人間というものが
どんなに神様に
愛されているか
私は
ようく知ってるんです
私だけじゃない
釈迦や
キリストや
マホメットや
これまでに
地上におりてきた
聖者たちも
よく知っていました
彼らは
みんな
神様の愛を
真理を
説きつづけたのですが
国家や
時代というものが
光そのものの
教えに
枠を
はめて
しまったのです
聖者達は
かがやいているのに
人間の想念が
自分勝手なおもいが
その
光に
顔を
そむけてしまったのです
その結果
自分の教えだけが
真理だ
真実だ
これを信じなければ
地獄におちる
などという
馬鹿気たことをいいはじめて
己れ尊しの
姿勢に
終始してしまい
自分が
自分が
の
救われようのない
想念の渦まきを
こしらえてしまった
安心を与えることをおいて
これを信じなければ
大変なことになるぞ
という
恐怖を
与えてしまっているのです
これでは
一人として
人間は救われて
ゆきません
神様は
公平な
平等な
愛にみちた
方なんですよ
人間は
神からきたいのち
神の似姿なんだから
おどかしや
何かで
神様が迫るわけがない
それでもう
バラバラになっている
人間一人一人の心を
すっきりと
神様にむけさせる
そういう役目を持って
私が生まれてきたんです
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様 ありがとうございます
守護神様 ありがとうございます
という祈り言を
いただいた
この祈りは大調和の祈り
そして
神様の大愛のなかに
すっぽりと入る祈り
神様の
元の元に
帰ってゆく祈りなんです
現在
どんな宗派のなかにいる人でも
祈られていい祈りなんです
今まで
こういう
祈りはありませんでした
狂言に宗論ってのが
ありますよね
坊さん同志が
南無阿弥陀仏と
南無妙法蓮華経を
いいあいっこして
ゆずらないというやつ
今
みんな
世界がこれなんですね
で
私の祈りは
これは
そのままでいいから
南無阿弥陀仏
世界人類が平和でありますように
南無妙法蓮華経
世界人類が平和でありますように
ってやっていただいていい祈りなんです
己れ尊しじゃないんです
祈りによる世界平和運動ってのは
そういうことです
人間一人一人
みんなが
持っている純なこころ
素直に素直に絶対者を
おもうこころ
そのこころを引き出して
光らせて
それでもって
世界を平和にしてゆく
だから
五井先生が
偉いわけじゃないんです
昌美が偉いわけじゃないんです
みんな等しい
神様のいのち
それでもって
みんなの光をあつめて
よびおこして
一人一人が
先頭に立って
この世界を平和にしてゆきましょうと
こういうんですよ
そりゃあそのために
色んなお役目の人がいます
村田さんのように霊界を訪ねて
肉体を持ってる人間が
一番こわいと思ってる
その死の本当の意味を
向こうの人たちに会ってね
それを記して
つまり
死は真実の永生
往生
むこうへ生まれにゆくその出発点なんだと
いうことね
それを知らせる
そういう人もいます
これは村田さん以外には
中々出来ないんです
あの人が偉いというわけじゃなく
あの人は徹底して
神様からこのことを知らせる、霊界って
ものを知らせる役目を貰ってるんです
だからこれは
村田さんの領分
で、又斉藤さんみたいに
全国あちこちとびまわってね
世界平和の祈りを伝道して
五井先生のことを伝えて
そして各地のお浄めした
そういう役目の人もいるんです
この人達は目立ってますけど
たとえ目立たなくても
こんな風に
みんな役目が与えられていて
そして神様のみこころのなかに
スッキリと入りましょうという風に
なっている
その各々役目が天命ですよね
天命
これがある内は
死にたいと
おもったって
神様は
死なせはしない
それぞれの天命の
なかで
天命を
とおして
何をするかっていえば
徹底して
自分を愛し
人を愛し
自分をゆるし
人をゆるし
これなんですよ
人間の真実の仕事は
愛することなんです
愛して愛して
祈って祈って
今までの
とらわれや
こだわりを
なくした時に
なくそうと
つとめている時に
無限の神様の愛が
我々を包むんです
本当に愛されていることがわかる
一人一人が
この地上に生きる
地球上に生きる
人類一人一人が
兄弟姉妹だって
ことがわかる
いのちというものが
やさしくなってゆかなければ
嘘なんだ
ということがわかる
そして
宇宙の星々の
すぐれた
霊人たちが
私達に
よびかけて
いることが
わかる
宇宙そのものが
我が家なんだって
ことがわかるんです
わかってくるんです
悟るっていうんじゃないんです
わかる
もう
パーッとわかるんです
心を明るくして
愛でいっぱいにしていると
わかってくるんです
自然にわかってくる
人間は
神様の子どもなんだということが
わかってくるんです
世界人類が平和でありますように
っていう
この祈り言のなかに
この事実が
全部入っている
もう
一宗一派の時代じゃあ
ありません
神様という
元の元へ
永遠の愛の源へ
手をたずさえて
みんなが
帰ってゆく
そういう
時代なんです
そういうときなんです
祈りによる世界平和運動は
神のいとし児である人間の
本心の光を
よび出し
かがやかせる
そういう祈りなんです
昭和62年2月12日
どんなに神様に
愛されているか
私は
ようく知ってるんです
私だけじゃない
釈迦や
キリストや
マホメットや
これまでに
地上におりてきた
聖者たちも
よく知っていました
彼らは
みんな
神様の愛を
真理を
説きつづけたのですが
国家や
時代というものが
光そのものの
教えに
枠を
はめて
しまったのです
聖者達は
かがやいているのに
人間の想念が
自分勝手なおもいが
その
光に
顔を
そむけてしまったのです
その結果
自分の教えだけが
真理だ
真実だ
これを信じなければ
地獄におちる
などという
馬鹿気たことをいいはじめて
己れ尊しの
姿勢に
終始してしまい
自分が
自分が
の
救われようのない
想念の渦まきを
こしらえてしまった
安心を与えることをおいて
これを信じなければ
大変なことになるぞ
という
恐怖を
与えてしまっているのです
これでは
一人として
人間は救われて
ゆきません
神様は
公平な
平等な
愛にみちた
方なんですよ
人間は
神からきたいのち
神の似姿なんだから
おどかしや
何かで
神様が迫るわけがない
それでもう
バラバラになっている
人間一人一人の心を
すっきりと
神様にむけさせる
そういう役目を持って
私が生まれてきたんです
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様 ありがとうございます
守護神様 ありがとうございます
という祈り言を
いただいた
この祈りは大調和の祈り
そして
神様の大愛のなかに
すっぽりと入る祈り
神様の
元の元に
帰ってゆく祈りなんです
現在
どんな宗派のなかにいる人でも
祈られていい祈りなんです
今まで
こういう
祈りはありませんでした
狂言に宗論ってのが
ありますよね
坊さん同志が
南無阿弥陀仏と
南無妙法蓮華経を
いいあいっこして
ゆずらないというやつ
今
みんな
世界がこれなんですね
で
私の祈りは
これは
そのままでいいから
南無阿弥陀仏
世界人類が平和でありますように
南無妙法蓮華経
世界人類が平和でありますように
ってやっていただいていい祈りなんです
己れ尊しじゃないんです
祈りによる世界平和運動ってのは
そういうことです
人間一人一人
みんなが
持っている純なこころ
素直に素直に絶対者を
おもうこころ
そのこころを引き出して
光らせて
それでもって
世界を平和にしてゆく
だから
五井先生が
偉いわけじゃないんです
昌美が偉いわけじゃないんです
みんな等しい
神様のいのち
それでもって
みんなの光をあつめて
よびおこして
一人一人が
先頭に立って
この世界を平和にしてゆきましょうと
こういうんですよ
そりゃあそのために
色んなお役目の人がいます
村田さんのように霊界を訪ねて
肉体を持ってる人間が
一番こわいと思ってる
その死の本当の意味を
向こうの人たちに会ってね
それを記して
つまり
死は真実の永生
往生
むこうへ生まれにゆくその出発点なんだと
いうことね
それを知らせる
そういう人もいます
これは村田さん以外には
中々出来ないんです
あの人が偉いというわけじゃなく
あの人は徹底して
神様からこのことを知らせる、霊界って
ものを知らせる役目を貰ってるんです
だからこれは
村田さんの領分
で、又斉藤さんみたいに
全国あちこちとびまわってね
世界平和の祈りを伝道して
五井先生のことを伝えて
そして各地のお浄めした
そういう役目の人もいるんです
この人達は目立ってますけど
たとえ目立たなくても
こんな風に
みんな役目が与えられていて
そして神様のみこころのなかに
スッキリと入りましょうという風に
なっている
その各々役目が天命ですよね
天命
これがある内は
死にたいと
おもったって
神様は
死なせはしない
それぞれの天命の
なかで
天命を
とおして
何をするかっていえば
徹底して
自分を愛し
人を愛し
自分をゆるし
人をゆるし
これなんですよ
人間の真実の仕事は
愛することなんです
愛して愛して
祈って祈って
今までの
とらわれや
こだわりを
なくした時に
なくそうと
つとめている時に
無限の神様の愛が
我々を包むんです
本当に愛されていることがわかる
一人一人が
この地上に生きる
地球上に生きる
人類一人一人が
兄弟姉妹だって
ことがわかる
いのちというものが
やさしくなってゆかなければ
嘘なんだ
ということがわかる
そして
宇宙の星々の
すぐれた
霊人たちが
私達に
よびかけて
いることが
わかる
宇宙そのものが
我が家なんだって
ことがわかるんです
わかってくるんです
悟るっていうんじゃないんです
わかる
もう
パーッとわかるんです
心を明るくして
愛でいっぱいにしていると
わかってくるんです
自然にわかってくる
人間は
神様の子どもなんだということが
わかってくるんです
世界人類が平和でありますように
っていう
この祈り言のなかに
この事実が
全部入っている
もう
一宗一派の時代じゃあ
ありません
神様という
元の元へ
永遠の愛の源へ
手をたずさえて
みんなが
帰ってゆく
そういう
時代なんです
そういうときなんです
祈りによる世界平和運動は
神のいとし児である人間の
本心の光を
よび出し
かがやかせる
そういう祈りなんです
昭和62年2月12日