神様の
世界には
誰がどうしたとか
こうしたとかいう
思いわずらいは
ありません
みんな
子どもなんですから
ただ
ひたすらに
神様の
光を
受ける器
神様の
愛を
受ける器として
その人が
空っぽに
なっているか
どうか
それだけ
なんです
私なんか
ずっとずっと
空っぽ
何にも
ありゃしない
智恵も力も
必要に
応じて
その時々に
神様が
下さるもの
私はただね
自分を
働きの
場として
いつもいつも
いろいろなことが
受けられるように
何がはいってきても
大丈夫なように
自分のうちを
きれいにしてね
何もかも
なくして
おく
そのために
祈りつづけて
いるんです
本当ですよ
世の中の
富や
地位が
この
魂の
何の
役に立つんですか
そりゃ
人間ですもの
いいものを
食べたい
いいところにいたい
尊敬されたい
そりゃあそうです
居心地がいいものね
そういう気持ちを
いたずらに
否定するんじゃないんです
だけど
神様の御用にたたなきゃなんない
人間は
本当をいえば
この肉の身が
滅しないだけの
ものを喰べて
飲んで
そうして
神様の
みこころを
そのままに
素直に
うつしてゆく
そういう
愛の
働きを
なしてゆくものなのです
80年
90年の
いのちが
何なのですか
それは
肉のいのちです
人間は
ずっとずっと
明るいいのちを
生きつづける
永生の存在
なのです
だから
こだわりや
とらわれを
すてて
とにかく
神様に
今の
この
自分の
身に
受けて
いる
いのちを
感謝して
世界平和の祈り
のなかに
あなたのいのちを
かえして
いって下さい
やさしい
こころは
すべてを
とかして
いきます
やさしさは
神の愛
だからです
人間は
この
神からの
贈り物である
やさしい
こころを
みんな
持っているのです
もっと
もっと
自分を愛し
いたわって
やさしい
こころを
やさしい
こころの
なかにある
神の光を
ふりまいて
下さい
世界には
誰がどうしたとか
こうしたとかいう
思いわずらいは
ありません
みんな
子どもなんですから
ただ
ひたすらに
神様の
光を
受ける器
神様の
愛を
受ける器として
その人が
空っぽに
なっているか
どうか
それだけ
なんです
私なんか
ずっとずっと
空っぽ
何にも
ありゃしない
智恵も力も
必要に
応じて
その時々に
神様が
下さるもの
私はただね
自分を
働きの
場として
いつもいつも
いろいろなことが
受けられるように
何がはいってきても
大丈夫なように
自分のうちを
きれいにしてね
何もかも
なくして
おく
そのために
祈りつづけて
いるんです
本当ですよ
世の中の
富や
地位が
この
魂の
何の
役に立つんですか
そりゃ
人間ですもの
いいものを
食べたい
いいところにいたい
尊敬されたい
そりゃあそうです
居心地がいいものね
そういう気持ちを
いたずらに
否定するんじゃないんです
だけど
神様の御用にたたなきゃなんない
人間は
本当をいえば
この肉の身が
滅しないだけの
ものを喰べて
飲んで
そうして
神様の
みこころを
そのままに
素直に
うつしてゆく
そういう
愛の
働きを
なしてゆくものなのです
80年
90年の
いのちが
何なのですか
それは
肉のいのちです
人間は
ずっとずっと
明るいいのちを
生きつづける
永生の存在
なのです
だから
こだわりや
とらわれを
すてて
とにかく
神様に
今の
この
自分の
身に
受けて
いる
いのちを
感謝して
世界平和の祈り
のなかに
あなたのいのちを
かえして
いって下さい
やさしい
こころは
すべてを
とかして
いきます
やさしさは
神の愛
だからです
人間は
この
神からの
贈り物である
やさしい
こころを
みんな
持っているのです
もっと
もっと
自分を愛し
いたわって
やさしい
こころを
やさしい
こころの
なかにある
神の光を
ふりまいて
下さい