宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
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永遠なるものは ただ神の愛(2)

2021-10-30 05:18:18 | 祈り
   (前日からの続き)
人よ
世界平和の祈りのもとに
あつまろう
そして
自在となって
それぞれの天命を
朗らかないのちを
完うしてゆこう

人は本来
光としてながれているものなのだ
自由に
天地を創り
また天地を駆けて
歓喜の唄を
うたいつづけているものなのだ

すべての業は
神のいのちの前には
神の光の前には
永遠ではない
永遠(とわ)なるものは
ただ
神の愛
私たちは
世界平和の祈りを祈るとき
この神の愛につながった
自分自身で
あることをしる

私たちを
もとのすがたに還そうと
神は
さまざまな聖者を降し
祈りをくだして
そのなかで働かれた
そして今
すべての人の心に神性を
呼び覚ます
霊性を呼びさます
愛の祈りを
しめされたのだ

人々は
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様、守護神様
ありがとうございます
という
この世界平和の祈りの
なかで
みずからの真実の相(すがた)を
覚知してゆく
人として
やさしさこそが
ゆるしこそが
そして
祈りこそが
この地上を光にし
みずからを
光にしてゆくことをしる
光であることを
しってゆくのだ

かつてイエスが
祈っている時に兄弟と
仲たがいしていることを
おもい出したなら
行って和解をなせ
といったのは
真実である

イエスは
祈りが
人として
まずこの世で
果たすべきことを
教えることを
こころに深くしっていたのだ

祈りは
かたちではなく
朗らかに
いのちが愛へとながれてゆく
その道筋をととのえて
ゆくものである

祈りは
人の真性を呼び覚ますものだから
その真性から
外れたおもいが
あることに
気づかされると
たとえ
祈りの途中であっても
愛行を
することを
神は人に
命じるのだ

祈りというものは
本来
人を
自由にさせるものであり
人は
自らの存在を
自在に
神に溶け込ませて
ゆくものだから
つまりは
はじめなくおわりなく
明るく朗らかな
自分自身
真実の自分自身に
出会ってゆくことを
守護の神霊が
たすけてゆくのである

祈りの光明が
神の光が
あなたをとらえて
自由なあなた自身へと
みちびいてゆくのである

こころに出会い
祈りによって
自分自身に出会ってゆく
ことが
私の
そして
私たちのよろこびなのである