ところで、色々大変そうだが、あまり頑張ると自分が疲れるよ。
私が会った頃の精かんさを、もう一度君には取り戻して欲しいが、
それには先ず、何もかも忘れて、身も心も休めることだよ。必要な
ことはみんな備えられてるんだから。
今、君が、無理に動かなくてもいいんだ。君が今、一生懸命
やってくれていることは、実は、代りの人でもいいんだよ。君には、
もっと大事な、本質的なところをしっかり踏まえて、それだけを
持って歩いて欲しい。マリヤのなくてかなわぬもの一つだ。
大事なものを踏んまえるということは、体力も気力も充実して
いないと出来ることではないんだよ。だから、本質を見失わないと
いうのは観念論じゃない、大変な実際論だ。日々の生活そのもの
なんだよ。判るかな。
いつか君に、気の流れをみて、君らしくやり給えと私は言ったが、
まだどうも緊張がとれていないねえ。肩の力を脱き給え、という
より、想いを放つことだ。
余計なものを神様は与えない。神は愛なのだから、君や、我々
人間一人一人に必要なものしか与えないんだよ。実によく、神様は
人間を見ている。
人間の一人一人のくせをよくのみ込んで、その時々に必要なものを
与えられるんだ。
少し海でも見て来なさい。
聖ヶ丘や富士に遊びにくるつもりで、ちょくちょく私を呼び給え。
神は愛だよ。心を煩わさぬこと、人に煩わされぬこと。自分の
おもいに把われずに、一歩一歩を進み給え。
昌 久