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ええと、今回はマリーのモデルになったところもあるリジューのテレーズの言葉ついて御紹介したいと思います♪
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とりあえず、リジューのテレーズについては、ウィキぺディアのほうを御参照ください、といった感じだったりm(_ _)m
>><うぶ毛のテレーズが「弱いままに留まる」というのは、何もしないということではない。弱い小鳥なりに羽ばたこうとする。どうせ飛べないからとうぶ毛の羽の中に顔を隠してしまうのではない。結果的に飛び立つことが出来なくても、くじけることなく、弱い小鳥は今日も、また羽ばたき、新たな努力を続ける。でも、具体的にはどのように努力したらよいのか。すべてが自分の努力にかかっているかのように、しかし同時に神の助けなしに何もできないという神の恵みへの絶対的な信頼のうちに……「自分の功徳はまったくなしに、すべてを神様から無償でいただくのを待ちながら」、「わたしは何も持たないので、神様からすべてを受けるでしょう」と。>
1
わたしは自分を、ただうぶ毛に包まれたか弱い小鳥とみなしています。
2
(どんなに努力して徳を積もうとしてもその結果が思わしくない時)
あなたが、もし、小さいテレーズがいつも熱心に徳の道を歩いていると思ったら大間違いです。テレーズは、本当にか弱い、か弱い者です。来る日も来る日も、自分の弱さを新たに身にしみて、体験しています。
3
(人との関係において)
<止め針の刺し傷>(善良だが教養のない一修道女の不愉快な態度)で、わたしは精も根も尽き果ててしまいました。あっちもこっちも小さな穴だけらです。そして、この無数の小さな穴は、大きなひとつの穴以上に、わたしを苦しめます。
4
たとえささいな過ちでもおかした後には、しばらくの間ある不快感を体験するものです。するとわたしは自分に言い聞かせます、「これはおまえの過ちの代価ですよ」と。そして借りが支払われるのを根気よく忍耐します。
5
(小鳥の羽ばたく努力)
すべての徳の実行にあたって、聖性の階段をよじ登ろうといつもあなたの小さな足を上げてください。それでも最初の一段さえ上がることはできないでしょう。けれども神様はあなたの善意だけをごらんになり、そのうちに何にもならないあなたの努力を見かねて、神様ご自身み腕にあなたを抱え、み国に連れて行ってくださるでしょう。
6
たとい何ひとつ主に捧げることができないように感じられても、何もないというそのことをお捧げしましょう。
7
あなたは無にすぎないとしても、イエス様はすべてでいらっしゃることを忘れてはいけません。そして、あなたの小さな無を、イエス様の無限のすべての中に消し、もうこの唯一の愛すべきすべてのことしか考えてはいけません……あまりにもみじめな自分をながめると、もうこれ以上自分を顧みたくなくなり、最愛の方だけに目を注ぎます……
8
あなたは徳を実行するようにはなれないでしょう。あなたは山をよじ登ろうとするのですが、神様はあなたが自分自身をさげすむことを学ぶ肥沃な谷底へ下りることを望んでおられるのです。
9
徳を実行したいと望まない人がいるでしょうか。それは誰にも共通な道です。しかし倒れたり、弱かったりすることを承諾する人、自分がころび、他の者がその現場を押さえるのを喜ぶ人はなんと少ないことでしょう。
10
この世において、心の貧しい者になるには、すべてを失わなければなりません。
11
主はわたしたちが、自分が無に等しいことをよくよく認め、肝に銘じさえすれば、み手を差し伸べてくださいます。
12
(「獲得しなければならない色々のことを考えると」と言う一修練女に対して)
むしろ失わなければならないこととおっしゃい。あなたが欠点を取り除くに従って、すばらしいもので満たしてくれるのは、イエス様です。
13
いつも人の目につかず、誰にも見えないで、イエス様にだけ見ていただける小さい砂粒でいることができるよう、お祈りください。そして、この砂粒がますます自分を小さくし、ついには無に帰してしまうように……
14
小さい者になりましょう。あまり小さいので、誰からでも踏みつけられることができ、踏まれてもつらいとか、苦しいとかいう様子は少しも表さない者になりましょう……。
15
決して、人びとの目に偉大そうに見えるものを探し求めてはなりません。
16
ときとして、自分が思わず光るものを望んでいるのに、気がつきます。そんな時には、謙遜に不完全な人びとの間に身を置いて、自分は一瞬ごとに神様の助けを必要とする小さい者だと思いましょう。
17
決してねたまれる恐れがないのは、ただ末席だけです。むなしさと悩みのもとでないのも、この末席だけです。
18
苦さを味わいながら、つまり、弱々しく苦しみましょう……「イエス様は悲しみながら苦しまれました。人の魂は、悲しみをともなわない苦しみが味わえるでしょうか」。それなのに、わたしたちは、偉そうに苦しみたい……何という思い違いでしょう……わたしたちは、決して倒れたくないのです。
19
<強い神>であるイエス様がわたしたちの弱さを体験され、かつてはあれほど切に飲み干したいと望んでいた苦しみの杯を目の前にして、震え戦ったことを思うと、ほんとうに慰められます。
20
もし、あなたが子供のように弱く無力な者であることを神様が望まれるなら、功徳が少ないと思いますか。一歩ごとにつまずき、転び、自分の十字架を弱々しく担うことを承諾し、自分の無力をお愛しなさい。神の恵みによって、自己満足を満喫させるような英雄的行為を果たすより、そのほうがずっとよいのです。
21
わたしは一瞬一瞬しか苦しみません。過ぎ去ったことや、まだやって来ないことについて考えるから、落胆したり、絶望したりするのです。
22
一瞬一瞬だと、多くを耐えることができます。
23
わたしは 心から望む
わたしの神よ 試練も苦しみも
ただ 今日のためにだけ
24
苦しむこと、もっと苦しむこと、いつも苦しむこと……でも、すべては過ぎ去ります。
25
あらゆる苦しみの泉で思う存分飲んでから、今度は、あらゆる喜悦とあらゆる歓喜の泉のもとで聖化されるでしょう。
26
与えられた唯一の苦しみの時を、よく利用しましょう。今というその時、その時だけを眺めましょう。一瞬一瞬は宝です。……たったひとつの愛の行為もイエス様をより深く悟り、永遠にわたって、イエス様のより近くにわたしたちを運んでくれることでしょう。
27
自分のうちには神様のまなざしを引くものは何もなく、自分のうちにあるよいものはみな、主の慈しみの業だけであるとよく知っています。
28
イエス様、口にも筆にも言い尽くせない主の慈しみ深さを、どれほどすべての小さい者たちに伝えたいか知れません。これはあり得ないことですが、あなたが万一わたしよりもっと弱い、もっと小さい人を見つけられるようなことがあれば、その方が完全な信頼を持って、主の限りない慈しみに身を委ねる限り、主よ、あなたは必ずもっと大きな恵みで満たされることでしょう。
29
主の慈しみはなんとわずかしか知られていないのでしょう!……この宝を自分のものとして楽しむには、へりくだって、自分が無であることを認めなければなりません。ところが、これが多くの人びとのしたくないことなのです。
30
慈しみ深い 神のみこころに
わたしは わたしのすべてを与え
身軽になって わたしは走る
ただひとつの 富のほかは
なにものも 持つことなく
31
わたしは、何もできない弱い子どもにすぎません。けれども、イエスさま、あなたの愛に、いけにえとして自分を捧げる大胆さをわたしに与えるのは、このわたしの弱さそのものなのです。
個人的に、自分をまったく<無>と等しいものにし、何もない者をこそ、神は完全に満たしてくださる……というテレーズのメッセージが印象的でした。
もちろん、マザー・テレサも同じことをおっしゃっていますし、聖書にもそれに通じる説話があると思うんですけど、仮にわたしたちが一つの花瓶(器)であるとして、そこには色々と神様の道を邪魔するもの(自分なりの考え・人間的な知恵)がたくさん詰まっていると思います(わたしもそうです^^;)
でも本当に貧しく無である者は、何も持たないので、ただ神様からのものだけを受けることが出来る……神に仕える修道女は事にそうあるべきだと、テレーズはそう言っているわけですよね。
と同時に、すべての人がこの<福音の原理>にも近いものを知ることが出来たらと彼女は望んでいたと思うのですが、なかなかこの部分を他の人に理解してもらうのは難しいことのような気がします。
つまり、クリスチャンと呼ばれる人がすべて「本当の」クリスチャンではなく、ただ儀礼的に礼拝を守る人々もキリスト教国には多いですから、そういう方々もまた「本当の意味での神の愛を深く知る必要がある」というか、そういう側面があるんですよね。
なんにしてもわたしの場合、常日頃から神さまに相当良くしていただいてるにも関わらず、なんにもお返しが出来てないなあ……と思うだけに、<無>であればこそ良い、神に真実捧げることが出来るのは人間の<無の心>だけだというテレーズのメッセージには、本当に心を慰められました
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こちらのお話については、もう大分終わりが近づいてきましたが、とはいえもうちょっとまだ先があるので(汗)、もし最後までおつきあいしていただけましたら、とっても嬉しいです♪
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それではまた~!!
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聖女マリー・ルイスの肖像-【40】-
幸せボケ、という言葉があるが、実際マリーと仮のハネムーンを終えて戻ってくると、イーサンは随分長くそのような状態が続いた。お陰で修士論文を書き上げるのにも非常な努力を要したが、なんとか満足のいくものを書き上げ、ほっと胸を撫で下ろしていた頃――突然、マクフィールド家を不幸が襲った。
その日、イーサンは大学の寮へルーディやラリーを訪ねた帰り道、花屋へ寄ってマリーのために花束を買った。特に何かの記念日ということもなかったが、マリーは何度花をもらっても、まるでこんなことをされるのは初めてだというように、そのことをとても嬉しがっていた。大体、服や靴やアクセサリーをプレゼントしても、もともとさして喜ぶような女ではないのだ。
だからイーサンはその日も、(まったくマリーは安くすむ女だな)などと思いながら、ラナンキュラスを中心にした花束を作ってもらっていた。そして車に乗りこむと、イーサンはいつも聞いているラジオ局から流れる音楽を聞いていた。大学院を卒業後はどうしたらいいだろうかとイーサンは自分の悩みを哲学科の教授に相談していたことがあったが――自分の助手としてこのまま大学で働いてみないかと言われ、実はイーサンは一も二もなくその話を引き受けていた。
何より、イーサンはユトレイシア大学の何もかもが好きだった。寮にも三年以上いただけあって、構内の何もかもに愛着があるし、アメリカンフットボールのフィールドを含め、そのどこもかしこも彼にとっては青春の思い出が詰まっている。
(だけどまあ、こういうことは先に妻に相談してから決めるべきだったかもしれんな。もっとも、マリーは俺が好きなようにするのが一番だとか、そんなことしか言わないだろうっていうのはわかりきってるんだが……)
そう思い、イーサンがリオン・ウェアの曲がかかる中を、信号待ちで運転席の花束に目を落とした時のことだった。『I Wanna Be Where You Are』という曲が終わり、信号機が赤から青に変わった瞬間のことだった。>>「ニュース速報です」と、ヒップホップラッパーでもあるイーサンの好きなDJが、珍しく真面目な声音になって告げていた。
>>午後十時頃、突如として炎を上げたユトレイシア植物園通りの十階建ての建物内では、今もまだ何名の人々が取り残されているかわからず、必死の救助活動が続けられております。このニュースについては、いずれまたさらに続報が入り次第、お伝えしたいと思います。それでは、次の曲……。
フィル・コリンズの『恋はあせらず』がかかる中、イーサンはヴィクトリアパークの目の前を通り、我が家のドライブウェイのほうへ車を乗り入れた。車をガレージのほうへ入れると、花束を片手にダイニングのほうへ行ったが、イーサンがキスを期待した相手はそこにいなかったのだった。
その日は水曜日で、子供たちは午後からも授業があった。ミミもまた、一年生は水曜日だけ午後から一時間だけ授業があるため、二時を過ぎた今、そろそろ帰ってくるはずだった。この日、家に帰るなり確かに、イーサンは違和感のようなものを覚えた。というのも、自分が帰った時にはいつも家族の誰かしらが必ずいるもので、彼は家の鍵を自分で開けて入ったことがほとんどない。
それに、ダイニングにはいつも通りお菓子の甘い香りが残ってはいたが、マリーの姿はそこになく、イーサンは奇妙な寂しさを覚えていたかもしれない。食材のほうはオーガニックのものを宅配してもらっているため、マリーは買い物についてはそれに付け足す程度にスーパーで買ってくる程度である。
(だがまあ、あいつだってたまにはこんなこともあるだろう)
イーサンはそう思いながら、リビングのソファに座ると、テレビをつけた。先ほど聞いた植物園通りの火事のことが気になっていたのである。というのも、ここヴィクトリア通りの隣の通りが植物園通りと呼ばれる通りであり、その通りの角にあるのがユトレイシア大学が所有・運営している植物園のある場所だった。
ようするに、自宅からほど近いそのような場所で火災が起きたということ……そのことにイーサンは驚くと同時、もし放火だとしたら、距離的にも近いだけに、犯人が捕まらなければまたそのような事件が起きるかもしれないと危惧したということがある。
(地震に火事に誘拐に……実際、家にガキがいると、心配することなんか無限にあるからな。まったく、人事じゃないというやつだ)
イーサンがいくつかチャンネルを変えるうち、十階建ての見たことのある一般住宅が映しだされた。目の前を何度も通ったことのある、高級感の漂う一般住宅というよりはビルのような赴きの建物だった。表面上は磨き抜かれた鏡のような外壁で、窓のほうも外からは中がまったく見えない素材のものが使われている。だが、そこからは急激な勢いであるようには見えないながらも確かに火と煙が見え隠れしており――また建物のまわりを何台もの消防車が取り囲んでいた。
そして、その消防車を背景にして、ブロンドの若い女性リポーターが実況中継する場面が画面いっぱいに映し出される。
『火災が発生したのは、午前十時十五分頃のことです。一階にはコンビニエンス・ストアと美容室、携帯の会社が入っていました。総戸数は60戸、約215名の住人が住んでいるものと思われます。現在必死の救助活動が続けられていますが、まだ火災の発生原因などは不明のままです』
この瞬間、女性の背後でガラスの割れる破砕音がしたかと思うと、そこからどす黒い煙と炎の大きな赤い舌が現われた。すぐそこに放水がなされ、火の勢いは止まったように見えたが……イーサンが見た印象として、すべての窓から火が飛び出ているといった派手な火災でない分、むしろ内部がどうなっているかがわからず、何か不気味な印象だった。
このあと、中に家族が取り残されている住民の悲痛な叫びが続き、見ていられなくなったイーサンは、思わずチャンネルを変えていた。そしてこの時、ミミが明るく元気な声で帰ってきたのである。
「たらいまーっ。おねえさん、ミミ、帰りましたお。たらいまーっ!!」
廊下を走ってくる小さな足音が聞こえ、イーサンはテレビを消すと、ミミのことを迎えにでた。そしてそのままミミの小さな体を抱き上げる。
「イーサンにいたんらー。ミミ、今日ね、お給食みんな食べたの。そいでね、お昼からは体操の時間だったの。せんせいね、二年生になったら今日みたいに午後から授業のある日が週二回になるっておっしゃってたの。ミミね、たのしみなの!!」
「そっか。それより、風邪は大丈夫か?まだちょっと鼻声だな」
ミミは何日か前に熱を出して寝込んだ。マリーが病院に連れていったところ、風邪ということだったが、一日学校を休んだ次の日にはミミが学校へ行きたがったため――マリーもイーサンも強硬には反対しなかったのだった。
「ミミ、お手々洗って、うがいしてくるね!!ばいきんばいきん、バイバイキーンってしないと、またお風邪さんが重くなっちゃうっておねえさん言うの。だから、にいたんちょっと待っててね。ミミ、すぐ戻ってくるから……」
「ああ。にいたんは今日、特にお外に用事があるってわけじゃないから、そんなに急がなくていいぞ」
「ほんとうっ!?わーいっ」
ミミはバタバタと洗面所のあるほうへ行くと、そこでトイレを済ませ、石鹸でよく手を洗ったのち、うがいしてからダイニングのほうへ戻って来た。
「あれれ?にいたん、おねいさんは?ミミね、今日、絵のおじかんにおねえさんのこと描いたの。そしたら先生、よくかけてますねっておっしゃってたのお」
ミミは洟をひとつかんでから、キキとララのかばんの中から、スケッチブックを取りだした。イーサンはもうミミの描いたおねえさんの絵ならば見飽きているくらいだったが、なんにしてもミミから新しく描いた絵を見せてもらい、「よく描けてるな」と褒めておいた。
ミミの描くマリーの絵はいつも笑顔であり、目は笑っていて口は口角が必ず上がっている。そして今日描いたミミのマリーの絵は、おねえさんが片手にじょうろを持って花に水をあげている場面を描いていた。
「へええ。そっか。じゃあ兄たんは今日、おねえさんに花を買ってきたからな。ミミはこの絵をおねえさんにプレゼントすればいい」
「うんっ!!」
――だがこの時、イーサンは(変だな)と思ってはいた。もし自分が早めに帰っていなかったら、ミミは家の中に入れなかっただろう。それなのに連絡ひとつないというのは変だと思った。イーサンはまず家の留守電をチェックし、それから念のため、自分の携帯の履歴とメールのほうもチェックしてみた。だが、マリーからの連絡のようなものはない。
その後、仕方ないのでイーサンはミミのために冷蔵庫の中にあったものを引っ張りだしておやつにすることにした。また、ロンが帰ってきてもココが帰ってきても……マリーは帰って来なかった。イーサンは以前――というより、マリーがこの屋敷にやってきた初めの頃、「特に必要ありません」と言う彼女に、携帯を無理やり持たせていたのである。当然そちらにも電話してみたが、留守電に切り換わって終わっていた。
「おねえさんだって、たまにはどっかに出かけたくもなるわよ」
ココはそう言ってアイスココアを飲み、レアチーズケーキを食べていた。
「でも、こんなの初めてだよ。いつも、急にミミのことを病院に連れていくっていう時とか……ちゃんと何か伝言みたいのを紙に残していくでしょ?ほら、おねえさん可愛いから、変な男の人に声かけられて連れてかれたりしてたらどうしよう」
「ロンっ。あんたなんて不吉なこと言うのよっ!!」
マリーがいなかったため、おやつのほうは少しショボかったが、ロンもココもミミもそれで満足した。ロンは無事セブンゲート・クリスチャン・スクールから先週合格通知をもらい、あとは夏休みが来るのを待つばかりの身だった。ココは近ごろずっと親友のモニカやカレンの家に入り浸っていることが多かったが、この日はおねえさんがいなかったため、そのまま家にいることにしていた。
イーサンははっきりそう口に出して言ったわけではないが、マリーおねえさんと結婚するつもりなのだとココにはわかっていた。最初はそのことがショックだったが、けれど、ココはだんだんにそのことを受け容れていった。最初ココは兄のイーサンはやはり元彼女のキャサリン・クルーガーのような女性と結婚すべきと思っていたが、それでも実際本当に兄が結婚する日時が迫ってきたとしたら――彼女のことでさえおそらくは憎らしくなったのではないかと気づいたのだ。
(いつかわたしも、誰か本当に好きな人が出来たとしたら、イーサンのことなんて考えず、その人のことだけ考えるかもしれない。それと同じように今のイーサンにはマリーおねえさんのことしか見えてないんだわ……でも、わたしとイーサンの血の繋がりは一生消えたりしないものだもの)
こうして心の中が少し整理されてみると、ココはマリーおねえさんに反抗的な態度を取るのをやめることにした。ずっと、マリーおねえさんが右といえば左、左といえば右といった態度だったのだが、流石にそろそろ疲れてきたというせいもある。
「さて、マリーの代わりに俺が食事を作ってもいいんだかな……だがまあ、今日一日くらいはピザでもいいか。おまえらもそれでいいか?」
時刻が四時を過ぎると、だんだんにイーサンも心配になってきた。何分マクフィールド家は大変なお金持ちである。もし本当に誘拐でもされたのだとしたら……。
イーサンはそんな心配が心をちらとよぎったが、どうにかそのことを忘れ、マリーが帰ってきたらこれからは逐一居場所を報告させることにしようと心に決める。
「にいたん、ピザ、おねえさんの分も一緒にとろおね。んっとね、おねいさんはミミと一緒でマルゲリータが好きなの。だからあ、ミミとおねいさんで半分こできるようにね、他に照り焼きチキンも頼もっかなー。にいたんはどうするの?」
「俺はふつうのミックスピザにでもするかな。そんで、おまえらとひとつずつトレードするよ」
「じゃあぼく、シーフードピザ」
「あたし、ナスミート」
他にサイドメニューもいくつか頼み、マリーのことを心配しつつも、マクフィールド家では六時半頃、夕食をとるということにしていた。だが、ミミはお腹が鳴っているにも関わらず、マリーが帰ってくるまでは食事しないと言うし、正直イーサンも心配になってきていた。
(警察に電話、と言ってもな……出かけて半日戻らないという程度のことじゃ絶対相手になんかしてもらえないだろうし……)
そう思い、それまでも何度か繰り返していたこと――マリーの携帯に電話とメールする――をまたしてもイーサンがしようと思った時、自宅のほうの電話が鳴った。警察からだった。
>>続く。