまに直接決闘の訴えを出していたので、サン・マルタン・デ・シャン修道院に決闘の模様を見物に来ていた人々はたくさんいました。戦闘自体は残虐極まりないものであっても、王さまや貴族諸侯の前などで素晴らしい武勇をカルージュは披露したとも言えるわけで……実際、カルージュはこののち金貨六千リーヴルを与えられ、年金その他、騎士として収入も身分も色々上がったようなのに、再び戦争へ遠征し、戦死してその生涯を閉じています。
マルグリットはその後、長男のロベールに続いて息子を二人もうけてもいるので、ロベールもル・グリの子供でない可能性はある。確か、映画の最後のほうで子供のロベールの姿も出てきていたと思うのですが、髪の毛がお母さん譲りの金髪といった感じで、ル・グリを思わせるような特徴はあえてないように演出したのかな……と思ったりしました。いえ、実際にはどちらの子なのかわからなかったとしても、黒髪の子だったりすると、イメージ的にどうしても「やっぱル・グリの子だったんやんけ!!」みたいになって映画見終わることになりますもんね(^^;)
なんにしてもわたし、決闘場面の描写について読みたくて購入した本だったのですが、その点においても満足したのみならず、他にも出来る限りの歴史の正確性その他、本当にものすご~く勉強になった一冊だったと思います
また、ル・グリがおそらくは間違いなく有罪であり、奥さんがいながらピエール伯と一緒に他に多くの愛人とも関係を持ったりしていたのだろうこと、さらにはマルグリットのみならず、侍従のルヴェルとともに同じような手法によって女性をかどわかしたり、レイプしたのだろう余罪があることを思うと――ジャン・ド・カルージュが勝利することこそ正しかったのだろうと、とりあえずわたしの中ではそのようにはっきり結論が出て良かったなとも思いました(^^;)
それではまた~!!
惑星シェイクスピア-第三部【12】-
ギベルネスはミレイユの後ろへついていきながら、『何故私の名前だけでなく、苗字のほうまでわかったのですか?』とまでは、あえて聞かなかった。彼は今ここへ至るまで、ディオルグやキャシアスにはもちろんのこと、ハムレットやタイス、あるいは他の誰にも――リジェッロという自分の姓についてまで名乗ったことは一度としてない。
だが、聖女リノレネは、リノル神の代理人としての巫女であり、自分の岩室を訪れる信者のことのみならず、この国で起きることのすべてを見通す<神の眼>を持っている……と、ギベルネスはそのようにアヴィラから聞かされていたからだ。
(それに、あんな奇跡の数々を見せられたあとでは、私の苗字についてまで先刻承知だったとしても、まったくなんの不思議もないということなんだろうな……)
ギベルネスは、聖女リノレネと謁見する前に、決められた作法によって水盤で手を洗うなど、儀式的清めを受けると、ミレイユから「聖女リノレネのお顔を見たいなどとは、夢ゆめ思いませぬよう」といったように注意を受けた。「リノレネさまとはあくまでも布越しにお言葉を交わすことしか、俗界の人間には許されておりませぬゆえ」と。
リノル神の神殿は、いかにも神殿らしい彫り物が渡り廊下の柱や岩室の壁などに施されていたが、それは<どうにか時の風化に耐えている>といったように見えるもので、こんな山頂の、人の行き来も乏しい場所で暮らしていること自体――ギベルネスには随分寂しい暮らしであるように感じられたものである。ここの雰囲気に比べたとすれば、ヴィンゲン寺院のほうがよほど、僧たちの数も多いだけでなく、ある種の宗教的活気とでも呼ぶべきものが多分に見受けられたものである。
『このような場所で、どのようにお暮らしになっておられるのですか』といったような、一般人の浅はかな疑問について口にするほど、ギべルネスも愚かではない。ギべルネスにとって、ここまでの道のりはつらく厳しいものであったが、それでも信仰心を持って幾度となく行き来していれば――ここまで聖女リノレネや彼女に仕える修道女たちの食料や日用品を運ぶといったことも、日々の修行としてそうつらくもないのだろうと、そのように想像されるばかりである。
聖女リノレネのいる神殿の台座までは、何枚もの布の幕がかかっており、相手の顔のみならず、姿すらも一切見られないようになっている。ギべルネスはここでも『あなたさまのお顔を不信仰にも見ようとした者は、今までひとりもいなかったのですか?』といった俗っぽい質問について、一応心に思い浮かびはしたものの、口に出しては何も言わなかった。彼はもう、そんなことすらどうでもよく、なるべく早く西王朝側へ戻りたかった――否、そこでの<神の人>としての自分の役目といったものをすべて終え、とにかく一刻も早く自分の居るべき場所、居るべき世界である宇宙船カエサルのほうへ帰りたかったのである。
「ここまでやって来るのも大変だったでしょう?ご苦労さまなことでございますわ」
「はあ……いやまあ、確かにそうですね」
さらしたばかりの亜麻布のように、真っ白な布が何枚もかかるこちら側で、ギべルネスは畏まったように跪いたままでいた。思った以上に聖女リノレネの声は若く、まだ十代くらいでないのかとすら思われ、そのことにも驚かされた。
「わたくしも、ただ天上の神リノルから、ギべルネス・リジェッロという名の方がやって来られて、らい病人たちを奇跡的に癒して帰ってゆくというヴィジョンを見せられただけなものですから……星神・星母の神々にそのように命じられ、遠く旅して隣国へやって来られたあなさまの御苦労については、ただ労うような言葉をおかけする以外にはないのでございます」
(さようでございますか)などと、茶化すこともなく、ギべルネスは聖女リノレネの言葉に苦笑した。というのも、その神としての名称に違いこそあれ、結局のところその天上の神リノルとやらも星神・星母 のゴドゥノフやゴドゥノワなども、同根の同じ神……つまりは、精霊型人類が神の振りをしているだけのことではないのかと、そんな気がしてならない。
「それで、ですね。わたくしの元にやって来たあなたさまに関するヴィジョンによりますと、あと四日もすればリッカルロ王がこちらへやって来られますから、王との会見が済めば、あとはお帰りになってよしという、そうしたことでございました」
「王との会見ですって!?」
その言葉に聞き従わずに帰ったとすればどうなるのですか――という疑問は、この時ギべルネスには思い浮かばなかった。ただ、自分が何故口裂け王とも呼ばれる人物と会見せねばならぬのか、会ったところで一体何を話せば良いのかと、そのことを恐れもすれば、訝しんでもいたのである。
「左様でございます」と、聖女リノレネはくすりと笑った。「あなたさまも一度リッカルロ王にお会いになれば、かの君がどのようなお方かがおわかりになることでございましょう。あの方はもう、戦争なぞこりごりと思っておいでなのです。四年前の戦争も、ただ父王であるリッカルドさまの御命令により、そのお言葉に聞き従ったまでのことに過ぎませぬ。ディオルグさまとともに、王のお人柄をハムレット王子にお伝えになれば、いずれ西王朝と東王朝の間では平和条約が結ばれ、お互いに平和の礎を築いた王として、歴史にその名を刻むということになりましょう」
「そうでしたか。もしや、そのこととディオルグが幼少の頃、リッカルロ王のお命をお助けしたこととは、何か関係があるのでしょうか?」
ギべルネスはこの疑問については口にした。どうやら精霊型人類が自分をここまで導いたことには、彼自身が考えていた以上に――大きな目的があってのことらしいと、初めて気づかされたからである。
「直接には関係ないでしょうね。というのも、リッカルロ王はそのことについてあまり覚えておいででないようですし……お母さまのゴネリルさまが自殺した記憶とも結びついておりますゆえ、思いだすことが良いことなのかどうかすらもわかりませぬ。ただ、そのように自分のことを命懸けで助けた人物がいる、それが王都にて、通りにその名まで残しているオイゲンハーディン将軍のご子息であることくらいは知っておいでのようですよ。だからギべルネス・リジェッロ、あなたさまのことをも即信用するというのではなく、単に王は自分の父の名を出してティーヴァス城砦を通り抜けた西王朝の旅人がいると聞き、それでやって来るというのに過ぎません」
「な、なんですって!?」
「いえ、心配なさる必要はありません」と、ギべルネスの不安を感じ取ったように、聖女リノレネは言った。「ティーヴァス城砦の守備隊長は自分の義務として、王都に早馬を走らせただけのことなのですよ。無論、あなた方に悪意があってのことでもなく、それが彼の仕事なのですし、万が一の場合に備えてのことだったのだと思います。それに、王に職務怠慢を疑われたくもなかったでしょうしね」
「…………………」
ギべルネスも、その点については一応理解した。自分があのアストリア・アストランス守備隊長の立場でも、敵国からやって来た人間が堂々と三人も国境を越えたというのに、その上の役職の人物に報告しないなどということは、絶対ありえないことである。
「とにかく、リッカルロ王は怖いのは顔だけであって、とてもお優しい方のようですよ。口裂け王などと呼ばれておいでかもしれませんけれど、何も取って喰われたりはしないと思って、安心してお会いになればよろしいのです」
「そうですか。ですが、私がリッカルロ王のような高貴なお方にお会いしたところで……具体的に何をお話すればよろしいのでしょうか?第一、私やディオルグやキャシアスがリッカルロ王の優れたお人柄をお伝えしたところで、それが将来的に二国間で戦争の避けられる事態に発展するとも思えませんし……」
「まあ、とにかく星神・星母の神々にお聞き従いになられることです。ギべルネスさま、あなたさまにしましても、国境を越えて東王朝へ行けなどと言われたところで、ここへやって来てみるまでは、何がどうなるのかもおわかりになどなっておられなかったことでございましょう。ですがどうです?『時が至れば事は成る』という諺がこちらの国にはありますけれど、時が来れば、どんなに困難と思われたことも、大きな運命の岩をも軽々避けて通れるか、ゴロゴロと勝手にどこかへ転がっていくものなのですよ。肝心なのは、これが人間の力によって行われていることではないということです。あなたさまがそろそろここリノヒサル城砦から退いたほうがいいとお考えになっておられることも、天上の神リノルはご存じであられます……まあ、あともう少々の辛抱と思って、我慢してくださいませ」
「ええ。そうですね……」
ギべルネスはこの時、心の底から洩れたとでもいうような、大きな溜息を着いた。言い換えれば、自分が<神の人>としての奇跡を行ってでもいるというような偽善者の立場にいる気がして――彼はそのことが何やらそろそろ耐え難かったのだ。
ここリノヒサル城砦へやって来てから今の今まで、ギべルネスは(もしや、あの精霊型人類が自分に何をさせたいのかを知りたかったとしたら――彼らとコンタクトを取りたかったとしたら――夜眠る前にでもベッドの前で跪いて祈る必要があるのではないか?)との思いが、心をよぎることが幾度となくあった。けれど、そのように真実本当の神というのでもない存在に祈ってたまるかという頑ななまでの思いが、彼に膝を折ることをさせなかったわけである。
(だが、これでいくと、そんな私の頑固なまでの思いというのも、彼らにはお見通しなのではないかという気がするな……)
また、聖女リノレネとの会見というのも、間違いなく必要不可欠なものであったに違いない。というのも、ギべルネスがもし彼女と会わずにそのまま帰国したとすれば、彼の行った奇跡というのは、西王朝の神由来の奇跡だった――ということにもなりかねなかったことだろう。
聖女リノレネからなんの言葉もなくなり、沈黙が神殿内を支配するようになると、(天上の神リノルを通して彼女が伝えるべきことは、以上といったところなのかな)とギべルネスは一瞬思った。だがこの時、ふとあることが疑問になって、彼はその胸に浮かんだ言葉を口にしていたのである。
「聖女リノレネさま、あなたは目が見えないお方だとお聞きしました。ですが、らい菌に冒されたことによって失明した患者の何人かが……目が見えるようになった、これは神の奇跡だと言って喜んでいる人々がいます。神さまというのは少し……いえ、時として少しどころでなく意地悪だなと、そんなふうにお感じになることはありませんか?」
「いえ、まったくありません」
聖女リノレネがあまりにきっぱり即答したので、ギべルネスは驚いた。彼自身はいまだに、この宇宙を統べ治める神という存在は天邪鬼で意地悪だとしか思えないだけに。
「そうですね……あなたとわたくしの間には、もしかしたら何か誤解があるのかも知れませんね。もしあなたが隣の国の西王朝における<神の人>であったとすれば、わたくしはこちらの国での<神の巫女>ということになるかも知れませぬ。きっとここへやって来る人々は、女だけでこんな寂しいところに住んでいるのかと、驚きになることでしょうけれど……わたくしには、肉体の目で見る以上に色々なものがよく見えるという、他の人々が<神の眼>と呼ぶものがあるのですよ。そしてその眼を通して――わたくしは、あなたがここではない、どこか遠くの惑星からやって来た方であることも知っています」
「つまり、どういうことですか?」
流石に今の聖女リノレネの言葉は、ギべルネスにも聞き捨てならないものがあった。まさかとは思うが、ここ惑星シェイクスピアの遥か天上を越えた場所にある宇宙船についてまでも、彼女には見えているというのだろうか?
「残念ですが、これ以上のことは申し上げられません。ですが、天上の神リノルの託宣についてはすべてお伝えしましたし、わたくしがこの眼で見た過去や未来、それに空間的にもっと遠くにある出来事について……一体誰が理解するというでしょう?そうした意味で、わたくしはとても孤独なのです。ですから、あなたがわたくしとはまた別の孤独を<神の人>として感じておられるだろうことも理解しているつもりなのです。それから、あなたさまの羽アリのお友達にも、どうぞよろしくお伝えくださいませ」
「…………………」
(彼女自身になんの罪があるというわけでもないが、ようするにこの聖女リノレネという女性は、言い換えれば精霊型人類の手先と言えるのではあるまいか?)
そう思うと、ギべルネスには何かが複雑であった。ハムレット王子がこれから、悪しき王クローディアスを倒し、聖賢千年平和王と呼ばれるため、自分のことをある意味操り人形としてここまで遣わしたことはまだ良い。ここ惑星シェイクスピアにおいては、彼ら精霊型人類が選んだキャストにより、彼らの書き記したシナリオ通りのことが歴史として起きる……そのこともまあ良いだろう。だがギべルネスはやはり、あるひとつの事柄において彼らのことが許せない気がした。それは何かといえば、たとえば、自分がここリノヒサル城砦へやってなど来なくとも、精霊型人類にはその気になれば、どんな病気の重症者も癒すことの出来る力があるのだ。それであるならば、自分たちが都合良く選んだ時・方法によってではなく、もっと神の奇跡とやらを起こせば良いのではないだろうか?
(そうだ。こう言ってはなんだが、私には他にも彼らに言いたいことがあるぞ。ここ、西王朝と東王朝は、まだ二国とも国として良いほうなのだ。だが、エレゼ海を渡った北王国と南王国は……国民がもっと悲惨な形で放置されていると言って決して過言でなかったろう)
だが、そうした悲惨さについても捨て置いて、自分たちが書いたシナリオの通りに演じることの出来る俳優たちのみ採用し、ここに関わる人間にのみ、なんらかの恩恵を与えたり奇跡を起こしたりすることに――ギべルネスはある種の憤りすら覚えた。また、惑星シェイクスピアの人々は、そうした神や神々の叡智や計り知れなさについては『神が神である以上、人間の如き矮小な存在に理解できぬのは当然のこと』として、そのように考える向きがあることさえも、何かいたたまれないものを感じる。
(無論、我々だって……いや、私だって精霊型人類に対し、文句を言うことはお門違いもいいところかもしれない。今、こうして惑星降下中に遭難したからこそ、ここの住民たちにたぎるほど熱い同情を覚えることが出来るのであって、その前まではカエサルからただ衛星を通して見下ろし、『文明発展途上の惑星では仕方なきこと』として、どんな残虐な行為を見かけることがあっても……助けの手を差し伸べようなどとは一切考えず、放置してきたのだからな)
ギべルネスはこうした相矛盾する苦しい思いとともに、リノヒサル神殿をあとにしていた。見送りのほうは、出迎えの修道女とはまた別の、黒い髪の老女だった。こうした人里離れた場所にて、神への祈りに専心するといった生活を送っていると――もしかしたら少々何やら「普通の人とは違う」と直感的に感じられる風格を備えるようになるものなのだろうか。この老女もまた、赤い髪の修道女と同じく、まるで人と精霊の相の子とでもいうような、言い知れぬ強い威厳のようなものを漂わせていたものである。
「それでは、お元気で。旅の道中の安全を心より祈願いたしております」
ギべルネスが縄梯子を下りようとすると、最後に引っつめ髪の老女は、赤毛の老女よりは多少の愛想の良さを見せてそう言った。「それは有難いことです」と、ギべルネスのほうでも頭を下げる。何故といって、それが普通の社交辞令でないことが彼にははっきりわかっていたからである。彼の母星であれば、もし別れ際に「あなたのためにお祈りしていますよ」と言ったとすれば、それは「さようなら。また会いましょう。ではお元気で」といった程度の、ただの定型句にしか過ぎない。だが、彼女は確かに間違いなく自分のために祈ってくれるだろう。自分が祈っている存在が真実本当に神なのかどうかなどは関係なく……そして、ギべルネスはこれまでの人生で何度となく「先生のために祈っています」と患者から言われた時のように、その気持ちを心底有難いものとして受け止めることにしたのだ。
(まあ、あの精霊型人類というのは……普通の肉体を持つ人間に比べて言ったとすれば、霊的位格が上だという意味で、神と呼べなくもないのだろうがな……)
ディオルグとキャシアスのいるところまで戻ってみると、彼らは天幕を張り、軽く食事しているところだった。話を聞いてみると『神の託宣があるまで、そこで待っていりゃれ』とでも言われ、その後一週間ばかりも待たされる――など、そうした事態についても想定していたためだという。
「いえ、聖女リノレネにはすぐお会い出来たと言いますか、神殿は幾枚もの布に覆われてまして、直接お姿を拝見することは出来なかったとはいえ、お話自体はすぐ出来たのですよ。で、話のほうも比較的あっさり済みまして、今から四日後には、リッカルロ王がここリノヒサル城砦へやって来られるそうです」
「ええっ!?あの噂に聞く、口裂け王がですか?」
ディオルグが何か言うより早く、キャシアスは驚いてそう口にしていた。
「なっ、何をしに……というのはなんですが、四日もあったらここを出て、逃げるということだって……」
「キャシアス、あなたの気持ちはよくわかります。ですが、我々はリッカルロ王に是非ともお会いしなければなりません。それで、リッカルロ王と会見さえしたら、あとは帰国して構わないということでした」
「…………………」
キャシアスはみるみる顔色を悪くさせていた。確かに、この国の王と呼ばれる人物と会って、長く戦争をしてきた隣国の人間だということがわかれば――彼の胸三寸により、即座に処刑されるという可能性だってなくはない。だが、ギべルネスは聖女リノレネの語った言葉をよく言って聞かせ、そうした乱暴や危険や牢獄行きはまずないと見ていいだろうと、キャシアスに嚙んで含めるようにして説明した。
すると、キャシアスは虎を前にした子ウサギのように速くなっていた鼓動が、少しずつ静まっていったようだった。
「わしは会わんぞ。というか、出来れば会いたくない」
このディオルグの言葉は、ギべルネスにとってもキャシアスにとっても意外なものだった。彼はかつてその命をお助けしたリッカルロ王のことを聞くにつけ、胸を熱くさせていたらしいのは明らかだったからである。かといってそのことについて、決して多くを語りはしなかったのだが。
「どうしてですか?三歳だった命を助けた可愛い坊やが、立派に成長して王さまにまでなったんですよ」と、命が無事で済みそうだとわかるなり、キャシアスが簡単にそんなことを言いだす。「しかも、口裂け王なんて呼ばれていても、実際には賢い良い王さまとして臣民にも慕われているのです。美髯王などと呼ばれる、見た目は男前らしいクローディアス王などとはある意味真逆ですよ。過去のディオルグの行いに感謝して褒美を取らせようだのなんだの言われるのは、あなたの性格から言ってこそばゆいというか、そうした気持ちも理解はしますが、もし今お会いしなければ、もう二度と会える機会はないかもしれないのですから……」
「べつに、わしはな」と、ディオルグは先に立ってさっさと下山する準備をしながら言った。「リッカルロさまが健康元気で、幸福な人生を送っていることさえわかっておれば、それで十分なのだ。特段、あの時あなたのために命を懸けて大変でしただの、そんなことを恩着せがましく匂わせるつもりもない。あの方も覚えていないというか、覚えておられないのが一番だというような話でもあるからな……まあ、もし会わずに済まないとしても、わしはただの無口な旅の傭兵か用心棒ということにでもしておいてくれまいか」
「それは無理ですね」と、キャシアスが何か言う前に、今度はギべルネスが言った。「あの感じのいいアストリア・アストランス守備隊長は、西王朝側から三人の旅人がやって来て、ひとりは医者で、ひとりは僧侶で、今ひとりは音に聞こえし猛将ショイグ・オイゲンハーディン将軍の息子だと報告したのでしょうから、リッカルロ王が誰より一番興味を持ったのは、ディオルグ、あなたのことかもしれないのですよ」
「だがどうも、何か気に食わんな」と、ディオルグは直感的に感じたことを口にした。天幕を畳み、それを背負子にくくりつけながら、彼は独り言を呟くように続ける。「確かに、もしわしがリッカルロ王のお命を助けたとかいうことで、ハムレットがリッカルロ王と将来的に平和条約を結ぶということになるのなら、それはとても良いことだと思う。遠く旅をしてこんなところまでやって来た甲斐もあったというものだ。だが、間違いなく絶対そうなるということでもないんだろ?だったらわしとしてはな、やはりなるべく会いたくないんだ。それに、リッカルド王があなたのことを疎み、ゴネリル王妃が自殺したから、ここで命まで落とすなど、王子さまがあまりに不憫だったから命をお助けしただの……おかしなように記憶を思い出したりされても困るしな」
「…………………」
ディオルグのこの言葉に、ギべルネスもキャシアスも黙り込むしかなかった。ただ彼の後に続くようにして、黙々と山道を下りていくということになる。というより、この時初めてディオルグの気持ちがわかったのだ。自分という存在が、過去の極めて不幸なトラウマとセットになっていることから――そんな小さなことをきっかけにして、嫌な記憶を思い出したりしてはいけないという忠誠心、あるいはそれはひとりの人間としての思いやりであったかもしれない。
(それか、親心にも近いものかもしれないな……)
こちらの東王朝の土地へやって来てから、ギべルネスはディオルグ・オイゲンハーディンという男のことが、より深くわかるようになっていた。父親が、その名を聞いただけで国民の誰もが<英雄>のように敬っている――ということは、そのような騎士としての名家に生まれたのであろうし、もしかしたら彼の無骨で無口な性格というのも、猛将として知られる父親譲りだったのではないかと、そう想像したりもする。
(王の息子殺しの命令を受けてさえいなければ、ディオルグもまた、今ここにあるのとはまったく別の人生だったのだろうしな……)
ギべルネスは母星ロッシーニから本星エフェメラへ渡り、何不自由なく暮らすようになってからも、いつでも自分の生まれ故郷の町へ帰りたいと思っていた。エフェメラという場所は、誰もが暮らせるわけではない特別な惑星とわかっていても、もっとも科学の発展した贅沢な都市であるとわかっていても――自分の生まれ故郷である星へ帰りたいという本能的な郷愁の念というものはどうしようもない。
(きっと、ディオルグにだって今までの人生で少なくとも何度か、帰りたいと思ったことがあったのではないだろうか。いや、今からだってもしかしたら……)
ディオルグはひとり息子であり、母は幼い頃に亡くなり、父親のショイグはその後、再婚したということであった。そちらの女性との間に三人娘がおり、彼女たちはディオルグにとっては異母妹ということになろう。だが、ディオルグはこちらの継母との関係があまり良くなく、自分が東王朝の地を去ったのであれば、夫ショイグの残した財産はすべて自分のものに出来るとして、今も生きていればそのことを何より一番喜んでいるだろう――といったような話であった(また、もしショイグが戦死していなかったとすれば、リッカルロ王子を殺せという密命を受けていたのは、息子のディオルグでなく、彼の父のほうだったかもしれない)。
「僕、ディオルグのこと、小さい頃からずっと知っていながら、実際には何も知らなかったんだなって、最近本当にそう思います……」
道の先をゆくディオルグの背中を見つめ、キャシアスがギべルネスと並んで歩きながら、小声でそう囁いた。
「そうですね。尊敬すべき、本当に大変な人生を歩まれた方なのだと思いますよ」と、ギべルネスも頷いた。「キャシアス、私の神の人としての言動についてなどどうでもいいですが、ディオルグのことは歴史書に名前を残したほうがいいと思います。何故といって、これからハムレット王子がもし西王朝の王になるとしたら……いいえ、違いますね。彼は必ず王になるわけですから、そうしたらディオルグは、東王朝と西王朝の双方において王権樹立に関わったと言って決して過言でない、偉大な人物だということになりますからね」
「はい……!!ホレイショとも相談して、必ずそうします」
――こうして、ディオルグ・オイゲンハーディンは、ユリウスとともに、ハムレット王子に教育や武術を授けた人物として歴史書に名を残すということになる。それのみならず、キャシアスとともに、東王朝との外交にも尽力した大臣としても、その名をこの惑星の歴史に刻むということになるのであった。
>>続く。