宇宙(そら)は家

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広げて待って
いらっしゃいます。
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自殺した人の霊について(子どもの自殺も含む)

2019-09-12 11:29:27 | 祈り
(問)自殺した人の霊はどうなるかという
ことをお教え下さい。


(答)どこへ行くかということですか。
自殺するって、本当にいろんな原因があって、
誰も自殺したくってする人はないんだけれども、
ただ稀に菩薩行で自殺する人があるんですよね。
全部業を引き受けちゃって、そういう自殺の
場合は、自殺しても苦しい世界に
行かないんですよ。
自分が全部引き受けて死にますのでね。 




(問)子どもなんかどうなんですか。
自殺しますが、あれなんかどう解釈したら
いいのか、また、残された遺族の方に
ついては。


(答)あれは本当にね、菩薩行も
あるけれども、あの多くは、何か遊ばれてね、
いろんなものにとり憑かれて死んじゃう
という事あるんですよ。
つまり、それこそ幽界の低級霊なんかに憑依
されてね、あるんですね。

それはその人が、神様を信じないから良く
ないとかそんな事私は言うつもりは全く
ないけれど、結局何故そうなるかというと、
親が子どもを本当の意味で愛しているか愛して
いないか、つまり、愛情のすれ違いがあるのか
ないのか、そういうところなんですよ。
気持ちが通い合っているのかいないのかね。
相手を理解しているのかいないのかという、
そこがすれ違っちゃうと、人間というのは
寂しくなるんですよ。
どんな小さな事柄でもね。

おそらく小学校卒業するくらいまでの
子どもで、自殺を考えなかった子どもというと、
今ほとんどいない、100人の中99人まで
自殺を考えたという子どもが、沢山いるんじゃ
ないかしらね。
それは異常なことだというんじゃなくて、
人間というのは生きてゆく中で、死んで
しまいたいという事が何度も何度もあって
そこを越えて生きて行く訳ですよね。
ところがその子どもたちの場合は、子どもで
なくていいけれども、自殺してしまう人
というのは、そこのところが自分の心にも
歯止めが効かないし、誰も止めてくれない
という絶望感があって、そこで死んじゃう
訳なんですよ。

それはその人の因縁とか何とか、宗教的に
みれば前生がどうのこうのとあることは
あるけれども、だけれども、そんなんで
片付けられたんじゃあまりにも寂しいわけ。
それよりは、本当に親が親の役目というか、
親が精一杯子どものほうを向いて、いろんな
面から子どもの人生を考えて、腹を立てずに
見守って、子どもは子どもで親にちゃんと
伝えてくるのかどうか、その辺の基本的な
ところでね、今、親は親になってない、
子どもは子どもになっていない、お互いに
影響して非常に悲劇になって来ていますよね。
その辺のところだろうと思うんですよ。

だから、想いを放つというか、親が子どもに
対して、自分はこれだけお前を見守って
いるんだよという、本当に心配しているんだよ
という、その心が届いていれば子どもは死なない
訳ですよ。
本当に自分を見守ってくれている人が
この世の中に一人でもいると、親が駄目なら
友だちがね、そういう人が居ると思えば
人間というのは死なないんですよね。
自分が必要な存在なんだと思えば
死ねないんですよ。
そこのところが皆、今ぎすぎすして駄目に
なって来ているでしょう。
ですから、まず子どもが子どもがと言う前に、
子供がどうやって生きていくか不安だという
前に、じゃあ親はその子どもに対して、あるいは
親であることに対して、自信を持っていますか
というね、それぞれがみんな自信を持って
生きるという事に対して援助が足りないん
ですよね。
お互いにね。
自分のとこだけ良ければよいという、それだと
皆が成り立ってゆかないんですよね。

だから私は、私のままでいい、貴女は貴女の
ままでいいから、そのままでいいから一緒に
頑張って行きましょうと。
それがお互いに、ああ私はこれでいいんだな
という自信をつけてゆくということに
なりますから。
ああありのままでいいんだなという。
だから、私の言ってる、消えてゆく姿で
世界平和の祈りというのは、その自分なりの
素のまま裸のまま、無一物のまんまでいいから、
後は全部神様が下さるから、そこで人間の
素直な裸の自分を出していく事に恐れないで、
必ず愛情は後ろにあるんだから恐れないで
という事を言う訳ですよね。

そういう限定されない神様の愛というものを
皆知っていれば、自殺なんてしないんですよ。
人間の生命が続いていくということを知れば、
本当に死ぬ人なんて一人もいなくなるんですよ。
ですけど、一足跳びに宗教というよりは、まず
現実的に親も子どももそれぞれ現場の中で
ちゃんと生きているか、今どうなっているか、
歪んじゃいないか、その辺の所に目配りして
気配りする人が増えてゆけば、隣の子どもが
ああいうふうに言っていたが、あれはどうなった
だろうという、その想いをあげてゆけばね、
行動しなくても想うだけでも、その光が届いて
行く訳ですよ。
そういうまず、心を豊かにする、気持ちを
やわらかくする、そこから始まっていかないと、
これは救いようがないですよね。
だから、自殺するのはどうしてだろうというのは、
それは寂しくって悲しくって辛くって
仕様がないから、そこでどうしょうもなくて、
自殺しかないんですよね。

そこの孤独地獄から救っていかなきゃ
いけないんですよ、自分も人も。
それには自分が心豊かに生きるというね、
自分だけがいいというんではなしに、自分が
心豊かに生きるということになれば、
まわりも豊かになってゆく。
回り道みたいだけれども、そこから始まって
ゆかないと、人間が永生で永遠の生命を
持っていて、明るい朗らかな神様の生命
そのものなんだという所までは、なかなか
行かない訳ですよね。

ですから、あなたのまわりで、そういうふうな
気になる子どもとか親とかいたら、ほんの一瞬で
いいから想いを放って上げてね、ああ、
あの人も辛いだろうなあと、それだけで
いいんですよ。
それがくい止める事になるんですよ。
生命を救うことになっていくんです。