こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

聖女マリー・ルイスの肖像-【41】-

2017年12月16日 | 聖女マリー・ルイスの肖像
【慈愛】ウィリアム・アドルフ・ブグロー


 ええと、なんていうか今回お話のほうが急展開というか、何かそんな感じで……にも関わらず、ちょっとここのところ何かと忙しく、すっかり更新のほうが遅くなってしまいました

 &そろそろ連載も終わりに近いものの、流石にここの前文に書くネタのほうがなくなってきちゃいまして(^^;)

 なので、どうしようかな~なんて思いつつ、いやでもほんとになんにもねーやというのがあって、本当に困りました。。。

 ええと、まあ今回は本文のほうが長めということもあり、なんか本当にどーでもいいことを手短にと思いますm(_ _)m

 あ、それとユーレイ系のことが苦手な方は、スルーしてくださいねって感じの話だったりもします(いえ、べつに全然怖くはない話なんですけど)。

 わたし、霊感とかまるっっきりない人なんですけど、先週泊まったちょっと鄙びた感のあるホテルで、なんかユーレイっぽいことがあって軽く驚きました

 その~、昔からよくどこのホテルでもその手の噂ってあったりしますよね。実は○階の△号室で昔人が自殺したことがある的な……まあ、そんな噂を聞いたことのあるホテルってわけでもなかったんですけど、とにかく安いだけあってホテルも古いし、設備のほうも必要最低限のものだけ揃ってる的な感じではあったんです。。。

 でもまあわたし、まったく気にしてませんでした。「とにかく一晩眠れればOK!」みたいに思って泊まっただけなので、その日やってたフィギャのぎゅりゃんぷり・ふぁいにゃる見て「そろそろ寝るべか☆」と思ってお布団敷いて寝たというか

 そしたら、夜中の一時半頃……夢の中で誰かが「トン!」って襖しめて出ていったんですよ。その部屋、和室っぽい部屋の上に絨毯を敷いてあるって感じの部屋で、布団しまってあるところなんかも和室風のそれであるにも関わらず、実際には襖をしめたら「トン!」って音のするような戸ではなく……なんていうか、部屋のドアも和室っぽいそれなんですけど、押して開けるみたいな感じのドアで。。。

 それで、寝る前にこのドアのほうはしっかり閉めた記憶があるんです。でも、ほんの3センチくらい開いてるのを見て……すぐ思いました。「あ~、ユーレイさんがそこから出ていったんだな」って。

 もちろん、多くの人が「あんた、寝ぼけてたんじゃない?」とか、しっかり閉めたはずのドアも、自分でそう思ってたっていうだけで、実は緩く閉めてあって、寝たあとにちょっと開いちゃっただけだと思うよ……的に思う方のほうがきっと多いと思います。

 でもわたし、自分に霊感的なものがほとんどなく、そうした経験もこれまでしたことがなかったために――むしろ逆によくわかったんですよ。「あ~、これユーレイだ」みたいに

 まあ、だからといってどうでもないと言えばどうでもなかったりもするんです(^^;)

 何故かというとわたしキリスト教徒なので、そのあと特にそんなに怯えるでもなくイエスさまにお祈りしながら再びぐっすり眠ったっていうそれだけなので。。。

 ただ、「間違いなく今のユーレイだ」ってわかった瞬間にはぞわぁ~!!っとしたっていう、ただそれだけの話だったり(笑)。

 ではでは、次回はお話のほうが急展開で流れの変わってきたその続き……といった感じでしょうか

 それではまた~!!



       聖女マリー・ルイスの肖像-【41】-

「はい……はい。そうです。マリー=ルイスはうちの人間ですが……」

 イーサンのただならぬ様子に、ロンもココもミミも、不安が心をよぎるあまり、耳をそばだてていた。

「そんな……人違いじゃないんですか?大体、なんであいつがそんなところに……はい。ええ、わかりました。今すぐに向かわせていただきます」

 電話を切ったあと、イーサンは頭の中を割れ鐘が鳴り響いているかのようだった。イーサンはマリーと幸福になれるという鐘の音を一緒に鳴らした時のことが思い出され――(あんなもの、鳴らさなきゃ良かったんだ)と思った。(大体、ああいう縁起物ってのは、意外に縁起が悪いからな……)

 だが、自分の背後に子供たちの心配そうな視線を感じ、イーサンはどうにか必死に平静を装った。また、微かな希望の光に心の中で縋っていたというのもある。人違い、ということだってまだ可能性として十分あるではないか。

「にいたん、おねいさんどうしたの?」

「あ、ああ……ちょっと兄たんはこれから病院に行ってくる。意識がないそうだから、まだその人がおねえさんかどうかもわからないんだ。心配しなくていい。たぶんきっと、大丈夫だから……」

 今にも泣きだしそうなミミの頭を撫で、ロンとココのことも眼差しで安心させると、イーサンは別の部屋へ行った。これから、三人には聞かせられない話を、マグダとしなくてはならない。

「すまない、マグダ。きっと今忙しいことと思うんだが、こういう時、頼れる人が他に誰もいなくて……」

『いいんですよ。なんでも遠慮なくおっしゃってくださいな。また一週間くらい、お留守をお預かりしましょうか?』

 マグダは詳しくは聞かなかったが、イーサンとマリーが恋人としてうまくいっているらしいと知り、嬉しくなっていた。これでマクフィールド家は安泰だと思っていたほどだ。

「その……たぶんマグダも、テレビで例の植物園通りの火災を見たと思うんだ。さっき、警察から電話がかかってきて、マリーがそれに巻き込まれたらしいと聞いて……」

『ええっ!?なんですって。今日、わたし偶然、あの現場の近くを通りかかったんですよ。どうしてあんなところに……誰かお知りあいの方でもいらっしゃったんですか?』

「わからない。だから、俺も人違いなんじゃないかと思ってるんだ。けど、警察の人間が言うには、マリーが死……」

 イーサンもその言葉は、途中までしか言えなかった。突然目から涙が溢れ、喉が詰まったように言葉が続けられなくなる。

『そんな馬鹿なっ。いいですか、イーサン。絶対に間違いなく人違いですよ。待っててください。とにかくタクシーを呼んで、超特急ですぐにそちらへ駆けつけますからねっ』

 マグダへの電話を切ると、イーサンはその場に屑折れた。もう立ち上がる気力もない。だが、やはりあんな電話一本程度のことでは信じられなかった。それに、子供たちのことも安心させなければならないし、自分がしっかりしなくては……と、なんとか気力を奮い立たせる。

 マグダは家族の人に車で送ってもらい、それから二十分もせずにマクフィールド家へやって来ていた。

 イーサンも、のちのちのことを考えると心苦しかったが、『マリーは絶対に死んでなどいない』と自分で思いこみたかったせいもあり、子供たちには咄嗟に嘘をついていた。<植物園通り21>というマンションで起きた火災にマリーが巻き込まれ、今病院にいるということ、また彼女がどういった状態なのかはイーサン自身が駆けつけてみないことにはわからないということなど……。

「そんなっ。だったらぼくたちも一緒に病院へ行くよっ。こういう時は家族みんながついててやらなきゃっ」

「そうよ、イーサン。わたしも絶対一緒に行くっ!!」

「にいたん。ミミも、ミミもーっ!!」

 イーサンはとりあえず、病院には他に負傷者が多く収容されていて、そんなところへ子供が三人も駆けこんだりしたら邪魔にしかならないと、語気も強く説得した。そしてあとのことはマグダに任せ、マリーがどういった状態なのかがわかり次第、すぐに電話で連絡すると言い残し、車でマリーの遺体があるという病院のほうへ向かった。

 実際、ユトレイシア市立病院のほうは人でごったがえしていた。こちらへ向かう途中、イーサンはラジオでニュース番組をつけて聞いていたのだが、負傷者が二十数名おり、身元のはっきりしない死亡女性がひとりいるということだった。そのことを聞いた時、イーサンは特に根拠なく、その死亡したという女性はマリーではないと半ば確信していたかもしれない。

(こんなわけのわからない火災に、あいつが巻き込まれるわけなんかないんだ……)

 イーサンは湿っぽい夜の空気の中、救急外来に何台も救急車が停まっているその脇を通り抜け、病院の受付の女性と話をした。するとすぐ警察の人間がふたりやって来て、「こちらです」と恭しく挨拶する。

「こんな時になんですが」と、黒い縮れ毛の、中南米系の血が混ざってそうな男が、名刺を差しだした。<ユトレイシア中央警察署、巡査部長エミリオ・コルテス>とそこには名前が記されている。「いえ、本当に女性ながら勇敢なことでした。お知りあいの方の赤ん坊を助けようとされたんですな。それから、他の部屋に残されていた人のことも何人か……ですが、ああいう建物は煙のまわるのが早いんですよ。それで、おそらくは煙を吸って意識不明となり、そのまま……」

「あいつはどこなんですか?」

 エミリオが部下に目配せすると、アメフトでラインマンでもやってそうな体格のいい猪首の男が、「こちらです」とイーサンのことを案内した。とはいえ、エミリオも後ろからついてきており、イーサンはもう何がなんだかわからなかった。

 それでも、病院地下の霊安室へ案内された時には血が冷たくなるのを感じたものだ。イーサンはこの時、神に必死に祈っていた。(どうか、絶対に人違いでありますように……!!)と。

 だが、現実は無情で残酷だった。エミリオの部下のグレゴリーが顔にかかった白い布を取り去ると――そこには彼の最愛の恋人の優しい顔立ちがあった。イーサンは堪らない気持ちに襲われ、マリーのことをどうにか抱え起こそうとした。まだ生きていると、そう信じたかった。

「お気持ちはわかりますが……」

 エミリオ・コルテスにマリーとの間に入られ、イーサンはマリーが確実に間違いなく死んでいるのだということがわかった。それでも、やはりまだ信じられなかった。

「すみません。少しの間、ふたりきりにさせていただけませんか……」

 そう言うのが精一杯だった。エミリオとグレゴリーがともに出ていくと、イーサンは寒々とした部屋で、マリーの体を抱いた。

「おまえ、なんで……嘘だと言ってくれっ。大体、どうしてあんな火事の現場に……」

 滂沱と涙を流しながら、イーサンはマリーの手を握りしめ、その手の甲に何度となく口接けた。自分でもそれから何十分時が経ったのかはわからない。ただ、再びエミリオが中へ入って来、「そろそろ……」と言うと、一度外へ出なければならなかった。

「あいつは……一体いつ家に帰れるんですか?」

「申し訳ありませんな。まずは身元を確認していただいて、いくつか書類にも御記入していただかなくてはいけないものがありまして……そのあと、また再びこちらからすぐ御連絡致します」

「そうですか……」

 出来ることなら、このままマリーのそばにいたいとイーサンは思った。もし霊安室にずっといることが出来ないのなら、せめて病院内のどこかでもいい。とにかく、マリーの体の出来るだけ近い場所にいたかった。だが、その一方で、このことを子供たちにも知らせなくてはならないとイーサンにはわかっており、まずはマグダに連絡した。

 電話すると、マグダもショックのあまり言葉を失っていた。子供たちには自分の口から説明すると言っておいたが、マグダの様子からおそらくそれと察したのだろう。イーサンが玄関ドアをくぐった時に聞いたのは、子供たちの泣き叫ぶ声だった。

(おまえ……馬鹿だ、マリー。本当におまえは……そんな赤の他人の赤ん坊なんか放っておけば良かったじゃないか。代わりに、うちの子がこれだけ泣くことになると、どうして考えなかったんだ?どうして……)

 霊安室から出たあと、イーサンは火災が鎮火するまでの詳しい経緯を聞いた。火災の原因については消火活動の終わったこれから調査するとのことで、まだわかっていないという。だが、マリー自身の足取りについては、まず十階に住む女性の赤ん坊を助けて消防士に託すと、そこから九階、八階と順番に部屋を見て回っていたらしいということだった。

『そんな馬鹿なことがありますかっ。そんなこと、プロの消防士に任せて、自分は逃げるべき……いや、違う。その消防士たちは一体何をしてたんですかっ。そんな一般人の素人に救出作業なんてさせてないで、無理にでもあいつを外に出してくれていれば……』

『それが、ですな。少々事態がこみいってまして……』

 エミリオ・コルテスはここでとても悲しそうな顔をした。

『自分の赤ん坊を助けてもらった女性が、まだ相当取り乱しておりまして。無理ありませんよ。ある意味、自分のせいでひとりの女性が死んだんですから。それでも、話として聞いた限りにおいて、ようするに彼女……マリーさんとおっしゃいましたな?マリーさんはその家でベビーシッターをしておったのですよ。そこの家ではですな、上に四肢麻痺の女の子がふたりと、その赤ん坊が暮らしておりまして……火災が起きた時、マリーさんは非常階段から赤ん坊と、その四肢麻痺の十六歳と二十四歳の子たちを連れて逃げなければならなかったわけです。何分、ふたりは車椅子で普段移動してますからね……エレベーターが使えないとなったら、背中にでも背負っていくしかない。そこで、マリーさんが六階くらいまで降りた時のことですよ。消防士三人と出会って、彼女はその子たちのことを頼んだんです。もちろん、消防士たち止めました。あなたも今すぐここから逃げなさいとも言った。というより、消防士たちはですな、ひとりは四肢麻痺の子のことを抱っこをし、もうひとりも同じようにして運ばねばならなかったわけです。そして、赤ん坊のことはてっきりマリーさんが自分で連れていくだろうと……ところが、その子のことも無理やり消防士に押しつけるようにして自分はまた現場に戻っていったんです。火はまだ上のほうまではまわってませんでしたから、彼女が大丈夫だと思った気持ちもわかります……そのあともそうやって何人か助けて、消防士に会うたびにひとり、またひとりと人を押しつけていったんですよ。もちろん、消防士たちも必死で彼女のことを探しました。けれど、見つけた時にはもう……』

 イーサンはこのことを泣きじゃくる子供たちに説明しなくてはならなかった。マグダもまた泣いていたが、それはマリー自身の死に対する涙であるのと同時に、マクフィールド家の子供たちがあまりに不憫だという涙でもあった。そしてこの日、マグダはマクフィールド家の屋敷のほうへ泊まるということにし、子供たちが泣き疲れて寝てしまったあと、さらに細かい経緯について彼女はイーサンに聞こうとした。

「本当に、どうしてこんなことに……わたしも、マリーが誰か人のお宅にベビーシッターをしに行ってるだなんて、聞いたことありませんでしたよ」

『にいたん、マリーおねえさんが死んだなんて嘘でしょ!?本当はご病気で病院に入院してるだけなんでしょ?』

 ミミに縋るようにそう問い詰められた時、イーサンもつらかった。だが、遺体を確認してしまった以上、もう嘘をつき続けるということも出来ない。

『ごめんな、ミミ。もしそうだったら、どんなに良かったか……』

 ロンもココも泣いていた。特にココは、つい最近までマリーに反抗的な態度を取っていただけに、後悔の思いで胸が塞がれるあまり、自分の部屋へ駆けこむと、一階にまで聞こえるくらいの大きな声で号泣していた。

 ロンはふたりに比べると、比較的落ち着いて見えたが、それもまた自分と同じように遺体を直接見るまでだということがイーサンにはわかっている。ただ言葉でだけ「死んだ」と聞かされても、まだ半分信じられないようなところが残っているのだろう。

 ミミのことはマグダに任せると、イーサンはココの部屋のほうへ行った。ベッドに突っ伏して泣きじゃくるココの傍らに座ると、暫くはただそのままでいた。イーサンには妹の気持ちがよくわかっていた。近ごろずっと反抗的だったから――もしこんなことになるとわかっていたらと、後悔の思いに苛まれているに違いない。

『ココ、俺はな、正直いってマリーに対して腹を立ててる。もしミミやココがどこかのマンションの火災現場に閉じ込められたっていうんならな、まだしも話はわかる。だけど、そんな赤の他人のために……でも、おねえさんがそういう人だったからマリーはうちにやって来たんだし、ココがもし物凄く生意気な口をあいつに聞いたあとでも、マリーはココがそんな目に遭ってるとわかっていたら、当然おまえのことを助けるためになんでもしてくれたさ。そう思って、あまり自分のことを責めるんじゃないぞ』

 ココは体を起こすと、ティッシュで一度洟をかみ、イーサンの胸に抱きついた。

『イーサンも、おねえさんのこと好きだったでしょ?愛していたんでしょ?……』

 ――あとのことは、言葉など必要なかった。イーサンはココと長く抱きあっていたあと、おやすみのキスをして妹の部屋をあとにした。何分、夜も遅かったため、ランディの寮のほうへ電話するのは明日にしようとイーサンは思っていた。また、自分も少し休まないことには、弟にまた一からマリーの死の経緯を説明する力が沸いてこないという、そのせいでもあった。

「あの、イーサン……」

 マグダから再び話しかけられて、イーサンはようやくハッとした。マグダがコーヒーを淹れてくれ、それを受けとると、イーサンはどこか自動的な手つきでそれを口許まで持っていく。

「それで、マリーはあのマンションの住人の方と知り合いか何かだったんですか?」

「いや、わからない……」

 そう言いかけて、イーサンは一度頭を振った。エミリオ・コルテスという警察官の話していたことを思いだす。そしてもう一度疲れた頭で思考を組み立て直した。

「確かに、よく考えてみたらそうだな。ベビーシッターをしてたっていうんだから、まずは知り合いといっていいんだろう。ただ、その女性のほうでもまだ相当取り乱しているらしくてな、警察のほうでも詳しい話のほうはまだ聞けていないらしい。俺も、マリーがその人とどういった種類の知り合いなのかもわからないし……」

「そうですか。でも、マリーにだって親戚や誰かがいたでしょうから、このこと、知らせなきゃなりませんよね」

「…………………」

 イーサンは黙りこんだ。マリーの話では、『わたしにとっては修道女のみなさんが家族で、母が亡くなったあとは親族というのは誰もおりません』ということだった。けれどそれは、統合失調症だった母親が親戚づきあいをしていなかったということで、血の繋がりのある人間がこの世に誰もいないというのとは少し別のことである気がする。

(そうだ。ユトレイシアイエズス教会……)

 イーサンはようやくのことでそのことを思いだし、ガタリと席を立つと、何年も昔の電話帳を棚から探した。そしてキリスト教の各宗派の<教会>の名前がたくさん並ぶ中から「ユトレイシアイエズス教会」の電話番号を探しだしたのである。

 時刻はこの時点ですでにもう零時に近かった。ゆえに、イーサンはこちらのほうへは明日連絡しようと思うものの――マグダには一旦、このことを伏せておくことにした。イーサン自身、疲労と心労によって頭の中がうまく働いていない状態であり、マグダにはとにかく「いてくれてどんなに助かっているか……」と感謝の気持ちを述べ、その日はイーサンもすぐ休むことにした。

 そしてこの日の夜、イーサンは夢を見た。夢の中で彼はまだ十一歳だった。母が闘病虚しく亡くなると、それまでほとんどつきあいのなかった顔も知らない母の親戚たちがやって来た。また同時に、母が実は結構な上流階級の出であったらしいことに、イーサンは驚いたものだ。とはいえ、ガブリエル・ミラーの両親は死んだ娘に会いに来なかった。遥か昔に勘当したというのが、その理由だった。

 だが、そのかわり母の姉と妹という女性がやって来て、どちらの家にイーサンのことを引き取るかと押しつけあいだしたのだ。

『まあそりゃあね、見た目は綺麗な子ですよ。学校の成績だっていいらしいし……でも、うちにはこれから年頃になる娘がふたりもいますからね。うちで暮らさせたら将来どんなことになるかわからないもの』

『やだわ、姉さん。そんなのうちだって同じだったら。しかもうちの子なんて面食いだから、一目ですぐ気に入ってしまうかもしれないわ。だけど、世間体ってものがありますからね。なんといってもあの子の父親は、あの女たらしで評判の悪いケネス・マクフィールドですもの。一度家に上げたりしたらどんなことになるやらわかりゃしないわ』

 そして、小さい時から無鉄砲でお転婆だったガブリエルとそのケネス・マクフィールドを掛け合わせた息子なのだから、きっととんでもないことになるに違いない――というのが、彼女たちの導きだした結論なのらしかった。

 だが、イーサンにとって何より嫌だったのは、そんな本音は押し隠しておいて、彼女たちが人前では偽善者ぶり「可哀想な子!」などと言い、抱きしめてきたりしたことだったろうか。そんなわけで、イーサンは母方の親戚たちとは誰ひとりとしてつきあいのようなものを今に至るまで一切していない。

 夜中の三時半頃に一度目を覚ますと、イーサンは眠れなくなった。母のガブリエルが亡くなった時も、確かにイーサンは胸が潰れるほど悲しかった。それなのに明日からもまた生きていかなくてはならないということに対しても深く絶望した。

 けれど、今イーサンはその母が亡くなった時以上に悲しかった。そして思う。(子供ってのは意外に、強いものだな……)と。だが今イーサンは世間に成人とされる年齢に達しており、昔のあの頃よりも弱くなったらしいとそう感じる。

(マリー……どうしてだ。どうして死んだ?それに、神とやらがいるのなら、何故彼女を死なせたんだ?)

 イーサンはベッドサイドで頭を抱えこむと、自分のせいでマリーは死んだのではないかという気さえしてきた。何故といって、マリーはずっと忠実に神に仕えてきたのに、横から自分が悪魔よろしく誘惑したことで――言うなれば神がもともと彼女に持っていたらしき計画が頓挫することになったのだ。

 イーサンの中にはこれまでの間、自分が<神に聖別された女>に手を出したという意識はまったくなかった。だが、何故か急に思いだしたのだ。ロンシュタットリハビリセンター内にある教会で、ライアス牧師が日曜日にしていた説教のことを……。

『わたしはね、<金や銀や宝石>っていうのは、ようするに神さまの御前に価値ある行動のことで、<木や草やわら>っていうのは、神さまの御前にあまり価値のない行動のことだと思うの。もちろん、どちらの人もイエスさまの血の贖いを受けたキリスト教徒ではあるのよ。ただ、ああいう施設ではね、心の動機っていうことがとても大切だっていうことをライアス牧師はおっしゃりたかったんじゃないかしら。毎日、同じ仕事の繰り返しだと、やっぱりだんだんに仕事に対する慣れから、そんなに心をこめて仕事をしなくなる部分があるっていうか……でも、黄金律っていうのは、自分がしてもらいたように他者にもなすべきだっていうことでしょ?やっぱり、神さまの目から見て<木や草やわら>に属する介護じゃなくて、<金や銀や宝石>に属する看護を目指すべきだって心に留めておくことって大切なんじゃないかしら』

(でもまあ、人間ってのはそんなに強い生き物じゃないからな)とイーサンは思ったが、とりあえずマリーに合わせて頷いておいた。そうだ、とイーサンはホテルで食事をしながらマリーとした会話のことを思いだす。

(そういう意味で、確かにあいつは強い人間だった。ある意味、俺なんかより遥かに……)

 この時のイーサンにはまだ知りえなかったが、この二日後、グレイス・マッキンタイアという女性がマクフィールド邸を訪ねてくると、その気持ちはイーサンの中でますます強くなった。なんにせよ、イーサンはマリー=ルイスの亡くなった翌日、夜が明け初めるのと同時に起きだすと、そのあと暫くダイニングのいつもの席でぼんやりしていた。

 もう二度と、マリーがキッチンに立って料理を作る姿を見ることが出来ない、庭の手入れをしている姿を見ることもない……そうやってきのう起きたことを現実として受けとめるのは、イーサンには堪らないことだった。この日、ココもロンもみな朝早く起きてきた。そしてマグダの作ってくれた朝食を食べているうちに、ココが最初に泣きだした。

「わたし、もっとおねえさんのこと、手伝ってたら良かった。ごはんとか、おやつ作ることとか色々……それなのに、我が儘ばっかり言って……」

「マリーはそんなこと、全然思ってやしないさ」と、イーサンは優しく言った。「いいか。マリーはおまえのことが好きだったんだ。もちろん、ロンのことだってな。マリーにとっては、家族のために何か出来るっていうことが一番の喜びだったんだ。ココが今のココらしくもなくて、ただ家の手伝いを熱心にしてくれる子供だったら、あいつだってきっとつまらなかったろうよ。マリーがな、ココ。おまえの中で一番好きだったのは、家事の手伝いをしてくれるとかそういうことじゃなくて、性格がはっきりしてるところさ。マリーが自分でそう言ってたんだから、間違いない」

「本当に?……」

 半身半疑といった顔のココに、イーサンは力強く頷いてみせる。

「それと、ロンのことは最初に見た時から好きだったそうだ。『この子はきっと世界一いい子に違いない』って直感したとかってな。その気持ちは最初に会った時からずっと、一度も変わらなかったそうだ」

「おねえさん、ぼくのこと、そんなふうに言ってたんだ……」

 ロンもまた、少しの間放心状態になって、食卓のものには手をつける気にもなれなかった。実をいうとロンにはまだ、あのおねえさんが死んだだなんてとても信じられなかった。今しもそこのドアの陰からでも姿を現しそうなのに、何故いないのだろうといったようにしか思えない。

 そしてここで、マグダもまたミミの部屋から瞳に涙を浮かべて戻ってきた。

「ミミちゃん、『おねえさんがもういないのに、起きても仕方ない』って……」

「そうか。今は少し放っておいてやろう。俺もあとで、ミミには少し大事な話をしなきゃならないから、時間を置いてからミミの部屋へは行くことにするよ」

 この日、イーサンはまず午前八時すぎにランディの学校の寮のほうへ電話した。ランディは驚きのあまり言葉を失っていたが、イーサンが最初想像していたよりも冷静だった。やはり、突然死んだなどと聞かされても、現実感がなかったというそのせいなのかもしれない。

 だが、イーサンがセブンゲート・クリスチャン・スクールにランディのことを迎えにいってみると、弟はなんとも言えない悲惨な様子をしていた。制服の袖で何度も涙を拭ったせいだろう、紺色のブレザーの袖は汚れ、まだ中学一年生だというのに、顔のほうはくしゃくしゃに皺が寄っていた。

 その傍らにはネイサンがおり、しきりと親友のことを慰めていたらしかったが、友の言葉自体、ランディの耳にはまるで届いていないかのようだった。

「その、先生たちには許可を取ってありますので、僕も一緒に帰ってもいいですか?」

「ああ、もちろんだ」

 そしてこのマクフィールド家へ戻ってくるまでの帰り道、ランディはずっと泣きどおしだった。ネイサンのほうは比較的落ち着いて見えたが、それでもマリーが亡くなった理由について聞くうち、やはり彼も静かにまた涙を流しはじめた。

 ランディの帰宅は、家族の全員に大きな慰めを与えた。それまではあまり意識してこなかったこと……家族の全員がこうして揃うことが出来るというだけで、言葉に出来ない大きな慰めが心に生まれた。ネイサンはこの家族の輪の中に加わることはしなかったが、誰もがみなネイサンがいてくれることを喜んでいた。実際、マリー自身も言っていたことがあったものだ。『ネイサンはうちの子のようなものよね』と……。

 イーサンはランディとネイサンのことを自宅に連れ帰ると、弟妹が心からの悲しみから抱きあう姿を見守ったのち――少し離れた別室から<ユトレイシアイエズス修道会>のほうへ電話した。マリーが孤児院にいたのは、本当に天涯孤独だったためなのか、連絡を取りあっていないというだけで、誰か他に血の繋がった人間がいなかったかどうかなど、これではっきりするだろうと彼は思っていた。

 イーサンが最初に電話に出た女性に事情を説明すると、『アグネス院長にお繋ぎします』と言われた。イーサンはなんとはなし、この時何か胸騒ぎのようものを覚えた。何故なのかはわからない。イーサンは愛するマリーのことについてなんでも知っておきたいという気持ちがあるのと同時、この時何かを恐れていた。そして、彼が何故この時自分が恐れの気持ちを抱いたのかに気づくのは、もっとずっとあとのこととなる。

『はい。修道院長のアグネス・マルティネスですが……』

 おそらく、声の感じからして五~六十台くらいだろうか。硬質の声の、どこか有無を言わせぬ、感情のこもらない話し方をする女性だった。

「その、そちらに以前いたマリー=ルイスのことでお話がありまして」

『マリーが、どうかしたのですか!?』

 急に、相手方の女性の声に人間らしい温かみが加わって、イーサンは驚くと同時に少しほっとした。もともと彼は神父や牧師といった、聖職にある人間を相手にするのが苦手なのだ。

「火事に巻き込まれて亡くなったんです。そしてわたしは、彼女と今までずっと一緒に暮らしてきた家族なんです。でもマリーが、以前そちらのほうで修練女をしていたと話していたことがあったものですから……」

『…………………』

 暫く、沈黙があった。マリーが死んだということが飲みこめないのか、それとも泣いているのか、イーサンにもわからない。

『そうでしたか。このような場所では世事に疎いのですよ。何分、テレビを見ながら食事するといった環境でもないものですからね。あの子、何故亡くなったのです?誰か人でも助けたのですか?』

「…………………」

 今度はイーサンが少しの間黙りこんだ。突然院長の話す言葉が角の取れた柔らかい口調に変わったそのせいだ。うまく説明できないが、彼女とマリーはイーサンが想像している以上に精神的に深い繋がりのあるだろうことが、すぐに窺い知れた。

「そうです。四肢麻痺の女性をふたりと、赤ん坊の女の子をひとりと、他にも寝たきりで動けなかった老人の方など……助けたのは良かったですが、肝心の彼女のほうが亡くなってしまいました」

 死んだ、とか亡くなったという言葉を口にするたび、イーサンはぐっと感情が迸りそうになるのを抑えなければならなかった。この時もそうだったのだが、アグネス・マルティネスは本当に微かなイーサンの声の震えから、すべてを察したようだった。

『では、あなたがイーサン・マクフィルードですね?マリーから、大体のところ話は聞いています。あなたのことと、またあなたの他の家族のことも……』

「そうでしたか。まだ、遺体のほうが病院のほうから戻って来ていないのですが、マリーが戻ってきたら葬儀のほうを執り行う予定でいます。その際、誰かお呼びしたほうがいいのかどうか、他にマリーに親戚でもいたかどうか、そのことをお聞きしたかったんです」

 ここで、涙を拭うような気配のしたのち、アグネス院長は言った。

『わかりました。あの子の他の家族はわたしたちですよ。マリーの母親の両親は、精神病の娘のことを放ったらかしにしてふたりとも失踪してしまったんです。ですから、誰か連絡するべき親戚がいるのかどうかは、わたしにもわかりません。けれど、あの子も自分の望んでいた故郷に帰りたいでしょうから……葬儀のほうは、わたくしどものほうで行いますよ』

「いえ、そんな……マリーはもううちの人間なんです。葬儀のほうはこちらで行いますので、お気遣いなく」

『…………………』

 ここで、両者の間に何か相容れない沈黙が流れた。イーサンはわけがわからなかった。というより、どうするのがマリーの本当の望みなのかがわからなくて、混乱していたかもしれない。

『どうやら、お互いの間で話しあいの席を持つ必要がありそうですわね』

 アグネス院長は実に実務的な、最初に電話に出た時の硬質の声に戻ってそう言った。何故なのだろう、イーサンは直感的にこのくだんの修道女には勝てない気がしていた。無論、相手の背後には神がおわすのであるから、それも無理からぬことであったかもしれないが。

 そして、さらにこの翌日の夕方――アグネス・マルティネス修道院長がマクフィルード邸を訪れた。この前日の夕方にマリーは病院から遺体を戻されていたが、棺桶の中の彼女は天使の着るような白い衣装に着替えさせられ、花に埋もれてとても綺麗だった。

 イーサンは一階の客間のひとつにマリーの遺体を安置していたが、次から次へとたくさんの人々がやって来て献花していった。それというのも、マリーの身元がわかるなり、テレビのほうで大きく報道されたせいもあり、イーサンがまるで知らない人までもが(実際、中にはホームレスとしか見えない人物もいた)、「せめてお花だけでも……」と言っては、まるで聖人でも拝するように恭しく彼女のことを礼拝していったのだった。

 そのことはイーサンにとって嬉しい反面、客間がどんどんと花で溢れていくのを見るにつけ、少し複雑な気持ちになってもいた。また、まるで見知らぬ人間に対応しなければいけないことに対して、気遣いから疲れもしたし、そんなわけでアグネス修道院長を屋敷に迎え入れた頃にはすっかり疲れきっていたといっていい。

 アグネス・マルティネスは中肉中背の、一見どこにでもいそうな雰囲気の女性に見えた。黒い修道服にすっぽり包まれた彼女は、髪のほうもウィンブルと呼ばれる頭巾のほうに隠れているため、髪の色のほうはわからない。だが、おそらくは瞳と同じ黒なのではないかと思われた。年のほうはおそらく、五十台後半から六十台前半といったところだろうか。

 にも関わらず、アグネス・マルティネスと出会った瞬間、イーサンは彼女が一筋縄ではいかない女性であるように感じた。表面的には、つましい雰囲気の控え目な女性であるようにさえ見えるが、イーサンはアグネス院長に対して気圧されるような威圧感を感じたのである。

 アグネスは客間に安置されたマリーの遺体と体面すると、その場に屑折れて泣きだしていた。「いつか、きっといつかこんなことになると……わかっていましたよ、マリー」そう言って、アグネス院長は眼鏡を外すと、真っ白いハンカチで何度も涙を拭っていた。

 そしてイーサンが『いつかこんなことになるっていうのは、どういう意味ですか』と、聞こうとした時のことだった。廊下にいる教会から手伝いにきていた人々の間で、小さな騒ぎが起こった。というのも、車椅子に乗った女性がふたりと、赤ん坊を腕に抱いた女性が現われて、言わば――こういう言い方はどうかとは思うが、大衆たちの望む感動的な場面が演じられようとしていたからだ。

 赤ん坊を腕に抱いた女性は、無論グレイス・マッキンタイアであり、車椅子に乗っていたのは彼女の長女と次女だった。グレイスは目を真っ赤に泣き腫らしており、もともと綺麗な顔立ちをした女性なだけに、なおいっそうのことそれは痛々しいような印象を見る人に与えたかもしれない。

 花で半ば以上埋もれたような客間に足を踏み入れると、グレイスはマリーの棺の前に身を投げだすようにして泣きだした。後ろに彼女の長女の車椅子に乗ったシャーリーと、次女のジェニーがいる。また、彼女たちの車椅子は彼の父親のアダム・マッキンタイアが押してきたのだった。

「今度のこと、本当になんとお侘びしたらいいのかっ……」

 グレイスの態度は決して芝居がかったものではなく、心の底から改心している人間のそれだった。彼女は顔を覆って泣くと、あとのことは嗚咽によって言葉にならなかった。グレイスの夫も言葉もなく涙を流し、シャーリーとジェニーもまた、声もなく静かに泣いていた。ただ、まだ一歳にもならないキムという名前の赤ん坊だけが、静かに寝息を立てて眠っている。

「心配はいりません、奥さま」と、アグネスは突然毅然とした態度で言った。「この子は、神にあってこうなる運命だったのです。修道院を出たあの日から、いつか誰か人のために命を落とすことになるだろうとわたしにはわかっていました。そしてこの子自身もそのことをずっと願っていたのです。人が求めるものを与え尽くして、イエス・キリストの渇きを癒すこと……それがこの子がこの地上に生きる意味のすべてでした」

「あの、あなたさまは……」

 幾何学的な花模様の緑の絨毯から顔を上げると、グレイスはアグネス修道院長のことを見上げた。

「わたしは、マリー=ルイスの教母……ようするに、母親のようなものです。あの子のことは四歳の頃からずっと知っているのです。きっとマリーも、あなたが悲しんでいると知ったら、天上で悲しむでしょう。けれどもあの子は卑怯なことのためでなく、自分の信じたことを行って死んだのです。今ごろはイエスさまに『よくやった。良いしもべだ』と言われ、その御腕に抱かれていることでしょう。ですから、何も心配はいらないのです」

 そう言ってからアグネス院長は胸にかけていたロザリオを手にして、「本当に愛らしい御子ですね」と言って、車椅子に座っているシャーリーとジェニーに神の祝福を与えた。それから、ぐっすり眠っている三女のキム・マッキンタイアにも。

「……よかったらこちらで、お話していかれませんか?」

 イーサンはようやくそう言うのが精一杯だった。それから、アダム・マッキンタイアが「このたびは……」とイーサンに向けて口を開くのを見て、ただ静かに「いいんです」と言って首を振って止めた。誰が悪いというわけでもない。それに、マリーがもしマッキンタイア家の子を消防士に托して、そのまま自分もあのマンションから出ていったのであれば……彼女の命は助かっていたはずだった。だから、彼らのうちの誰が悪いということも決してないのだ。

 ただ、イーサンは隣のもうひとつの客室にマッキンタイア家の人々を通しながら、まったく別のことを考えていた。おそらく、普通に考えたとすれば、命を助けた側の家族と命を助けられた側の家族、感動の対面――といったところなのかもしれない。けれど、イーサンがマッキンタイア家の人々が客間に入ってくるのを初めに見た瞬間思ったのは、ある種の物理的な驚きだった。

 というのも、車椅子に乗っている姉妹はふたりとも、とても太っていた。マリーはおそらく身長のほうが百六十センチなかったはずである。ところがこの姉妹ときたら……ずっと車椅子に乗っている生活のせいかどうか、あの痩せているマリーがどうやってこの子たちを階段で運んだというのか、まったく不思議なほど、横に幅があったのである。

 もちろんイーサンは、人が太っていたからといってそのことで差別意識を持ったりはしない。ただ本当に純粋に不思議だったのだ。マリーはこの足の利かない姉妹ふたりをどうやって階段から下ろしたのだろうと……。

「マリーちゃん、ジェニーのこと抱っこして、一段一段おりていったの。もう一階分おりるごとにね、汗でいっぱいだったの」

「そいからね、シャーリーのこともマリーちゃんは抱っこしてくれたの。『苦しいでしょ、ごめんねごめんね』って何度も言ってたの」

 それから姉妹はまた泣きだした。ランディもロンもココもミミも泣いていた。長女のシャーリーは二十四歳、次女のジェニーは十六歳ということだった。ココは普段、あまり自分から率先してそういうことはしたことがないが、この時この四肢麻痺のある姉妹ふたりともに、自分から抱きついていった。ミミはまだ小さな赤ん坊のキムの顔を覗きこむと、「おなまえはなんておっしゃるの?」と、照れくさそうに聞いた。

「キムっていうのよ、ミミちゃん」

 そう答えながらも、グレイスの心は今しも鉛に押し潰されそうだった。何故あの日、自分はマリーに家の留守を任せて出かけたりしたのだろう、そのことをずっと彼女は後悔していた。確かにグレイスは障害のある子供ふたりの介護に追われていて、疲れきっていた。そこへマリーが「自分でよければ少しの間くらいなら留守番してますから」と申し出てくれたのだ。「家も近いですし、もし何かあったらいつでも呼んでくれて構わない」とも……。

 グレイスはマクフィールド家の家族とマグダ、それに自分の家族の前とで、何故こんなことになってしまったのかの経緯を説明した。実はそのことはすでにアグネスは知っていることだったが、もちろん彼女はそんなことは黙っていたのである。

「最初にお会いしたのは、一年くらい前のことでした。この子たちを連れて、ヴィクトリアパークを散歩していたのです。そしたら、『良いお天気ですね』とマリーが声をかけてくださったんです。何分、この子たちがこんな状態でしょう。時々、変な目でじろじろ見ていく人なんかもいて、わたしももう慣れてはいますけど……マリーはそういうところがまるでなかったんです。本当に自然で当たり前みたいに「こんにちは」ってこの子たちにも挨拶してくれました。それから、色々お互いのことを話したりしたんですよ。普段、会ったばっかりの人にわたしもあんなに色々しゃべったりはしないんですけど、わたし、この人ともっとお話しがしたいと思ったんです。そしたら、マリーがうちはすぐそこだからと言って、中に入れてくださって……そんなふうにお互いの家を行ったり来たりするようになったんです」

 イーサンはもちろん、そんなことはまるで知らなかった。それから、ふたりは急激に親しくなり、グレイスはマリーに普段の生活でどれだけストレスが溜まっているかなどを、女の親友に話すようになんでも話すようになったという。そしてたまに、マリーが一時間か二時間、留守を預かってくれている間、買い物をしたりといった気晴らしをしていたということだった。

「もちろん、ヘルパーさんにもうちへは来ていただいてますし、なんでもかでもわたしがこの子たちの面倒を見てるってわけじゃありません。でもマリーが、そういうことじゃなくて、本当に自分にちょっとしたご褒美を与えたほうがいいって言ってくれて……その言葉に甘えることにしたんです。でも、今はそう思いませんわ。あのマンションが火事になって初めてわかりました。目が覚めたんです。自分は本当はとても恵まれていたのに、ずっと神さまにブツブツ文句ばかり言ってきたんだっていうことが……」

 アグネスはこのことを、マリーからの手紙で読んで知っていた。彼女も夫も、子供が欲しいにも関わらず、グレイス自身が不妊症で、なかなか赤ん坊に恵まれなかったこと、不妊治療をしてようやく授かった子が四肢麻痺であるだけでなく、重い知的障害を持って生まれたこと、次こそ健康な子をと思っていたのに、またしても同じように障害のある子が生まれてしまい、絶望の底に突き落とされたということ、そしてもう二度と子供は作るまいと思っていたのに、思いがけなく三女を授かり、その子が健康な子として生まれてくれて、どれほど嬉しかったかということなど……。

 他に、グレイスはマリーに、まるで神父に告解するかの如く、色々なことを相談していた。実は上の障害のある子ふたりをまるで可愛いと思えないこと、今よりずっと幼かった時には世話をするのが本当に大変で、せっかく授かった命なのに「死んでくれないだろうか」と思ったことさえあったということなど……アグネスはそうしたことも知っていたため、グレイスの流す涙の意味を、この場にいる誰よりもよく理解していた。それは、心から悔い改めた者の流す痛悔の涙だったのである。

 だから、グレイスがどんなにマリーに心を慰められたかということを話し、またイーサンのほうでも「あなたのせいではありませんから」と優しく声をかけ――マッキンタイア家とマクフィールド家の者同士がすっかり心を通い合わせて抱きあったあとで、アグネスはグレイスに赦しを与えていた。

「あなたにマリーのことで罪は何もありません。安心してお帰りなさい。あなたがこれからも家族とともにあって幸せであることが、マリー自身の一番望んでいることなはずですから」

「はい……ありがとうございます。アグネス院長さま」

 そう言ってグレイスはアグネスの手の甲に接吻をした。彼女は子供を望んだのになかなか妊娠できず、しかも苦労して妊娠したにも関わらず、その後ふたりも続けて障害のある子が生まれたことで……以前は熱心に通っていた教会へも行かなくなっていた。けれど、これからはもう新しい歩みをしなくてはならないと、この時すでにもうはっきりと心に決めていたのである。

 一見、感動的な会見でありながら、イーサンはマッキンタイア家の人々が去っていくと、ひとり複雑な気持ちを抱えて思い悩んだ。何より、アグネス修道院長のことが気に入らなかった。マリーが死んだのは神にあってそういう運命だったのだの、まるで神のかわりでもあるようにグレイス・マッキンタイアに赦しを与え、マリーのことであなたに罪はないと宣言したり……イーサンはマリーの教母だったというこのアグネス・マルティネスのことをこの時、半ば憎みはじめてさえいたかもしれない。

 だから、マッキンタイア家の人々がいなくなると、彼女にはっきりこう言った。

「葬儀のことですが、マリーの葬儀のほうはダニエル・グレイヴス牧師にお願いしようと思っています。それと、お墓のほうも……うちの庭にマリーの居場所を作ろうと思ってるんです。ご存じないでしょうが、マリーは本当にこの家の庭が大好きだったんですよ。ですから……」

 イーサンは、アグネス院長とふたりきりになれる場所へ彼女のことを案内し、このことを話していた。子供たちはみな、マリーおねえさんは人の命を救うために自分のそれを投げだしたのだとあらためて実感したことで――泣きながらも、今度はそれとは別にある種の畏敬の念に打たれてでもいるかのようだった。

 もちろん、イーサンもマッキンタイア家の人々には何ひとつとして罪を認めはしない。だが、自分にとっては彼ら家族のうちの誰かが亡くなり、マリーが助かっていてくれたらと、そう感じる気持ちも正直いってなかったとは言えなかった。

「まあ、あなたにとってはそうでしょうね。ですが、あなたはマリーが心から何を望んでいたのか、本当に知っているのですか?この家のお庭にというのは結構なことでしょうけど、あなたもこれからまたご結婚なさるでしょうしねえ。そんな家の庭にいつまでマリーがいたがるものかしら」

(このババア。何が修道院長だ。とうとう地を出してきやがったな) 

「……マリーが、俺のことで何かあなたに話していたんですか?」

「ええ。修道院を出たあの日から、自分の身の回りで何があったか、手紙に書いてわたし宛てに送ってきていたんですよ。ですから、ここにも正直、初めてやってきたような気がしませんわねえ。マリーがここへ来てもう三年になりますかしら。あの子、この家でどんなことがあったか、色々手紙に書いて教えてくれてましたの。もちろん、あなたのこともね。イーサン・マクフィールド」

 そう言ってアグネスは、不倶戴天の敵でも眺めるように、鋭い眼差しでイーサンのことを射るようにして見た。

「それで、あなたはそのことをどう思っているので?」

 イーサンのほうでも憮然としたものだった。イーサンはマリーのことを心から愛していたし、今も愛している。そのマリーの肉体がユトレイシア郊外の墓地に葬られるなど、彼には問題外だった。

「最初から、わたしにはわかっていました。マクフィールド家には自分より四つ年下の長男がいると聞いた時からね。あの子はまるで気づいてなかったようだけれど、その長男が寮から戻ってきたと聞いた時から、いずれこんなことになるだろうとはわかっていました。でも一応、あの子に手紙の中で注意はしておきましたよ。だけどあの子は男というのがどういう生き物かまるでわかってないような子ですからね……そんなことは決してありませんとか、そんなふうにしか返事してこなかったんですよ。それがまあ、案の定……」

 最大限の軽蔑の眼差しを投げつけられて、イーサンは彼にしては珍しく狼狽した。だが、自分よりもマリーのことを深く理解しているといったアグネス院長の態度が鼻につくあまり、こう反駁する。

「俺とあいつは……俺とマリーとは心から愛しあっていたんですよ。今度のことで俺がどんなにショックを受けたか、あなたにはわからないでしょうね。それに、自分のことだけじゃない。弟も妹たちも、今度のことから立ち直るのはとても難しいでしょうね。マリーと手紙のやりとりがあったのかどうか知りませんが、ここ三年ほどのあいつのことをよく知っているのは俺たちのほうですよ。俺だけじゃなく、あの子たちがどんなにマリーのことを愛していたか……そしてマリーのほうでもどんなに子供たちを愛したか、ここにいなかったあなたに、わかるはずなんかない」

 不意に、目尻に涙が浮かんで、イーサンは慌ててそれを隠すように喪服の袖で拭った。自分だって、これほど哀しみに打ちのめされているのに――イーサンは今暫くの間は気を張り詰めて、社会的・道徳的に見て相応しいといった態度を世間に向けて取らなければならないのだ。

「……確かに、そうですわね。あの子は、誰に対しても愛情深い子でしたもの。ただ、あなたはわかっていないんじゃないかと思いましたの。年頃の男女が同じ屋敷に暮らしていたら、まあ当然そんなことになりますわね。でもあなたにマリーの価値がどの程度理解できていたのか、わたしには疑問だったものですから。あの子は、人間が神の被造物だからという理由だけで、誰のことも平等に愛することの出来る子でした。だから、その中であなたのことを選ぶかわりに、他にあの子が愛情を注ぐはずだった人々がその機会を奪われたということ……とてもそんなことまでは考えられないでしょう。特に、あなたくらいの年の男性ではね」

(なんだ、この院長。まさかとは思うが、単なる男嫌いかなんかなのか?それで、神にあって同じ道を志向していたはずのマリーが、俺とそういう関係になったっていうんで、妬んでるわけなんじゃないだろうな)

 もちろんこれは、イーサンの穿った意見である。だが、一時的にであれ、そう納得するとイーサンは心に少し余裕が生まれた。それまでは、アグネス修道院長の、神の御名における上から目線に苛立つものを感じてばかりいたのだが。

「アグネス院長、あなたが実際にはよく知りもしない俺に対して、どんな物思いをお持ちだろうとそれは自由です。ですが、マリーを俺たち家族から取り上げる権限はあなたにだってないはずだ。霊安室で初めて体面した時……俺がどんな気持ちだったかなんて、あんたにはわかるはずなんかないんだから。それに、きのうの夕方、マリーが戻ってきた時――顔の表情が微笑んでたんですよ。俺が最初に会った時には、そんな感じじゃなかったのに、自分の家に戻ってきて、家族とまた会えたことが嬉しかったんだろうって、きのうみんなで話していたところです」

「そうでしたか。確かに、マリーはあなた方家族のことを愛していたでしょう。ですが、わたしたちだってあの子の家族なのです。何故わたしがこんなふうに言うかわかりますか?あの子が四歳の時、わたしは二十四歳でした。他の修道女たちも、「なんて可愛い子だろう」と思って、ずっと大切に育ててきたのです。それに、マリーだって最終的には修道院に戻りたいとずっと願っていたのですよ。そう考えたら、あなたの気持ちはわかりますが、修道院の大聖堂のほうで葬儀を行うことのほうが……天国に近い分、あの子も喜ぶはずです」

「…………………」

 アグネス院長もまた、瞳に涙を滲ませていた。そこでイーサンも黙りこみ、しばしの間思案した。

「ですが、そちらで葬儀を行うということは、俺たち家族はそこに入れないのではないですか?それに、先ほどのマッキンタイア家の人々や、消防士の方々や、あいつの葬儀に参列したいという人は俺が自分で想像していた以上にたくさんいるんです。ですから……」

「そのあたりは、特別に取り計らいましょう。修道院の大聖堂は、普段一般公開のようなことはしていません。ですが、キャメロン枢機卿にもこれからお話して、色々な許可を取り、段取りを組もうと思っています。そして、修道院内の墓地のほうにマリーの棺が納棺されるというのが、あの子の一番の魂の望みなはずです。だって、マリー自身がずっとそこに帰りたがっていたんですからね」

(参ったな)とイーサンは思ったが、「これから家族と相談します」とだけ答えて、アグネス院長にはそのままお引き取りいただいた。まさか、マリーの死が単に家族内のこととしてだけでなく、こんな大事になるとは思ってもみなかったのだ。



 >>続く。





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