花ひともとの美しさということをこの頃
しみじみとおもうようになった。
私の家の狭庭にも四季折々に、それぞれの
花がひらいて、その美しさが、偶々一人の時を
得た私の心にひびき、足をとどめて、
一(ひと)ひら一(ひと)ひらに見入った
ものであるが、私の歩みをおもわず
とどめさせたのは、神の愛と光とが、どんな
小さな花びらにもいっぱいにそそがれて、
いのちというものが本来持っているすこやかさを
見せてくれたからなのである。毎日、私の
まわりを影のように通りすぎてゆく人間に
まとわりついた業想念の波をきよめながら、
ふと、寂しさが心にあらわれて、そんな時、私は
何もいうこともなく庭におり、ほほを吹き過ぎる
風を受けながら、人間のさまざまないのちの
すがたにおもいをはせる。
花ひともとの美しさは、そんな時、私を
なぐさめ、神のいのちが、少しもそこなわれず、
現在も、そしてこれからも、美と愛を
あらわしていて下さることを教えて
くれるのである。
花ひともとに込められた神のいのちの
すこやかさよ。人のいのちもかくあれと、
私はまた元気になって、世界平和の祈りを祈り
つづけるのである。
昭和61年12月2日 記