宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

守護霊について(2)

2023-07-26 08:27:03 | 祈り
       (前日からの続き)
記憶というのは、これはずっと前生、前々生と
さかのぼって行って、つまり、我々が肉体人間
になって修行をずっと重ねて行って、あらゆる
天命そのもの光そのものの光明体になるまでの
その修行、その途中途中で、例えばこの世の中に
50回生まれてくる人、100回生まれてくる人、
いろいろある訳ですが、その中での記憶を全部
いちいち持ってたら、人間というものは苦しくっ
てですね、この世の中に生きていられないから、
それを消してゆく訳ですね。
だけども、その中で、それぞれの関わりの中で、
この人がついた方がいいなあ、この人を
この一生を貫かせる為には、こういう人が
守護霊さんとしてついた方がいいなというのを、
霊界の方で決めて、そして、それが例えば、
教師であるなら、子どもたちと一緒に遊べる
ような無邪気な、そうして霊性も高い、そういう
人の守護霊さんというものを、そうして、
関わりのある人を連れてきてそこに付かせる訳
ですね。
だから、よく私が申しますが、天才の仕事
というものは、あるいは天才でなくても秀才
でも鈍才でも構いませんけれども、我々の仕事
というものは、守護霊さんに助けられてやって
いるんだと。

例えば、音楽家の仕事であっても、その音楽家
ならずっと霊視してゆけば、バッハがついて
いるとかベートーヴェンがついているとか
シューベルトがついてるとかね。
あるいは滝廉太郎がついているとかね。
そういう何か、その道ですごい仕事をした人の
守護霊さんがついているという場合もありますし。
その守護霊さんというのは何かというと、愛念
なんですね。
あなたならあなたの一生、その人ならその人の
一生というものをよく知り抜いていて、そして
しかも、愛し抜いていて、そうして守り抜くと。

それは、この世の中へあなた方が出てくる前
から、そして、今度死んで肉体がなくなって
向こうの世界へ移って、向こうの霊界修行でも、
その守護霊さんというのはずっとあなたたちを
守ってついてゆく。
守護霊さんというのは休息がないわけです。
肉体人間というものは、ずっと眠らずに何日か
起きてらっしゃいと言えば、一週間もすれば、
人間は死んじゃいますね。
何故かというと、霊要素というものを眠ってる
間にこっちで(こっちでと言うのは霊界で
ですよ)、霊界で補給しないことには、人間
というのは生きてゆけないから、そこで眠らせて
生命をつないでゆく訳ですけれども、守護霊さん
というのは、そういう休息がないから、その人の
一挙手一投足どころか、一秒一秒一瞬一瞬の
その人の想いに付き合って、その想いの中に、
すこしでもきついものね、つまり、やりきれない
もの悲しいもの──いろんな想いが出てきた時に、
それをどんな風にして消すか、軽くするか。
つまり、この世の中をただ単に肉体だけでは
なくて、霊の生命もですよ、全部含めて、どう
やったら生きやすくするかという事を四六時中
考えてる。

それはやっぱり、守護霊さんというものが
神様の愛というものを知ってて、そうしてその
愛念をよく知り抜いて、あるいは体でうつした
人だから、それが出来るんですね。
これはやっぱり、そういうことがわからない人が
守護霊さんにつくということはないんです。
そうでなかったら、守護霊さんの方が
潰れちゃいます。
            (翌日に続く)

守護霊について(1)

2023-07-25 09:07:07 | 祈り
私どもの祈りの中にある最後に、守護霊さん
守護神さんという呼びかけがありますが、その
守護霊さんというのはどういうものか。
よく個人相談の時にでも、あるいは講話が
終わった後にでも、「先生、私の後ろに
誰がついているんでしょう?」と、こういうものは、
皆聞きたいものなんですね、それで、
「あなた、おじさんがついていますよ」とか、
「おじいさんがついていますよ」とか。
まあ見える限り、知らせていい限り、私は
知らせて安心してもらうということを
言ってるわけですが。

守護霊さんというのは、これは先祖さんの
たとえば悟った霊がつくとか何とか今までずっと
説明をして来ましたけれども、もっと言うと、
そのつながりというものを、人間のつながり
というものは、例えば、この世の中の肉体の
生命の何十年というそんなつながりの浅さ
ではなくて、守護霊さんと我々のつながり
というのは、実はこの世の中に出てくる以前から
ずっとある訳ですね、霊界の段階からある。

だから、生まれる前から知っている。
生まれる前からというと、こういう世界に
馴染みのない人は、じゃあ記憶のない前からか
ということになりますけれども。
                (つづく)

やさしさについて 序

2023-07-24 09:20:56 | 祈り
   ──序── 
             五井 昌久       
やさしさとは
つまり
愛です
人と人との愛
神と人との愛
その
お互いの
こころの
交流のなかに
わき上がってくる
清しいながれ
それが
やさしさであり
愛なので
あります
      平成2年4月1日

人と神とに 誠実でありつづけよう

2023-07-23 06:44:59 | 祈り
友よ
真実の
神の愛を
今宵
君と
語ろう

神が
どんなに
愛深く
私たちを
つつみ
また
許して
下さっているかと
いうことに
ついて
夜っぴいて
語ろうではないか

神は
私たちの親
親しい
友人
友愛のみちた
兄弟姉妹
そうではないか

人が
この世に
生きることは
かなしいことの
連続だ
けれど
涙を
ながしながら
一歩一歩
人が
耐えて
歩いて
くるのを
どれほどの
なみだをもって
迎えて
下さる方が
神で
あるか
この
真実は
誰の
想像も
およばない

友よ
人と
神とに
祈りを
ささげよう
そして
お互いのいのちが
人と
神とに
誠実で
ありつづけるように
祈ってゆこうではないか

この人生を
明るく
朗らかな
光にみちた
ものにするためにも
友よ
たがいの
いのちの
ために
さあ
神の前で
さかずきを
あげよう
   昭和62年1月30日

あとは 神さまの領分

2023-07-22 10:51:17 | 祈り
人の力の
およばざる
ところ
というけれど
そうじゃないんです
一応の
区切りが
ついた
だけなんです
人の力は
十分
及んだんです

あとは
神さまの
領分
神とともに
いきる
いのちの
世界
あたらしい
活きづきが
はじまるのです

単なる
いのちが
一つの
区切りを
むかえたに
すぎないのです