いのちのながれは
本心と
私たちが
祈りによって
一体になる時に
尽きず
神の大愛へと
とけ込んでいることが
わかります
人類というものは
全体であって
また個なのです
世界人類が平和でありますように
と
私達が
祈ってゆくとき
自覚する
しないにかかわらず
人類のこころに
本心にとけ込むので
あります
また
私という人間以外の
人々
すなわち
世界中の人々が
世界平和の祈りを
祈ってまいりますときに
そのこころが
祈りの光とともに
私に流れ込んでくるので
あります
あらゆる場所
空間
おもいを
超えて
世界平和の祈りを祈って
まいりますときに
私たちは
いつもひとつのいのち
になってゆくのであります
ひとつのいのちに
むすばれ
本心にむすばれ
光明心によって
むすばれた
兄弟姉妹と
なってゆくのであります
そこで
いつも私が申しておりますとおり
世界平和の祈りというものは
ただ
世界人類が
すなわち
地球人類が
ひとつになればよい
という祈りではありません
この地球の完全平和を
達成して
あらゆる霊人とともに
また
宇宙の先達たちと
ともに
大神様の
みこころである
愛と
平和と
調和による
宇宙の秩序を
より強固な
ものとするために
この地球に生きる
すべての人々が
すなわち
世界人類一人一人が
器として
起ってゆく
それも
無理なく
それぞれの
本心の最奥の
祈り心に照らして
今の生活をそのままに
起ってゆく
そういうことを
私ども人類に
目ざさせる
御計画のもとに
この祈りは
くだされたもの
なのであります
でありますから
この祈りは
わたし個人
あるいは
全人類が参加するのみならず
あらゆる天界の霊人
諸神善霊も
ともに
私どもが
この祈り言を唱えるときには
一瞬にして参加し
祈って下さるのみならず
その光明を
尽十方にふりまいて下さるのであります
そうして
私がこれまで申して参りましたように
分生命としての人間
分霊としての人間
いいかえますなら
神にむすばれてゆく
いのちとしての人間という
もっとも本来のすがたに
我々をたちかえらせてくれるのが
この世界平和の祈りなのであります
元来
祈りというのは
すべて
この神にむすばれている
我々自身のすがた
というものを
明らかにしめしてゆくものであります
法然の説いた
南無阿弥陀仏に致しましても
キリストの教えた
主の祈りに致しましても
そのこころは
神仏に帰命する
つまり
中心者
大智慧
大自然にかえってゆく
帰一するということであります
みこころのままになさしめ給え
なのであります
あるいは
一切を凡夫として
一たん
私のすべて
このいのちもなにもかも
そのまま全部を
いったん仏にかえしてゆく
そしてあらたに
いのちを戴きなおすという
我凡夫の心
凡夫のすがたを
みきわめて
そこから
生まれかわらせていただく
ということなのであります
このこころが
祈りのなかには
特に世界平和の祈りのなかには
あふれているのであります
世界平和の祈りを唱えてごらんなさい
この祈りは
徹底した感謝行であります
しかも
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
という祈り言のなかに
私自身の祈りと
わたしの祈りを超えて
世界人類という
大河のなかに
私をなげ出した祈りとが
こん然ととけ合っているのであります
そして
大らかな朗らかなこころで
守護霊様
守護神様
ありがとうございます
と結んでゆく
この祈りには
ただの一つも
人間を責めるところはありません
今までは何かしら
みんな責められてきたのです
お前の心が悪いから
と責められてきた
この肉体というものを
人間そのものだ
と思い込んだところから
おこる
さまざまなとらわれ
こだわり業想念
といったものを
つかまえすぎてきた結果
こんなに祈っているのに
私はまだ駄目だだめだ
ああ私はなんてダメな人間なんだろう
悪い人間なんだろう
とその想念を業想念を
後生大事に掴むところから
そもそも
まちがいが
起こってきているのであります
掴んでもいい
掴むのは仕方がない
けれど
人間は本来
神のいのちの分かれで
奥の自分は光りかがやいていて
ひとつも迷っちゃいないんだから
その光りかがやいている自分に
合体してゆくために
ああこれは消えてゆく姿なんだ
すべて
過去世のおもいが今
あらわれて
消えようとしているんだ
神さま
ありがとうございます
世界人類が平和でありますように
と祈ってゆけばですね
何ひとつ
消えてゆかないものはないんです
それでもって
この罪悪深重の凡夫
という
肉体にとらわれている
我々の日常のおもいをですね
一切責めず
本来の霊としての
光としての
本心そのままの
大元のすがたへと
かえしてゆく
その祈りの梯子として
世界人類すべての人の心に
灯を点してゆけるのが
この世界平和の祈りなのであります
平成2年3月10日
本心と
私たちが
祈りによって
一体になる時に
尽きず
神の大愛へと
とけ込んでいることが
わかります
人類というものは
全体であって
また個なのです
世界人類が平和でありますように
と
私達が
祈ってゆくとき
自覚する
しないにかかわらず
人類のこころに
本心にとけ込むので
あります
また
私という人間以外の
人々
すなわち
世界中の人々が
世界平和の祈りを
祈ってまいりますときに
そのこころが
祈りの光とともに
私に流れ込んでくるので
あります
あらゆる場所
空間
おもいを
超えて
世界平和の祈りを祈って
まいりますときに
私たちは
いつもひとつのいのち
になってゆくのであります
ひとつのいのちに
むすばれ
本心にむすばれ
光明心によって
むすばれた
兄弟姉妹と
なってゆくのであります
そこで
いつも私が申しておりますとおり
世界平和の祈りというものは
ただ
世界人類が
すなわち
地球人類が
ひとつになればよい
という祈りではありません
この地球の完全平和を
達成して
あらゆる霊人とともに
また
宇宙の先達たちと
ともに
大神様の
みこころである
愛と
平和と
調和による
宇宙の秩序を
より強固な
ものとするために
この地球に生きる
すべての人々が
すなわち
世界人類一人一人が
器として
起ってゆく
それも
無理なく
それぞれの
本心の最奥の
祈り心に照らして
今の生活をそのままに
起ってゆく
そういうことを
私ども人類に
目ざさせる
御計画のもとに
この祈りは
くだされたもの
なのであります
でありますから
この祈りは
わたし個人
あるいは
全人類が参加するのみならず
あらゆる天界の霊人
諸神善霊も
ともに
私どもが
この祈り言を唱えるときには
一瞬にして参加し
祈って下さるのみならず
その光明を
尽十方にふりまいて下さるのであります
そうして
私がこれまで申して参りましたように
分生命としての人間
分霊としての人間
いいかえますなら
神にむすばれてゆく
いのちとしての人間という
もっとも本来のすがたに
我々をたちかえらせてくれるのが
この世界平和の祈りなのであります
元来
祈りというのは
すべて
この神にむすばれている
我々自身のすがた
というものを
明らかにしめしてゆくものであります
法然の説いた
南無阿弥陀仏に致しましても
キリストの教えた
主の祈りに致しましても
そのこころは
神仏に帰命する
つまり
中心者
大智慧
大自然にかえってゆく
帰一するということであります
みこころのままになさしめ給え
なのであります
あるいは
一切を凡夫として
一たん
私のすべて
このいのちもなにもかも
そのまま全部を
いったん仏にかえしてゆく
そしてあらたに
いのちを戴きなおすという
我凡夫の心
凡夫のすがたを
みきわめて
そこから
生まれかわらせていただく
ということなのであります
このこころが
祈りのなかには
特に世界平和の祈りのなかには
あふれているのであります
世界平和の祈りを唱えてごらんなさい
この祈りは
徹底した感謝行であります
しかも
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
という祈り言のなかに
私自身の祈りと
わたしの祈りを超えて
世界人類という
大河のなかに
私をなげ出した祈りとが
こん然ととけ合っているのであります
そして
大らかな朗らかなこころで
守護霊様
守護神様
ありがとうございます
と結んでゆく
この祈りには
ただの一つも
人間を責めるところはありません
今までは何かしら
みんな責められてきたのです
お前の心が悪いから
と責められてきた
この肉体というものを
人間そのものだ
と思い込んだところから
おこる
さまざまなとらわれ
こだわり業想念
といったものを
つかまえすぎてきた結果
こんなに祈っているのに
私はまだ駄目だだめだ
ああ私はなんてダメな人間なんだろう
悪い人間なんだろう
とその想念を業想念を
後生大事に掴むところから
そもそも
まちがいが
起こってきているのであります
掴んでもいい
掴むのは仕方がない
けれど
人間は本来
神のいのちの分かれで
奥の自分は光りかがやいていて
ひとつも迷っちゃいないんだから
その光りかがやいている自分に
合体してゆくために
ああこれは消えてゆく姿なんだ
すべて
過去世のおもいが今
あらわれて
消えようとしているんだ
神さま
ありがとうございます
世界人類が平和でありますように
と祈ってゆけばですね
何ひとつ
消えてゆかないものはないんです
それでもって
この罪悪深重の凡夫
という
肉体にとらわれている
我々の日常のおもいをですね
一切責めず
本来の霊としての
光としての
本心そのままの
大元のすがたへと
かえしてゆく
その祈りの梯子として
世界人類すべての人の心に
灯を点してゆけるのが
この世界平和の祈りなのであります
平成2年3月10日