(前日からの続き)
世界平和の祈りというのは、地球人類だけ
ではなく、宇宙にいる人類すべての、星々
すべての、ふるさとの祈りなのです。
肉体だけで祈るのでもなく、霊だけで祈る
のでもなく、全体が祈るんです。
言葉だけで祈るんじゃないんです。
想いも何もかも、波動全体で皆んなが光って
祈っている。
私が祈っていると同時に、私だけではなく、
私から広がって、あらゆるすべてのものが
祈る。
そういう祈りになってゆくわけですね。
だから、この世界平和の祈りというのは、
非常に広大無辺なものなんです。
どこからどこまでがどうの、どこからどこ
までが光るとか、これ祈ったらどうなるとか、
そういう小さなことなんていうのは、
私の神様は相手にしない。
宇宙神の広大さなんて、そんなものではない。
私たちなんかの一つや二つの生命を使っても、
それでもまだ、もっともっと大きなことを
なさる。
そんなものですよね。
生命を捨てざれば生命を得ずというのは、
それなんです。
捨身になって神様を信じ、本当に信じるところ
から出発する時に、光はサーッと入って来る。
信じなきゃ入らないかというと、そうじゃない。
信じないところにも入るんだけれども、より信じて
よりゆだねて祈る時に、神様から来る光というのは、
素直に自分の心へ入って来る。
そのことによって、我々の道が生かされてゆく。
生きるわけではなく、生かされてゆく。
(つづく)
世界平和の祈りというのは、地球人類だけ
ではなく、宇宙にいる人類すべての、星々
すべての、ふるさとの祈りなのです。
肉体だけで祈るのでもなく、霊だけで祈る
のでもなく、全体が祈るんです。
言葉だけで祈るんじゃないんです。
想いも何もかも、波動全体で皆んなが光って
祈っている。
私が祈っていると同時に、私だけではなく、
私から広がって、あらゆるすべてのものが
祈る。
そういう祈りになってゆくわけですね。
だから、この世界平和の祈りというのは、
非常に広大無辺なものなんです。
どこからどこまでがどうの、どこからどこ
までが光るとか、これ祈ったらどうなるとか、
そういう小さなことなんていうのは、
私の神様は相手にしない。
宇宙神の広大さなんて、そんなものではない。
私たちなんかの一つや二つの生命を使っても、
それでもまだ、もっともっと大きなことを
なさる。
そんなものですよね。
生命を捨てざれば生命を得ずというのは、
それなんです。
捨身になって神様を信じ、本当に信じるところ
から出発する時に、光はサーッと入って来る。
信じなきゃ入らないかというと、そうじゃない。
信じないところにも入るんだけれども、より信じて
よりゆだねて祈る時に、神様から来る光というのは、
素直に自分の心へ入って来る。
そのことによって、我々の道が生かされてゆく。
生きるわけではなく、生かされてゆく。
(つづく)