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無を目ざし、空を目ざしてゆく。けれども、
無にも空にもとらわれない境地で、真の
人間は生きるものなのだ。それが、いつの
間にか神の大愛に抱かれるということ
なのであって、このいつの間にかということは
大事なのである。
いつの間にかおだやかになり、平和になり、
世界平和の祈り言を祈っている自己の姿に
気付かせる。私のみちびき方はこれなのである。
とらわれを少なくして、今まで考えられも
しなかった自分の真実の姿、光明そのものの
明るく朗らかな本心本体へと祈りを通じて
合体させ、その光によって、地球浄化を
おこない、同時に、個としての人間を救って
ゆくのである。
久遠のいのちにみちびくものは、祈りの
ほかにない。私は、神界から、祈りの
エレベーターにのった人々が、神のふところ
深く愛の光の放射を受けて、日々新たに
神業に加わるその援助をしているのである。
昭和61年10月7日
無を目ざし、空を目ざしてゆく。けれども、
無にも空にもとらわれない境地で、真の
人間は生きるものなのだ。それが、いつの
間にか神の大愛に抱かれるということ
なのであって、このいつの間にかということは
大事なのである。
いつの間にかおだやかになり、平和になり、
世界平和の祈り言を祈っている自己の姿に
気付かせる。私のみちびき方はこれなのである。
とらわれを少なくして、今まで考えられも
しなかった自分の真実の姿、光明そのものの
明るく朗らかな本心本体へと祈りを通じて
合体させ、その光によって、地球浄化を
おこない、同時に、個としての人間を救って
ゆくのである。
久遠のいのちにみちびくものは、祈りの
ほかにない。私は、神界から、祈りの
エレベーターにのった人々が、神のふところ
深く愛の光の放射を受けて、日々新たに
神業に加わるその援助をしているのである。
昭和61年10月7日